ある晴れた日の出来事(瞭&遙)
大変遅くなりましたが、記念番外2作目です。
今回も引き続き、瞭、遙、恭。ちよっとだけ皓です。
4月度携帯にてランキングサイトをクリックして頂いた皆様、またお題リクエストを下さった青蛙様、早村様、誠に有難うございました。
お題のリクエストは随時受け付け中です。宜しければ皆さまもお気軽にメッセージを送って下さいね。
ではまた今月も続編でお会いできることを祈って。高村。
柔らかな陽光が、辺り一面に降り注ぐ、幸せな昼下がり。
むせ返るまでの大量の緑に覆われた庭には、等間隔で撒水機が設置され、リズム良く回転を続けながら、地面に水を撒いている。
奇跡に近い、平和で麗らかな、何より大切な、午後のほんのひと時。
遙は久し振りの休息に、柔らかな笑みを満面に浮かべ、惜しみなく周囲の樹々に振りまいていた。
「遙ー、恭兄ーお茶が入りましたよー」
遠くから聞こえる、澄んだ子供らしい瞭の声に、遙が優しい視線を流した。
呼び掛けから、程無くして、幼い瞭が懸命にお茶を運んで来る姿が、樹々越しに見て取れて。
「あっ?!」
けれど前を良く見ていなかったのだろう。 地面にいた、小さな緑色の生き物を踏み付けた弾みで、瞭の足が滑る。
「わっ!」
思わず目を閉じた、瞭の身体を遙が、手放したトレーを恭が。 それぞれ間髪を入れず、平然と受け止める。
「あ……れ?!」
襲い来るべき衝撃のなさに、瞭は硬く閉じた眼を薄っすらと開けて、戸惑いながら周囲を見渡した。
転ばないための配慮だろう。 背中全体に受け止めてくれた遙の感触を感じて、瞭は慌ててその場から飛び退る。
「うわっ遙!」
「うん? どうした瞭」
これ幸いと強く抱き締めていた瞭に、腕の中から逃げられて、遙は残念そうな表情を浮かべた。
「あっ、お茶は?!」
そんな遙の表情に気付かないふりをして、瞭が慌てて移した視線の先。 傍らに立つ恭の手に、探す物はあった。
「ちゃんと前見てないと、危ないよー?」
茶器から一滴の液体すら零さずに、片手でトレーを受け止めた恭は、瞭の視線に優しく笑う。
「ご……ごめんなさい」
恥ずかしさからか、消え入りそうな声で謝った瞭の頭を軽く撫でて、恭は更に笑みを浮かべた。
「大丈夫。瞭はちゃぁんと一人で謝れたからね」
「恭兄ぃ〜」
返された筈の恭の言葉に、瞭が感謝の意を表そうとした寸前、すかさず遙が二人の会話に割って入る。
「どうだ恭! やはり私の教育の賜物だろう」
「……」
どこか微妙に引き攣った笑顔を浮かべた恭に対し、薄い胸を反らして、得意気に威張る遙の姿。
それらを眇めた眼差しで見つめた瞭は、深い溜め息を落とした。
『遙の教育って……何?』
※ ※ ※
少し遠くを見た瞭の頭の中で、思い起こされる一ヵ月ほど前の出来事。
遙の『血』を受けた人の子は、申し子と呼ばれる存在に、魂や肉体が移行する。
その申し子だけに起きる、不可思議な副作用。
飲食を断っていた瞭は、遙との『契約』を締結させた後も、なかなかベッドから起きられずにいた。
退屈な日々を幾日も重ねたある日。
『あ、意外と大丈夫かも』
確かな体調の回復を感じ、久し振りに、床へと着いた足を見て覚えた、とても小さな違和感。
『……あれ? 僕の足、小さくなってない?』
不安に駆られ、ふと見た鏡越しに映る、酷く幼い子供の姿。
嫌というほど見知ったはずの姿を、瞭はまだ良く回らない思考でぼんやりと捉え、考える。
『!』
けれど鏡に映し出されたその意味を、正確に理解した瞬間、瞭の思考能力は再び凍り付いた。
