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現世堂の奇書鑑定  作者: 長埜 恵
第2章 或る小説家の遺稿
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7 檜山の行動

 一方檜山正樹は、事件現場となった廃ホテルに来ていた。


(やっぱり……警察が見張ってるな)


 黄色いテープが張り巡らされた敷地内を目深に被った帽子の下から見ておいて、裏へと回る。流石にここまでは警備の目は届いていない。檜山は辺りを見回して人がいないことを確認すると、自販機のゴミ箱を足場にひょいとラブホテルの塀を乗り越えた。


(事件現場となったのは、このホテルの四階。の、最北の部屋)


 音を立てないように注意しながら進む。足元には、空き缶などのゴミやら残骸が転がっていた。

 やがて目的の場所にたどり着く。該当の部屋を見上げ、檜山はポケットから写真を取り出した。

 写っていたのは、被害者が縛り付けられていた台。その角の一部には、何か擦れたような真新しい傷が残っていた。


(……元々ついていたか、もしくは暴れた時にできた傷である可能性は高い。けれど、ただの縄素材だけでこんな風になるだろうか?)


 檜山は注意深く辺りを探す。この服装なら、最悪上から見ても捜査員の一人と間違えてもらえるだろう。もし声をかけられたとしても、適当に返すか全速力で逃げればいいだけだ、うん。

 ふと、爪先に何かぶつかる。見下ろすと、自分の身長くらいの鉄パイプが落ちていた。


(……)


 拾い上げて、よくよく見てみる。ちょうど真ん中より下あたりに、何かが掠れたような傷ができていた。そしてそのすぐ近くに、細く小さな鉄の棒も。


(……ああ、そうか。あの方法なら)


 檜山は、こめかみを押さえて深呼吸をした。


(鑑定に回してもらえば、分析してもらえるだろうか。……いや、こんな所に無造作に捨てられてるんだ。何の証拠も見つからない可能性が高い)


 少し迷って、スマートフォンを取り出す。けれど今はそんな悠長な時間は無いと思い直し、ポケットにしまった。代わりに鉄パイプを元の位置に戻し、音の出ないよう特殊な細工をしたカメラで撮影する。


(帰ろう)


 それから、檜山は元来た道を急いだ。リンゴが食べたいという自分の謎要望を聞いてくれた彼がいるだろう、家に帰るために。











 しかし、現世堂の前に立っていたのは彼の親愛なる同居人ではなかった。


「あら、店主さん」


 真っ黒なドレスに散りばめられたスパンコールが、夕陽を受けてキラキラとしている。黒い日傘と共に振り返ったのは、今回の事件の容疑者である麩美虎子であった。


「……どうも、麩美様」


 内心ではギョッとした。が、こんな時でも即座に笑顔を作ってしまうのが自分である。最初は醜い火傷痕で相手を怖がらせまいとする為の苦肉の策だったが、繰り返す内に今ではすっかり条件反射のようになってしまっていた。


「何か御用です?」

「用も何も、貴方に頼んだ遺稿の件ですわ。私、今日こそあれが本物と証明してみせましてよ」

「あれですか。あれについては偽物だと結論が出たでしょう」

「そんなはずはございません」


 麩美は、きつい調子で断言した。


「私が何の為に貴方に貴重な原稿を預けたと思ってらっしゃるの? 隈なく見ていただき、本物と断定していただく為ですのよ? ああ、内容も読まれまして? あの深く精神の底に落ちたかのような情緒ある文章。あれは到底芥川龍之介でないと書けぬものですわ。ね? 店主さんもそう思われるでしょう?」

「……小生も、内容は拝読いたしました。ですが単刀直入に言わせていただくと、一人の趣味の域を出ぬものと言わざるを得ません。誤字や脱字も多く、あの時代に無いはずの単語も使用されています。第一……」

「そんなこと……認められるはずがあって!? 侮辱するのも大概になさい!」


 大声で凄む麩美である。が、当の檜山はびくともしない。ただ数秒、近所迷惑を防ぐために彼女を店内に入れるべきかと悩んだだけで。

 結果、店内の本を彼女のヒステリックな八つ当たりに巻き込むわけにはいかないと、彼はここで対応することを決めた。


「……侮辱などと誤解なさらないでください。小生はただ、見たままを述べているのみです」

「嘘よ……!」

「嘘をついて当方に何の得がありましょう。貴女が望むのであれば、すぐに原稿だってお返しします。その上でまだ本物と信じてやまぬのなら、別の古書店や鑑定士に頼むべきでしょう。芥川龍之介の遺稿をこの目で確認したい古書店主なんて山ほどいますし、何なら記念館に直接お伺いを立ててもいい」


 檜山は、火傷に覆われた目を厳しく細めた。


「――それなのに、何故貴女はそうまでして現世堂の鑑定に固執するのです」

「……」


 麩美は、憎々しげに檜山を睨みつける。返事はいつまでも無く、真っ黒な日傘は彼女の顔に静かな陰を落としていた。


「……そういえば、一点だけ不可解なことがありました」


 しかし檜山は、あくまでも自分のペースを崩さず自身の手帳を取り出す。そこに挟み込まれていたのは、ビニールケースに入れられた小さな紙切れ。


「これは原稿を読んでいる最中に、落ちてきたものなんですけどね。お心当たりはございませんか?」

「……何よ、それ」

「“love me, love My dog. ”と書かれたクラフト紙です。“私を愛するなら私の犬も愛してください”と直訳でき……まあ、もっと踏み込むなら“私の全てを愛してください”となるのでしょうか」

「……」


 女性は、無言でその赤文字を見つめていた。が、小さく頭を振る。


「知りませんわ。おおかた、仕事に使う資料の端切れが紛れ込んだのでしょう」

「それはおかしい。貴女は過剰なまでに原稿の状態に気を遣っていたではありませんか」

「どうでもよろしいでしょう。たとえどれほど心を砕こうとも、指の間をすり抜けていくことはございますわ」


 「捨てておいてください」と吐き捨てて、麩美はくるりと踵を返す。弾みで、豪華なロングスカートの裾がふわりと浮き上がった。


「麩美様、原稿は」

「明日取りに来ますわ。その時までに、もう一度穴が開くほどじっくり鑑定しておくことね」

「えええ」


 困る。とても困る。檜山は何か文句を言おうとしたが、麩美は意外な速度であっという間に角を曲がって姿を消してしまった。

 残された檜山は、引き止めようとして行き場を失った手を力無く下ろした。


「……」


 手元の紙をもう一度見る。夕焼けに照らされた細い文字は、今にも赤に同化してしまいそうだった。

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