遙&瞭の零れ話。
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浅い眠りしか貪る事が出来なくなったのは、一体いつの頃からなのだろう?
気に止まるような出来事が有った訳でもないのに、こうして真夜中に突然目が覚める。
しばらく身動ぎもせずに、じっとしてみるが、どうにも眠れなくて、遙は仕方なく寝台から身体を起こすと、ゆっくりと辺りを見回した。
仄暗い部屋の隅では、暖炉の中で随分と小さくなった炎が、遠慮がちに躍っている。
壁に据えられた、瞬く小さな蝋燭の明かりは、程よい陰影を描き、寝室を照らし出していた。
『 特に変わった様子は感じないが……』
ふと己の隣を見て、そこに存在すべき姿が無いのに気付く。 いつも隣で寝ている、まだ遙の腕でも充分に包み込める、愛しい子供。
歳の割に、身体が小さく線の細い子供は、自らの体型が気になって仕方が無いらしい。
日々、身長を伸ばす努力を怠らず、あれこれ運動に励んでいると、皓から聞いた。
そんな可愛い事を真剣に悩んでいる、件の子供の姿がない。
深夜こっそり子供部屋に忍び込むと、熟睡している子供の身体を、慣れた手付きで、私室へ運び入れた。
寝室へ招入れる瞬間、クスッと笑った恭に、声を立てぬよう、無言で促して。
目覚めさせぬよう細心の注意を払って、子供の身体を横たえる。 毎晩繰り返す動作は、いつしか馴染んで、無駄がない。
人肌の温もりが好きだと気付いたのは、いつの頃だっただろう?
肌を通して受け取る体温は、限り無く温かく、優しいのだと、遙に教えてくれたのは、皓と恭の二人だ。
だが何故か肝心の彼等は、添い寝してくれと言う遙の願いを、頑として聞き入れてはくれなかった。
……いや、確か恭は、「遙ちゃんさえ良いのなら――」と答えている最中に、皓に引きずられて何処かへさらわれて行ってしまったのだ。
しばらくの後、何故か恭を置いて、一人だけで遙の元へ戻って来た皓に「何なら黎でも良いが」と持ち掛けてはみたのだが。
黎は体温が低いから温かくはないし、精霊は気紛れだから、と皓は遙の提案を散々に否定した挙句。
「子供は体温が高いから、温かくて、気持ちいいぞ」
窓際でアビと戯れていた瞭を指して、苦し紛れに、皓はそう告げたのだ。
それ以来、遙は毎晩こうして、皓と恭の公認の下、瞭を寝室へと運び入れている。
『本当は抱っこするよりは、されたかったのだが……。しかも瞭はまだ子供だぞ?』
さすがに子供はな、と仕方なくアビを抱えて眠っていた遙だったが、拘束を嫌がるアビは、必ず遙の寝入った隙をついて、懐から脱走するのだ。
「全く仕方ないね……」
結局、この屋敷に居る唯一の子供が、特別深い意味もなく、ただアビのように逃げないと言う単純な理由だけで、遙の新たな獲物となった。
「瞭?」
遙は寝台から音も立てずに抜け出すと、手近にある上着を羽織り、瞭を捜して冷たい床へと足を踏み出した。
と同時に、視線の先に有る扉が、微かな音を立てながら僅かに開くと、差し込む明るい光と共に、小さな人影が、居間から寝室へ滑り込んで来て。
子供らしい丸い大きな瞳が、仄暗い部屋に遙の立ち姿を見つけ、驚いたように大きく瞬く。
「あっ! あれ? 遙。……ごめんなさい起こしちゃった?」
「瞭、こんな時間に寝床から抜け出して、一体どうしたんだい?」
遙が瞭の目線まで屈み込んで問う。 一瞬照れくさそうに笑った瞭は、素直に遙の質問に答えた。
「お手洗いの帰りに、居間にいた師匠に頭ぐりぐりされたんだ。また遙に攫われたのかーって言われて……」
「そうか」
遙は薄く笑って、屈んでいた背を伸ばすと、瞭の手を優しく掴み取る。
そのまま寝台へと遙に先導されて行きながら、瞭は不思議そうに、遙を見上げた。
「ねぇ遙。どうして僕は何時も遙の寝台で寝ているの? 僕は自分の部屋で、アビと一緒に眠っていた筈なのに?」