――思わず漏れた瞭の悲鳴は、恭や皓を瞭の私室へ駆け付けさせるには、充分過ぎる代物で。
「うわっ! また随分と縮んだもんだなぁ、瞭」
……笑顔と共に告げられた、底抜けに明るい皓の言葉。
「しっ……師匠のバカ!」
「なっ?! おい瞭!」
――泣きながらその場を走り去った瞭を、誰が責められるだろう。
『師匠の事だから、いま考えたら、きっと悪気は無かったんだろうな』
悪意がないとはいえ、皓の余りにも配慮に欠ける無神経な言葉に、深く傷ついた瞭は、迷いの森まで一目散に逃げ込むと、大きな声で一人泣き続けた。
「笑うなんて……ひどいや!」
奇妙に変形した根を持つ無数の立ち枯れの木が、剥き出しで大地に絡む、通称『迷いの森』
ゴツゴツとした岩肌や、苔むして不規則に隆起した地面は、独特の湿気と香りを形成している。
中でも一際大きい大木にポカリと口を開いた虚は、普段からいざという時の、瞭の避難場所だった。
『以前は屈まないと、虚へ入れなかったのに……』
小さくなった身体。 何の苦もなく、全身がすっぽりと空洞に収まるところが、また、悲しくて。
「うっ……ひっく」
虚に抱かれるように潜んで、いったいどれくらいの時間が流れたのか、定かではなかったけれど。
次々に溢れ来る涙で、ぐちゃぐちゃに滲んだ瞭の視界を、遮るようにして映り込んだ、遙の姿。
「……随分と探したよ。ここにいたんだね」
瞭の突発的な行動を責めもせず、ただ一言「みんなとても心配しているんだよ」と告げた遙。
言葉通り、心から安堵した様子で柔らかく微笑んだ遙に、かけた心配の重さを不意に感じて、胸が痛い。
「遙っっ!」
瞭は堪えきれず虚から転がり出ると、遙に全身で抱きつき、止まぬ嗚咽を繰り返した。
「こんなに身体が冷えるまで、泣き続けていたなんて……」
「ごめんなさい。……ごめんなさい遙」
勢い良く抱きついた瞭を受け止めた遙は、冷えた身体をぎゅっと抱き締め、落ち着かせるように、声をかけながら、小さな背中を何度も撫で続ける。
「瞭、大丈夫だよ。何も心配しなくていい」
一定のリズムで頭上から降る、いつもより優しい遙の声と、全身を包む慣れた匂いに、瞭は徐々に落ち着きを取り戻したのだろう。
「…有難う遙。僕もう大丈夫だから」
頬に流れた涙の後を懸命に拭いて、瞭は顔を上げると、遙にニコリと笑って見せた。
……だが。 笑い返す遙の、何故か一行に弛まぬ腕の力に、瞭が不思議そうな表情を浮かべた瞬間。
――瞭の身体は遙によって地上からフワリと抱き上げられた。
「は……遙?!」
流れる一連の動作は、瞭がまだ幼い頃にイシェフに訪ねてきた遙が、好んでよくした行動そのままで。
驚く瞭を目線の高さまで抱き上げて、遙は互いの頬をそっと重ねると瞼を閉じた。
「やはり温かいな、子供は」
「……僕は子供じゃないもん」
「そっか。瞭はもう子供ではない……か?」
遙が何気なく呟いた言葉が、余りに寂しそうな響きを含んでいた為に、瞭は反抗する事も出来ず、仕方なく昔と同じように遙の頬に唇をつけると、キスを贈った。
『思い起こせば、あれが全ての始まりだったかも知れない』
溜息を一つ零して、瞭が過去の回想を打ち切ろうとした瞬間、恐れていた悪夢はやってきた。
※ ※ ※
「瞭」
遙の呼び声と共に、何の苦もなく、地面から離れる小さな足。 抵抗する間もなく遙に抱え上げられ、自由を奪われる。
「遙っ! やめてよ!」
「ぼーっとしているお前が悪い」
いつの間にか、目の前に整然と並べられたお茶とお菓子。
それらに見向きもせずに、遙は瞭に対して、日常茶飯事と化した行為を行おうとしていた。
