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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

その幼女、悪魔につき。<短編版>

作者: 猶江 維古

 





 ――――彼女は、地獄の只中に立っていた。




 燃え盛る家屋。倒壊する石レンガの棟。焼ける肉の匂いと悲鳴やら絶叫やらの狂騒ばかりが耳に聞こえる。


 空は黒い雲で塗りたくられた闇の色に赤々とした光沢を照り返し、まさしくこの場にいる人間たちに地獄めいた終焉を想像させる彩りだ。


 誇らしげにそそり立っていた城塞都市を覆う壁も今や外敵の侵入を防ぐ意味をなさず、かえって内より外に逃げようとする者たちを阻む檻となっていたのだから救えない。


 そんな様を眺めるは体躯130㎝程で、雪のように白い髪に赤い目をした、格式ばった黒い外套と帽子という装束姿の……幼女。


 彼女は思う。



(ああ、なんと儚く脆いものか)



 あまりの呆気なさにもう少し晴れやかになる予定だった気分は、大した変化もなく。


 彼女はのっぺりとした心持ちのままカツカツと靴音を鳴らしながら割れたレンガの道を進みつつ、周囲を見回している。


 なるほど見事なまでの地獄だ。


 そこら中で起きている出来事として殺戮と形容するほかない狂宴。


 連れてきた魔族達は思い思いの蹂躙に興じているようだ。住人達からすればたまったものではなかろうが。


 道路で魔族に組み敷かれ、絶望を顔に貼り付けた男。


 倒壊した家屋に隠れていたところを複数の魔族に引きずり出されて恐怖に咽ぶ女。


 それらに全く心動く事なくただ冷淡な視線で眺めていた彼女だが、魔族というものは本能のままに動けばなるほどこうなるのかという淡い感心はあった。いや、それだけ彼らの恨みが深いのだ。彼女と同じように。


 まさしく悪魔の宴。さしずめこの街の住人は供物やら贄やらといった所か。あるいは、悪魔の怒りに触れた事による制裁。


 ふむ、言い得て妙だ。


 彼女は己の小さな掌を握り、開く。


 妙に馴染む言い方だが、それでは私がまるで悪魔のようではないかと。


 いや、もとよりそう望まれたのではなかったか。であれば諸君。おめでとう。これは君たちが望んだ結末という訳だ。


 彼女は誰に言うでもなくそう心の中で呟く。


 魔族の宴響く燃える街の中で、悪魔の子と呼ばれたその幼女は、にたりと笑うのだった。






 ♢






 私はその日、まだ日も登り切らない薄暗さの中、慣れた手つきでボロ桶を棒の両端に括り付けると、日課の水くみに出かけるべく住処たる小屋を出た。


 栄養失調気味の体は同世代の少女と比べても小柄で細身の体躯の私には大変な重労働だ。


 スラム街にある我が家では未だレイメと言う女性が眠っている。私の産みの親である女性ではあるのだが、とある理由から私は彼女を母ではなく名前にさん付けという形で呼ぶ。つまりはレイメさん、と。


 そして彼女が起きる前に水くみを済ませるのが日課でありささやかな気遣いだった。


 裸足で土を踏みしめ井戸へやって来た私は、井戸へ桶を沈め、全身を使って滑車を回し、水を汲み上げる。


 古い滑車は幼い私を苦しめたものだ。何度もロープを握る手から力が失われ桶を取り落としそうになり、やっとの思いで二つ分の桶に水を満タンにした私は、再びよろよろと桶を担いで歩き始める。


 そして、人に会わぬように周囲に目を配りながら元来た道を家へ向かって歩く。


 こんなに早い時間に水くみという仕事を行うのは、先の通りレイメへの気遣いもあったが、他の理由として単純に私の体力では時間がかかる事。そして時間がかかることを加味した上で日が登るまえに帰宅したかったからだ。


 日が登ればスラムの人々が起き出してくる。私はそういった人々に極力姿を見られたくなかったのだ。早い時間に仕事を済ませるのは正直に言えばレイメのためというのは建前で、ひとえに人に会わぬためと言っても過言ではない。


 なぜならば……。


 と、私は背中に痛みを覚える。


 ああ、しまったな。と私は思った。


 水くみに手間取り、思ったよりも時間を使っていたらしい。


 私は背に石を投げつけられた痛みで嗚咽し、あやうく桶を取り落としそうになる。


 顔を向ければ幾人かの早起きな子供が私を嘲笑うような表情で数名、こちらに視線を向けていた。





 エルサレア魔戦歴37年。


 この世界は魔王軍の人類への宣戦布告を境に戦乱の世が続いている。


 そんな世界に生を受けた私は、今年で実に12歳を迎える。


 エルサレア最大の人類都市国家であるファルトマーレ王国の辺境に位置する城塞都市、アウタナの街に生を受けて早12年。


 思えば早いものだと改めて思う。色々と慣れたものだ。そう、色々と。


 12歳の幼女に過ぎない私が年齢不相応にしみじみしているのには理由がある。


 有体に言えば、私はこの世界に生を受けて12年。しかし、人生として見るならば、すでに40を越す年月は生きている。


 もっとも、遡る事12年より前の私はもともとこの世界の存在ではなく、さらに言えば女性ですらなかったのだが。


 所謂私の前世と呼べるものは日本という国のしがない会社員の男性だった。


 大した実績もなくエリートとは程遠い、ただのしがない会社員。


 ただただ機械のように与えられた仕事をこなすだけの歯車のうちの小さな一つ。



 それなりに部下もいたが慕われていたかと言えば、どうだろうな。興味がなかったのだろう。他人にどう思われようと興味はないし、私も他人の事をどうこう思った記憶もない。


 仕事に追われる毎日だ。自然と功績だけで人を見るようになったし、見られるものだと思っている。


 そんなつまらない30年程の人生をつまらない事故で終えた私は、気が付けば見知らぬボロ小屋に仰向けに寝ていた。


 体にどうにも違和感を覚え、首もまともに動かせなかったので眼球だけをぐるりと動かしてみれば視界には複数人の男女が映った。


 皆が一様に、暗い表情をしていたように思う。



「……血のような紅き瞳……悪魔の相ですな」



 男の一人がそうつぶやいたのを覚えている。その後、女性の一人が泣き崩れたのも。



「ああ、ああ、なんという事……可哀想なココット」



 成程、ぼんやりとした頭でなぜか理解ができた。私は何の因果か記憶を引き継いだまま第二の生とやらを得たらしい。


 自分は確かに死に、今の私はココットと言う名前を付けられ、女性として転生した。


 もっとも、その生は望まれぬものであったが。




 街の領主たる高名な貴族の家に生まれたらしい私は、はじめこそ血の繋がった娘として領主の計らいで貴族の屋敷の奥で隠されるように育てられていたが、雪のように白い頭髪が生えそろった頃、周囲は私を恐ろしがった。


 前世で生きた30年余の記憶と人格を有していた私は見た目幼い幼女らしからぬ落ち着いた、いや落ち着きすぎて生気すらない様相も相まって大層気味悪がられたものだ。


 もとより二度目の生など望んでいなかった上にこのような異世界と呼んで差し支えのない世界に性別すら変わって産まれ落ちたと言うのだから無理もないだろう。


 やれ父親だやれ母親だと言われても自身にとっての両親はほぼ関わりをなくしていたとは言え前世に置いてきてしまったし、一度自身が死んだ記憶もあるのだからまさしく生ける屍というやつだった。初めは本当に自分が死後の世界にいるのだとさえ思った。


 どうせ自分が死んだ先に行く場所など、地獄だと思っていたのだが。私はそんなことを思っていたと思う。まさか異世界などとは。


 しかして、それは当たっていた。


 確かにこの世界は地獄だったのだ。


 私の人生においてこの12年間というものは呆れるほどに早く、凄惨に過ぎ去ったであろう。





 領主の屋敷での暮らしは、不自由はなかった。


 周囲は私を恐ろしがりながらも、確かに領主と血のつながった娘として、衣食住には困らなかった。だが、それだけだ。


 衣服や食事は自室に勝手に用意されるだけで誰とも顔は合わせない。たまに廊下を歩いている時に女中とすれ違えば、陰口や恐れの言葉が聞こえて来た。


 そして悪魔の相を持って生まれた私という存在は、決して公にはされなかった。


 領主も自分の血統から悪魔を出したなどとは知られなくなかったのだろう。


 私は悪魔の相という物が何を意味するのかはほとんど知らされなかったが、読むことを許されたいくつかの本を読み、この世界の状況を知り、成程と思えるほどには至った。


 即ち、死を連想させる白き毛髪と血の色たる紅き瞳を持つ子は、悪魔の子の証であると。


 魔族と戦争状態になっている人類が、そのようなオカルトを信奉していてもおかしくはないが、まさかそれが転生した自分に表れているとは。


 諸々の事情を理解した私は、自分の前髪を指でいじりながら、これではいつ殺されてもおかしくないのではないかと思った。


 しかしすべては、自分の産みの親であるかのレイメの決死の説得で、自分が生かされていると知った。




 レイメは領主のお気に入りだったのだ。


 元は奴隷の出だったと聞く。領主に買われたが大層気に入られてしまい妾にまで登用されたのだという。


 そして領主は政略結婚しあまり仲が良くない正妻夫人より、美しいレイメとの子を欲し、跡取りにしたかったのだ。


 夫人も平民の出だったと言うから血筋的には問題ないらしい。




 私はある日の夜、家族とやらや女中が寝静まった後、屋敷の中を探索したことがある。


 その日はいつも立ち入るなと言われていた場所にも平然と立ち入っていた。どうせ誰もいないだろうと思っていたのだ。


 だがある寝室の扉から明かりが漏れていることに気づくと、ついつい中を覗いてしまった。


 そこでは父たる領主がベッドでレイメを組み敷いていた。


 前世でもそう言った経験や見識は持たなかった私であるから、咄嗟に目を離し、逃げるように自室に帰った。


 まるで年甲斐もない有様だった。30年生きた記憶を持つ私が、男女の情事に顔を染めて逃げ出すなどとは。


 自室に帰ってベッドの枕に顔をうずめると、なぜだか涙が出て来た。冗談ではない。私は親の情事を見てしまった思春期の子供か。


 今の体を産んだのは確かにあの二人だが、私はあの二人を他人としか見ていない筈なのに。


 唯一この屋敷で私に優しい目を向けてくれる女性に、死んだと思っていた心は愛情を育まれていたのだ。


 私はレイメが好きだった。母として見るのは難しい。恋でもない。ただただ、年齢を考えれば年下ですらある彼女の事は、心を許せる相手だと思っていた。


 だからこそ、鼻息荒い領主に組み敷かれる彼女を見るのが辛かった。




 後で知ったが、どうにも領主はレイメにどうしても二人目を産ませたかったらしい。産まれた私は身体的に女子であったから跡取りは難しい。何より、悪魔の子の存在は公にしたくない。成程なと。