眠る前に、アビに散々触れた後、無理矢理抱き締めて、思う存分、アビのお腹の匂いも嗅いだから、間違いないと思うんだけどな。
「ふふっ」
瞭の呟きとも取れる言葉を聞流しながら、遙は瞭を寝台に寝かせつけると、自分は上着を脱いでから、傍らに滑り込んだ。
「遙?」
子供特有の温かく小さな身体を、遙は優しく両手で引き寄せると、背中と足を曲げ、包み込むようにして、瞭を柔らかく抱きしめた。
「私はこうやってお前を抱きしめるとホッとするのだが。……瞭は、私に抱きしめられるのは、嫌かい?」
「ううん! 遙ならいいよ。遙は温かいし、いい匂いがするから」
「……私なら?」
聞き咎めた遙に、瞭は大きく頷く。
「うん。でも師匠は絶対駄目! すぐに僕を抱っこしたがるけど、髭が当たってチクチクするから、僕、嫌なんだよ」
ムッとした表情を隠す事なく他人に見せる瞭は、本当に素直で、まだまだ可愛い子供だ。
遙は瞭の温もりと、陽向の匂いを全身で感じながら、幸福感に抱かれ、ゆるゆると瞼を閉じた。
「……遙、眠ったの?」
腕の中から、しばらく遙の様子を仰ぎ見て、返事が無い事を確認すると、瞭は慌てたように、自分も強く瞼を閉じた。
――勿論、夢の中で遙に逢う為に。
※ ※ ※
バサッ!
間近で発生した耳障りな音のお陰で、瞭は自分がいつしか、軽い眠りに囚われていた事に気が付いた。
だらしなく床に伸びた掌から、読んでいたはずの書物が零れて、傍らに落ちている。
いまや瞭の日課の一部となった、遙の快適な眠りを確保する為に務める、深夜の見張り。
遙の寝室へと続く扉前、居間にある長椅子に陣取り、退屈しのぎに一人、書物に目を通していた。
「さすがに、徹夜も三日目に入ると眠いか……」
僅かに掠れた声で、他人事の様にそう呟くと、狭い長椅子から立ち上がり、身体を伸ばす。
無理な姿勢で眠った為に、身体中の筋肉が硬くなってしまっている事に気づいた瞭は、億劫な態度で、全身の緊張をゆるゆると解く作業を、開始した。
『どうしてこうも、運悪く用件が重なるのか?』 と、一連の出来事を振り返り、自嘲する。
つい先日「どうしても貴方様でないと」と、名指しで依頼された難しい討伐を、速攻で終了させたたばかりだ。
お礼だと催された盛大な宴を振り切り、依頼主の元から寝るのも惜しんで帰ってみれば。
「キュリリリー」
機嫌良く出迎えたアビの御飯作りから始まって、遙への報告を兼ねた事後処理。
煩雑な手続きに時間を取られ、睡眠を取るのもままならなかった。
挙句、疲労が蓄積したその身に、新人から届いた手合わせの申し入れ。
男にしては随分と細い身体を持つ瞭は、時々下剋上を夢見た新顔から、こうした勝負を挑まれる。
無論、柔和に見える容姿だけで、安易に瞭の力を判断した新人は、一瞬で地を這い、途絶えた意識の底で、恐らく本当の夢を見た事だろう。
意識を手放した新顔の処置を仲間に託して、瞭は今度こそ、思う存分睡眠を貪る為に、自室へと向かう。
寝床に潜り込んだ瞬間に、意識を失えるかと考えたが、予想に反し、何故か眼が冴えて眠れなかった。
横になりながら、細い自分の腕を、目線の高さまで持ち上げると、瞭は小さく息をついた。
幼い身で遙の『力』を受けた事が、一番の要因なのだろう。
一度若返った身体は、極端に成長の速度を緩め、やがて瞭から年齢と言う概念を奪った。
『何だかなー』
幼少の頃、憧れたのは永遠の師匠である皓の勇姿。 全身に程よくついた無駄のない筋肉に、不屈の精神。 師匠のような姿になりたいと、何度密かに願った事か。
『されど現実は甘くない、か』
ある程度大人になっても、思い描いた理想の姿からは、程遠い。
『こればっかりは、どうしようもないしな』
僅かにほろ苦い自己嫌悪を伴った感情に、瞭は唐突に昼間の出来事の回想を、打ち切った。
このまま夜もすがら、取り留めの無い事を一人、漫然と考えたところで、答えが出る問題でもない。
『何か別の事を考えないと、落ち込みそうだ』
