19.外はわりと大変なことになってます
人間、橘生三がくずかごに落ちてから暫く時が過ぎる。
セレンはくずかごの外で首を傾げていた。
本当なら今頃、中のくずがとっくに膨らんで、
手あたりしだいのくずを巻き込んで大きくなるのに、一向にその気配がない。
弓を引き絞る手を弛めてから、大分時間が経っている。
覗き込むわけにはいかない。引きずり込まれてしまう。
[もうじきよ、セレン]
ふわふわと、星の夢がくずかごを眺めていた。
[再び"不朽"と…おねえさまに会えるわ!]
「ん…」
セレンはまだ見ぬ"不朽"の星の夢に期待していた。
幼い見た目の彼女は、不朽が星となって消えてしまったことしか知らない。
かつて『クロノグラフ』の管理人形だった"不羈"の星の夢に話を聞いていたに過ぎない。
あのくずかごにやってきた人間…橘生三が"不朽"だと知り、少しだけ嬉しかったと感じた。
あの人間は嫌いじゃなかった。
だからあの人間ともう会えないことがほんのちょっとだけ悲しくて、ちょっとだけ寂しい。
そう思いながらくずかごを見つめていると。
カッ、という光がくずかごの中を一瞬だけ照らした後、ひとつの星の夢がくずかごの外へ飛び出した。
[ああ!おねえさま!]
飛び出した星の夢に対し、"不羈"の星の夢がうっとりと見つめる。
[ああ、ああ!間違いないわ!やっぱりおねえさまでしたのね!]
星の夢の周りをくるくると囲むように飛び回った。
「あれが、不朽…」
その様子を、ただぼんやりとセレンは見つめている。
<…アンチモニー…あなた、星の夢になったのね>
不朽が答えるように旋回し、やがて白いドレスの少女の姿へと変わる。
セレンが出会った、あの少女の顔をした星の夢。
[はい、お姉さま。…今は"不羈"の星の夢ですわ]
<不羈…そう、良い"祈り"ね>
[おねえさまのお帰りをずっとお待ちしていたの。あたくしが星の夢になれば、きっとおねえさまを見つけることができると信じていました…でも、おねえさま、そのお顔は…?]
<ええ。橘生三の顔を頂いたわ。彼女はもう私ではないから…私がくずかごから出た今、すぐにでもくずかごが溢れるでしょうね>
不朽がちらり、と舌を見つめる。
ぼこ、ぼこ、と音を立てて、下からくずの皮が膨らんでいっている。
<あの小さな管理人形は?>
[『ムーンフェイズ』の管理人形、セレン。…おねえさまが交錯点から去ってしまわれた後、創造主に作られた最後の人形です]
<そう…セレン、危ないからもう少し下がっていなさい>
「ん…」
二つの星の夢に見つめられながら、セレンが後ずさる。
ぼこ、
ぼこ、ぼこ、ぼこ。
音を立てて、くずかごから皮がはみ出ていく。
セレンは肥大化するくずに照準を合わせ、矢を放った。
ぱすん、という音がしてくずの皮が貫通し、風穴を開ける。
しかしその風穴もすぐに、どろりとくずの肉が埋めていく。
「…!」
二射目を構えたとき、突如突風に見舞われた。
突風は肥大化したくずを煽り、かまいたちのように肉が裂けていく。
やがてその肉は、ばらばらと切られこぼれていった。
「セレン!」
かまいたちを起こした張本人。
『トゥールビヨン』の管理人形ウォルフラムが、くずの前に立ちはだかった。
「ウォルフラム」
セレンが声を上げると、ウォルフラムが黙って頷く。
上部を見上げると、二つの星の夢がちかちかと瞬いていた。
「星の夢!!」
ウォルフラムが嬉しそうに、空中で一礼の姿勢をとる。
「御前にて失礼…このウォルフラム、星の夢の悲願達成、心よりお慶び申し上げます」
その様子に不羈はふう、とため息をつく。
[何をしているの、まだ終わっていないでしょう]
ばらばらにされたくずの肉は、そのまま近くの肉片とくっつきあって、また肥大化していく。
「はやくそのくずを砕いてしまいなさい」
「仰せの通りに、星の夢」
ウォルフラムは大仰に礼を取り、再び両手の剣を構える。
