09.掲示板からのお知らせ
「"レトログラード"に会いに行け?…ベリリウムが?」
『クロノグラフ』の管理者・ベリリウムちゃんから別れ際に耳打ちされた言葉。
梶本くんは彼女の言葉はでたらめだから気にするな、と言っていたけれど。
その言葉がどうも、妙に、ひっかかる。
「うん…なんか、数字が知っているとかどうとか…なんだっけ。4桁の数字…わかる?」
前を歩く梶本くんが、少しだけ考え込むようにフリーズしたのち、頷いた。
「その数字、"5164"ではないですか?」
「あ、そうそう!それ!よく解ったね!」
流石、管理者。何かの共通暗号なんだろうか。
「『インジケーター』の管理者の名前です」
「えっ?」
まさかの、数字?
時計には確かに固有番号とか、型式番号があるけど。
寧ろ機械人形的には番号の名前とか正しすぎる位正しい気もするけど。
カジモド(命名:星の夢)…はともかく、
タングステン(ウォルフラム)とベリリウムっていう名前から、勝手に鉱物シリーズかと思った。
ふと、気になることができたのでつい言葉に出す。
「…そういえば梶本くんって、カジモドの前は何て呼ばれてたの?」
「タンタル」
あ、やっぱり鉱物なんだ…。梶本"鉄"っていうから、てっきり"フェルム"か"アイロン"だと思ったのに。
タンタルかよ。希少金属縛りか?と思いながらも、目の前のこの初見では不気味(失礼)な機械人形の名前がタンタルっていうのは、なんというか。
「ちょっと可愛い」
「そうですか?」
「うん。あ、じゃあタンタルくんって呼んだ方が良い?」
「自由に呼んでいただいて構わないですよ」
「私の中では梶本くんはもう『梶本くん』なんだよね…カジモドみたいでいやだったらやめるけど」
「いえ。悪い気はしないですよ、"梶本"なら」
こっちに来た時の偽名として考えたんだろうけど、自分で考えたのかな。
「そっか、良かった。…ところで、本題の『インジケーター』の管理者だけど」
インジケーター。"表示するもの"。
時計でいえば、パワーリザーブ・インジケーター。
要するに、電池とか、動力の残数を教えてくれる複雑機構だ。
格闘ゲームの画面上にある、体力ゲージみたいなやつ。
「…その管理者が、『レトログラード』の管理者の居場所を知ってるって。ベリリウムちゃんが」
そもそも、なんでベリリウムちゃんは私にそんなことを言ったんだろう。
会いに行って、どうしろというのだろう。
「ベリリウムの言う事は大概でたらめですが、"計測結果"だけは嘘は言いません。おみを計測した時、きっと何か気になることがあったんでしょう。…そう考えると、無碍にはできませんね。…しかし、5164か…」
「あ、そうか。まず管理者の信号を辿らないといけないんだよね」
しかも、その信号が目的の管理者だとは限らない。
「いえ。『インジケーター』を探すのは簡単です。交錯点上のどこにでもいますから、どこかにいるでしょう」
どこにでもいる、というのなら、近くにもいるはずだけれど。
どう見ても、この砂漠の真ん中でぽつんと二人きり。デリリウムちゃんの姿もない。
どこにでもいるのに、どこにもいない。
「えっ何その唐突な哲学」
流石のおみちゃんでも、そういう社会だの思想だなんだっていうのは門外漢なんだけど。
「謎かけではなくてですね」
梶本くんの説明を要約すると、以下の通り。
・交錯点は座標で管理している。管理人は座標軸を基準に交錯点を動き回る(一部例外あり)。
・座標自体は『レギュレーター』、『クロノグラフ』、『インジケーター』の三体で管理し、始点となる中心にレギュレーターが座している。
・日々広がる交錯点の座標を『クロノグラフ』…ベリリウムが割り出して計測している。
・ベリリウムが計測した数値を『インジケーター』が「座標板」を作り、そこに記す。
・何かあれば座標板から、『インジケーター』を呼ぶことができる。
…ん?呼ぶことができる、とは?
「えっと、交錯点ってものすごく広いよね?」
もうすでに交錯点にきて何日目…と数えるのをやめた私だから言える。
交錯点はものすごく広い。
交錯点中にある、「一番近いくずかご」に向かっているはずなのに、辿り着く気配さえない。
そんななか、呼ぶことができるとは、いかに。
タングスくんみたいに、飛んでくるんだろうか。
「まあ、呼んでみた方が早いですね。座標板を目指しましょう」
「うん」
座標板。やっぱり板なんて、今までのどこにも見当たらなかったけど…。
と、疑問を頭に浮かべつつ砂を蹴っていく。
昼時間を過ぎたあたりで、座標板のある場所に辿り着いた、らしい。
らしいというのも、私の目にはやっぱり砂漠のど真ん中にしか見えないし、何の違いもない。
一番最初にいた地点から一歩も動いていない、と言われても疑わない位には変わりがない。
オアシスですら、あれは幻覚だったんじゃないかと思える。
何もなかった。
「あの、…梶本さん?私の眼下には、何もないようにうつるのですけれど…」
「ええ。足元ですから」
「足元?」
いつもと変わらない砂。梶本くんは、その砂を掘り返していく。
「…あ!」
すると、数字が刻まれている板の表面が現れた。
下かーーーー!そっかーー、下かーーーーー!