 お気に入りの妾の子が欲しい気持ちなど前世で独身だった私にはまるで分らないが、権力者とはそういうものなのだろうか。


 そして同時に、私はある懸念を抱いていた。私が生かされている理由に通ずるものだ。


 それはつまりこの家にはまともな嫡子が私しかまだいなかったという事だ。


 そうでなくなれば、私など。



 やがてその日は来た。



 レイメが二人目を産むより早く、正妻たる婦人が男子を産んだのだ。私の、異母弟にあたる子だ。私が7歳になった時だった。


 領主の目論見は外れ、レイメが二人目を身籠る気配はなかった。


 それからは早かった。


 あっという間に5年がたち、正式に跡取りとして弟が選ばれた。この5年間、食事も満足に運ばれてこず、私は完全にいないものとして扱われていた。レイメだけが唯一、私の部屋へ夜な夜なやってきては、何とかして持ち込んだのだろう。少量のパンやスープを与えてくれ、体を拭いてくれた。


 そんな日々も領民たるアウタナの民への跡取りの正式な発表を迎えると、脆く崩れ去った。


 跡取りを産んだ夫人を最早無碍にもできず、領主は夫人に言われるがままに、まずレイメの産んだ子である私を追放すると宣言した。


 衣食住を与えるのももったいない。かといって屋敷の中で餓死されても汚いから、と。


 悪魔の子と呼ばれた幼い私が追放されるのを止めようとする者はいなかった。むしろ屋敷の人間は全員私を疎んでいたから、やっとあの気味悪い子と同じ屋敷に居なくて済む、とでも言わんばかりの視線が私に向けられた。


 私はその時、これからどうやって生きていこうかという事を考えていた。


 心は男であるが、体が女子ならば稼ぎようはあるだろうか。嫌悪感に耐えられる自信もないからできれば嫌だな。しかし働けないなら今までと違って食ってはいけまい。どこかの奴隷にでも成り下がるか。あるいは、ただ野垂れ死ぬか。


 私は一人でこの先歩んでいくことを受け入れ、また同時に生存を諦めていた。


 しかし、そんな私の肩を優しくレイメは抱いた。


 お腹を痛めて産んだ愛娘たるココットが追放されるのなら、産みの親たる私も行く、と。彼女はそう領主に告げた。


 領主は困惑していたが、夫人はレイメもただの障害としか認識していなく、領主のお気に入りだったレイメを排除できるのならばとすぐさまレイメも追放に処した。領主はもう反抗できなかった。


 二人で夜逃げるように屋敷を出るとき、ふと私は屋敷を振り返れば、正面玄関から見える大窓で、領主、夫人、そして弟が冷ややかな目で見送っているのが見えた。




 ♢




 そうして、スラムに流れ着いた私たちはレイメが持ち出していたなけなしの金で小屋を買った。


 私はやはり働けるような仕事はなかったため、小屋の水くみをなんとかこなしていた。


 とはいえスラムの子供たちは私の目と髪を見て悪魔と蔑み石を投げる。


 隠れるようにしながら生きるのに精いっぱいだった。



 投げつけられた石の当たった部位が痛む。帰ってくるのが遅くなった私は、すでに起きていたレイメに出迎えられた。



「おはよう、ココット。おつかれさま」


「おはようございます、レイメさん」



 私は表情を変えずにそう答えた。レイメは少し寂しそうな顔をした後、私の腕にあざがあることに気づき、手招きをした。


 私は水桶を置くと言われるがままにレイメの前に行く。


 レイメは私を寝台に座らせると、立ち上がって布を水に浸し、戻ってきて私のあざの上に巻いてくれた。


 冷たさが痛みを鈍らせる。慈愛に満ちたその手つきに私は凍った心で僅かばかりに感謝をした。


 前世の両親は、仕事人間であったために私は育てられたという記憶がほとんどない。学校へただ入れてもらい、大学卒業と同時に就職し一人暮らし。こうして怪我を心配してもらった記憶もなかったな、と数年ぶりに前世を思い出した。


 そんな両親に比べればレイメの優しさはきっと身に染みるのだろう。しかし、この数年で枯れ切った私は、ただ黙っていることしかできなかった。ありがとうの一つも言えない大人になってしまった事だけは、かつての両親に謝りたい。


 そして、これだけして貰っても今までただの一度も母と呼べないレイメにも、心の中で小さく謝罪をした。




 すこし休んだ後、レイメが寝台を整える。



「ココット、ごめんね……」



 レイメは私に謝罪の言葉を残して寝台に座った。


 ……私は何も言わずに小屋を出た。これからレイメが()()をする。彼女が仕事をしている間は、私は外へ出て隠れている。


 裏手から小屋を出た私の背後で、誰かが小屋に入る気配がした。レイメの()だ。


 しばらくして、布のかすれる音や古いベッドのきしむ音。


 客の男の声に交じって、レイメの声が聞こえてきたあたりで、私は我慢ができなくなり小屋を離れて歩き出す。


 レイメのおかげで私たちは何とか食べている。彼女がその身を汚すことでしか、私は生きていけない。


 ただただ空しかった。


 どうしようもなく、申し訳なかった。


 年下の母に無理をさせているという現実が、とても、悲しかった。



 暫くはそうやって時が過ぎた。



 レイメは身をスラムに落としてなお衰えぬその美しさから、私という存在があっても客に困らなかった。


 そして私は、レイメが仕事をしているからと小屋を出て、外にいる間は奇異の視線に曝され、年齢が二回りも下のはずの子供たちにいじめられた。


 悪魔、悪魔と。


 石を投げられ、殴られ、蹴られた。



 (悪魔を虐めようなどとは、まったく大層な胆力の持ち主だよ、キミ達は)



 心の中で皮肉を言うも、12歳で小柄な幼女に過ぎない私はうずくまって耐えることしかできない。


 毎日細く白い体にはあざが増えていった。そんなあざも次の日には消えてしまうのが余計に私を悪魔だと罵る要因となった。



 ある日は、スラムのガキ大将である恰幅のいい悪ガキの命令で、3人の男子に組み敷かれて纏っていたぼろ布を全部はぎとられた。


 悪魔の裸に興味があったらしい。まともな食事をとっていない貧相な童の姿とはいえ、一糸纏わぬ女の体は子供には刺激が強かったか。私の体は鼻息荒くした子供たちの手でもみくちゃにされた。あばらの浮いた脇、最近膨らんできた胸やへこんだ腹。二の腕や太ももでさえ遠慮なく欲望の手が這い回った。


 私はそこで初めて、本当の女子のような黄色い悲鳴を上げた。すぐに口を無理やり塞がれたが。


 心が体に引っ張られるとはよく言ったものだが、確かに私はその時、自分の体を好きに触る小さな異性に嫌悪を示した。いや、同性か。性別を変えて暫く経つ。自分がどちらなのか段々と曖昧になって来た。


 結局まだ大人な遊びは教わっていなかったようで()より小さく膨らむ胸にばかり注目されたのが幸いし、体中をまさぐられるだけで済んだ私は、男としての自分が激しい拒否反応を起こしたのか、はたまた女性の体故の生理的嫌悪感か、とぼとぼと小屋に帰る途中で一度嘔吐した。


 小屋に帰ると、裸の私を見てレイメが血相を変えた。



「ココット、ああ、ごめんなさい……ごめんなさい……」



 レイメは私を抱きしめると、泣きながら何度も謝罪の言葉を口にした。


 私は何も言わずに、ただ淀んだ目で……湿った寝台のシーツをぼうっと眺めていた。




 ♢




 何とかそうして生きていたが、終わりというものは存外早く訪れた。


 魔族との戦いが激化したために、民衆の景気づけに悪魔の相を持つ子を晒上げたのだ。


 私は兵士たちに捕まり、都市の中央広場へと連れていかれた。一切の抵抗はしなかった。


 レイメが仕事中の出来事だった。



 広場に組み上げられた舞台の上には、私のほかに3人の子供がいた。女が二人、男が一人。


 皆年の頃は16から18といった所で、比較した私は小柄さが際立つ。そして全員が、雪のような白い髪と血のような赤い瞳をしていた。


 足を縄で縛られ、逃げられない様にされた。


 広場には民衆が集い、ひときわ高い位置からは領主達が私たちを見ていた。


 領主は私を見て一瞬だけ、ばつが悪そうな顔をしていたが、同情ではあるまい。後ろめたさはあるのかもしれないが、何方かと言えば自らの汚点を見るような眼だ。


 夫人と弟は私を嘲るように眺めていた。


 やがて駐在騎士団長による魔王軍に対する徹底抗戦の意が述べられ、同時にメインイベントたる悪魔の子である私たちを嬲るショーが始まった。


 罵声は口々に浴びせられ、石や卵、果物が雑多に投げつけられた。戦時中だというのに贅沢なことだ。こんな公開ショーなど、前世ではフィクションか歴史の教科書でしか見たことがない。


