27.梶本くん、叫ぶ
「デリリウム…?」
ベリリウムの、もう一つのあだ名。
錯乱。
確かに、錯乱しているのだろう。
片手にウォルフラムの剣を持ち、片手に5164の杖を持ち。
背中にセレンの折り畳み弓、懐にベリリウムの投げナイフ。
「あ、…あ、嘘だ…」
ベリリウムと思わしき奇妙な動きをした後は、
突然電池が切れたようにぼんやりと宙を見つめる。…それは、セレンの仕草だ。
「黙れ、お前の所為だぞ、役立たず!こんなことになったのも全部、貴様の所為だ!」
橘生三の姿で、ウォルフラムの様に罵倒される。
「なんで…?一体、どういう事だ…?」
「ん…」
再び、目をとろんとさせて、小さく頷く。
やがて眼を開くと、叫んだ。
「鳴らせ、カジモド。手遅れになる前に、鳴らせ!」
それは、5164の声だ。
そこで漸く理解した。
この巨大くずは、交錯点の管理人形を…自分とレトログラード以外の全員を、飲み込んでしまったのだ。
「生三…、生三は…?」
肝心の生三は、見た目以外に反映されているところがない。
「あーははは!」
突然、狂ったように笑い出した。
「カジモド、カジモド、役立たず!あーははは!もうおしまい、全部おわり!交錯点も、何もかも!」
管理人形を飲み込んだ巨大くずのなれの果ては、
…果たしてそれは、一体なんなのか?
「ん…。あとは、カジモドだけ…」
そう言って、生三の形をした何かが、セレンの様に首をかしげる。
「俺だけ…?」
「全部飲み込んで一等星が作られるのです。全部飲み込んで一等星が作れるのです。全部飲み込んで一等星になるのです。」
全ての声が入り交ざったような、そんな声で。
無表情に、カジモドを見下ろす。
「一等星…!?」
一等星。
それは、創造主の悲願。
創造主だけが知りうる、何か。
「さあ、リピーター。お出でなさい。貴方を取り入れて、私たちを完成させましょう」
手が、差し伸べられる。
無表情なその顔。
それは確かに、生三の姿で。
カジモドは、その手を掴もうと手を伸ばし…
そして、斧をふるった。
「!」
デリリウムの腕が飛ばされる。
「どうして…?」
悲しそうな声をあげる。
生三の姿で、生三の声で。
「偽物が、生三の姿を真似るな!」
カジモドが声を張り上げる。
こんなもの、生三じゃない。
生三を、
ベリリウムを、
ウォルフラムを、
5164を、
セレンを、
飲み込んだくずの塊。
振りかぶって、斧を叩き付けようとしたとき。
「梶本くん…!」
怯えた顔で、デリリウムが小さな悲鳴を上げた。
「…!!」
びくり、と、動きが止まる。
姿も、その声も、仕草も。
「…生三…!」
それは、本人そのものだった。
それでも、振りかぶろうと、持ち手を握りしめる。
そのとき不意に、頭上から仲裁の声が聞こえた。
[いけないわ、カジモド…]
それは不羈の星の夢の声。
「星の夢…!?」
いままで、一体どこに。
いや、それよりも。
「これは一体なんなんだ、一体どういうことなんだ!」
不羈の星の夢は、ふわふわと笑っている。
[これはあたくしの夢。勝手に壊さないで頂ける?]
その言葉に、頭の油が泡立つような錯覚に陥る。
「夢だと?…これは、お前の仕業か!」
[お前だなんて、カジモドのくせに気安く呼ばないで。不愉快だわ]
「今すぐ生三を、…皆を元に戻せ!」
[あたくしはきちんと言ったはずよ。橘生三をくずかごに連れて行けと。そうすればあなたの願いを叶えて差し上げると。…でも、貴方はそれを途中で放棄したわ。あたくしがあなたの願いを叶えて差し上げる必要がないの]
「そんなの、お前の身勝手が引き起こしたせいだろう!」
[まあ、ひどいわ。あたくしは不朽のお姉さまを取り戻すために頑張ったのに]
さも傷ついた、というように顔を覆い、くすくすと笑う。
「あれは、…あれは、生三なのか?…不朽なのか?」
[いいえ、どちらも違うわ]
それから一息ついて、あれは塊だ、と告げる。
[あの中にはね、貴方の大切なものすべてが詰まっているの。素敵でしょう?]
