08.ハイ、あたしです!!
朝。
梶本くんに影響された私はどこまでも透き通るような音を出したくて、地平線に向かって声を出す。
発声練習は、自分の中で回数を決めている。
いくら環境が良くても納得できなくても、体力は持っていかれるわけで。
"惰性で続けるより、一つずつ丁寧に集中することで精度を上げた方がいい"というのは先生の弁。
「お疲れ様です。」
終わるのを待っていた梶本くんは、近くの雲を集めて水を貯めてくれていた。
待っている間暇だったのもあるだろうけど。なんて気の利いた、気遣いのできる機械人形!
「ありがとう、梶本くん!」
「食事しながらでいいので、聞いてください。昨日の夜から、こちらに管理者が近づいています。」
発声練習が終わった後、私の朝食(例によって、くず団子だ)が始まる。
飲みながらかぶりついていると、
「管理者?…また、タングスくん?」
雪辱戦だろうか、と思ったが、どうやら違うらしい。
「奴にしては動きが遅いので、別の管理者でしょう。」
「ふーん。誰だろう…リピーター、トゥールビヨンって来たら…永久カレンダー?」
永久カレンダーを挙げたのは、その三つが、特別だから。
「…いえ、それはないです」
けれど、珍しくきっぱりと否定される。あれ?管理者の居場所は分かっても、個体までは判別できないんじゃなかったっけ?
「永久カレンダーは…いないんです」
私の疑問を先回りするように、梶本くんが口を開いた。
「え、……いないの?」
「はい。随分昔に…永久カレンダーは、交錯点から消滅しました」
消滅?管理者が、消滅するっていうことが、有り得るんだ。
「そうなんだ…」
梶本くんはそのまま黙ってしまった。
恐らく、思い出したくないような過去なのだろう。
ちょっと気になるけど、そっとしておこう。
「あ、そうだ。昨日梶本くんが倒したくずの破片の中にね、丁度良い大きさの歯車があったの。後で新しいのに付け替えよっか?」
ちょっとだけ重苦しい空気になったので、わざと話題を変える。
「お願いします」
梶本くんは嬉しそうに頷いた。ふふん、この好き者め。くるしゅうない。
ご飯を食べ終えて、歩き出そうとしたときだった。
「かーー!じーー!もーー!どーーーーうおあーーーーーーー!」
快活な、明るい声が、ざっ、ざっ、ざっ、という砂を蹴る音とともにやってきた。
「げっ」
お?梶本くんから、小さく引いた声が聞こえる。苦手なのか?
「あの子?」
「…。…はい…」
ずずん、と胸を張る効果音が聞こえそうな程、堂に入った仁王立ち。
茶色い髪を二つにしばった、細身の女の子。見た目の年齢は、私と同じか、やや下くらいか。
背丈もちょっぴり小さい。灰色ローブは短く、タイツの色は黄色とオレンジの中間といった感じだ。
パーマネントなんとか。
「わー!久しぶりに走った!!ストッパーかかった?かかってないね!常にかかってるから!」
軽やかにステップを踏み、鈴が鳴るように笑う。
見た目のわりに幼さを感じるのは、無邪気そうな言動のせいか。
「…『クロノグラフ』の管理者、ベリリウム。厄介なので、無視していきましょう」
「えっ?」
目の前にいるのに…厄介?どちらかというと、敵意はなさそうだけど。
「おー!待ちなさいカジモド!おねーちゃんが見えないの?見えてないの?泣くよ?真っ黒な涙を流して、その何にもない顔に新しい顔を描いてやる!」
流石に無視は無理があった。両手を広げてバリケードを作っている。
お姉ちゃんなんだ…顔の造形、皮もきちんと作られてるけど。
「…何の用だ、ベリリウム」
あ、顔がなくてもわかる。見るからに嫌そう。
「用事があったら来てない。鐘の音が聞こえたからきた!」
きっぱり、はっきり。気持ちのいい子だ。…言っている意味は、ちょっと分かんないけど。
「あ!可愛い!女の子型の人間だーっ!久しぶりだね!」
そして、ようやく私の姿が目に留まったようだった。女の子型の人間…新しい分類。
「はじめまして、橘生三です。よろしくね、ベリリウムちゃん」
「あら、はじめましてでしたっけ?おみ?おみ…おみ!うん、覚えたよ!よろしくねー!…あれ?はじめましてなのに、なんであたしの名前知ってるの?」
「たった今、梶本くんに教えてもらったよ」
「かじもと?あはは、こいつはカジモドだよ!変わった名前だけど、間違えないであげて!星の夢に貰った名前だからさ!名前って大事なんだよ!あたしはベリリウム!星の夢には名前、貰ってないんだ!どうせ忘れちゃうから!」
うん、とっても無邪気だ。そして知らないんだ。彼の名前の意味を。
「…俺が連れてきたとき、そう名乗った。だから、間違えていない」
「なんだそっか。良いならいいや!ん?…連れてきちゃったの!?なんで!?」
「…星の夢の命令だ」
「なんだー!じゃあしょうがないね。星の夢、人間なんか連れてきて何するんだろうね?」
「さあな。用がないなら戻って仕事しろ」
「ねえ、ベリリウムちゃん。クロノグラフのお仕事ってどんなことするの?」
「楽しいの!」
明るい笑顔で、気持ちよく言い切る。うーん、そっかー!楽しいのかー!