 私の側頭部にトマトが命中し、弾けた果実から血のような赤い果汁が滴り、長く白い髪を染めた。


 やがて罵声も激しさを増し、まるで本物の魔族を相手にでもしているかのような殺意を肌で感じた。


 民衆は自分たちでは戦えない。だから、自分たちより弱い存在を悪魔と蔑み魔族に見立てて攻撃する。




(醜いな、人間は)




 ゴッという鈍い音がした。


 隣を見れば、私より背の高い少女がうつ伏せに倒れこんだ瞬間だった。


 その頭からはどくどくと赤い血がとめどなく流れており、足元には拳大の石が転がっていた。その石の角には血がついていたから、これが少女の頭に命中したという事はすぐわかった。当たり所が悪かったのだろう。少女はもう動くことはなかった。


 子供を殺したというのに民衆はまるで獲物を仕留めたかのように歓声を上げた。領主たちも満足げに頷いている。


 少しだけ残念そうに見えるのは、私が死ななかったからだろう。貴族家の汚点たる私を公的に始末できるのだから、彼らは私の脳天が投石で砕かれるのを待ち望んでいるだろうな。



(それも、構わないか)



 私はうつろな瞳で先ほど死んだ少女を見やる。彼女が死んだと認識した時も、私の心には何の変化もなかった。


 この12年という年数は、前世でも大した自意識なく生きていた私の心を磨り潰すには十分だった。


 まだ全身に石や果物を投げつけられながらも叫んだり、泣いたりする他の二人は正常だ。生きようとしている。


 私とは、違う。


 既に壇上に立つ悪魔の子は3人が3人とも無残に痛めつけられていた。


 死んだ子からあふれた血が、私の足元にまで広がって来た。


 と、見張りをしていた騎士の一人が、暴れる少年の首根っこを掴むと、背後からその胸を剣で刺し貫いた。


 そのまま騎士は少年を串刺したままの剣を頭上に掲げ、雄叫びを上げる。魔物を討ち取ったという体のデモンストレーションということか。民衆は歓声を上げる。


 それを見て、震えていた少女は気を失ったかがっくりと倒れてしまった。


 壇上に立つのは私だけになった。


 どうせなら楽にして欲しい。あんなふうになるのはごめんだ。そういう意味では、足元で亡骸となった最初の少女は幸運だったのかもしれない。いや、流石に思慮無き考えか。



 私の番だろうか。騎士が剣を抜いて私に歩み寄る。


 一思いに首でも刎ねてくれ。早くこの地獄のような第二の生を終わらせてくれ。



 そう思っていた時、群衆の中をかき分けて誰かが此方に急ぎ駆け寄ってくるのが見えた。



「……レイメさん」



 レイメは人を押しのけ、決死の表情で壇上に駆けあがると、騎士から私を庇うように抱きしめてくれた。


 彼女の体からは甘く酸っぱい香りがした。仕事を抜けて来たのだろう。おそらく客の男から聞いたとか、そんな所ではないか。


 レイメは私を抱きながら、領主へと顔を向けた。



「この子にこんな仕打ちをするのであれば、私も同様になさってください……」



 領主はレイメの視線に狼狽する。やはり領主はレイメへの思いが捨てきれていないのは明白だったから、この場でレイメを処罰することはできそうにない。


 レイメもそれをわかっているのか、おろおろする領主の目を睨む。



「私たちは、この街を出ていきます。それで満足でしょう」



 その言葉に領主は止めようとしたが、夫人によって遮られた。


 夫人は扇子を口元に当てながら、半月状に釣り上げた目でレイメを見下ろして言う。



「薄汚い泥棒猫め。娼婦に身を落としたお前など、どこへなりとも行くがいい! 行って野垂れ死ぬがいい! アハハハハ!」



 夫人の笑い声が響く中、私の足に結ばれた縄を解いたレイメは私の手を引いて壇上を降りる。


 民衆の喧騒は一瞬静まり返り、レイメの前に道を開けていく。


 私は手を引かれるままに後をついていく。もうどうにでもなればいい。街を追われればどうせ長くはない。


 早く、終わりたい。




 ♢




 街を出た私たちは、行く当てもなく、せめてどこかの集落なりに辿り着ければとレイメが言ったのもあってただただ歩き続けた。


 食料もなく、道端の雑草を食べたりして何とか飢えをしのいだ。


 ある時レイメが鳥を捕えて来たので驚いた。後日狩りに行くと言ったレイメの後をつけていけば、歌声が聞こえた。


 レイメはその歌声を聞きにやってきた小鳥を、泣きながら捕えていた。


 心優しい彼女が、私を生かすためにそのような事をしていると知った時には、少しだけ胸が痛んだような気がする。


 私のためにそこまでする必要はないのに。



 そうして何日歩いたか。


 日は暮れて夜の帳が落ちたころ、雨の降りだした矢先の事だった。


 私よりも先に、レイメに限界が来た。レイメは食料の殆どを私に与えていたのだ。私は思考すら半ば放棄していたから、レイメから与えられたものは何でも口に入れていた。特に何を思うでもなく、機械的に咀嚼していた。


 そんな私を見て満足そうに微笑んでいたのを思い出す。彼女はもう何日も何も口にしていなかったのに。


 倒れたレイメに駆け寄ると、手を握られた。握られた手のままに屈んで彼女の顔に顔を近づける。


 レイメは私の頬に手を触れた。そこで私は気づいた。雨の雫によるものではない水滴が頬を伝っている。


 そうだ。私だ。自分の目から涙が零れていることにようやく気付いた。



「し、死なないでくれ……母さん……っ」



 私は思わずそう言っていた。


 レイメはそれを聞いて目を細め、笑顔を見せた。



「やっと、ふふ……やっと、こんな私を母と呼んでくれたのね」



 そう。今までただの一度も呼んだことはなかった。彼女を、母とは、呼べなかったのだ。


 だのに、こんな時になって、あまりにも自然に口から出た言葉は、彼女を思う娘の真心だったのだろうか。


 震える手で私は、私の頬に添えられた母の手を握る。凍っていた心が悲しみと後悔、そして怒りに塗れていくのが分かる。


 そんな私を見たレイメは、かすれた声で言った。



「ココット、私の愛しい子。どうか……生きて」



 そのセリフを最後に、私の頬に触れていた手は力を失い地面へと落ちた。


 彼女はその瞳を私に向けたまま、事切れた。



「……ぁ」



 瞬間、私は胸の内から抑えきれない感情があふれてくるのを感じる。喉を駆け上がり、噴き出すにはあまりにも狭い口からは、嗚咽となって零れ落ちる。



「あぁ……あぁ、何故だ、何故……彼女は死ななくてよかっただろう! 悪魔の相を持ったのは私だ! なぜ彼女が、母さんが!」



 私は言葉と共に自分が今まで凍らせてきた感情がどっと噴き出すのを感じる。


 言葉にしてわめくたびに、胸の中が熱くなっていき、喉が詰まるほど。


 私は急激な感情の濁流に耐えられず、ひざを折った後に地面へ何度も自分の額を打ち付けた。



「なぜ私はこんな世界に産まれたッ!? 残酷すぎる! あの街の人間たちは、領主どもは! 反吐が出るほどの汚物だッ! この残酷を与えたのが神だと言うなら、私にどうしろというんだッ!」



 いつしか額からは血が流れ、じんじんとした痛みを発したが、構わず打ち付け続ける。いっそ割れてしまえ。



「無神論者だった私だが、今は存在してほしいと思うよ、神サマ……私は、お前が憎い!」



 こんな結末を見せるために私に第二の生を与えたというのであれば、有り余る残酷。


 こんな世界で唯一心許した優しく哀れなレイメを死に追いやったアウタナの人間達の醜悪さ、レイメの献身の所以たる私、そして悪魔の相。


 全て、全てが憎らしい。憎すぎて苦しい。もう死んでしまいたい。



 だが、彼女の最後の言葉は。私は、一体どうすれば。




 と、ふと雨が止んだ。私は地面にこすりつけていた頭を持ち上げ、空を仰ぎ見る。


 しかして視界に映ったのは淀んだ夜空ではなく、夜の闇そのものが服を着ているような……そんな存在だった。


 私は一目で理解した。人に似た姿をしているが決して人ではない。


 これは、魔族というモノだ、と。


 雨は止んだのではなかった。私の目の前に立ったこの魔族に遮られていただけだったのだ。


 私の前世のどこぞの高貴な貴族正装めいた黒い装束を纏う体は180㎝を越える長身の男性に見えるが、長く伸びた耳、そして背中から生える黒々とした翼。


 切れ長の瞳は、赤く輝いていた。私と、同じように。


 今回ばかりは前世の進化した技術に感謝しよう。さんざん映画やアニメで見たクリーチャーのおかげで耐性がついたか、目の前の魔族の男は、妙に現実感がなく感じて、恐れを抱かずに済んだ。



「……人の子か」



 魔族の男が口を開いた。まっすぐに私を見下ろしている。


 人間と魔族は敵対関係にあって久しい。戦争中の間柄。アウタナの街の人間を見れば、魔族への敵対心はわかる。そして魔族側でも同じことが言えるはずであるから、私はただでは済まないはずだ。



「なぜ泣いていた」



 なに?


