◆プロローグ◆
「よくぞ遠いところをおいで下さいました、アナタは確か……ブレア国で大きく商いをされているシャドネー商会の方でしたね?」
鈴を転がすような声が謁見室に響き渡る。
赤い絨毯の先にある少々国の権力者が座るにしては少し質素な王座。
そこに腰掛ける美しい顔立ちの青年王の隣に座る若い王妃から、その声は発せられていた。
彼女こそはサヴォイ 国の至宝と誉れ高い賢姫、第二王女のフェルミーナ。
山岳部に城を構えたこの国の唯一の特産である紅茶を使って、近隣諸国との物流の取引を円滑に行えるその政治的手腕はよくよく他国で耳にする。
そのほとんどが「あの美しい顔に気が緩んで取引で手酷い目にあった」や「紅茶の取引で足許をみたら次回から入国を拒否された」や「紅茶一つで戦を止めた」など嘘とも真ともつかない話ばかりなので、このシャドネー商会の男もすっかり小娘と舐めきっていた。
「あの商業国と名高いブレアで名を馳せたということは、余程の情報通でいらっしゃるのでしょうね?」
その声はシャドネー商会の男に向けて、というよりは、夫であるジルベルトに甘えて答えをせがんでいるようにも見えた。
「ええ、王妃様、それは勿論でございます。何でも、王妃様におかれましては最近謎かけを楽しまれていると耳にしておりますが?」
やや媚びるようなシャドネー商会の男の声に、顔には出さずに心の中で減点をつけている妻の気配を感じながら、ジルベルトは苦笑する。
それというのもこれから獲物を見つけた可愛らしい王妃が、子猫のようにシャドネー商会の人間を追い詰めるのを知っているからだ。
「――では、まず第一問題ですわ。このサヴォイで近年行われている独特な紅茶畑の造りを何と言うでしょう?」
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可愛らしい王妃の声で謎かけが始まって、一時間後。
そこには燃え尽きた表情のシャドネー商会の男が両脇を衛兵に抱えられて、謁見室を追い返されようとしている姿があった。
「やれやれ……今日も手加減がないな、僕のフェルミーナは」
「あら、ジルベルト様ったら、あの程度の付け焼き刃な知識しか持たない商会に、わたくしのお姉様の心血が注がれた茶葉を任せられるはずがありませんでしょう?」
「それを言うならお義兄様も、だろう? 我が妻はもうすぐ母親になるというのに、いつまでたっても義姉上の虜なのだから、妬けてしまうよ」
ジルベルトがそう笑いながらフェルミーナの膨らんだお腹をさすると、お腹の中から蹴り返してくる小さな足の感覚が掌に走った。
「ウフフ、わたくしのお姉様は本当に素晴らしい方だもの。この間届いた手紙には、あの男、いえ、お義兄様から“他国で新しい茶葉を見つけたのでこちらでも製造販売をする手続きをよろしく”とありましたわ。何でもあの画期的な棚田? という畑の造り方を教えてくれた国のものらしいですわ」
棚田とは二年前に一時帰国したこの国の第一王女とその夫がこのサヴォイと同じように山岳地に囲まれた小国から学び、この地に広げた新しい畑の造り方である。
そのお陰でサヴォイの紅茶生産量は飛躍的に上がり、国はさらに紅茶で名を馳せたることになった。
「へぇ、それは楽しみだね。いったい義兄上はその新しい茶葉に何と名をお付けになるのだ?」
ジルベルトの優しい微笑みにとろけるような微笑みを返したフェルミーナは、まるで秘め事のように囁いた。
「昔、お姉様がわたくしの為にご自分で作られた紅茶に“フェルミーナ”とつけて下さって……わたくしの社交界での名は“紅茶姫”になったのをご存知でしょう? ですから、お義兄様ったら今度はその茶葉に“アデリーナ”とつけて“女王の紅茶”と銘打って販売するのですって。素敵でしょう?」
――――この二人の会話から数ヶ月後。
このサヴォイで新たに売り出された新製品の茶葉は、水色の濃い緑から一部の地域では“グリーン・ティー”またの名を“エメラルド・ティー”と呼ばれて贈り物として人気を博した。
一番最初にこの茶葉を口にしたのは、第一子を産んで喜びに包まれたフェルミーナ王妃だったと言う。