10 推理不要の事件
今宵は身を切るような冷たい風が吹いていたが、紫戸は気にも留めなかった。まもなく彼は、待ち合わせ場所である鳶里公園へとたどり着いた。
「……?」
が、そこで待っていた者は、彼が期待した少年だけではなかった。
「こんばんは、紫戸様」
愛しい愛しい大和の隣に。
何故か、総白髪の火傷面が立っていたのである。
「お前っ……! この泥棒め! どの面下げて俺の前に来た!」
「その件についてはお詫び申し上げます。ですが、反省したからこそ直接紫戸様に謝罪させていただければと思いまして」
「いらん! 本を置いてとっとと帰れ!」
「ええ、ぜひともそうしたいのですが……」
檜山は、本の入ったプラスチックケースを取り出した。対する紫戸は、ビリビリに破かれた背表紙の本を見るなり驚きに目を見開く。その顔は、みるみるうちに白くなった。
「それは……クソッ、気づいてたのか! その上でよくもこんな……!」
「おや、『気づいてた』とは? 小生はただ、うっかり背表紙を剥いでしまったことをお詫びしたかっただけですが」
「……!」
「……まあ、茶番もこれぐらいにしましょうか。ええそうです、小生はこの本の中から小型のGPSを発見しました」
手を広げて小さな機械を見せる檜山を、紫戸は今にも絞め殺しそうな目で見ている。だが、やがてゆっくりと首を振った。
「……知らない。俺は、そんな機械に見覚えはない」
「見覚えはない? それはおかしい。先ほどあなたは、破られた本を見て『気づいていたのか』と尋ねました。であれば、あなたはこの本がこんな状態になってこそ暴露される秘密があると知っていたはずです」
「……」
「紫戸様。……つかさ君を誘拐しようとした犯人は、あなたですね?」
ずばり核心をついてきた檜山に、しかし紫戸は一歩も引かない。それどころか、口元にうっすらと笑みを浮かべていた。
「……犯人? とんでもない。確かにあなたの言う通り、本にGPSは仕込みましたけどね。ですが、あれはあくまで貴重な本をうっかり紛失しない為の必要措置ですよ」
「……。あなたは、貴重と捉えている本の背表紙を無惨に破いたのですか?」
「やむを得ません。完全に失われるよりマシですから」
「そうですか。では何故、先ほどGPSは知らないと嘘をついたのです?」
「自分が誘拐未遂犯と思われたくないが為の可愛い嘘ですよ。GPS付きの本を被害者に貸し出していたとあっては、真っ先に疑われると思いましたので」
「……ふむ」
ここで、初めて檜山は黙った。あらかじめGPSがバレた時の為に用意しておいた文句を並べ立てた紫戸は、勝利を確信して微笑む。
だが。
「――『VICTIMS』Chapter 4『Love Sickness』」
檜山の発した一言に、紫戸の頬がヒクリと引き攣った。
「覚えてらっしゃいますでしょうか。『恋の病』と訳されるこの章では、主人公である殺人鬼が恋人を唆して人を殺させます。道行く標的の頭部を殴って殺し、その遺体を車に引きずり込む。それから心臓を抉り、遺体を深夜走行する貨物列車の線路に投げ込んでしまうのです。死因が特定できないほど遺体を損傷させることで、自殺に見せかけるというこの筋書き。一見綿密で、その通りに行動すればあたかも完全犯罪が成り立つように思えますが……」
悠然と立つ檜山は、一度眼鏡のつるを摘んで位置を直した。
「いかんせん、これを現実にするにはお粗末な点が多過ぎますね。車はどこから借りたのですか? 監視カメラの目を全て逃れたとでも? 大和君の悲鳴に近所の人が外を覗き見た可能性を考えたことは? あなたとつかさ君を繋げる証拠は本当に処分できましたか? 燃えるゴミの日は明日です。今からゴミ捨て場を漁れば、つかさ君の血液とあなたの髪の毛が付着した服が見つかるかもしれません」
「……!」
「……誰に入れ知恵をされたか存じませんがね。あなたの手にした完全犯罪を謳う指南書は、ご自身を罪に陥れるおぞましき悪意の塊にしか過ぎません。……一刻も早く自分の罪を認め、出頭した方がいい。そうすれば、まだ罪は軽く済む」
話し終えた檜山は、導くように手を差し伸べる。一方、誰も知るはずがないと思っていた本の存在を指摘された紫戸はすっかり色を失っていた。
しかし、それでもまだ彼は認めない。
「……知らない」
「……」
「知らない。というか、なんで突然そんな変な本の名前を出したんだ! わ、訳の分からない話をつらつらと……!」
「……読んだからですよ」
だが、檜山も揺るがなかった。
「小生は、あなたの持っている本を知っています。……VICTIMSを、読んだことがあるのです」
「は……? だ、だってあの本は世界に一冊だけだって!」
「あなたの手に渡る前に読んだのですよ。そして、今回の事件の類似性に気付いた」
「だ、だが、誘拐なんてよくある話だ! なんで俺とその本を関連付けたんだよ!」
「簡単な話ですよ。この所、小生の周りでVICTIMSにまつわる事件が頻発しているからです」
やれやれと、檜山は疲れたようにため息をついた。
「その矢先に、VICTIMSに書かれていた内容と似た事件が起きた。関連性を疑うのも当然でしょう」
「あ……」
「……ところで先ほどあなたは、『あの本は世界に一冊だけ』と仰った」
「!」
「さて、ボロを出しましたね。誰からその話を聞きました? 誰から本を預かったのです? ……ご説明、いただきましょうか」
紫戸はもう反論できる材料が残っていないらしく、口をぱくぱくとさせていた。逃げようと辺りを見回すが、遠巻きに数人が自分を取り囲んでいたのに気づいてしまう。
「……先生。どうして」
追い詰められた紫戸に、とうとう大和が口を開いた。彼は、慕う教師の真実を自分の目で見極める為、檜山に無理を言ってここに来ていたのだ。
「さっき言ったことは、本当なんですか!? 殴り殺して誘拐って……! その本の言う通りにつかさを襲ったんだとしたら、先生はつかさを殺すつもりだったんですよね!? な、なんでそんなことを……!」
「なんでって……! そんなもん、お前をアイツから解放する為に決まってるだろ!!」
紫戸は、憎々しげな目を大和に向けた。
「そうだ! 俺はお前の為にやったんだ! お前がいつまでも俺を焦らして、惑わすから……!」
「え……!? え!?」
「アイツが死なないと俺とお前は一つになれない! 結ばれない! だから殺さなきゃいけなかった! 排除しなきゃならなかった!」
大和が息を飲む。紫戸の手には、カッターが握られていた。
「大和、こっちへ来い! ……大丈夫、殺す訳ない。ただ、俺とお前が安全な場所に着くまで少し人質ごっこをするだけだ。さあ……!」
紫戸が大和へと足を踏み出す。愕然とする大和を庇って、咄嗟に檜山が前に出る。だがそのタイミングで、檜山のスマートフォンに着信が入った。
着信の主は、あることを懸念した慎太郎とつかさの母。だが、その内容を檜山が確認する前に母の懸念は現実のものとなった。
走る紫戸に、一つの影が迫り来る。頭に包帯を巻いたその少年は、長い足で思いっきり助走をつけ――。
「よいしょー!!」
「ぐはっ!!?」
――紫戸の背中に、容赦の無いドロップキックをくらわせた。