 私は耳を疑った。確かに私は泣きはらしながら恨み言を吐き出していたが、魔族の男の口から出た言葉としてはいやに不思議なものだった。



 男は視線を動かし、今だ瞼を開いたまま事切れているレイメを見やった。



「……母親か」


「ッ!」



 なぜだろう。魔族の男がレイメに一瞬見せた憐みの視線。それを見た途端私は無性に腹が立った。


 私はレイメに覆い被さるようにして魔族の視線を遮ると、叫んだ。



「憐れむのか!? 彼女は憐れまれるような事など何一つしていない! 優しく清らかな人だ……それを知ったような目で見るな……彼女の死くらいはせめて誰も汚しちゃいけないんだ……!」



 魔族の男は私の剣幕に一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにじろりと私を見やった。


 これは、死ぬな。


 12歳の小柄な幼女に過ぎない私に魔族と戦う術などない。ただのか弱い存在だ。


 だが、レイメだけは。レイメの死くらいはせめて。これ以上彼女は誰にも汚させたくない。



「驚いた。私に歯向かうというのか?」


「歯向かうもなにも無い……私は憎くて仕方がないんだ! 全部が! だが生きなくてはならない……彼女は最後に私に生きろといったんだ……ならば私は……!」



 ならば私は何が何でも生きなくてはならない。



 もはや支離滅裂ともいえる私の言葉に、魔族の男は訝しむような表情をした後、屈み込むようにして私の顔を覗き込んだ。


 私はぐっと身構える。殺されてなるものか。心の中で歯を食いしばる。目の前の男がどんな異能だとて、足掻いてやる。



「……このような小さき子を、よもや此処まで憎悪に堕とすとは。視察のつもりだったが……」



 魔族の男の声色は、優しかった。私の頭に手をのせ、撫でたのだ。


 私は目を丸くした。なぜだ。その手で私を縊り殺すなど容易だろうに。なぜしない。理解できない。


 男は私の頭から手を離すと、呆気にとられた顔の私に言った。



「生きなくてはといったな。このままここに捨て置かれれば君は死ぬ。私とくれば、君次第で生を得られるかもしれない」



 私の目は驚くべき程に見開かれた。


 よもやそんな誘いの言葉を投げかけられるとは思っていなかったからだ。貴族屋敷にいた頃は、読む本すべてに醜悪にして残酷な魔族について綴られていたし、女中たちの話で戦況を耳にすれば、やれどこかの騎士団が全員皆殺しにされ、その首だけがきれいに持ち去られていただとか、ある村が焼かれ女たちは連れ去られ苗床にされているだとか、そんな話ばかり耳にしていたから。



「どうする?」



 目の前の男は私に選択肢を言い渡した。男の言う通り、私はここで見逃されたとしても長くは生きられないだろう。


 だとすれば、答えなど決まっている。手段など、この際選んでいられるか。



「貴方と……行かせて……ください」



 驚きで冷静になった思考は選ばされる立場の私に適切な言葉遣いを思い出させる。どういう形であれこの男は私の命を握る。下手な言葉遣いはしないほうが良い。


 魔族の男は頷くと、ゆっくり私の体に手をまわし、抱えた。


 私は最早為されるがままにし、抱えられると同時にその体に手を回す。なんとなく、飛ぶ気がしたから。


 と、魔族の男が予想通り翼を大きく広げた後、静かに息を吐いて、眼下のレイメの亡骸に手を翳した。


 何を、と私が言う前に、その手のひらから紫色の光があふれ、レイメの体を包む。その後、手のひらの光が一瞬目を開けていられないほどに輝きを増した後、私は男の親指と人差し指につままれた赤紫色の宝石を目にした。



「これは、君の母から作り出した魔石だ。いや、ヒト由来であるから、聖石と呼ぶべきか。我々魔族に人のような埋葬の文化はない。死した亡骸はその命の残滓から石を生み出し、後に残る者を守る」



 そういって男は私にその石を握らせた。聞いた事がある。魔族を倒した人間はその体から取り出した魔石で功績を図る。場合によっては高値で取引すらされると。こんな由来を聞けばそれすら蛮族の所業にすら感じる。


 ふと眼下を見れば、レイメの亡骸はさらさらと白い砂となっていった。


 愛する人の亡骸の崩壊に一瞬悲鳴のような声を上げそうになったが、手に握られた赤紫色の聖石から、仄かにレイメの温かさを感じ、私は理解した。この石こそ、レイメの墓標なのだ、と。


 これは、即ち葬式。前世から神と同じく魂すら信じていなかった私が、今この瞬間は、レイメの体の穢れが浄化され、その魂が安らかなることを切に願った。


 私は、石を強く握りしめ、レイメの遺灰と言える白き砂が風雨の中散ってゆくのを眺めていた。


 そして、完全にその砂が散ってから、魔族の男は私を抱えて雨降る闇夜の中飛び立った。




 ♢




 なんだこれは。なんなのだ一体。


 魔族の男に連れられた私は、豪奢な広間に居た。


 そして視線の先には、豪奢な広間にふさわしいこれまた高そうな椅子に腰かけ、テーブルに広がる書物にペンを走らせる男がいた。


 あの男からは、私を運んだ魔族よりもやばそうなオーラが醸されている。


 私の隣に立つ男は、その椅子に腰かける男へお辞儀をした。



「戻りましてございます、魔王様」



 魔王、魔王といったか。


 確かにあのただならぬ気配は並ではないが、私は今魔王と対面しているというのか。


 魔族の王。人類と長年戦争状態にある敵の親玉ということだ。私はとんでもない相手の前に連れて来られたらしい。


 黒く長い髪、私を連れてきた男の装束と似た装いだが装飾の多い衣装、切れ長の瞳と、赤い瞳。若く見えるが、年齢は外見からでは信用ならないだろう。魔族はかなり長命だと聞いている。


 ごくりと唾を飲んでいると、魔王が書物に走らせるペンの動きを止め、視線を上にあげた。



「戻ったか、エルクーロ」


「はっ」


「貴様自ら視察に出向いた甲斐はあったか?」



 私を連れてきた魔族の男……エルクーロは改めて深くお辞儀をした後に語る。



「あの人族の街、城塞都市の名は伊達ではありません。堆き忌々しい壁に囲まれ落とすに難く。しかして住人達は宴にて気を抜いている様子。攻めるなら今かと」


「ふむ」



 魔王は顎に指をやり思案する。エルクーロは一礼して口を閉じる。報告を終えたという事か。


 話に聞くにこのエルクーロという魔族はなかなか位が高い様子だ。こうして直接魔王に報告をする立場。そんな者がなぜ自らあんな場所にいたかは今だよくわからないが、どうやら視察に来ていたらしい。


 そして、視察の内容は私の育った忌々しきアウタナを、攻め落とすとかなんとか……。



「それで」



 と、魔王が身を乗り出した。思案していた私はその動きで魔王を見る。魔王と、目が合った。そう、魔王は私を見ていた。



「ふむ、白く雪のような髪……そして我々魔族と同じ赤き瞳……話には聞いていたが、稀に生まれるヒトの変異種だと」


「は、ヒトの間では悪魔の相として忌み嫌われる容姿の者です」


「その子供を持ち帰ったのは……何故だ? お前はヒトを食うのは好きではなかった筈だが……」



 私はその言葉にぎょっとしてエルクーロを見る。まさか、私を食うために連れてきたというのか。話が違う。私は……!



「いえ、そうではございません」


「であればなんだ? 私は価値ある者は尊重するがそうでない者、それもヒトなど……まるで用はないのだが」



 魔王の目には殺気が籠っている。私はひっ、と小さく声を出し、エルクーロを見やる。


 しかしエルクーロは私を見ずにじっと魔王に視線を向けていた。そういう事か。私の安全は保障しないと。


 私は理解した。エルクーロの真意。つまり魔王もこう言っている。価値を示してみろと。すべては私次第というわけか。


 しかしどうする。私は幼い体だし、魔族が喜ぶようなことなど知らない。前世の知識だろうが役に立つとは思えない。別段物知りでもなんでもないただの社畜だったのだから。


 だがここで止まっては待つのは死だろう。それはよくない。レイメに言われたのだ。何としても生きる。


 私はレイメの聖石を握りしめると必死に案を巡らす。


 そして……ちょうどいい案を思いついた。


 なんだ、簡単じゃないか。そうか、それなら一石二鳥だ。方法はともかく案としては最善だ。



「……ひとつ、ございます」



 私は恐れながら魔王にそう言った。


 魔王はほう、と言って腕を組み、私の言葉を待った。


 私は一度息を吸い、吐く。深い深呼吸の後にしかと魔王の目を見て言った。



「アウタナの街を、落として御覧に入れましょう」



 その私の言葉に魔王はにやりと笑って鼻を鳴らした。エルクーロもそこで初めて私を見て少し驚いたような顔をしている。


 だが、これが一番いい。うまくいけば、私にもメリットがある。すなわち、あのクソッタレなアウタナの連中に眼にもの見せてやる。


 それが私の復讐だ。生きよと言われたが、何もせずのうのうと生きてなどいられない。どうせならレイメの分まで成り上がり、幸せになる。その障害は全て敵だ。


 そのためにも、魔族に取り入る必要がある。だからアウタナの連中には犠牲になってもらう。



「私ならばあの街を確実に落とせます。詳しくは追ってお話致しますが、あの街とて鉄壁というわけではございません」



 問題はこの提案が受け入れられるか、だが。根拠なくしては信用はされまい。最も、私にはあの街を落とせる確信がある。伊達に出身した街であり、その領主たる貴族屋敷に居た訳ではない。



「笑っておるのか」



 魔王の言葉に私は思案を切り上げはっとして自分の口に手を当てる。私の口角は吊り上がっていた。


 慌ててぐいぐいと頬を押し、魔王の前でする表情ではないと真顔に戻す。魔王に取り入るということは、上司になるようなもの。生殺与奪さえ握った組織のトップ。いわば会社でいう社長。


