07.嫌われもの、歌う
1、2、3、4、5、6、7、8
私には名前がない。
私は単なる数字。
私には名前がない。
1、2、3、4、5、6、7、8
皺枯れた老人のような管理人形が目の前の砂地を払うように掘っていくと、大きな一枚の板が現れた。
そこにはぎっしりと、数字の羅列が所狭しと書かれていた。
「60366.77241.231」
ぶつぶつと数字を唱えながら、小さなナイフで板に数字を書き入れる。
「12,6,1」
数字を書き入れた後、再び砂地に板を埋めていく。
「ごきげんよう。調子はいかが?5164」
その様子をいつから見ていたのだろうか、星の夢がふわりと浮いている。
「何も変わらん。…やや、くずの発生件数が異常に多いのと、星の夢の数が異常に減っているのが気になる程度だ」
「まあ。大変ね」
くすくすと、おかしそうに笑う。
「ねえ、5164。星の夢はあなたにお願いがあるのだけれど」
「仕事中だ」
星の夢の方を見向きもせず、杖をついて歩いていく。星の夢はその様子にも気にせず後ろへついて回る。
「あなたはいつでも仕事熱心ね。いつお休みするのかしら?」
「刻一刻と変動する"今"を書き入れなくてはならない。休む必要はない」
「そうは言っても、時には休息も必要よ。それに、わたくしのお願いはきっとあなたが喜んでくれるものだと思うの」
「次の座標に辿り着くまでに済む話なら聞いてやる」
「カジモドが、生身の人間を連れているの」
「生身の?…どうせ、お前が引き入れたんだろう」
「まあ、どうしてわたくしの仕業だと?」
「他世界に干渉できる奴で、そんな面倒を起こすのはお前しかいないだろう」
「つれないのね」
星の夢は怒るでもなく、くすくすと笑う。
「生身の人間か。くずどもが騒めきだすはずだ。…それに、漂流者の信号もジャミングされている。正確な数字ではなくなっている、というわけだ」
「そう。すべてはその生身の人間のせいね」
「お前のせいだろう。くだらん、何が目的だ」
「あら、勿論くずかごにいれるのよ。」
その言葉で、ようやく管理人形は主星の姿を視界に入れる。
「ふふ、ようやくわたくしを見てくれたわね」
「…見つかったのか?」
「ええ。間違いなく、あの子だわ。名前は橘生三」
「何故分かった?…いつ、どこで見つけた?」
皺枯れた管理者が震える。信じられない、と言ったように。
「つい最近。以前、あの子が夢の中で、ここに迷い込んできたのを見つけたわ。わたくし、とても嬉しかったのよ!…でもね、あのカジモドのおばかさんったら、気付かないで、そのまま帰してしまったの」
「…どちらにせよ、見つかったのなら本体も必要になる。リピーターの判断は結果的には間違っていなかったのだろう。職務にも忠実だ」
星の夢がふむ、とわざとらしく手を当てて逡巡するしぐさを見せた後、頷く。
「まあ、そうね。そうとも言えるわね。…でも、帰してしまったのはあの子だから、あの子にきちんと連れてくるように送ってあげたの。…ちゃんと連れてきたことは褒めてあげないとね」
「…では、今はリピーターと一緒か」
「ええ。くずかごまで目指すように指示したのだけれど、あんまりのんびりだから困ってるの。随分、遠回りをしているみたい。」
「リピーターは仕事上、唯一座標軸を気にしない。正確な位置を覚えていないのだろう。トゥールビヨンはどうした?」
「少し前にウォルフラムにお願いしたんだけれど、うまくいかなかったみたい」
「それは意外だ。抵抗したのか、リピーターが」
「そうみたい。ウォルフラムったら、とても悔しがっていたわ。うふふ、あんな悔しそうな顔が見られたから、つい許してしまったけれど」
「…それで次は、おれか」
「そういうことよ。丁度、あなたが一番近いの。お願いできるかしら?」
「…。承知した」
