30.繋いだ手、繋がれた手
「まだ足りない」
あれからどれだけカジモドは、周囲のくずを細切れにしただろう。
あれからどれだけセレンは、生三に塊を継ぎ足していっただろう。
「まだ足りない」
そのセレンの一言が、暗がりに吸い込まれて消えていく。
その間も、カジモドは油をぼたぼたと垂れ流し続け、ワイヤーの擦る音が辺りに響く。
ウォルフラムはかろうじて意識はあったが、何やら聞こえない程度の声で何かを呟き続けている。
ベリリウムは空虚を見つめるだけで、棒立ちになったまま動かない。
セレンの言うとおり、本当に橘生三は蘇るのだとしても、
恐らくカジモドはもう持たない。
垂れ流した油の量は、決して、少なくはないのだ。
多少補強してあったとはいえ、予備動作用のワイヤーが切れれば、体内作動用のワイヤーに影響が出てくる。
片腕はともかく、片足はベリリウムが何処かへ持って行ったのか、捨てたのか。
余計に油を流す原因でもあり、残った体に負荷が掛かっているだろう。
セレンにしたって、動かせるのは首から上と、カジモドに借りた左腕のみ。
それ以外はやはり、ぼろぼろになっていて動かせない。
懸命に、積まれた塊を拾い上げて継ぎ足していくだけだが、そもそもセレンの体に合わない左腕を付け足して、無理やり動かそうとしているのだから、こちらの負荷も大きい。
痛ましい。
胸像のような姿で、手も足も出ない5164が言えた義理でもないが、
2体がずっと繰り返している。
口をはさむ事しかできなければ、彼らを止めるに足る理由もない。
外がどうなっていようか伺う事も出来ない以上、
ただ何もせずにいるよりはいいのだろうが。
2体のしていることは、彼らの動作停止するまでの時間を早めているに過ぎない。
それまでに、人間である橘生三を、前例のないやり方で直そうというのだから、無理がある。
そもそも橘生三が蘇生できたとして、その他の管理人形は満身創痍。
唯一五体満足に動ける人形…ベリリウムは不羈の星の夢…橘生三を破棄した側の人形。
今のところ、2体を止めるつもりはないようだが、どう動くかはわからない。
それに、外に出たとしても、恐らく交錯点は壊されている最中なのだろう。
不朽は不羈の星の夢に絡め取られているまま。
途中までいた創造主もどこかに消えた。
そもそもあの時現れた創造主は、あのぶよぶよとしたくずの塊では、何もできよう筈もない。
このまま助かる道理もない。
強いて助かる要素があるとすれば、外に残された管理人形1体。
レトログラード。カジモドの話では、確かガリウムという名前が与えられたとか。
だがあの不可思議で不完全な人形はそもそも不可侵であり、動かない。
あれは交錯点が崩れようとしても、動かないだろう。
あれがなんなのかすら、未だによく解っていない。
万事休す。
そう思っていた時だった。
不意に、鐘の音が鳴る。
「!」
カジモドの開いている胸の内に見える歯車がギギギ、と回転しだし、ぼたぼたと余計に油が零れ落ちた。
「あ、…間違えた…いや、あれ?…動かない…」
腕を上げるつもりが、違う歯車を回してしまったのか。
代わりに、ハンマーが動いた。
幸い、その鐘の音はいつもの不快な音ではなかった。
「ごめん、セレン。もう腕が動かない」
斧を見つめて動かないまま、カジモドが声だけセレンに向ける。
「ん…」
それでもまだ山積みになっている塊を、セレンは懸命に継ぎ足す。
「動かない。…動かない…なんで…」
動かそうとして、歯車が回る。
何かの拍子で、歯車が切り替わってしまったのだろう。
不思議な音階を重ねる鐘の音が、腹の内から響いている。
何度も、何度も、ハンマーが動く。
あれだけ不快で、気持ちの悪い鐘の音が。
今はそれほど不快ではない。
寧ろ、心地よさすら感じる。
「ん…その音、なに?」
セレンが気持ちよさそうに目を細める。
「これは…生三が教えてくれた、星の歌…」
カジモドが呟く。
「ほしの、うた…?」
「星の歌とは、また気の利いたことだな」
星になりたいと願うくずたちにとって。
星を讃える歌が、不快になりようがないのだろう。
「ほし、の、うた…」
ギギギ、と、隣で微かに動く音がした。
「ウォルフラム?」
「ほし、の、ゆめ…ほし、の、うた…」
半壊しているウォルフラムが、促すように…もっと聴きたい、と言っているかのようだった。
「…リピーター。もう一度鳴らせるか?」
カジモドは頷く動作もできない程かたまっているが、
「寧ろ、もう鳴らす位しか動かせない。あと何回鳴らせるかはわからないけど」
そう笑うような声が返ってくる。
「ん、鳴らして」
セレンも、腕を懸命に動かしながら要請する。
ベリリウムも棒立ちのままだが、その顔はカジモドに向けられていた。
「はは…」
カジモドが、零れるような笑い声を出した。
「皆に…望まれる時がくるなんて」
そう独り言のように呟いて、また歯車を回しだした。
「こんな時なのに…やっぱり生三は、俺の願いを叶えてくれる、一等星だ…」