 無礼な態度は慎まねばならない。


 しくじったかと思ったが魔王は目を細めて笑っていた。



「そうか、憎いのか、ヒトが」



 その言葉にはっとする。憎いか?憎くないわけがない。


 どうしたものかと思ったが、私は胸にこみあげてくる怒りのままに、憎悪を言葉にすることに決めた。



「……憎い、です。憎くてたまらない。あの街の奴らも、そんなものを生んだファルトマーレも! 神すらも憎い! 私にどうかやらせてください! その為ならば私は……」



 私は一度言葉を切り、深く深呼吸した後、魔王に向かって言った。



「……喜んで人を辞めましょう」



 それを聞いた魔王は、一度少しだけ目を大きく開けた後に、すぐ大口を開けて大笑いした。


 私には見えなかったが、エルクーロがそれを見てたいそう驚いた顔をしており、そして同時に、私を見て冷や汗を流していた。



「ハハハハ! よかろう、気に入った。その幼い身にそれほどの憎悪。そして子供らしからぬ態度と胆力を気に入った。いいだろう。望むものを与える。それであの街を落として見せよ」


「しかし魔王様」


「よいのだエルクーロ。見ものではないか。どうせ失敗すれば価値なきものとしてオークにでも食わせよう。奴らはヒトが好きだからな」



 私はぞっとしつつも毅然たる態度を貫く。


 失敗すれば命はない。そういうことだろう。だがやって見せる。私の生存と復讐のため。



「貴様、名前は?」


「は、ココットと申します」



 私はエルクーロのお辞儀を見様見真似しつつ名乗る。エルクーロが驚いた顔をまたしても向けていた。


 魔王はその姿勢に気をよくしたか、深く椅子に腰かけながら言った。



「ココット。貴様を我が魔王軍に迎え入れよう。そして同時に、将校の階級を一時的に与えよう」


「なっ……」



 エルクーロが声を上げるほど驚いた。こんな子供に、それも人間に魔族の軍内で将校階級を与えるなどとは正気ではないことは私にも理解できた。


 だからこそ、これはチャンスであり、脱しなければ命はない窮地でもある。この魔王という者は実に不可思議な人物であり、予測できない。


 私は額に汗を浮かべながらありがとうございますとだけ言った。



「エルクーロ、この者に食事と衣装を与えてやれ」


「は」


「そしてココット。アウタナ落としは近々行うつもりでいたが……如何にする?」



 私は魔王に面と向かい、その赤い目を見て言う。



「は、アウタナ落としは、この後すぐにでも……夜明け前、闇夜の中で決行したく」



 作戦も段取りも決まっている。魔族についてはいくらか勉強もした。


 アウタナの騎士団の連中はその強固な城壁を過信している。そしてその城壁は強固だが、これまでの魔族の進撃も有効とは言えない作戦だったのだろう。


 だとすれば、必要な手駒が揃いさえすれば。



「つきましては必要な手勢として、いくらか魔族の手練れをお貸しいただきたい。さすれば必ずやあの街を火の海に沈めて御覧に入れる」



 魔王は頷いた。許可が出たということだ。見世物のように思っているのかもしれない。


 成功すればよし。失敗しても私が死ぬだけで良し、くらいに思われているのだろう。だが、死ぬ気はない。なんにせよ、この場の許可を得られたのが重要だ。


 ひと先ずは切り抜けた。後は……あの街のクソ共に復讐を。




 ♢




 私はエルクーロに用意してもらった食事を頂き、衣装を着替えてこの屋敷とも施設とも言い難い……便宜上魔王城とでもしよう……の廊下を歩いていた。


 長かった忌々しい白い髪は、匂うからと無理やり湯浴みをさせられた時のついでに肩口でぶっつりと切った。心機一転の意味合いもあるし、感情が蘇った今、腰まであったぼさぼさの髪は邪魔で仕方なかった。


 その後出された食事は最初警戒していたものの、恐る恐る口を付ければ、この世界に転生してから食べたどんな食事よりおいしかった。魔族はヒトを食う種もいるから、これは人間向けに調理されている気はしたが、今はそれだけでも破格だ。エルクーロ曰く、魔族の食事も基本的には人とそう食べるものは変わらないそうだった。ヒトを食うのは好き好きだという。ぞっとしない話だ。


 膨れた腹を撫でて、こんなにおなか一杯食べたのはいつぶりだろうかと思いながら、ついほこほことした心持ちで気を緩めてしまう。そんな私に咳払いをしたエルクーロの視線を感じて慌てて表情を正した。エルクーロは素のままの方がいいと口にしていたが、意味は解らずじまいだった。


 そして与えられた黒い装束と帽子姿という装いは、ファンタジーな軍服を思わせる。如何せん私の身長に見合うサイズの軍用衣装などなかったから、少し丈が大きいが致し方あるまい。


 とすれば次は扱う手駒の問題だ。魔族は感情や知能など、人間と変わりない者もいれば少し劣るもの、様々だ。そして今回私が必要とする魔族を考えれば、障害に突き当たるのは明白。


 いくら魔王直々に将校階級を与えられても、魔族達はいきなりこのような人間の幼女の命令に従うとは思えない。ならば私にできるのは一つしかない。



 魔族軍の詰め所にやってきた私は、あらかじめ集められていた者たちの前に進むと、面々を見渡した。


 今は全員がヒトと変わらない姿をしている。魔族は、普段はこのように人の似姿をしており、戦いなど必要に応じて種毎の姿に変じる事が出来る。


 とはいえ、魔王やエルクーロとは違い、種ごとの特徴が人の姿にすらやや現れているから、なんとなくだが誰がどんな魔族なのかは見てわかる。


 談笑をしながら食事をしていた魔族たちは突然現れた小さな私に気づくと、会話をやめて全員が私を見た。私は毅然とした態度で言葉を発する。



「諸君、この度アウタナ落としを任されたココットと言う。同様にその任につく君たちの上司だ。宜しく頼む」



 丁寧語は使わない。軍においては上下関係こそすべて、だと思う。概ねブラック企業のようなものだろう。だが統一された個として動かねばならない作戦においては跳ね返りは許されない。始めに確固とした上下関係を築いておく必要があると思った。


 が、当然反発はある。どよどよとした魔族たちはすぐに大笑いを始めたのだ。まあ無理もない。私のような小さな、それも人間の女子が、屈強な魔族軍の戦士たちを前に上司だとのたまったのだから。予想していた反応だ。魔族はプライドの高い種族も多いと聞く。認めないものの下には絶対に従わない。


 魔族たちのリーダー格である、クォートラという名の竜人……ドラゴニュートが前に進み出ると、私の前に立ち見下ろしてきた。まるで私を舐め切っている。実際私も流石にこの距離で魔族などに凄まれれば少し怖い。しかしそんな怖さを塗りつぶす程の憎悪と生存への執着が今の私を突き動かしている。


 私はクォートラを見上げながらその目をじっと見やる。



「ココットと言ったな。人間のガキが突然出てきて何を言ってる。食われたいのか?」



 クォートラの言葉は本気だ。背後の魔族たちも口々に文句を言い始め、殺す、食ってやる、いや先に裸にしろ、だのが聞こえてくる。それだけ人間への憎悪が深いという事だろう。実に理想的だ。


 私は表情を変えずにクォートラを見やると、口を開く。



「私は魔王様より直々に将校に任命されている。君たちの上司としてね。故に私は君たちにとって絶対であり、口の利き方にも気をつけてもらおう。それに文句があるのであれば、魔王様に文句があるのと同じだが……如何かな。そうでしょう、エルクーロ様」



 私は部屋の外で様子を伺っていたエルクーロを呼ぶ。我ながら魔族を呼びつけるなど大胆なことをしたものだが、エルクーロははぁ、とため息をついた後に詰め所に入ってきてくれた。よかった。私は正直安心した。ここで来てくれなければ一気に私の言葉の信憑性は落ちる。そうなってここで私が食い殺されたら、後から彼らは断罪されるかもしれないが、私が死んでいるという一点で大問題だ。


 エルクーロの姿を見た魔族たちは一様に頭を下げた。やはりエルクーロの地位は相当高い。


 クォートラは驚いた顔でエルクーロと私を交互に見ている。



「エルクーロ様、本当なのですか……!?」


「本当だ」



 エルクーロからの肯定の言葉。それだけもらえればもう怖いものはない。私の身の安全は保障されたに等しい。ひとまず今のところは。もとい、重要なのは私の言葉を聞く体制が整ったという事だ。であれば次は部下たちの人心掌握と行こう。力で押し付けただけの関係など、憎しみで簡単に壊されてしまうからな。自嘲気味に私は笑うと、クォートラに言う。



「君は娘を人間に殺されたらしいな」


「!」



 クォートラが目を見開く。歯をがちがちと震わせ、思い出したくないものを思い出されたかのように震える。


 私は表情を変えず、ただただじっとクォートラの瞳を見る。


 私はあらかじめ、アウタナ落としに参加する魔族の隊長格についての情報を、エルクーロに頼んで纏めて教えてもらっており、書類で渡されたリストに目を通していた。


 家族構成、種族、年齢、性格、そして……忌々しい思い出もすべて、この頭に叩き込んできた。これは、彼らと共に戦うために絶対に必要な事だった。



「ああ、そうだとも! だから人間が憎くて仕方がないんだ!」



 クォートラは牙を震わせてグルルと唸る。しかし、私はそんな様子を慈愛の目で見る。……一緒なのだから。



「私もだ」


「あぁ!?」



 私はそこでポケットに突っ込んでいる手に握られたレイメの聖石を撫でる。



「私も人間に大切な者を奪われた。母だ。私は母を殺した人間を心底憎いと思う。そして、神すらも」



 私の幼子とは思えぬその表情と赤き瞳に宿った怒気に、さしものクォートラもたじろぐ。そのまま私は、その場にいた魔族一人一人の恨みや憎しみの根源について話をする。どれだけ人間が憎いか、何を奪われたか。親身になる等という訳ではない。身内を殺されるなど戦時下では珍しい事ではないだろう。ただただ、私は彼らが戦う理由を理解していく。それを踏まえたうえでの私の態度が、彼らにとって自分たちの恨みを晴らすために、少なくとも敵ではないことを示す。


