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33.わかったから早く歩け


鐘の音がした。


とても小気味よい、金属が金属をはじく乾いていて澄んだ音。


「これがリピーターという機構だ。時間になったら、こうして二つの鐘が音で知らせてくれる。しかもこれは分まで教えてくれるんだぞ」


そう教えてくれたのは、祖父だった。


まだでき上がっていない懐中時計の中身を見せてくれる。

小難しくて、自分には理解できなかった。


「これはな、機構は勿論、調整もものすごく難しいんだ。だから、これを作れるじいちゃんは凄いんだぞ」


祖父が凄いことは知っていた。

街中のありふれた個人時計店にも関わらず、沢山の常連客が祖父に修理を頼みに来る。

たまに、祖父の噂を聞いて遠方から時計の修理をお願いしにくるお客さんもいた。


頑固職人のようにお客さんを選ぶ、なんてことはしない。

少し難しい機械時計だと、目に見えて喜んで修理に没頭する。

部品がないと、知り合いの部品工場の伝手だったり、なんとスイス人の友人…という人にまで頼んでいる。


その姿を見るのは今でも好きだ。


「最近はクォーツ時計が主流だし、日本じゃ電波時計やスマホに押されて、もはやこんな時計は時代遅れだ。時計なんて、ただの道楽としか見られなくなりつつある」


いつもそうぼやいている。

ネジと歯車、油で動く、『時間が狂う』時計は、もはや必要とされていない。


「じゃあなんで作るの?」

そういうと、祖父はにっかりと笑う。

「必要だからだよ」

「…売れなくても?」

「そりゃあ今の最大収入は電池交換だけども」

祖父はそのまま、リピーターの機構を眺める。


「機械式時計の良い所はな、電池がいらないところだ」

「…?」

「自分で回して、動かせる。電池切れが起きない。ずっと回っていられる」

「でも、針は遅れるし、自分で撒くのは面倒だよ?油だって漏れるし、整備大変だし…すぐ壊れそうだし」

「物っていうのは、よっぽどの粗悪品でなければそう簡単には壊れん。すぐ壊れるっていうやつは、扱いを間違えているだけだ。大事に、正しく使っていれば、そうそうは壊れない。なんだってそうだろう?」

「そうだけど…」

そんなもの、時計に限らない。

「大事にする、というひと手間で物には愛着がわいてくる。そうするとだな、そのひと手間すら楽しくなる。楽しくなれば、さらに愛着がわく。すると、どんどん大事に思えてくる」

「…そうかなあ?」


そんなの、詭弁だ。

いくら愛着があっても、飽きればそんなもの簡単に忘れてしまえる。

最初から興味がなければ、そんなもの、箱にしまってそのままポイだ。


「大事なのは、気付くこと。機械式時計の良い所は、そういうところだと俺は思う」


それに、と、祖父は付け加える。


「歯車が複雑に動かすのは、ロマンだ。格好いいだろう?」


幼いころそう笑っていた祖父の言い分は、よく解らなかった。

わざわざ不便をありがたがるレトロマニアの言い分だと思っていた。


大切にすれば、…ほんの少し気が付けば。

歯車はいつも、支えあっている。

歯車が増えれば増えるほど、複雑に絡み合って。

色んなものが連鎖して動いていく。

人は社会の歯車。

ただの部品の一つにすぎないと、社会の授業で先生は言った。

けれど、歯車の大きさは違う。だから、同調することが大事だと。

チームワークが大事だと。

だけど歯車は、

他の歯車を動かして、周囲を動かして、全体を動かす。

たった一つの歯車が、社会を支えながら動かしている。

自分という歯車は、誰かの、そしてそれに連なる誰かを動かす起点になる。


そういった話だった気がする。


そんな高尚な話を、高校のうちにただ講義として述べても実感はわかない。

「そういうものだ」という理解だけはできる。


その話には賛同はするし、特に否定的な言葉も、否定する意思もない。

正直、どうでもいい。


ただなんとなく。

交錯点に来て、

梶本くんと一緒に歩いて。

本当に、どうということはなくて、

特に意味もないんだけれど、

あの社会の先生の言葉が頭の中によぎった。



あの澄んだ鐘の音が、自分を、そして周りを、いつだって動かしていることを、

梶本くんは気付いているだろうか。




「あのでくのぼうが、気付いているわけがないだろう」


突然、しわがれた声が頭の中に割り込んできた。

急に、視界が晴れる。


何もない空間に、見覚えのある灰色ローブが現れた。


「…あ、ええと、…5164、さん?」


インジケーターの管理人形、5164。

痛みはしないが、あの時強打された腹に手が向いた。


「あの時は強引なやり方ですまなかった。悪気はない。」

灰色ローブが、頭を下げた。

「…反省はしていないんですね」

「言われるがままに動くのが管理人形だ」

自分のしたことに対し、少なくとも罪悪感のようなものはないらしい。

「はあ…。まあ、もういいですけど」

5164を責めても、どうしようもない。

「…」

じっと、黒いフードの中身がこっちを見ているような気がする。

「…なんです?」

「詫び代わりではないが、おれはお前を助けにきた。…いや、起こしに来た。」

「は?」

この管理人形はいつも唐突だ。

…いや、どの管理人形もだいたい唐突か。

「リピーターがお前を助けるために、管理人形(おれたち)を動かしたからな」

「梶本くんが?!」


ああ、やっぱり。

梶本くんは、助けにきてくれたんだ。

途端に嬉しくなる。


「それで、梶本くんは?」

「その内会えるだろう。…ついて来い」


一瞬、迷う。


この管理人形を信用していいのだろうか。

あの星の夢の手先で、自分をくずかごに落とした管理人形。


助けに来たと言っていたが、もし、罠だったら。


「ぐずぐずしないで来い。計算がずれる。」

「あ、あの…本当に、梶本くんに会えるの…?」

「お前が歩かなければ会えない」

「…それ、どういう…」


私が歩かなければ?

