16.誰が為に鐘は鳴る
インジケーターの同位体を、レニウムがひとりで作れるようになった頃。
レギュレーターは新しい機械人形を完成させた。
『リピーター』の管理人形、タンタル。少年の姿をした機械人形。
彼が目覚めたとき、レギュレーターは姿を消していた。
恐らく、次の機械人形に入れる為の迷い人を探しに行ったのだろう。
その頃になると、私たちは彼の手を離れ、自分たちで勝手に動き出すようになっていた。
彼はそれを気にも留めない。
私たちも、そんなレギュレーターへの興味が次第に薄れていった。
「私たちと一緒に行きましょう、タンタル」
「はい」
タンタルは、自分の機能は理解しても、彼に与えられた役割が何なのかを教わっていなかった。
「ねえ、リピーターって何をするの?レギュレーターがとっても時間をかけて、貴方を作ったのよ。どんなことができるの?」
出来たばかりの機械人形に、アンは興味津々だった。
「体の中でハンマーを弾いて、音を出します」
「…それ、何の役に立つの?」
「わかりません」
「なによ、本当にただの役立たずじゃない」
「アン、そういう考えはよくないわ。何も知らないのは、タンタルのせいではないもの」
それまで目的がはっきりしていた私たちに比べて、タンタルの存在は異質だった。
「ならば、それを命題にすればいい」
レニウムが人差し指を立て、進言した。
「命題…?」
「自分が何のために作られたのか、という疑問はレギュレーターを探せば済む話だ。だが、自分の機能をどう使うかは、自分で見つけて決めるしかない」
「何に、つかうか…」
「例えばね、タンタル。私はあなたたち皆の体の修理や、メンテナンスをすることが私の仕事。だから、困ったことがあれば何でも私はあなたの力になるわ」
「アンは、この交錯点がどういう状況にあるか計測するの。元々はレギュレーターに報告するためだけれど、今はおねえさまのためにそうしてるわ。レニウムと協力して、おねえさまが交錯点を歩きやすいように」
「おれはアンチモニーから送られた計測結果を交錯点に直接記録し、座標板を作っている。記録することがありすぎて追い付かないが、何もしないでいるよりずっといい。記録があれば、異変にも対応しやすい」
「…俺は…」
「そんなに深く考えなくてもいいのよ、タンタル。私たちにできない、貴方だけの役割が見つかるはず。ゆっくり探していけばいいんじゃないかしら」
「交錯点にはたまに迷い人も来る。彼らと話してみてもいいだろう。彼らは我々にない知識を持っている。なんなら、彼らとの会話記録を集めておれに送ってもいい。使えるものは共有しよう」
「…なるほど…。ありがとう、みなさん」
そう言って、タンタルはようやく笑顔になった。
「そうだ。レニウムの同位体も増えたことだし、手始めに今まで立ててきた座標板に彼の同位体を置いてくるのはどう?交錯点の理解もできて、歩けて、レニウムの助けにもなる。手っ取り早いでしょ?」
アンの提案に、タンタルは快く承諾した。
「それなら私も一緒に行くわ。誰か一緒にいた方がタンタルも安心でしょう」
特に何事もなく、それぞればらけるかと思いきや、
「おねえさま!それは少し、過保護過ぎません?」
と、アンが反対した。
「タンタルの受信回路がきちんと働いているかわからないし、自分の機能すら分からないまま歩くのは、いくら管理人形でも危険よ」
「おれもプラチナに賛成だ」
「それなら、アンもおねえさまと一緒に行きます!」
「貴女は座標軸388以降の計測に行くのでしょう?」
「いや!アンはおねえさまの傍がいいんです!」
アンは以前から私と一緒に居たがったが、今回も強く主張する。
「諦めろ、アンチモニー。今度はお前が役立たずと呼ばれたいのか?」
レニウムの言葉に、ふんっ、と、顔をそむける。
「何よ、裏切者。あなただって、おねえさまと一緒に居たいと思ってるくせに」
「…。だが、おれは仕事を優先する」
「わかったわ、アン。途中まで一緒に行きましょう?でも、きちんと計測にいくのよ」
「…。…はい、おねえさま」
多少ためらったものの、アンは素直に聞いてくれた。
「そうね、では"時間"を決めて、またここにみんなで集まりましょう」
時間という概念がない交錯点で、時間という言葉と意味を理解していたのは、レギュレーターがよく
「ああ、星の夢に祈りを捧げる時間だ」
と、定期的に繰り返していたからだ。
私たちもそれに倣って、"集まる時間"を作る。
と、言っても、それぞればらけてしまうので、何を頼りに時間を決めればいいかわからず悩んでいると、
「では、プラチナの指示で俺が鐘を鳴らします」
とタンタルが手を挙げた。
「成程、それはいい。鐘の音はどこまで届くんだ?」
