11 彼女のミス
――麩美さんが犯したミス? 一体、何のことなのだろうか。
オレは息を殺して、店内のリアルタイム映像を見ながら檜山さんの発言について考えていた。
「……発見時、被害者の口にはダリアの花が詰め込まれ、心臓がくり抜かれていました」
けれど間に合わず、檜山さんの推理が始まった。
「ダリアの花の件は、言わずもがなティッシュを使った時間差トリックを隠す為の措置でしょう。ですが、事件当日の貴女は現世堂からまっすぐ自宅へと帰っている。ならばいつ、それらの細工は施されたのか」
「……」
「答えは簡単。貴女が帰ってから、遺体が発見されるまでの間――つまり四日前の帰宅直後から、二日前の朝までの約二日間です。被害者の遺体は、一昨日午前六時半頃たまたま訪れた管理人によって発見されています。彼に鉢合わせしなかったのは、貴女にとっては僥倖だったことでしょう」
そうか。だったら、その間に麩美さんはマンションと廃ホテルを往復しているはずなのだ。そしてもし服装や帽子で変装していたとしても、ダリアの花を持っている人がいたらそれが彼女である可能性は高くなる。
けれど、実際はそう単純な話ではないようだった。
「しかし、明確に貴女の顔が映った映像は、現世堂に行って帰ってくる以外には存在しませんでした。……ダリアの花束を抱えた人は、勿論のこと」
「あら、そう。私を犯人にできなくてお気の毒にね」
「いいえ、ところがそうでもないのです」
檜山さんは、左半分が火傷で覆われた顔を笑みに歪めた。
「小生は、貴女を見つけました。大きな鞄を持ってどこかへ行き、帰ってくる貴女を」
「えっ……!?」
「驚いてらっしゃいますね。では、証拠をお見せしましょう」
そう言うと、彼は身を乗り出して麩美さんの左手を取った。彼女は抵抗しようとしたものの、何かに気づいて目を見開く。
「……お気づきになりましたか。そうです、貴女が先日現世堂へ訪れた時についた、この左手首の傷」
オレは「あ」と声をあげそうになって、慌てて口を押さえた。……あれは確か、原稿の端で切ってしまった時の傷だ。けれど今はそれも治りかけており、細く赤い筋が入っているだけだった。
「覚えてらっしゃいますか? 貴女の悲鳴に驚き、飛び出してきた青年のことを」
「……あのアルバイトの子ね」
「ええ。そして彼は、怪我の治療のために貴女の手首に絆創膏を貼った」
ここで檜山さんは、自身の左手の人差し指に巻かれた絆創膏を見せた。あれもオレが貼ったものである。
三毛猫がVサインしてる、とっておきの愛らしい絆創膏だ。
「……基本的に買い物は任せているのですがね、どうも彼は可愛らしいものが好きなようで。見てください、この絆創膏も猫の柄が特徴的です」
「……」
「ところでこの絆創膏は、期間限定で販売されたものでして。同じ柄を持っている人、ましてや実際に使っている人はかなり限られてくるものと思われます」
檜山さんが、カウンターの上に置かれたパソコンの画面を麩美さんにも見えるよう動かす。その画面には、麩美さんのマンションのエントランスが映っていた。
「――三日前の午前二時。大きな鞄を持った人が、マンションを出ようとしています。大きな帽子を被ってコートを着ており、顔はおろか性別すら分かりません」
「……そうね」
「ですが、ここを見てください」
檜山さんが監視カメラの映像をアップにする。鞄を持った側の手首。そこには、見覚えのある猫の絆創膏が貼られていた。
「……ッ!!」
麩美さんの顔色が、変わった。
「……奇しくも、この絆創膏は現世堂で貴女に貼られたものと同じです」
「……そんな」
「そして、更に一時間半後」
映像が早送りされる。マンションに帰ってきたのは、キャップを被ったお腹の大きな女性だった。
オレは目を剥く。彼女の左手首にも、チラリと一瞬同じ絆創膏が見えたのだ。