皺枯れた管理者が頷くと、満足そうに微笑んだ星の夢はその姿をばらばらにほどき元の形に戻ってどこかへ飛んでいく。
「…。…道化め」
皺枯れた管理者は独り言ちながら片手で杖を持ち上げ、そのまま胴体に勢いよく突き刺す。
その瞬間、胴体がぼろぼろとはがれていくように、崩れ落ちていく。
あっという間に皺枯れた管理者の体は、ただのがらくたの残骸になっていった。
ジャージを丸めて枕にして、そのまま砂地に寝転ぶ夜時間。
ずっと一定の明るさを保つ空のままだが、疲れてくればどうしたって眠くなるのは仕方ない。
北欧の、白夜というのはこんな感じなんだろうかと想像する。
空を見上げると、遠くの方で星が瞬いている。
地球で見上げる空よりも、星たちがずっと遠くに見えるのが不思議だ。
仰向けに寝転びながら、両手をお腹に当てて固定する。
あーーーーー、とか、
うーーーーー、とか、
お腹から一定の量の空気を吐き出す。なるべく長く、遠くまで、まっすぐその音が伸びていくように。
「…それ、必ずいつも、起きた後と寝る前にやりますね」
梶本くんは私の横で座っている。眠らないから、私が起きるまでずっと待っている。
普段は私が眠るまでそっとしておいてくれていたけれど、一応気になっていたらしい。
「あ、うん。発声練習。ここ外だし、家に居るのと違って思い切り声出しても近所迷惑にならないから練習するのには最高の環境だよね。めっちゃ鍛えられる」
しかも毎日歩いているから、持久力も上がってる気がするし。最初の頃は筋肉痛で殆ど歩けなかったけど、今はそれなりに歩く距離が増えていっている。
寝ころんだまま、首だけ梶本くんの方を向く。
「練習…ですか?」
「うん。私、合唱部なんだ。今度の課題曲でソロやるの。音外したら大恥かくからね」
「合唱…ソロ…大勢の中で、一人で歌うということですか?」
おっと、そっちの知識はないのか。
「そう。だから地力を鍛えないといけないんだ」
部活とはいえ、みんな全国に向けて頑張っている。高校に入ると吹奏楽の方が注目を浴びたりするけど、合唱は合唱で、吹奏楽にはない魅力があるのだ。
「大変そうですね」
「うん、でも、私、歌うの好きだから」
「…歌が…好き?」
「うん。」
なんとなく、梶本くんの表情が少し曇ったように見える。
「梶本くんは歌、嫌い?」
「いえ、嫌いという訳ではないです。ですが、音階をつなげる以上の意味が、分からなくて」
「そっか、鐘つき男にとってはあくまで伝達手段でしかないかー」
そういえば梶本くん、鐘つき男のわりに今まで一度も鐘を鳴らしたりしていない。
大小二つのハンマーでケースを叩く。その高低差の組み合わせで、何時何分かを教えてくれるミニッツ・リピーター。時計の素材によって、その音は全く違っていて、けれど、とても耳障りが良い。
私、ミニッツ・リピーターの鐘の音、好きなんだけどな。
「…ねえ、梶本くんの鐘は、どんな音?」
オアシスで分解掃除したときに分かったことだけれど、
梶本くんの内部にもハンマーがあって、音を鳴らせる仕組みになっていた。それも二つどころか、3オクターブくらい連なっていて、まるで脊椎のように作られている。
あれほどの数なら、2音と言わず伴奏ができるだろう。
低い音…一番長い音が真ん中やや上の方にきているので、さながらあばら骨のように組まれていた。どれだけ器用に設計したんだ、梶本くんの職人さん。
「どんな…?」
音に違いなんてない、とでも言いたげだった。
「聴いてみたい。鳴らしてみて」
「…それは、できません」
「どうして?」
「俺の鐘は…波長を『狂わせる』んです。酒に酔うように、かき乱すんです。おみにとって、周囲にとって、不快でしかない。」
そうか、だから今まで鳴らさなかったのか。
「…狂うって、どういうこと?」
