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28.梶本くん、進む


真っ暗闇。

交錯点では有り得ない、真っ暗闇。


カジモドは辺りを見回す。


「…ここは?…不朽?…不羈?」


呼んでも、誰もいない。

足元はふわふわしている。

浮かんでいるというよりは、何か柔らかいクッションの上にいるような…そんなおぼつかなさ。


「一体何がどうなって…?」


ふと、ちらちらと光が遠くの方で瞬いている。


暗闇の中の光。真っ白ではなく、ぼんやりと赤い。

誘蛾灯に群がる蛾の様に、カジモドはその光を目指した。

それがどんなものでも、何をしていいかわからない自分にとっての道になる。


光が近づいてくると、漸くその正体が見えた。


「…タングステン…!」


真っ暗闇に埋もれたようなトゥールビヨンの管理人形、ウォルフラムの顔と体が半分だけ見える。

壊れていた。

割れた体から油が漏れ出し、ちらちらと燃えて無機質な顔を照らしている。


そこでカジモドは漸く、自分が何処にいるのかを悟った。

光に包まれて油断した瞬間、後ろからデリリウムに飲み込まれたのだろう。

しかし、今はそれを気にしている場合ではない。


「タングステン、しっかりしろ!」


駆け寄って、確かめる。

意識があるようには見えない。その目は何も映していなかった。

ただ、ぼそぼそと、その口から声が漏れている。

「…の、…め、…に…」

「何だって?」


全ては、星の夢のために。


ウォルフラムはその言葉を、ずっと繰り返していた。


「せめて、油漏れだけでも抑えれば…。そうだ、部品。部品があれば…」

しかし、今まで持っていた部品のどれも合わない。

「…」

カジモドは静かに、ウォルフラムを見つめる。

空虚を見つめながらひたすら星の夢を想い続ける哀れな人形は、カジモドの姿を映さない。


「すまない、タングステン。お前は嫌がるだろうけど、…生三が戻ったら、上手く直してくれるから」


そう言って、カジモドは自分の胸に手を入れた。








ぽたぽたと、歩くたびに油がこぼれていく。

まだ気にならない。


今度は当て所なく歩いていく。

何となく、という機械にあるまじき思考だが、これには理由があった。

うっすらとだが、覚えのある信号が目指す先に見える気がするのだ。

違うかもしれない。

けれど、その信号を手掛かりに進んでいく。


突然、足元が何か固いものに引っ掛かり、その場にべしゃり、と倒れこんだ。


「…?」


触れてみると、長い金属片だった。

いや、違う。

これは、杖だ。


「おおい。…そいつを取ってくれ」


耳馴染みのある声。…5164の声だった。

「5164!無事だったのか!」

「その声はやはりお前か、リピーター」

声が返ってくる。

「良かった…、…どこにいる?」

辺りを見回すが、どこにもいない。

「上だ、上」

はっとして見上げると、

下半身が肉に飲み込まれているのか逆さになってだらりと垂れさがっている5164の姿があった。

フードがはがれ、しわくちゃの皮からぼたぼたと油が垂れ落ちている。

「大丈夫か?」

どうにか引っ張り下げると、思いのほか軽かった。

5164の体はもはや機能していないのだろう。途中でちぎれたように、ばらばらと部品と共に崩れ落ちてきた。胸像のような姿で、肩をすくめる動作をした。

「おれの同位体も沢山飲まれている。そこらじゅうにあるから、組み立てれば歩けるだろうと思ったが…」

しかし、見つかった部品はどれも損傷が激しい。

観念したように、カジモドの方へ目を向ける。

「…その胸部はどうした?やられたのか?」

カジモドの胸部を見て、首をかしげる。

「いや、これは…タングステンに。油漏れがひどかったんだ」

「会ったのか。他には?」

5164は冷静に頷く。

「いや、5164で二人目だ」

「そうか…。不朽には会ったか?」

「いや。…不羈の髪に絡まっていて、動けないらしい」

「あの道化が、本当に馬鹿な真似を。…レトログラードはどうした?創造主はどうした?」


そういえば、とカジモドも首をかしげた。