その星の歌は嬉しそうな、泣きそうな、そんな音色をしていた。
その音が終わると、カジモドから流れる油が一滴、ぽつりと落ち。
そのまま、歯車が停止した。
「カジモド…」
セレンの腕だけが、この空間で唯一動いていた。
「足りない、足りない、どうしよう」
悲しそうに呟く。
「…ただのくずの塊で到底足りないというのか。」
考えるのが遅すぎたが、星の夢は、願望の塊。
ただ集まっている程度のくずの塊では、効果がないのだろか。
「ベリリウム、動けるか?」
「なーに?」
抑揚のない、明るい声がきりきりと5164に向かった。
「おれを崩して、丸めて、セレンに渡してくれ。セレン、おれを橘生三に継ぎ足せ」
「5164!」
セレンが叫ぶ。
「おれもどうせじきに止まる。よくわからん謎の集合体のくずよりはましだろう」
5164の中で、不思議と、何かの歯車がかちりとはまった気がした。
「…リピーターが、初めておれたちに気の利いた演奏をした。これはその対価というやつだ。…わからん、この奇妙な思考は、全く計算にならない。…だが、悪くない」
そう言った後、ベリリウムに抱かれて解体されていく。
セレンは無言で5164の残骸を、生三の体に継ぎ足した。
「…もっと、…う…た…」
ウォルフラムも、ぐらぐらと体を揺らして近づいていく。
それを見咎めたベリリウムが拾い上げる。
「ウォルフラムはどうしたい?」
「う…た、ほ…の、ゆめ…」
ベリリウムに抱かれながら、ぐらぐらと揺れる。
「ウォルフラムも、…一緒に行く?」
セレンがゆっくりと、手を伸ばす。
ウォルフラムはその声に、手に、応える様に自らぐしゃり、とセレンの目下に落ちた。
それを拾って、生三の体に継ぎ足す。
「一緒?」
不思議そうにベリリウムは首をかしげた。
「ん。…ウォルフラム、止まるから…5164と一緒に」
「セレンはどうするの?」
セレンは継ぎ足しながら、目を細める。
「セレンは、さいご。継ぎ足せるのは、セレンだけだから。できるとこまで。」
「どうして?」
ベリリウムは目をぐるぐると回す。
「どうして、みんなその人間を助けるの?」
「どうして?カジモドが星の歌を鳴らしたから?どうして?」
「どうして、皆関係ない…」
どうして、どうして、を繰り返す。
「ん…。おみは…星、だから?」
セレンは続ける。
「星?」
「おみ、星になった、くちなしが、人間になった。カジモドの願いを、叶えた。願いを抱くのは、星の夢。叶えるのは、星そのもの。おみは、カジモドの星、だって」
「生三が、星…?」
「星は、みんなの、夢。カジモドが星を助けたいなら、…セレンも、助けたい。」
「助けたい…?」
セレンの動きは緩慢になりつつも、止まらない。
「ん。だってカジモド、いちばん楽しそうだったから」
「楽しそう…?」
「ん。外で交錯点が壊れたら…セレンたちも、動けない。でも、もうすぐ止まる前に、星を…おみを助けられるかもしれない。それは、とても素敵。セレンは、最後がそれなら、とても嬉しい。」
「嬉しい…?」
「ベリリウムは、交錯点が壊れたら、どうするの…?」
「どうする…?」
首をかしげる。
「みんなが橘生三の為に自分の体を継ぎ足していっても、結局最後には橘生三は消えるだけ。」
「橘生三が戻ったとして、交錯点が壊れてしまえば…、肉体ごと消えるか、夢の中で彷徨うか、二つに一つ。そのどちらかでしかないのに。」
「カジモドは私の中で、皆に、自分の一部を補填してきた。それだって、自分が止まるまでの時間を減らしただけで、結局皆もすぐに止まった。ただ、減らしただけ。無駄な事だった。」
「何も残らない。」
「何も残らない。」
「星の夢は天に昇る。」
「あたしたちは、」
「あたしたちは役目を終えて止まるだけ。どうするも何も、ない…」
「ん、違う。ベリリウム」
セレンが少しだけ、はっきりと告げる。
「…違う?」
「ん。ベリリウムも、生三に、託せばいい。」
「託す?」
「ん。生三がカジモドの願いをかなえたように。5164も、ウォルフラムも、セレンも、みんな、生三に託すの。」
「そんなの、ありえない」
「どうして?」
「橘生三は、カジモドがお気に入りだったから、願いをかなえたのでしょう?橘生三を助けたから、その見返りに。」
「ん。じゃあ、生三を助けたら、きっと見返りをくれるかも」
「生三にはそれをする必要がない」
「ん…でもセレンは、見返りはいらない」
「どうして?」
「ん…セレンは生三、好きだから」
「わからない…」
「わからない、わからない」
ぎ、ぎ、ぎ、と。
ベリリウムが目をぐるぐるさせながら、首をぎりぎりと回す。
「ん。…大丈夫」
セレンがそっと、その腕でベリリウムの袖を掴む。
「!」
「わかるまで、一緒に、いるから。だから、みんなと一緒にいこ。」
「…あたしも?」
「ん」
「いっていいの?」
「ん」
セレンの強い肯定の「ん」に驚く。
気が付くと。
ベリリウムは、セレンのその腕を繋ぎ直していた。