「何が素敵なものか!」
[あたくしの大切なものはすべて、交錯点から消えていった。それなのに、あなたは大切なものに囲まれて。羨ましいったらないでしょう?だから一つにまとめて差し上げたの。]
「何をばかな」
離れた腕をつかんでぐらぐらとしているデリリウムを見て、胸が痛む。
「そんな事する必要なんか、どこにもないだろう!」
何を考えているんだ、とカジモドが叫んでも不羈の星の夢は決して笑顔を崩さない。
[ねえ、カジモド?あたくしはあなたの事がとってもとっても、だいきらいなの]
「…知ってるよ。お前は初めから、ずっと俺の事が嫌いだった」
[あなたの顔を見るたびに、私の中の油が浮きたっていくの。わかる?
あなたが何かをするたびに、私の中の歯車がガリガリと他の歯車を傷つけるの。あなたのせい、全部あなたのせいなのよ]
笑顔のまま。
不羈にしても、ベリリウムにしても。
彼女たちは決して、笑顔を崩さない。
どんなに怒りを孕んでいても。
「だから、俺に全部ぶつけないと気が済まない?」
[ええ、そうよ]
「それなら、どうして生三を…不朽を、あんなふうにしてしまったんだ?お前の一番大事な『おねえさま』が、あんなことになっているんだぞ?」
斧で指した先にいる塊は、ぶるぶると震えていた。
[見ていて解らないのかしら、本当にカジモドなのだから。あれのどこにおねえさまがいらっしゃるというの?…橘生三はもう、不朽のおねえさまではないの。おねえさまという中身がなくなった入れ物なんて、不必要でしょう?]
「…どういうことだ?」
[橘生三に含まれていた不朽の星の夢はすでに取り出した。あなたが必死になって取り戻そうとしているのは、ただの抜け殻なのよ]
残念ね、と嬉しそうに笑う。
ふわふわと漂いながらカジモドの傍に寄って、耳打ちする。
[ねえ、あなたが助けたいのは、いったいなに?]
歯車がきしむ音がする。
目の前にある塊は生三であって、生三ではない。
他の2体の巨大くずのように、過去の巨大くずのように、
最早体はぐずぐずに溶けてしまっているだろう。
生三が不朽の星の夢であれば、まだ可能性があった。
けれど、その不朽すら取り除かれている。
助けられない。
助けられない?
デリリウムは、にたにたと笑いながら、
その腕をもってぐらぐらと、ただぐらぐらとしている。
意思がないのか、それとも中で何かが起きているのか。
どちらにしても痛ましい姿のまま、襲ってくる気配はない。
せめて、不朽が戻れば。
不朽が戻ってくれれば、生三は助かる?
不朽の星の夢が取り出されたというのならば、戻ることも可能ではないのか?
ふと、電流が流れる音がした。
「…待て、その不朽は今、どこにいる?」
その言葉に、不羈の星の夢が楽しそうに、にんまりと笑った。
[おねえさまなら、あたくしと一緒よ]
そう言って、くるりと不羈の星の夢が翻る。
ふわふわと広がる星色の髪の毛が瞬く。
ふと、見覚えのある光が髪の毛に絡まっている。
いや、違う。
不羈の髪の毛で、星の夢が絡み取られている。
「不朽!」
思わず手が伸びる。
しかし、その手は宙を掴むだけで、翻る髪の毛はふわりと嘲笑うように棚引いている。
[まあ。レディの髪の毛を引っ張ろうなんて、なんて野蛮なんでしょう]
くすくすと意地悪く微笑みながら、一房を掻いて伸ばす。
[当然だけれど、あたくしが貴方のお願いを聞くだなんて、思わないことね]
傍にいる。
不朽が…白金が。
生三が。
すぐ目の前にいる。
けれど、届かない。
[生三を助けたい?]
ふと、不羈の星の夢が目を細めてカジモドを見下ろす。
[貴方の為に自身を捧げたおねえさまが、貴方が殺したおねえさまが漸く帰ってきたのに。それを貴方はまた、殺そうというの?]