「レトログラード…ガリウムは…会ったけど、動かなかった。創造主は…そういえば、5164と一緒だったんじゃなかったのか?」

「気が付いたら居なかった。…お前の方に行ったのだと思っていたが、こうなると、まだ外におられるだろうな」

以前のようなきちんと人型の、機械人形としての創造主であればまだよかったが、あのぶよぶよの小さなくずではどうにもできないだろう。

「創造主はなんであんな姿に…?」

「創造主の考えは我々の処理速度では追いつけない。想像のしようもない」


昔から創造主は我々を顧みる事はなかったし、我々の言葉に耳を傾けたことはなかった。

と、現存する最古の管理人形が呟く。


「ともかく、おれは動けない。腕もないから直すこともできん。不甲斐ないが、表へ出ても同じだろう。テンプもうまく動きづらい。いずれ止まる」

外にはぶよぶよで役に立たない創造主と、交錯点を壊そうとしている不羈の星の夢。

どのみち助からない、と5164は嘆息する。

「…何をしている?」

ふと、空いた胸部から、何かをひっぱりだしているカジモドを見咎めた。

「補強すれば、なんとか持つだろ?」

予備動作用のひげゼンマイを抜き取って、5164の心臓部に巻きつける。

「無駄な事はやめろ。体がない以上、おれにはもうどうすることもできない」

「生三やセレン達を捜してくる。それまでに、ここから出る手段を考えてくれ」

無言で補強し、油をさしていく。

外部から守るために、外殻で囲い、守る。

「徒労に終わるだけだ」

「…やってみなければわからない」

「そんな前向きなことを言う奴だったか?お前は」

「自分でも逡巡したけど、生三ならこうするだろうなと思ったら、体が動いた」

「…あの人間が?」

不朽『だった』人間の少女。5164は思考の裏に少女の顔を思い描いた。

「正体が永久カレンダーだったのだから、確かに管理人形の修理はできるだろう。だが、わざわざそれをする義理も必要も、あの人間にはない」

「生三は不朽でも、白金でもない。ただの時計職人の…人間の女の子だ。ちょっと変わってるけど」

でも、と続ける。

「生三は時計が大好きだから、壊れた時計をそのままにはしていられない。そういう子なんだよ。明るくて、前向きで、素直で、くるくる表情が変わって、…たまにテンションがおかしいけど、どこまでも優しい。不朽のような完璧さはないけど、傍にいると楽しい子なんだ」

「…あの人間の中にいる不朽に惹かれたわけではない、と」

カジモドは首を横に振る。

「生三は生三だ」

「お前はそれでいいんだな」

「うん…不朽が何を考えていて、どうしたいのかはわからない。けれど、俺が不朽に対してできることなんてない。不朽が俺を壊したいと思うなら、それは当然だから受け入れる。…それとは別に、俺は生三を助けたい」

「とっくに手遅れで、ぐずぐずに溶けている頃だろうと思うが」

「解ってる。でも、確かめにいかないと」

「なら、もう止めはしない。どの道、この巨大くずを止めるには橘生三か、ベリリウムのどちらかにアクションを仕掛ける他ないだろう。…後はセレンが無事な事を祈る位だ」

「生三やセレンを助けて、ベリリウムを止める。不朽の星の夢を助け出して、不羈の星の夢を止める。…やることが山積みだな」

「なに、ルーティンだろう。時計の針の様に同じことを繰り返すだけだ」

「それもそうだ。…それまで無事でいてくれよ、5164」

「この状態がすでに無事とはいえないだろうが。そう思うなら、油が尽きる前に手早く頼む」

「努力するよ」


ふらふらと歩きだしたカジモドを見送る。

あの不器用な弟人形は、人間の近くにいて、誰よりも人間らしく成長したような気がする。

あの人間の手が加わって、進化したのかもしれない。

成長はせずとも、進化はする。

良い方向へ働いたのだろう。


さて、と5164は思考の旅に出かけることにした。


計算の類はクロノグラフの役目であり、

インジケーターはただあるがままの事実を表示することだけなのだが。

役割以外の事をしてみるというのも、今のこのときに限っては悪い気がしない。

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