「説明になってない」
「え?そう?…じゃあ、楽しくない?」
「えっと、ごめんね、私に聞かれてもわからないかな…」
「稼働、初期化完了、計測。対象:人間:個体名:橘生三。計測・記録開始。」
「えっ?あれっ?」
突然。何の前触れもなく、ベリリウムちゃんは今までと違う様子に変貌する。
顔は変わらず笑ったまま。瞳孔だけは中心を見据えながら、ぐるぐるとまわっていく。
可愛らしい顔なのに、どんどん歪んでいくような気味の悪さを覚える。
混乱して梶本くんを見ても、梶本くんはそっぽを向いている。助けてくれる気がないというか、関わりたくない、という感じ。…まあ止めないということは、危ないことではないんだろうな。
じっと、ベリリウムちゃんの目がぐるぐると回りながら私を見つめる。何だろう、全てを見透かされそうな居心地の悪さを感じた。
「… … … … …」
動画の超高速再生みたいな、キュルキュルした音で何かをずっと高速で唱えている。
笑顔で見つめられながら言われると、結構怖い。
「… … … … … … … … …!」
突然、目がカッと開く。
「…くちなし…」
「え?何?」
くちなし?…花?どんな花だっけ。
「…デリリウム、今、何て言った?」
突然、梶本くんが割って入る。
ハッとした状態で、デリリウムちゃんはきょろきょろ辺りを見回す。
「ん?なんちゃって。まちがい、まちがい。」
たはは、と悪びれずにおどけながら笑う。
「…鳴らすぞ」
「いやーん。リピーターの音ギギギってなるからきらい」
「…あの…くちなしって…?」
「あはー、色んなもの見てると、似たようなのがでてきてつい近いものと混ざっちゃう!こうやって、個体の計測をするのがあたしの役目なんだなー!生身の人間を計測するなんて、昔あったかなかったか以来だよー!楽しいね!」
随分曖昧な計測器だ。この子が管理者で大丈夫なんだろうか、と、別の意味で心配になる。
「個体を計測して、どうするの?」
「さあ?」
ベリリウムちゃんは笑ったまま首をかしげる。
「さあって…わからないの?」
「いつもは生まれたくずの個体を計測するんだけどね!すっごく強いくずが生まれたら、星の夢が早く生まれるから大事なんだー!まー滅多にっていうか殆どないんだけどね!星の夢をたくさん作れば、たくさん星になるからね!星ってきれいだよね!砂の中で光って!こないだうっかり溺れたんだよ…死ぬかと思った。よく漂流者の人間は言うよね、『死ぬかと思った!』って!」
「なるほど…」
さっぱりわからん。
「おみは滑って間違って落っこちないでね!大変なことになるから!」
「え?どういうこと?」
「人間が落っこちると、そりゃあもう大変なことになるんだよ!」
「…えっと、どんな風に大変なの?」
「どーん!ってなる」
「…」
そっかー。どーん!ってなるのかー!
…この子と話をするときは、深く考えずに流れに任せた方がよさそうだ。
なるほど、梶本くんの言っていた『厄介』っていうのはこの事か。
「…とりあえず、星の夢に言われて連れて行くところだ。お前も仕事に戻れ。行きましょう、生三」
「あ、…うん。じゃ、じゃあ、またね、ベリリウムちゃん」
さっさと切り上げて離れたい…という気持ちでいっぱいな梶本くんが、先に歩き出す。
「あいはーい!ぼんぼわいやー!…あ、おみちゃん、おみちゃん!」
「なあに?」
こっそりと、耳打ちをされる。
――"レトログラード"に会いに行け。5164が知っている。
「!?」
一瞬ベリリウムちゃんの笑顔が大人びたように見えたが、改めて見返すと、無邪気な笑顔そのままだった。
「じゃあねー!星が廻ったらまた会おうね!わお!」
そう言って、ざっ、ざっ、と、駆けていく。
(…レトログラードはともかく…5164って…何の数字…?)
レトログラード。複雑機構の一つ。
と、いう事は…管理者に会いに行け、ということだろうか。
一体、どういうことなんだろう。
彼女のあのとっちらかった性格といい、謎が多い。悪い子では、ないんだろうけど。
「…おみ?」
「あ、うん、大丈夫。行こっか」
道々、梶本くんに聞いてみよう。
「なんていうか…すっごく不思議な子だね、ベリリウムちゃん」
「"デリリウム"とも呼ばれています」
「そ、そうなんだ…。一文字変えるだけで、ずいぶん変わるんだね」
「俺だってそうですから」
「ほんとだね」
…あのハイテンションは、そういうことなんだろうか?
「あれの言う事は気にしないでください。ほぼ、でたらめですから」
「えっ!?」
でたらめなの!?