つまり、梶本くんは、動けない状態にあるというのだろうか?


「…おれはお前に思うところはない。また腹を強打して引きずっても構わない」

「やり方!私、あなたたちみたいに丈夫じゃないんだけど!」

「ならば歩け。お前がおれの傍にいれば、管理者全員がおまえを確認できる。私は表示するもの(インジケーター)だ。…待ち合わせならば、媒体が何であれ掲示板に書くだろう?」

「…なるほど。…あれ?」


ふと、気付いてしまった。


「あなた、どうして体をかばうように歩くの?」

「部品が壊れているからだ。お前には関係のないことだ」

「…」

気になってしまうと、とまらない。

「関係なくないでしょ。貴方は私を助けにきたんでしょ?…貴方が止まっちゃったら、私が助からないじゃない」

「…」

そう答えると、5164が止まった。

多少なりとも彼の琴線に触れたのだろう。琴線というより、ひげぜんまい。


「ここは交錯点ではない。お前の夢の中の、さらにその奥の奥。外部から入ってきたおれの部品が、お前の夢の中にあるわけがないだろう」

「ほーほー、なるほど、なるほど。ここって、私の夢の中なのね。」


ずっとここはどこだろう、と、考えていないわけではなかったが。

なんとなく、そんな気はしていた。

何故なら、思い出すのは私の事ばかりだから。


「なら、私が貴方を修理する」

「なんだと?」

怪訝そうな声だった。

「何せ私は梶本くんも分解修理(オーバーホール)したんだから。いけるいける」

「分解修理…お前が?」

「これでも私、時計屋の娘で、3代目後継ぎなのよ。」


まだ決まってないけど。

でもあの物凄いおじいちゃんの、愛弟子なのだ。


「…だが、おれは時計とは勝手が…」

「インジケーターなんでしょ。大丈夫、パワーリザーブなら主流のタイプなら組み立てたことあるし。リピーターに比べれば全然平気平気。」

そう言って、フードを引っ張る。

「な、やめろ、おい、人間!触るな!」

「人間ですけど私には名前がちゃんとありますー。橘生三っていいますー。さあ腹を開いて見せて!ついでにそのフードの中身も見せて!多少わからなくてもなんとかするから!」

こうなったら、自分でも止まらない。

「不確定事項をさも確定的であるように言うな!やめろ、そんな確証のない言動で預けられるわけないだろう!」

「なにその無駄に回りくどい言い方。無駄なんだけど。貴方のわからないところは貴方が教えてよ。梶本くんだってそうして直したんだから」

「何故、そうまでしておれを直そうとする!歩くだけなら問題ない!」

叫ぶ灰色フードをめくり上げる。

まるで、わざと部品を外してばらばらにしたかのような、あちこち足らない体。

「わお。これはひどい」

パチン、と、指を鳴らす。

どうでもいいけど、私は指を鳴らせる。合唱部で、スキャットやアカペラの為にものすごく練習した。

私の夢の中なのだ、物事は私の想像通りに進んでもらわないと困る。

…流石に、外部からのお客様の動向までは対象外だけど。

「…!」

だから、当然。

「な、何故だ…!?」

修理するための工具と、部品が出てきて当然なのだ。


「…何度も言うが、ここはお前の夢の中だ。夢から醒めれば、この部品も一緒に消えるぞ」

「そんなのわかんないよ?だって、交錯点だっていろんな夢が交錯してできた場所なんでしょ?私の夢と地続きになってもおかしくないじゃん。ましてや私、交錯点っていう夢の中で見てる夢の中の夢なわけだし。あれ?夢の中の、夢の中の、夢の中の、夢…?あれ…?まあいいや。おんなじおんなじ」

「…」

そんな馬鹿な、という表情が…真っ暗なフードの中から伝わる。

そんな感じがする。

どうにも初対面の時と違って、何も変わらないフードの中身が、まるで見て取れるかのようにわかりやすくなっている気がする。

私の夢だからだろうか。

「さあ、あきらめてこの生三ちゃんに任せなさい。人間、腹の内を見せれば友達よ」

「腹の内を見せるのはおれだけだが…」

物理的に。

「貴方だってさっきから私の夢の中に無断侵入してるじゃん。人間はお腹掻っ捌いたら死ぬんだから同等でしょ」

精神的に。

「…ふ、はは…」


5164から、気の抜けた声がする。


「なるほど、…リピーターはこうやって、無理やり鐘を打たされたのか…」

「失礼だなー。貴方は知らないでしょうけど、梶本くんは優しいんだよ」

「…それは…。知っている」


抵抗が無駄だと悟ったらしい5164は、素直に部品を交換させた。

梶本くんとちがって神経質で、いちいち小言がうるさい管理人形だ。

でも、話をすれば、きちんと譲歩してくれる。

きちんと、聞いてくれる。


そういう律儀なところ、嫌いじゃない。

この管理人形とも、仲よくできそうだという期待が、

分解修理のやりとりで確信に変わった。


この管理人形は、信じて大丈夫。




…ただ、意地でもフードの下は見せてくれなかった。

交錯点に戻ったら、絶対に梶本くんと協力してそのフードをはがしてやる。


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