 しかしクォートラをはじめとした魔族達は口々に騒ぎ始める。だがそれは最早私への文句や威嚇ではない。曰く、俺たちがさんざアウタナ攻めをしても、あの街は難攻不落。簡単には落とせない。作戦攻略への不安だった。しかし私は目を細め、虚空を睨むようにして腰に当てていた手の片方を上げる。魔族たちが一瞬それをみて静かになってから、鋭く、しかして断固とした自信を言の葉に込めて言い放つ。



「私に任せてもらおう。そうすれば、君達は憎い人間どもを、その爪と牙で引き裂き、地獄を手ずから味わわせられると約束しよう」


「だが、おま……アンタは人間だろう!」


「いや、もう違う」



 私の言葉にクォートラやほかの魔族たちも驚いた顔をする。



「何を馬鹿なと思うかもしれないが、私は人間達に、悪魔と罵られて生きてきた。人として……同族として扱ってくれたのは母だけだ。その母を奪った連中に、眼にものを見せてやりたいのさ。……()()としてな」



 クォートラ達魔族はしん、と黙ってしまう。さて、どう出るか。少なくともアウタナ落としの間だけでも私を信用してもらう必要がある。でなければ作戦を台無しにされかねない。人間の間では魔族の軍内関係は完全な実力主義とあったから最初は警戒したが、魔王やエルクーロの威光のおかげでファーストコンタクトを成功させても、作戦中に事故を装い暗殺される可能性もある。


 アウタナ落としは、私無くしては成功しない……そう信じてもらう事こそが大事だ。


 私は、アウタナを落とすための作戦概略を話し始めた。その言葉を聞かないものは、最早いなかった。


 少なくとも私と彼らの目的は同じ。ならばその目的を達するための手段を用意してくれる私の言葉は、ここに意味を持ったのだ。


 話を聞き終わった魔族たちは、ざわついていた。しかし、その眼には希望と、やっと恨みが晴らせるという憎悪の炎が見えた。


 エルクーロは話の最中にも後ろに下がり、黙って様子を見ていた。若干心細かったがなんとかなったと安堵していた私のもとにクォートラがやってくる。



「俺の娘はちょうどアンタと同じくらいの年だった。……俺たちに恨みを晴らさせてくれ。アンタの憎悪を信じる。俺たちの指揮を……お願い致します」



 クォートラはそう言って私の前に跪いた。それに倣って、次々と他の魔族たちも私に跪いてくる。敬礼とかで済む感じかなと思ったがここまでされるとは思っていなかったので若干引いた。とはいえ結果は上々、これで魔族たちは作戦中私の指揮通りに動くだろう。そうなれば、今回の作戦は成功したも同じ。私はまた、自分でも気づかないうちに口角が吊り上がっていたのだ。


 背後では、エルクーロがやはり驚いていた。



(あの娘、幼女の姿をしてあのような巧みな話術。そして凄まれて尚ああも立ち回る胆力。知恵が回るという話ではないな。一体、アレはなんなのだ。私は何を拾ってしまったのだ?)



 私はそんなエルクーロの思案を他所に、黒き笑みを顔に張り付け、来るべき復讐、そして魔王軍の中での立場を固めるという目的を着々と進めている事に心が沸き踊っているのだった。





 ♢




 私たちは夜明けのだいぶ前、夜の闇が世界を覆う中出発した。


 月すら暗雲に隠れ、照らす明かりはほとんど無い。文字通り漆黒の空を、私は竜化したクォートラの背に跨り飛んでいた。


 周囲を見れば同じように竜人たるドラゴニュートが20程。その背には魔剣士と呼ばれる鎧を着た骸骨が跨っていた。


 地上を見れば、暗さでわからないがそれなりの数の魔族や魔物が進軍しているはずだ。とはいえ聞いた感じではそのままぶつかってもアウタナは落とせないだろう。城壁に阻まれている間に壁の上に配備されている大砲で一網打尽。そして空から侵入しようとしても多数の弓兵の出迎えを受ける。ではどう攻略するのか。それは即ち、攻略の順序と、兵の組み合わせだ。


 ゲームでもなんでも、強敵と戦うにはセオリーがある。攻略の順序があるのだ。


 今回の場合、城壁を破壊する火力はないから、壁の上の兵力をいかに削るかに尽きる。そうすれば壁の上に兵を下ろし、城壁の絡繰りを操作して固く閉ざされた門を開ける。そうなれば地上戦力をなだれ込ませておしまいだ。


 アウタナはその城壁に絶対の信頼を置いているから、領主が兵力増強にかかる金銭をケチって、街中の警備と兵力が手薄なのは知っていた。中に入りさえすればどうとでもなる。だがそれが問題だ。ドラゴニュートのような空を飛べる魔族は中に侵入こそ出来はするだろうが制圧できるかといえば怪しい。そんな数の多い魔族ではないし、侵入の過程でも犠牲が出る。闇夜に紛れ忍び込み領主を押さえる案もあったが、領主は自分の周りの警護だけは厚くしていたから、なんにせよ地上部隊を街に入れるのは必要事項だった。


 平野に存在するアウタナだが、その脇と背後は川と湖になっておりまさしく天然の要塞。地上軍は包囲進軍できないため正面突破しかない。だからこそ、アウタナも戦力を集中させている正面の大門とその壁上の戦力をどう潰すかが最大の肝だ。そしてそれを可能にする作戦を私は考えて来た。



「こんな作戦……考えもしなかった」



 クォートラがぼやく。果たしてそうだろうか。私からすれば大したことはない……というよりかは視点の違いだろうか。私は魔族と魔物は仲間だと思っていたが、そういう訳でもないらしい。魔族にとっても魔物は、人からした魔物とそう変わらないのだという。だからこそ、魔物をふんだんに作戦に盛り込もうという私の発言に皆あんなに驚いていたのか。


 クォートラ他のドラゴニュート達は背に魔剣士を乗せているほかに運んでいるものがある。それがクォートラを不安にさせているものだ。


 クォートラが抱えているのはまるで丸い岩のようなもの。しかしてそれは脈動しており、呼吸していることを示す。


 魔術で眠らせているが、ロックボムと言うれっきとした魔物だ。自爆する習性を持つ、儚く危険な魔物。つまりは生きた爆弾。これを作戦で使うから運べと命令した時はクォートラ達は本当に嫌がっていたな。それもそうか。


 地上でも似たような面持ちでいるものが多いだろう。なにせ、地上にいるのは半分は魔族ではないのだから。



「外道の誹りも重んじて受けるよ。私は、悪魔だからな」



 クォートラにそういって笑ってやる。クォートラは首を震わせた。


 私は兵法なぞてんでわからない。ただの会社員だったのだ。街攻めなどこれが初めてだし、戦略も何も理解できない。そんな私ができる事と言えば、なんでも使う事に他ならない。街の内部構造や戦力を把握していた私は、あの城壁さえ突破すれば攻略は容易いとは確信していた。城壁の上の戦力をどれだけ犠牲なく排除し、門を開け地上部隊を中に入れるか。それだけが問題だった。


 なら、魔物を使おう。領主のところにいた私は、子供の頃に読んだゲームの攻略本感覚で、魔物図鑑などを読み漁っていた。勉学に興味はなかったし歴史書なども軽く読んでみたがすぐに放り出した。心が死んでいた私にも読んでいて面白かったのはやはり魔物や魔族の生物図鑑だったのだ。


 だったら、それを使う事しか私にはできない。


 そうこうしているうちにアウタナの街が見えてくる。さて、となれば先行していた地上部隊が、作戦を開始するだろう。


 上手く囮をやってくれよ、魔物ども。



 少ししてそれは始まった。


 アウタナの街の城壁の上から地上へ向けて大砲が放たれている。


 しかし、砲弾の先には我が部下たる魔族はいない。あれはすべて、魔物だ。



 闇夜の中、怒り狂った魔物の集団はアウタナ目掛けて土煙を上げ疾駆していた。


 100頭以上の群れで行動し比較的おとなしいため人も飼育する場合もある、私が知る限りでは巨大なバッファローと形容できる、ホーンバウという魔物がいる。仲間意識が強く、群れの一頭を傷つけられるとその群れ全匹で攻撃者を襲い掛かる凶暴な一面もある魔物だ。今回はそれを利用した。群れから子供のホーンバウを捕え、それを餌にして怒り狂ったホーンバウの群れをアウタナにまで誘導したのだ。


 城壁の前でホーンバウの子供を離した魔族はすぐさま離脱。しかし群れに気づいた城壁の上の兵士がホーンバウへ大砲を打ち込んだために、群れの標的はアウタナの城壁に移った。次々に城壁へ体当たりを仕掛けるホーンバウ達に、兵士たちも困惑しているだろう。良い囮だ。本隊たる地上の魔族たちは、それを少し離れたところで眺めていた。