「……どうです。同じ左手首に、同じ特徴的な絆創膏。例え服装や体型が多少違っていたとしても、この同一性は無視できないのでは?」
「……嘘よ」
「嘘、とは?」
「こ、こんなのただの偶然よ! 絶対的な証拠じゃないわ! 第一、顔もしっかり映ってないのに……!」
「その通りです。ですが、先ほども申しました通り、これは決して無視できない同一性なのです」
檜山さんは、まっすぐに麩美さんを見た。その手は、まだ彼女を捕らえたままだ。
「貴女は、この事件に関与している可能性が高い。これは覆ることの無い状況的推論です。そしてアリバイも崩れるとなれば、貴女は立派な容疑者の一人に逆戻りとなります」
「……あ」
「もうお分かりですね? 警察は、貴女の家を捜索できるだけの大義名分を得られるのですよ。勿論、令状も携えて」
「……」
「……加えて、貴女の家を捜索すれば何が出てくるか。それも当ててあげましょうか」
麩美さんもオレも、まるで酔ったように檜山さんの声に聞き入っていた。
「先ほども申し上げました通り、被害者は心臓を抉り抜かれていました。それは一体、何故か」
「……え」
「麩美虎子様。貴女、VICTIMSを持っていますね?」
その単語を出した瞬間、麩美さんは硬直した。
「であれば話は早い。何故なら、VICTIMSには巻末に犠牲者の名前を血で書かねばならないのですから」
「……どうして、それを……!」
「さあ、どうしてでしょう」
檜山さんが皮肉げに言う。
「VICTIMSは、殺人指南書たる本です。恐らく、今回の殺害方法についてもこと細やかに書かれています。そんな本が貴女の家にあり、かつ被害者の血液もついていたとすれば……貴女にかかる容疑は、どうなるのでしょうね」
「……!」
「……以上です。これが、私の推理した貴女の犯行の全てとなります」
そう言い切ると、檜山さんは彼女から手を離し一つ息を吐いた。今や顔面蒼白となった麩美さんは、額に脂汗を浮かべ、軋む音が聞こえてきそうなほど歯を噛み締めている。
が、次の瞬間、彼女は奇声を上げて檜山さんに掴みかかった。咄嗟に身を躱した檜山さんだが、その頬を彼女の爪がかすった。
「檜山さん!!」
カウンターの下のオレと、入り口で待機していた丹波さんが動いたのはほぼ同時だった。すぐに麩美さんは押さえられ、拘束される。散々暴れようとする彼女を「大人しくしなさい!」と力尽くで取り押さえる丹波さんは、やっぱり警察官だった。
「正樹さん、もういいでしょう!? この人は警察に連行し、事情聴取を執り行います!」
「ああ、あと少しだけ待ってください、莉子さん」
「なんですって!?」
丹波さんの鬼気迫る形相の一方で、檜山さんはいたって冷静だった。頬に流れた血を雑に袖でこすり、彼は言う。
「……まだ、僕は彼女の夢を終わらせてない」
「夢ぇ!? もう、また気障なこと言って!」
「ですが、これは彼女にとってとても大切なことなんです」
檜山さんは、なおも喚き暴れる麩美さんの前まで行くと、しゃがみ込んだ。
「麩美様」
その手には、あの芥川龍之介の偽遺稿。麩美さんが何度も本物だと主張して譲らなかったものだ。
「小生は、貴女の夢を解かねばならない。よって今一度、ここでこの遺稿の作者を明らかにしたく思います。どうか、よくよくお聞きください」
「何言ってんのよ! それは芥川龍之介のものだって……!」
「違います」
檜山さんは、はっきりとした口調で言った。
「これは、麩美羊子様によって書かれたものです」
その名に、麩美さんの目と口が大きく開かれる。それは、絶望にも似た表情で。
けれど檜山さんは、言葉を止めなかった。
「……そうです。この小説は、芥川龍之介でも誰でもない――麩美虎子様、貴女のお母様によって書かれたものなのです」
彼女の目から、ぽろりと涙が零れ落ちた。