「これが座標板です」
「こういうのって、みんなが目に触れるようにしないとだめなんじゃないの?」
「ええ。交錯点で座標板を使うのは、管理人だけですから。管理人が場所を把握していれば、それでいいのです」
まあ、反論の余地もないですね。私が見てもちんぷんかんぷんですから。
「でも、座標板でどうやって知らせるの?」
呼び鈴のようなものも、スイッチもない。っていうか、呼び鈴鳴らすくらいなら梶本くんは自分の鐘を鳴らした方が早いだろうし。
「ぜんまいを撒きます」
「ぜんまい」
うん。機械人形だもんね。…どこに?
心の中で突っ込みつつ様子を見ていると、座標板の下の方に小さな穴が開いている事に気が付いた。確かに、ぜんまいの穴のようにも見える。
「え、…そこにぜんまいがあるって事は…」
まさか、板が動くの?
梶本くんは、例によってローブの下からぜんまい鍵を取り出して、穴に差し込み、回していく。
きりきり。
きりきり。
きりきり。
がちゃり。
ストッパーが掛かり、ジイジイ音を立ててぜんまい鍵が回っていく。
すると、板の横の砂地が、どんどん、もこもこ、盛り上がっていった。
「えっ…えっ!?」
砂地の下から出てくる何か。
砂がさらさらと辺りに落ちていき、ようやくそのシルエットが現れた。
フード付きの灰色ローブ。タイツのカラーはモスグリーン。右手に杖を持っている。
「あ、あ…ええ?…砂の中に、埋まってるの?」
「5164の個体の一つです。インジケーターは交錯点上に複数の個体を持っており、座標板の近くに埋まっています。全てがリンクしているので、個体としては全体で一つという扱いです」
「あ、そういうやつ!」
フードの中身は見えないが、まだ「起きている」ようには見えない。
「動かないよ?」
「起動中です。現行個体にアクセスし、意識をこちらに転送しています。1度に動ける個体は1つですので」
「はあー…なるほど、確かに、どこにでもいて、どこにもいないわけだ」
体はどこにでもある。でも、意識は一つだけ。
沢山の体の中を、一つの意識が駆け巡って動かしているんだ。
「…リピーターか」
皺枯れた声がフードの中から漏れる。おじいちゃんだ。おじいちゃん個体だ。
「5164。聞きたいことがある。」
挨拶もなしに、いきなり本題に入る梶本くん。
「丁度いい。おれもお前を探していたところだ」
「俺を?なぜ…」
梶本くんが首を傾げた瞬間。
「!!!!」
インジケーターがもっていた杖が、梶本くんのお腹を突き刺していた。
「梶本くん!!?」
突然のことに、防御態勢をとる暇もなく。
倒れる梶本くんに駆け寄ろうとしたとき、私の腕が、インジケーターに捕まえられていた。
「生身の人間の娘。来い」
「いや!いや、離して!梶本くん、梶本くん!!」
どさり、と、何の反応もなく、どさっ、と。
お腹に杖が突き刺さったまま、砂地に倒れる。
私の腕は機械人形に強くつかまれていて、びくともしない。
それでも抵抗しようと、必死に梶本くんの方を振り返る。
梶本くんは動いていない。
動かない。
「梶本くん、おねがい、待って、梶本くんの手当てしなきゃ!壊れちゃう!」
「お前の案ずるところではない。そのうち再起動する」
「やだ!私は梶本くんと一緒にいくの、離して!!」
機械人形は私を掴んだまま、びくともしない。
「リピーターがそんなに気になるか?」
「当たり前でしょう!友達なんだから!」
「リピーターはそうは思っていない」
「そんなことない!梶本くんだって、一緒がいいって言ってくれた!タングスくんに、自分が連れて行くって、言ってくれたんだ!」
起きて、梶本くん。起きて!
お願いだから、どうか、目を覚まして!
「星の夢に逆らおうとするからだ。大人しくトゥールビヨンに連れていかれればこんな事にはならなかった」
「…!」
私のせいで、梶本くんがこんな目に合わなきゃいけなかったの?
「…いかない」
「?」
「梶本くんと一緒じゃなきゃ、くずかごにはいかない!腕をもがれたって、足をもがれたって、行くもんか!」
深くフードを被った管理者…5164を、思い切り睨みつけてやる。
だからどうした、という程度だろうけれど、精いっぱいの抵抗だ。
これ以上近づいたら、蹴り倒してやる。
「…」
やれやれといったように、5164は掴んでいた腕を離し、梶本くんから杖を引き抜く。
「…デリリウムちゃんから…あんたに会えって言われたから、あんたを呼んだのに」
デリリウムちゃんの名前を出すと、5164は少しだけ動きを止めた。
「そうか。なんと言われた?」
「"レトログラードに会いに行け。5164が知っている"」
「そうか」
「…梶本くんと一緒に、連れていって」
「その頼みを聞く理由も、価値もない」
「なら、ここで死んでやる!あたしはくずかごに行かなきゃいけないんでしょ?」
「…お前にとって、そのリピーターがそこまで必要な存在か?」
「そうよ!」
「…面倒くさい。これだから人間は面倒なのだ。感情という数値のぶれ、無駄に繰り返すエラー…」
そう言って、振り返る。
「全ての予定が狂わされる。腹立たしい」
「…え?」
私はこの時、自分の存在価値というものがどの程度のものかわかっていなかったし、
管理者にとって、どういう存在なのかも理解していなかった。
突然、激しく揺さぶられる衝撃とともに、鈍く、中心から放電したかのような痛みが走った。
腹を、強打されていた。
「あぐっ…!」
めまいと、吐き気。
痛みで、何も考えられない。
痛い。痛い、痛い、痛い!
痛みと苦しみにのたうち回る私には、周囲が見えていなかった。
だから、5164の追い打ちは避けられなかった。
ドッ。
それからまた一度、先ほどよりも強い衝撃を受け、視界がぐにゃりと揺れて。
私は気絶した。