床から落ちた書物を拾い上げ、読書を再開する事で、出口のない思考の切断を図る。
だが意識をしっかり保っているつもりでも、やはり身体は相当疲れていたのだろう。
既に限界近くまで困憊した瞭の意識を容易く捉え、睡魔は、緩やかに支配を開始する。
「……」
朦朧とした瞭の意識を、忍び込んだ睡魔が完全に制圧するまで、さほど時間は必要ではなかった。
※ ※ ※
澄んだ空気に見守られ、月光は冷めた煌めきを、惜しげもなく地上へと、注ぎ続ける。
眠る事もなく、窓から射し込む月光を見続けていた遙は、不意に寝台から身体を起こした。
『今宵の月はとても綺麗だから、久しぶりに夜の散歩でも楽しむとするか』
どうせ床についても、いつも何故か明け方近くまで眠れないのだ。 ならば時間を有効に使うべきだろう。
『うん、我ながら良い考えだ。万が一異を唱えられたら、一緒にどうかと誘えば良いしな』
しかし寝室の扉を開けたところで、遙は浮き足だった歩みを止めた。
視線の先、窮屈な長椅子から手足をはみ出させ、無防備な眠りに落ちた瞭の姿が、見える。
「こんな場所で眠るなぞ、一体どうした?」
軽く肩を揺すり、声をかけても反応がないほどの熟睡ぶりに、遙は「仕方ないね」と小さく笑う。
「……全くいくつになっても瞭は子供だね」
瞭が耳にすれば、確実に落ち込むであろう言葉を、遙はそっと口にして、周囲を見渡した。
居間の暖炉は完全に消えており、冷えた瞭の身体を温める毛布も、近くには見当たらない。
「これでは風邪を引いてしまう」
取り敢えず己の寝床に運ぼうかと、抱え上げた瞭の余りの軽さに、遙は小さく嘆息する。
「この子はちゃんと食事を取っているのだろうか? 無理をしてないと良いのだが」
幼い頃から、自分の置かれた立場を見極め、無茶な背伸びをする子供。 すらりとした手足を持つ身体は、とうの昔に遙の身長を越えてしまった。
少年の面影を僅かに残しながら、青年へと緩やかに、けれど確実に移行し始めた、瞭の姿。
『人間の成長は、やはり早いな……』 胸を衝く、一瞬の憂愁。
深く考えることを意識的に避けて、遙は瞭を軽々と両手で抱え上げると、己の寝室へと運び込んだ。
寝台に寝かせつけた瞭の隣に、遙は己も潜り込んで、彼が子供のころ良くそうしたように、そっと全身を抱き締める。
『子供の瞭は良く陽向の匂いがして温かかった覚えがあるが。……現在はどうなのだろう?』
「うーん」
寝返りと共に回された瞭の腕は、無意識に遙を胸元へと手繰り寄せた。 抱き締めるつもりが逆に抱き締められて、遙は少し戸惑う。
「瞭?」
呼びかけた答えの代りに、規則正しい寝息が頭の上から降って来て、遙は小さく笑う。
「本当に、いつまで経っても、お前は子供だね……」
子供の頃より、幾分逞しくなった胸板に遠慮なく顔を埋めると、遙は静かに瞼を閉じる。
『けれど瞭。お前のお陰で、今夜は眠れそうだよ――』
※ ※ ※
「……」
眠りに落ちた遙の気配を感じて、瞭は閉じていた瞼を薄く開けた。 途中から目覚めてはいたのだが、何となく起きているとは、言い出せなかった。
『遙』
自分の腕の中に収まる遙の小ささに、堪らず愛しさが込み上げる。 そのまま強く抱き締めたい衝動を寸前で堪えると、瞭は大きく息を吐いた。
『遙の傍に居たいなら、変わらぬ笑顔が見たいなら、己の気持ちを殺すしか、術はない』
幼い頃から繰り返し聞かされ続け、いつしか瞭の胸に刺青のように刻まれた、皓の言葉。
絶対の拘束力を持つこの言葉は、一体いつまで自分を縛り付けておく事が出来るだろうか。
「……けど師匠には逆らえないしな」
身を任せ、安心しきった顔で眠る遙の頭を、瞭は限りなく、ただ、優しく撫でる。
胸を占める想いは形を変えつつあるが、いまはまだ、培ったこの信頼を大切にすべきだろう。
「――お休み、遙」
悩んだ末、瞭が遙の寝顔に告げた言葉は、およそ平凡極まりなくて。
けれど瞭は満足げに微笑むと、今度こそ本当の眠りを得る為に、固く瞼を閉じた。
終