そう。生三を助けるということは。
不朽の星の夢を、
かつて自分を慈しみ、守り抜いてくれた白金の存在を消すという事。
頭では理解していた。
「だが不朽は既に星となって、人間になったはずだ。不朽自身が望んで、人間に、生三になったはずだ…」
それなら、不朽は生三として戻る事の方が、正しいのではないのか。
そして、生三として生まれ変わった不朽を無事に、元の世界に帰す。
それこそが、不朽に対し自分が出来ることなのではないのか。
二度と会わなくて済むように。
二度と彼女を、悲しませるような事がないように。
こんな夢の世界など、
創造主が築き上げた箱庭のような夢の世界など、断ち切って。
[なんて都合のいい考えなんでしょうね。おねえさまの気持ちは何一つ慮ったりはしないのかしら]
「それをお前が言うのか?…平和に人間として暮らしていた生三を、お前がわざわざ探し出して交錯点に呼び戻し、星の夢に引き戻したんだろう。」
アンチモニーが、レニウムが、自分が、白金を忘れられずにいたから。
皆白金が大好きだった。
だから、誰もアンチモニーの暴走を止められなかった。
止めようと思わなかった。
生三という新しい未来を進もうとしていた白金を、皆が邪魔をした。
「お前の…俺たちのわがままで、彼女の生を邪魔した事には変わらない。今すぐ、不朽を返して、生三を返せ。会えたんだから、もう良いだろう?こんな事はやめよう」
不朽の星の夢を戻しても、交錯点を壊しても。
何の意味もない。
交錯点が壊れるという事。
それは、夢と夢同士がくっつかなくなるという事。
願いから星が生まれず、叶わなくなるという事。
星の夢も、管理者という存在も不要になる。
自分たちの存在がなくなるという事というのは、どういう事だろうか?
人々は星に祈らなければ、願いは叶わないのか?
きっと、そんなことはないだろう。
管理人形たちが生まれる遥か前から交錯点は存在していたし、
きっとここで崩壊しても、またいずれ交錯点は生まれるだろう。
人々は変わらず夢を見るのだから。
人々は変わらず願いを抱くのだから。
では、自分たちは何を管理していたのか?
交錯点が無秩序でなんの問題があったのか?
いや、問題はある。
交錯点に迷い込んだ人が、そのまま夢から醒めなくなってしまえば二度と目を覚まさない。
ただ迷い込んでしまっただけで、二度と『生きる』事が出来なくなってしまう。
そんなのは悲しい。
我々くずは。
星くずから生まれてきた我々は。
例えどんな形であっても、星になりたいという願いを心の奥底に持っている。
それは管理人形たちと言えど、例外ではない。
役割を持たされ、その願いを抑えているだけで。
願いを受けて光り輝く星に。
輝いて、希望そのものになりたい。
願いが叶ったものというものは、
願いが叶わなかった者たちにとってどれだけ尊く、憧れるものだろう。
それは白金だって、アンチモニーだって、変わらない筈だ。
[解ったような口を聞かないで。おねえさまは、自分を殺した貴方を許したりしない!貴方を恨んでいるのよ、それを貴方がなかった事にしようだなんて、どれだけ図々しいの!]
「俺は不朽の気持ちを、不朽の口から聞いていない!」
カジモドが叫ぶと、微かに不羈の星の夢の髪の毛が瞬いた。
「不朽、聞かせてくれ!俺を恨んでいるのか?俺は、俺はずっと、貴方に謝りたくて、…お礼を言いたかったんだ!もしまた会えたなら、俺はもう大丈夫だって、それから、それから…」
その声に反応するかのように、光が強くなっていく。
すると今度は、不羈の星の夢がもがきだした。
[だめ、だめ。おねえさま、いけません!]
その光に対し、不羈の星の夢が焦ったような顔をして、髪の毛を抱きしめる。
[おねえさまはあたくしと一緒なのです。ずっと、ずっと!そう約束して下さったじゃない!]
髪の毛がふわふわと、持ち主に反して広がっていく。
「不朽、どうか聞いてくれ。人になった貴方を…生三になった貴方を、どうかあるべき場所に帰させてくれ。それが俺にしかできない、貴方への贖罪で、感謝で、…俺の、貴方に捧げる願いなんだ!」
そう叫んだ瞬間。
カッ、と辺りに強い光が広がり。
目の前が、暗転した。