「人にも信号が出ていることは前に話しましたね。…人にはそれぞれ、固有の信号があります。それに合わせて、音階を変えて鳴らします。人は夢の中から紛れ込んだ精神体ですから、精神に直接『ここは違う、自分の居るべきところではない。…ここには居たくない。今すぐ戻らなければ』と響かせるんです。その結果、人は交錯点から遠ざかり、元の夢に帰ることができるんです。夢は見る人にとって最も心地の良い場所ですから、交錯点さえ抜け出せば自分が安心できる場所へ、無意識に辿り着けるんです」
「へえ…元に帰すって、そういう事だったんだ」
つまり、不快な音…無意識に自分が嫌いな曲を鳴らして追い払うってことだ。…熊か何かか。
「おみの場合、肉体と一緒に交錯点にきていますから、それをした場合、精神だけがどこかへ行ってしまう。…肉体がここにある以上、元の世界には戻れず、肉体にも戻れなくなります」
それはつまり、死ぬということ。
…だから、梶本くんは、私を帰すことができないんだ。梶本くんのやり方は、力づくで追い払う方法だから。そう考えると、ちょっと、いや、かなり怖い機能かもしれない。
「…ん、ちょっと待って。ってことは、私が嫌いな曲じゃなければ、大丈夫ってこと?」
起き上がる。梶本くんは、ん?と首をかしげる。
「相手が不快じゃない音階だったときは、どうなるの?だって、たった1音で嫌いになるなんてこと、ないよね。どの音だって、組み合わさるから好き嫌いが生まれるわけでしょ」
「…確かに…」
そもそも、その発想がなかった、という表情だった。
「でしょう?ねえ、自分の意思でそれぞれハンマー鳴らせるの?嫌いな音って、どうやってわかるの?」
「いえ、まず相手の信号から楽譜を算出して、記憶媒体に入れます。相手の信号と噛み合わない、"ずれた"音を信号通りに書き加えていくだけですから、すぐ済みます。後は自動で記憶媒体通りにハンマーを打ち鳴らすので、引き金を引けば楽譜通りになる設計です。」
要するに、オルゴールだ。シリンダーを変えれば、違う曲が鳴るようになっている。なので、先に楽譜ができていなければ鳴らせないということらしい。
「じゃあ、信号は?楽譜は自分で作れる?」
「はい。一音ずつ記録していくので、時間はかかりますが」
これはあれだ、DTM…音楽制作ソフトみたいなものだ。打ち込み式。
「よし、じゃあ演奏しよう!私が歌うから、それの通りに打ち込んで!」
「…良いんですか?もし、不快にさせたら…」
ずっと相手に嫌な思いをさせ続けてきただけに、梶本くんは抵抗がぬぐえないみたいだ。
もし自分のせいで私に何かあればと、思考のトライアンドエラーを延々と繰り返しているんだろう。
「私が歌うんだよ?自分が嫌いだと思う歌、歌うわけないじゃん!」
その言葉で梶本くんはしぶしぶ折れた。
ずっと思ってたけど、梶本くんは結構押しに弱いな。
とりあえず、記念すべき最初の一曲(成功すれば道中、色んな曲を鳴らしながら歩いてもらう算段だ)簡単なものにした。
星が生まれるこの交錯点に、最もふさわしいあの曲しかないだろう。
一音ずつ、覚えてもらう。
ド、ド、ミ、ド、ファ、ド、ミ、ド。
レ、シ、ド、ラ、ファ、ソ、ド。
繰り返し。
…。
…自分でも音階があってるかどうか不安だけれど、これ、考えようによってはすごく、音階練習になる。
自分も思い出しながらなので、少し時間がかかったけれど、何とか楽譜を完成させる。
「…よし。オッケー!弾いてみて!」
「…」
最後まであまり気が進まなそうな梶本くんだったが、ローブから切っ先がフックのように丸く沿った小さなナイフを取り出す。
ん?ナイフ?と思った瞬間、梶本くんがいきなり、首の真横からそれを突き刺した。
「ぎゃあああ!!痛い!!!!」
思わず叫ぶ。