「あのココットって言うのは、こんな恐ろしい作戦を考えるのか」



 地上で本隊の指揮を執るハイオーガが、驚きに言葉を零した。


 無論であった。復讐の為ならば、そして我が身の生存の為ならば全てを利用する。魔物の子を思う親の気持ちすらも。


 私は眼下の光景を見た後に、クォートラに指示を出す。



「大砲の注意がそれた。弓兵も似たようなものだろう。頃合いだ、行くぞ」


「はっ」



 クォートラの返事と共に、ドラゴニュートの編隊は斜めに体を傾けると城壁に向かっていく。


 弓兵の一人が流石に気付いたか、叫んだ後、何人もの兵士が空を見やり、急降下してくる私たちへ弓を放ってくる。


 私はクォートラの背中を二回叩く。弓兵が放つ矢は未だ有効射程外である。そして、ここがちょうどいい距離だ。



「ロックボムを落とせ!」



 私の声でドラゴニュート達はいっせいにロックボム達を城壁の上の大砲付近に集まる兵士たちへ目掛けて投下する。


 弓兵達は岩が空から降ってくるように見えるだろう。何人かは無駄な努力と分かっていつつもつい弓を放ってしまうが、硬い表皮には無意味だ。私たちは投下したロックボムを盾に一度離脱する。そして、砲弾のごとく城壁の上に落着したロックボム達。その質量を以て大砲のいくつかを破壊し、つぶされた兵士もいる。


 だが、これで終わりではない。落着の衝撃で目を覚ましたロックボム達が一斉に目を開けたのだ。その光景にやっと兵士達が何が降って来たのかを理解する。



「魔物……連中、ロックボムを落としてきやがった……ッ!」



 兵士の顔が青くなるのと同時に、ゲヒゲヒと笑い声を上げながら赤熱化していくロックボム達。


 そしてその熱が臨界に達し、ロックボム達は城壁の上で次々に爆発する。密集していた兵士たちは次々に吹き飛び、爆発に巻き込まれて絶命していく。運よく一命をとりとめても、高い城壁から吹き飛ばされ地面へと落下していくものもいる。


 その爆発を号令として、私たちは城壁目掛けて再び一斉に降下する。ロックボムの爆発で意識を持っていかれた弓兵たちの行動はまばらだ。いくらか矢が飛んでくるが、日和った矢に当たるほどクォートラ達ドラゴニュートも間抜けではない。


 兵士たちは驚きにおののく。城壁の上で指揮を執っていた防衛隊長は冷や汗を流す。これまでの攻撃とは毛色が違う。今までのような力押しであれば、鉄壁の城壁で阻み、大砲を何発か打ち込んでやれば撤退していったのに。空から飛行して来ても、弓兵の統率が取れていて、向かってくるだけのこれまでならば簡単に撃ち落とせていたのだ。


 それがどうだ。地上ではいくら大砲を撃っても逃げる気配のない魔物がひしめき、空からは弓の射程外から自爆する魔物を爆弾代わりに投下してくる。人間からすれば魔族も魔物も大差ない……即ち知能の低い種だと思い込んでいた節があったから、このような頭を使ったであろう作戦を仕立ててくるなど思いもしなかった。


 そして。


 ドラゴニュート達が城壁の上に取り付いたのだ。


 その背から次々と魔剣士が下りてくる。そして防衛隊長は確かに見たのだ。ひときわ大きなドラゴニュートの背に跨り、こちらを見ながら悪魔のような笑みを浮かべる……人間の幼女を。



 ドラゴニュート達と連携した魔剣士達は、剣を抜き放ち、同じように剣を抜いて向かってくる兵士たちと白兵戦を繰り広げている。


 魔剣士たちは押しているようだ。元々機材や設備に頼った兵士たちでは、生粋の剣士たる魔剣士には練度で遠く及ばない。


 ただでさえ狭い城壁の上では20余りの魔剣士達に数では何とか勝る兵士たちもその強みを活かしきれない。ましてドラゴニュート達の放つ火球もあって、兵士たちは次々に焼かれ、切られ、絶命していく。鉄壁という物は破ればこうも脆いのかと私は笑いを抑えきれない。既に目の前で繰り広げられる命のやりとりにさしたる感慨はなく、ただただ自分の稚拙な目論見がうまくいったことへの満足感……ゲームでボスに対し優位を取った時のような高揚感が胸を埋めていた。



「雑魚にばかり構うな。我々の目的はあくまで正面の大門を開く事にある! 地上の奴らはお待ちかねだぞ!」



 大門の構造は分かっている。少しばかり兵士を押しのけ進んだところにレバーがあり、数多くの歯車仕掛けで稼働し、ただそのレバーを引くだけで簡単に鋼鉄の扉は開く。なまじ自動化したのが仇となっている。昔ながらに数十人がかりで滑車を引くなりと言った構造であればこうはいかなかっただろうに。私たちは簡単にレバーまでたどり着くと、魔剣士の一人がレバーを勢いよく蹴り倒した。


 それと同時に正面の大扉が音を立てて開いていく。


 皮切りにホーンバウの群れは街中へ殺到していった。その光景を遠めに見ていた地上部隊の隊長は、本当に大門が開いたことに驚きつつ進軍指示を出す。憎き人間どもの鉄壁の牙城に穴が開いた。今こそ復讐の好機。蹂躙しろ。破壊しろ。殺戮しろ。焼却しろ。号令を下し、鬨の声を上げて魔族達は疾走する。その雄叫びは、アウタナの住人たちにとっては地獄からの呼び声めいて響いただろう。


 殺到する地上部隊を城壁の上から満足げに眺める私は、黒い装束の裾をはためかせ笑う。


 その姿を目にした防衛隊長は、魔族を人間が率いていたという事実、そしてそれを為すのがあのような……自分の娘よりも小さな幼女であった事実に驚愕した。そしてその笑みを浮かべた黒い装束姿の、見た目麗しくすらある幼女に恐怖しながら、震える声帯で声が零れる。



「魔族の……姫……」



 そんな感想を零した防衛隊長は刹那、魔剣士の剣の一振りでその首が宙を舞ったのだった。




 アウタナ落とし、それは最終局面を迎えていた。


 私の知っていた通り、街中の兵力はたかが知れていた。


 もとより縦横無尽に暴れまわるホーンバウの群れが先行していたため、対処に防衛陣形すらまともに整えられなかった兵士たちは、後続の魔族たちに対応できるはずもなく。


 ホーンバウは魔族相手にも向かってくるため厄介ではあったが、所詮は草食の魔物。囮の役目を終えた今、人にやられるも良し、魔族たちに処分されるも良し。あらかじめ処分を念頭に置いていたのでホーンバウへの対処は滞りなく済んだ。あとは彼らが付けた傷口を広げ、抉り取ってやるまで。



 事実、私の予想をはるかに超えた勢いの魔族たちの蹂躙により、もはや戦いと呼べるものではなかった。


 クォートラの背に跨り、街の上を巡回しながら眼下で行われる殺戮を眺める。


 家々には火が放たれ、まさに地獄絵図。兵士たちも魔族たちによって次々に屠られている。家屋からは住民が引きずり出され、男はその場で殺され、女はそれこそ身包み剥がされされるがまま。ゴブリンの慰み者にされた者はまだ楽な方で、オークに貫かれた者は泡を吹いている。命じてはいないが、子供は奴隷にでもするのか、女共々用意されていた檻に放り込まれている。


 私はクォートラに命じ、街の広場へと降り立った。私を曝しあげた、あの広場だ。そこには住人達のいくらかが集められていた。そしてそこには領主たちの姿もあった。あらかじめある程度の住人と領主たちはこの場に集めるよう指示しておいた。


 クォートラの背から降り立った私の姿に、住人たちは皆一様にして驚きの目を向けた。


 私は周囲の惨状を眺めながら、腰に手を当ててカツカツと靴音を鳴らして、魔族に組み伏せられている領主達の前にやってくる。


 領主は私の姿を見て絶望と怒りの表情。



「お久しぶり、という程ではありませんが。ご機嫌如何でしょうか、御父上」



 私はわざとらしく仰々しいお辞儀をして見せる。


 そこで領主たちは理解する。背後に魔族を控えさせたこの私こそが、今回の襲撃を指揮したのだと。



「こ、この……裏切者めッ……人殺しめッ! 魔族に魂を売り渡した悪魔めッ!」



 領主だった男は涎やら涙やら鼻水やらでべとべとになった顔で私に叫ぶ。



「そう喚かないで頂きたい。元より私にそれを望んだのはあなた方のはずだ。忌々しき悪魔たれ――――とね」



 私は何の感情もない瞳を領主に落としながら淡々と述べた。


 領主の顔色がさらに変わる。元より領主の家に居た頃は感情を表に出さない幽鬼のような有様で、言葉もまともに発したことのない私であったから、このような言葉を言われるとは思っていなかったのだろう。


 私に感情を思い出させてくれたのは、他でもないあなたの街なのだよ。



「なぜこんな事をするのです! 親殺しにも等しい愚行……許されたものではありませんよ!」



 領主夫人が恨めしい目で私を見ながら叫ぶ。親殺しとは。ふざけたものだ。私の親は今や愛しきレイメただ一人。むしろその最愛の人を奪った張本人が何をほざくのか。私は夫人を鋭い殺意を込めた視線で睨む。夫人は一瞬たじろぐが、それでもキッとした視線で見返してくる。憎らしい目だ。すぐに殺してやりたいが、落ち着け。それでは()()()()()



「そうだ、お前の親、我が妾……レイメは、レイメはどうしたのだ! あの優しき女であれば、私に対するこのような行いを許しはしまい!」



 領主が何か期待するような、淡い笑みを貼り付けた顔で私を困らせようとでもしたのかそんな事をのたまう。たしかにレイメは優しいからこんな事は望むまい。しかし。そんなものは何の意味もない。何故ならば。