「やめてったら!」
この先何が起こるか想像に難くない瞭は、必死で抵抗するが、所詮大人である遙の力には敵わない。
激しい抵抗の中、あの日以来繰り返される、最低最悪な時間がいま訪れた事を、瞭は知った。
「うーん柔らかいなー」
恥ずかしがってもがく瞭の様子が、また楽しいのだろう。
くすくす笑いながら、必死で抵抗する瞭の額や頬に、遙はおもむろにキスの雨を降らす。
「ぎゃーっ! やめてったらー」
「ふふっ。油断していた自分を怨むべきだな、瞭」
虚で泣いていたあの日、遙に抱きあげられた瞭が、キスをした事がきっかけだった。
あの日以来、子供の肌は柔らかいと、遙は事あるごとに瞭を抱き締め、顔中にキスをしたり、迫ったりするのだ。
「助けて恭兄ぃ!」
瞭が絶叫に近い声で叫んだ瞬間、遙の腕の中から、するりと恭が瞭を奪い去る。
「駄目でしょ、遙ちゃん」
「恭……」
「きょ、恭兄ぃ……」
遙から解放された嬉さで泣きべそを浮かべた瞭の瞳が、続けた恭の言葉に、零れんばかりに見開かれる。
「――遙ちゃんばっかりずるい」
次の瞬間、瞭は恭にぎゅーっと強く抱きしめられ、今度は恭のかさついた唇を、頬に目一杯押しつけられた。
「いやーっ!」
「んーやっぱ子供って触り心地いいねぇ」
「恭もそう思うか! 子供がこんなに気持ちいい生き物だとは思わなかったぞ!」
瞭の意思は何のその。 恭の言葉に遙が弾かれたように賛同し、嬉しそうに二人は子供の柔らかさについて、話し出した。
※ ※ ※
「あっ! 助けて下さい師匠ーっ」
ワラにも縋る思いなのだろう。恭の腕に拘束されたまま、瞭が偶然傍らを通りかかった皓に、手を伸ばして助けを求める。
「お前ら……また瞭で遊んでいるのか」
もはや見慣れたその光景に、かける言葉も思いつかない皓は、単刀直入に恭に声をかけた。
「恭、頼むからその辺にしておけ」
「えぇーっ! 俺まだ何にもしてないよ。折角、ぼんで癒されようと思ったのに……くすん」
言いながら、さらに頬を寄せる恭に、瞭が激しく暴れると「師匠ー」と情けない悲鳴を上げる。
「ちっ」
眼の前の惨状に、舌打ち一つで皓は瞭を奪い取ると、そのまま片手で抱えあげ、諸悪の根源と化した遙と恭を、脅しついでに鋭い眼光で睨みつけた。
「楽しいお茶の時間は、終わりだ。訓練があるから、こいつは連れてくぞ」
地の底より低い声音で皓はそれだけを告げると、瞭を降ろす事なく踵を返して、中庭を後にした。
「師匠。ありがとうございました」
地面に降ろされるなり、瞭が礼儀正しく、ぺこりと頭を下げる。
「なぁに、助けついでだ」
「? 誰か他にも?」
不思議そうな顔をした瞭に、皓は優しく笑うと、大事そうに握り締めていた反対側の掌を、そっと広げて見せる。
「か……蛙?」
大きな皓の掌に、小さな緑の生き物。 怪我を負った哀れなその姿に、瞭は先刻、自分が何を踏んだのかを知った。
「ご、ごめんなさい師匠。きっとこの子の怪我は、僕の所為です」
「?」
「師匠、先に遙にこの子の怪我を治してくれるように、頼んで来ていいですか?」
散々遙達に弄ばれたくせに、何か有れば直ぐ当の遙に助けを求める瞭の様子に、皓は苦笑いを浮かべると、「早く戻ってこいよ」と送り出した。
※ ※ ※
その後訓練を終えた瞭は、廊下の片隅でアビの前足に押さえ込まれ、舐めたくられている青蛙を発見する。
すっかり元気になったその蛙を私室に持ち帰り、しこたま遊んだ後、一緒に眠りに着いた。
追伸 ――瞭はどちらかと言うと、寝相は良い方だ。