「そうね、どの程度聞こえるか、試しに鳴らしてみてもらっていい?」
タンタルが少し離れて行ってから、彼はそれを鳴らした。
カァン…
それは交錯点で、くずや我々が動く以外の、初めて聞いた美しい音だった。
「凄いわ、タンタル!」
戻ってきたタンタルを褒めると、彼は少しだけはにかんだような笑顔を見せた。
「成程、それなりに響くな。多少離れていても聞こえそうだ」
「レニウムの同位体を一つ座標板に届けたら一回、戻ってきたら2回、鳴らしてもらいましょう。ついでだから、アンとレニウムはどこまでいけば音が聞こえなくなるか計測してちょうだい。」
「ええ、分かりました、おねえさま」
「はい、プラチナ」
最終的に私たちが12体の同位体を運ぶ毎に集まるようにし、ここへ集まる時には皆が集まるまでタンタルが2回ずつ、カンカン、カンカン、と繰り返し鳴らすことで決着がつき、それぞれ仕事に出かけて行った。
それからは順調だった。
道中タンタルにはいろいろな話をして、時折出会う迷い人と話をし、同位体を運ぶ。
同位体を運んで鐘を鳴らし、戻っては鳴らす。
段々、自分の役目に慣れてきたのか、タンタルも自ら動き出すようになった。
「プラチナ、…あの迷い人は、どうやって交錯点から帰るのですか?」
タンタルが首を傾げる。
「さあ…そういえば、考えたこともなかったわ。いつも、気が付いたら消えてしまうから。…タンタルはどう思う?」
「…わかりません」
「今度、迷い人に会ったら聞いてみましょうね」
「はい」
不思議と、タンタルは迷い人とよく出会うことが多かった。
そしてタンタル自身、彼らにとても興味を持って接する。
新しい知識に飢えているのだろう、そう思えた。
それからタンタルと、ときおりアンと、レニウムと。
皆で集まっては今日はどこまで行った、どうしていた、どんな迷い人と出会って、どんな話をした、と、報告し合うようになる。
それはとても、"楽しかった"。
これから先もこの状態を維持し続けることを満場一致で可決し、不思議と、みんなで集まることを楽しみにするようになった。
…アンだけは、度々「おねえさまと一緒にいきたい」とごねるのだが、
タンタルが同位体をすべて座標板に連れていき終わるころにはタンタルも一人で歩いても問題ないだろう、それが終わったら一緒に歩きましょう、と約束し、それでようやく納得した。
きっと、私たちは迷い人たちのいう"家族"なのだ。
等しくレギュレーターに作られた"兄弟"。
だから助け合い、一緒にいるのだろう。
それはとても、"嬉しかった"。
しかしそれすら、長い長い交錯点での悠久の些細なひと時でしかなかった。
『…リピーターの機械人形?じゃあ、あんたは鐘を鳴らす"せむし男"か』
ある迷い人が、興味深そうにタンタルを見た。
「せむし男…?」
『ノートルダムで、教会の鐘を鳴らす"ほぼ人間"の背むし男さ。腰を曲げて、背中にこぶをつけるといい。そうでなくとも、あんたはそれにそっくり!』
「…?」
奇怪な迷い人は、終始笑い続けて、奇怪な動きをしてはやし立てる。
『"鐘は自分自身のためにも鳴り、また他者のためにも鳴る。そうだ、その鐘は他者のために鳴り響く"…ってね』
迷い人は軽やかな足取りで、奇妙な動きをして一礼した。
「…それは…?」
『鐘つながりといえばジョン・ダン。愛に生きた詩人がそう言っていたのさ。"誰が為に鐘は鳴るのか"ってさ』
「誰が為に…?」
『おいらは宮廷道化師、伴奏に合わせて愛と死の詩をご主人に披露するのさ。どれ、あんたの鐘、ひとつおいらの為に鳴らしておくれよ。そいつで踊ってやろう』
「鳴らす…」
『お前の体の中の鐘は2つか、3つか?適当でいいから鳴らしてごらん』
「適当…とは」
『好きなように鳴らすといい。あんたが"ティンカー・リンガー"か、
それとも世にも稀な出来損ないの"ティンカー・リンガ―"か、どちらにしてもおいらにかかれば拍手喝采』
「では…」
その時タンタルが鳴らした音は、
曲という曲にもなっていない、でたらめなただの音をかき鳴らす程度のものだった。
確かに耳障りがいいとは言えないが、
どうしたことか、その音を聴いた途端。
迷い人は嫌がり、悶え苦しみだした。
『やめろ!やめてくれ!それは、…それは聞きたくない!』
悲鳴を上げ、のたうち回り。
やがて、声とも音もつかない叫びをあげながら。
迷い人はそこから、消えてしまった。
「…え?」
辺りを見回しても、どこにもいない。
信号音も、途絶えてしまった。
それまで決して、いつ何時でも、気が付いたらいなくなってしまう迷い人だけれど。
リピーターの鐘は、それを如実に表していた。
「違う…違う、俺は、そんなつもりじゃ…」
タンタルが震える。
「タンタル、今の音は…」
「俺は、迷い人を消滅したんじゃない…!」