「セレン、おれがくずの肉を解体していくから、細切れから順に矢で消していってくれ!」
「ん」
頷いて、矢を弦につがえる。
ウォルフラムが切り飛ばしていく肉片に、セレンは外すことなく射貫いていく。
矢の衝撃で、肉片は塵にもならない程爆発するように霧散していった。
この調子なら、案外すぐに終わるんじゃないか。
そう思っていた二人だが、やはりそれが一筋縄ではいかないことをすぐに悟る。
くずの肉片が肥大する時間が、初めの頃より早くなっていっている。
「…きりがない…!」
「後から5164とベリリウムが来る!それまで増やさないように食い止めよう!」
肉片を切りながら、セレンに向かって叫ぶ。
それら様子を、二つの星の夢は静かに見下ろしていた。
互いに言葉を交わしながら、眼下で起こる"異常事態"にも何の感情も表さず。
<…それで不羈、私を交錯点に連れてきた目的は何?>
[おねえさまにお会いしたかった、それだけです]
不羈の星の夢はにこやかに微笑む。
<結果、交錯点中があのくずに飲み込まれてしまっても?>
眼下に広がる肥大化したくずは、管理人形たちに切られて消されていったそばから、辺りの砂をどんどん巻き込んで膨らんでいく。
[ええ、おねえさま…勿論です。交錯点なんて、壊れてしまえばいい]
<まあ>
不羈の星の夢は楽しそうに笑う。
不朽の星の夢は呆れたように笑った。
「溢れてるねー、レニウム!どばどばだね!」
地平線の向こう側に、もこもこと蠢くくずの姿を見たベリリウムが楽しそうにくるくると踊る。
背中に5164を抱えていた。
「状況は?」
「増えた」
「…まあ、予想通りだな」
やはり、と5164は頷く。
橘生三はくずに飲み込まれた。
彼女の中の"不朽"は剥がれ落ち、交錯点に帰還したことで星の夢として戻った。
あの大きなくずは橘生三という強大な夢を抱え、その夢に"耐える"ために手あたりしだいすべてを飲み込むだろう。おそらくは、交錯点を飲み込むほどの規模で。
"不羈"の星の夢の思惑通りとなった。
それを止めなければ、交錯点に大崩壊が起きる。
「少し離れる。このままおれを担いで、くずかごまで連れていけ」
「あいはい!」
ベリリウムの返事を待つ前に、5164は頭に杭を突き刺し、がくりと意識を消した。
「星がきれいだねえ、レニウム」
ただの人形となった5164を抱えながら、ベリリウムは楽しそうに笑う。
カジモドは一体、斧をひきずりながら歩いていた。
5164に示された座標を追って、ただ歩く。
遠くの方で、光がちらりと見えた。どこか懐かしさを感じさせる光。
「生三…」
歩きながら、思いだす。
かつて『永久カレンダー』の管理者だった白金。
"不朽"の星の夢となった白金。
今まで忘れたことなどない。
カジモドは歩く。
自分のなかでさまざまな思考が廻る。
不羈の星の夢は何故、彼女を連れてきたのか。
生三は無事だろうか。
レギュレーターは今、何をしているのか。
どうか負けないで欲しい。
歩きながら時折、カァン、と鐘を鳴らす。
鐘を鳴らすのが嫌だった。
自分には鐘を鳴らすことしかできない。
鐘を鳴らすたびに誰もが苦痛に悶え、
鐘を鳴らすたびに誰もが悲鳴を上げ、
鐘を鳴らすたびに誰もが消えていった。
自分の存在が嫌だった。
自分に何ができるだろう。何もできない。
自分には鐘を鳴らすことしかできない。
周囲を苦しめるだけの自分なら、いない方がましだと何度思っただろう。
それなのに、彼女は笑ったのだ。
もっと聴かせてほしいと、綺麗だと褒めてくれたのだ。
長い長い交錯点の、ほんの少しの夢の時間にもかかわらず。
彼女は自分を許してくれた。
ただそれだけが、本当に嬉しかったから。
俺は彼女にもう一度会いたい。
会って、笑って、他愛のない話をしながら、歌を聴きたい。
彼女と交わした約束を、守りたい。
カジモドはその胸に、初めて"願望"を抱いた。




