15 恋文(2)
丹波が手にした三枚の紙には、『Read between the lines』、『love me, love My dog. 』、『bad Books are intellectual poison; they destroy the mind.』と書かれてあった。
「何、この紙切れ……。赤文字で英文が書いてあるけど」
「これは、VICTIMSに関わる事件のたびに僕が手に入れたものです。文字列の中に、先頭だけアルファベットになった大文字の単語がいくつかあるでしょう」
「え、ええ」
「それらを抜き出し、並べて読んでみてください」
言われた通り、丹波は特定の単語を拾い順に声に出してみる。
「――Read My Books。……“私の本を読め”?」
「はい」
「じゃあ、今正樹さんが読んでる本って……」
「ご推察の通り、帆沼呉一の著書ですよ」
白髪の男は、苦々しく笑った。
「絵本やら童話やら小説やら、はたまたアンソロジーに寄せた別名義のものまで。……うんざりしますよ。こうも量を書いているというのに、ほとんどテーマは同一のものだ」
「……」
「たった一人に向けられた、酷く粘度の高い息苦しいまでの愛情。羨望。執着。それが、彼の作品の根底に流れるテーマです」
「……その本全てを、帆沼呉一は正樹さんに読めって言ってるの?」
「ええ」
淡々と読む檜山の周りに積まれた本の山は、さながら彼を閉じ込める堅牢な城塞のようだと丹波は思った。
――むせかえるほどの熱で綴られた、恋文の城。
そんな想像をしてしまい、ゾッとする。けれど、なんとか表に出さずには済んだ。
「でも、それなら尚更正樹さんは私達警察に協力を仰ぐべきだわ」
そして檜山との間に横たわる壁を壊そうと、丹波は身を乗り出した。
「だって、こうしてる間にも慎太郎君は拐われたままなんでしょ? なら、私達も協力して……!」
「言った所で彼がどこにいるか分かるんです? ここに来るまで帆沼呉一が裏で糸を引いていたことすら掴めなかった人達が?」
言葉を詰まらせる丹波に、檜山は「すいません」と謝る。しかしその手は、次の本に伸ばされていた。
「少し言い過ぎました。ですがこれら本は……メッセージは、帆沼呉一が僕だけに送ったものなのです。だから、彼が居場所を伝えたいとするなら、それは檜山正樹にしか分からないようになっている。ならば、無闇矢鱈に警察という貴重な人員を割くより、僕が場所を割り出した方がいいと判断したんです」
「……」
「ちなみに、あのあと紫戸太郎さんはどうなりました?」
「あ、ああ」
突然話題が変わってまごつく丹波だったが、すぐにしゃんと背筋を伸ばした。
「彼は全て罪を自白したわ。GPSを仕込むよう唆した協力者に関してもあっさり吐いた。バーで出会った男で、杉田と名乗ってたって」
「偽名でしょうね。紫戸さんに帆沼呉一の顔写真を見せてみてください。恐らく、バーで出会った人物と一致するはずです」
「分かったわ。……」
「まだ何か?」
鋭く尋ねる檜山に、丹波は小さく頷く。
「……檜山さんなら分かってくれると思うんだけどね。何だか今回の犯人、今までのVICTIMSの例に則ってないように思えて」
「……あー」
「すんなり自供したし、解決後他の犯人みたいに魂が抜けたようにもなってない。むしろまだつかさ君に対する病的な敵意と大和君に対する執着を剥き出しにしたままね。あれはしばらく入院が必要だわ」
「そりゃそうでしょう。紫戸さんは、他の人の様にVICTIMSに呑まれていないんですから」
「あ、そうなの?」
「はい。彼はあくまで、VICTIMSをただの指南書としてしか使用してません。だからもしつかさ君を殺せていたとしても、巻末に彼の血で名前を書いたかどうかは怪しいですね」
「ああ、そういやそんなことを言っていた気も……」
「そして裏で操っていた帆沼呉一にとっても、紫戸さんは慎太郎君を拐う為の陽動役でしかなかった。だから極論、紫戸さんが逮捕されようがつかさ君が殺されようが、慎太郎君を拐うことができればそれでよかったのです」
「そんな……! でも、慎太郎君を誘拐するなら別に他の場所でもよかったんじゃないの?」
「そこまでは分かりません。もしかすると、彼にとっては、現世堂で慎太郎君を連れ去ることに何か特別な意味があったのかもしれませんが」
「……」
「……あ、それと、これ。うっかり忘れていたのですが、紫戸さん関係の証拠品です。渡しておきます」
「あーっ! やっぱりこれ正樹さんが持ってたのね! ふざけんじゃないわよ!」
新百鬼夢語とGPSを受け取りながら、丹波は怒った。それがあまりにもいつも通りの怒り方だった為、檜山はピタリと頁をめくる手を止める。
そして顔を上げ、大きな眼鏡越しに彼女の顔を凝視した。
「……な、何よ」
「いや……そういえば莉子さんって、そんな顔をしてたんだなと思って」
「そんな顔って何」
「やー、なんですかね。なんだろうな。実はついさっきまで僕、慎太郎君と帆沼君のことしか頭に無くて」
「そんな気はしてたわよ。っていうか、死ぬほど失礼なこと言ってるの気づいてる?」
「んー……」
檜山は、がりがりと白髪を掻く。それから初めて本を置き、うーんと伸びをした。
「……まずいな。僕はだいぶ帆沼君にやられてるみたいですね」
「怪我でもさせられたの?」
「そういうわけでは……なんというかほら、彼は歩くVICTIMSみたいな存在なので。関わっていると、知らぬ間に彼のペースに呑まれるんですよ」
「危険ね。新手の妖怪かしら」
「まあ、そう呼んでいいかもしれません。こと帆沼君に関しては」
檜山は、トントンと新百鬼夢語が入ったプラスチックケースを叩いた。
「妖怪とは、いわば恐怖の合理化です。わけが分からなくて怖いものを、何とか理解できるよう理屈と名前をつけられたもの。式に埋め込まれた正体不明のx、それが妖怪だと僕は解釈してます」
「x……」
「だからそういう意味では、理解の範疇を超えて動く帆沼呉一を妖怪と定義することはあながち間違いではない」
そう言うと、再び檜山は本を手に取る。
「……とはいえ、その妖怪を真の意味で理解しようとするなら、僕も同じものにならねばなりません。彼の思想、言葉、行動。染まらねば、受け取ることは叶わない」
「……それが今の状態ってことね」
「ご理解感謝します。超特急で解読したら速攻連絡しますので、いつでも動けるようにご待機お願いします」
「オーケー」
「では」
そして、檜山は本に顔を埋めた。……また向こう側に行ってしまったのだ。そんな彼にため息をつきつつ、手持ち無沙汰になった丹波はプラスチックケースを開けた。
所々破けた古書。今以上被害が広がることのないよう気をつけながら、丹波は本を開く。
机の下から顔を出すのは、おどろおどろしい髪の女。ぎょろりとした目をこちらに向けて、憎々しげに紅を引いた唇を歪めていた。
何とは無しに、頁の上部に書かれていた崩し字を読み解く。曰く、“おどろめに会いしは片目を閉じ、残りの目で眉間を見よ”。
「……妖怪なんかじゃないわ。人よ、彼は」
その文言を見ながら、丹波はつぶやいた。
「人の業がこんな数行で退治できるなら、法も警察もいらないもの」
新百鬼夢語 完