「母は死にましたよ」



 表情を変えず冷たい瞳のままに私が言い放った言葉に領主は持ち上げていた口の端を下げた。


 そして項垂れる領主を無視して、夫人が私に怒鳴り散らしてくる。



「汚れた奴隷娼婦には似合いの末路ではないですか! そしてやはりお前は娼婦から生まれた悪魔の子でしたね! 人を裏切り、このような蛮行をよくも!」



 安い挑発だ。レイメを話に出されるとどうしても眉根が動いてしまうが、乗ってやらない。しかし……やれやれ、夫人はこの期に及んでなお強気か。魔族に囲まれているというのに、直接的な相手が私だからだろう。舐められたものだ。貴方はレイメを追放した第一人者である時点で、私の最大の敵なのに。



「汚らわしい悪魔め! 呪われた女め!」



 夫人の叫びに合わせて、隣で捕まっていた私の異母弟や、周囲の住人達も私目掛けて罵詈雑言を浴びせてくる。彼らの中では人権もなく存在がカーストであった悪魔の相を持つ私が、このように偉そうにしているのがこんな状況でも我慢ならないとは。飼い犬に手を噛まれたでは済まさないぞ。


 私たちの一連のやりとりを、背後に控えた魔族たちは黙って眺めていたが、明らかな怒りと憎悪が感じられる。人間風情が偉そうに、と。私の命令があるまで決して手は出さないようにと言ってあるが、今にも飛び掛からんばかりの勢いだ。


 ここはひとつ、盲目的にまで私を舐め腐る連中の頭を、少しばかり賢くさせてやる必要がある。



「勘違いしてもらっては困ります、夫人。私という人間を悪魔に育て上げたのは他でもないあなた方だ。故に、おめでとう。この結末はあなた方が望んだのですよ」


「戯言を!」



 叫ぶ夫人の髪を掴み、強引に首を垂れさせる。



「命乞いでもしてみますか? 魔族に交渉してあげてもいいですよ。彼らが納得するかはわかりませんが」



 その言葉に夫人は悔しそうに歯噛みをする。隣では異母弟が幼いながらも懸命に私に罵詈雑言を浴びせてくる。なるほど、良い教育を受けたらしい。姉として誇らしいよ。


 私を馬鹿にする言葉にドラゴニュート達が唸りを上げる。ふむ。たしかに私もこんな子供にあーだこーだ言われるのは我慢がならないな。



「夫人、ここで一つショーと行きましょう。住民の皆さんもぜひ楽しんでほしい。あの時は私たちが主役だったが、今回は……我が異母弟に壇上に上がってもらおう」



 そう言って私は異母弟を抑えているオークに命ずる。オークは嬉しそうに異母弟を掴み上げ、宙づりにする。夫人がギャーギャーわめき、異母弟は悲鳴を上げている。いい光景だ。魔族たちも楽しんでくれるといいが。



「題目は……マリオネットのワルツだ!」



 私は両手を広げ叫んだ。合図とばかりにオークが両手でつかんだ異母弟の肩をゴキリと外す。異母弟の絶叫が響き渡り、夫人は悲鳴を上げた。



「ああ、可哀そうなマリオネット! 踊れ踊れ! お前は踊る事しかできない哀れな人形! 壊れるまで踊れと命ぜられたが故に!」



 私はくるくると踊る様に両手を広げてステップを踏む。そんな私の動きや声に合わせてオークは異母弟を壊していく。


オークは知能が低い。私の演目の趣向などは理解していまい。ただただ与えられた玩具を好き放題に動かしているだけだ。それを演出しただけ。だがそんな喜劇は魔族には大層受けが良いようで、ゲラゲラと腹を抱えて笑っている。人々からすれば恐怖でしかあるまい。自分たちを取り囲む魔族たちの笑い声は。


 クォートラも例に漏れず、自分から娘を奪った人間に、同じ趣向で絶望を味わわせているこのショーに大変満足しているようだ。


 私がステップをやめると、もはや異母弟は物言わぬ壊れた人形と化していた。夫人は泣き崩れている。私はオークに良し、と命ずる。オークは嬉しそうに異母弟の亡骸を持ってどこかへ行った。遊んだ後はおいしく頂いてくれ。


 さて、十分遊んだつもりだ。しかし、これだけやっても、私の心はちっとも晴れやかにならない。虚無だ。むなしい。


 どれだけやってもレイメは帰ってこない。そんなことは分かっている。だからだろうか。



「飽きてきたな」



 その冷淡に吐き捨てられた私の言葉に領主が目を丸くしながら私の靴に手を添えた。



「待ってくれ! いえ、待ってください……死にたくない! 命だけは、何卒命だけはお救いを……どうかお慈悲を……」



 領主はまるでおもちゃを取り上げられた幼子のような様相で、そして蚊のような弱弱しく悲痛な声で訴えた。


 靴に添えられた手は震え、媚びるような視線で私を見上げてくる。靴でも舐めろといえば喜んで舐めるだろう。少し面白そうではあるが、折角用意してもらった装束を領主の唾液で汚すのは忍びない。この滑稽な姿を見ただけで満足しておこう。


 まあ言ってしまったからには一つ、交渉でもしてみようか。



「なぁ、諸君」



 私は振り返り、グルルと唸り声をあげるドラゴニュートをはじめとした魔族たちに両手を広げる。



「彼らに慈悲は必要かな?」



 にたりと笑ってそう言った私に、魔族たちは趣向を理解したか、口角を吊り上げて地面を踏み鳴らした。


 殺せ、殺せ、殺せ。


 口々に叫ばれる魔族の声に、領主他集められた住人たちが恐怖に竦み上がる。


 そんな最中、魔剣士の一人が私の元へやってきて耳打ちをする。私は報告を聞いた後、ふうと息を吐いて片手を上げる。


 魔族たちが静まり、私の意を酌んで涎を垂らす。私は改めて領主に体を向けると、ひざを折って目線を下げてから言う。



「さあ御父上、彼らに慈悲という物があればよかったが、そうもいかないらしい」



 領主は涙すら零して私の服の裾を掴み慈悲をと縋る。その姿に魔剣士が剣を振り上げたため慌てて制止し立ち上がる。まだだ。抜け駆けはよくないからね。領主のそんな姿をいい加減飽きた私は冷ややかに見降ろしながら言った。



「慈悲というものは、あなた方の常識では私のような悪魔にも備わっているものなのかな?」


「っ……お、お望みの物を差し上げます! 私めに用意できるものならば、金も、地位も!」



 しつこいな。私ははぁ……と大きく深いため息をつくと領主の手から足を離した。領主の目の色が変わる。


 私はクォートラに目で合図を送ると、短く指示を出した。



「始末したまえ」



 私はそう告げると踵を返した。それが、合図。


 途中領主の男に涎を垂らしながら向かっていくドラゴニュートをはじめとした魔族たちとすれ違う。


 背後からはいまだ領主の懇願や夫人の恨み言が聞こえるが、もはや聞く耳持たない。ああもレパートリーのない言葉は何度も聞けば飽きようもの。



「この、悪魔がぁぁああッ」



 領主の絶叫が聞こえた。ああ、そうさ。まさしく私は()()()()()()()()()を選んだのだから。


 少しして、絶叫とともにバキバキと骨の砕ける音やミチミチという肉の裂ける音が聞こえてくる。食事が始まったららしい。



 はあ、存外つまらなかった。ああ、つまらない。


 しかし、これで……価値は示したはずだ。実績としては上々。アウタナ落としは、此処に為った。




 ♢




 全てが終わった後、私はクォートラの背に乗り魔王城への帰路を飛んでいた。


 周囲に目をやれば、ドラゴニュート達の背に、魔剣士がおり、それに抱かれるように支えられながら、私と同じ悪魔の相を持った子供たちが乗っていた。皆怯えているが、まあすぐに慣れるだろう。


 私は魔剣士に、アウタナ蹂躙の折、悪魔の相を持った者を発見したら殺さず集めて連れ帰る旨の命令を出していた。


 彼らも私と同じく虐げられた者たちだ。私の良き隣人となるだろうから。



 魔王城に戻ってきた私の報告を聞いた魔王は、大層喜んでいた。私を褒めながら子供のように大笑いする魔王に、エルクーロは目を丸くして驚いていた。そして正式に私は魔王軍の将軍の地位を賜ることと相成った。大出世である。試用期間はクリア。これで晴れて正社員という訳だ。


 私は報告を終えるとお辞儀をして退出。褒められるのは嬉しいものだから、ついニコニコと頬を緩ませていた折に、魔王の部屋の外で待っていたクォートラに呼び止められる。


 私は慌てて表情を戻した。


「ココット様。俺たちは貴女のおかげで小さな復讐を遂げました。俺たちは貴女を認めます。貴女に付き従いましょう」



 クォートラが言った。私は短く「そうか」とだけ答えた。



「どうかこれからも我らを指揮し、人間どもに悪夢を。我らが魔の姫よ」



 姫? その物言いはどうなのだと思ったが、クォートラ曰く人間たちに私を見てそう言ったものが居たのだそうだ。全く身に余る恐縮な呼び名に、よしてくれとだけ言って私はクォートラと別れた。


 そうやって廊下を歩きながら、ついつい足取りは軽快になってしまう。心のうちは、安堵と、作戦の成功……アウタナ落としだけではない、魔王軍に認められたことへの喜びがあったのだ。


 これで魔王の庇護と、復讐の手段の両方が手に入った。滑り出しは好調だ。


 しかし油断はできない。まだ戦争は続いている。そして魔族と人族の間に憎しみで掘られた穴は深い。


 そんな戦乱の渦中、私は魔族の中で生きなくてはならない。私はレイメの聖石をポケットの中で撫でる。


 私は魔王様の配下として、価値を示し続けなければ不要とされ、あの領主のように殺されるだろう。


 望むところだ。必ずや成り上がり、生きて幸せを掴んでやる。




 だから私はこれからも人を殺め街を焼く。









 ―続―



短編を加筆改稿した連載版を投稿開始しています。

https://ncode.syosetu.com/n1220fu/

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