突き刺したそれを、首の真ん前、あごの下までレバーのように引く。
まるで切腹ならぬ、斬り首。見てて非常に痛々しい。
あごの下まで引っ張ったところ。
ガキン、と、金属同士が組み合わさった音がして、じりじりと動き出す。
…そうか、操作の動力源、それなんだ…。
…思い返せば、首の真ん中に地面の水平に長い穴があったけども。
心臓に悪い。設計者、悪趣味。
そう思っていると、梶本くんの体から、先ほど打ち出した音が流れ出した。
内側からハンマーに叩かれて。
その音はとても、硬く、澄みきっていた。
体内の空洞に響きながら、間違いなく"鐘"に相応しい金属を弾く音。
その美しさに思わず聞き惚れてしまうくらい、
まっすぐで、清らかで、力強くて、心地良い。
「…如何ですか?気分は…悪いところは?」
まるでメンテナンスしたときの私のようなセリフが耳に届いたところで、ようやく我に返る。
「えっ?あっ…うん、大丈夫…」
呆然としている私が不安なのだろう。梶本くんはじっとこちらを心配そうに見つめている。
「とっても。…とっても、きれい」
言葉が浮かばない。
「すごく、きれいな音…。ごめん、どう言っていいかわかんない。わかんないけど、すごくきれい。とにかくきれい。私が今まで聞いた中で、一番きれいな音!」
「…そうですか?」
「うん、そうだよ!こんなにきれいな音が出せるんだね、梶本くん!すごいよ!」
「…」
「びっくりした。本当にびっくり。もう一回やって!お願い!」
「…はい」
引き金を引くところは正直「うっ、」と思うけれど、目を反らさない。
反らしてしまうと、梶本くんに失礼な気がして。
今度は純粋な気持ちで聞くことができた。
だから。
「たかいたかいそらのうえ ダイヤみたいにひかってる」
梶本くんの伴奏に合わせて、一音一音、大切に合わせて歌う。
「…!」
「…ね?ほら、全然大丈夫。歌になったでしょ?」
梶本くんが驚いた顔でこちらを見ていたけれど、気にしない。
二人で初めて合わせた、星の歌は、とても心地よく空に響いた。
----ね?ほら、全然大丈夫。ちゃんと、歌になったでしょう?
カジモドの中で、一瞬、遠い昔に聞いた声が、反芻する。
目の前にいる少女が、埋もれていた記憶と一瞬だけ重なる。
「…梶本くん?」
「え?あ、…大丈夫です。」
突然動かなくなったので故障かと思ったら、ただのフリーズだったようだ。
「…なんだか、とても懐かしくなってしまって」
「懐かしい?昔も同じようなこと、していたの?」
「あんまり遠い過去の話だったので、今の今まで忘れていました」
「機械も忘れるんだね」
「古い記憶を掘り起こすのには、時間がかかりますから」
機械あるある。
「…楽しく、なかった?」
「いえ。…ですが、…表現としてはおかしいのですが、嬉しくなりました」
「嬉しく?」
「…俺の音を聞く人は、皆苦しそうに逃げていきますから。だから、こうして…笑って、一緒に歌ってくれることなんて…」
それを聞いて、自然と顔がほころぶ。
「どこまでも損な役回りだったんだね。梶本くんは」
「それが俺の、役目ですから」
「なら、せめて私が一緒の時は楽しいものにしようよ。ね?」
「俺はおみと一緒にいると、楽しいですよ」
「私もだよ、梶本くん。…さて、寝よっかな。最後にもう一回、弾いてくれない?子守歌にしたいから」
「ええ。では、おみが眠るまで…何度でも」
本筋ではない伴奏の旋律。それが安心を与えてくれる。
支えてくれている。
目をつぶりながら、心地の良い優しい旋律に包まれる。
ほっとしたような、安心しきった顔を見つめながら、
私が眠りにつくまで、カジモドは繰り返し鐘を鳴らしてくれた。
「…あの音は…カジモド?」
二人から少し離れたところで。
細身の管理人形が、遠くから響く鐘の音を聴いていた。