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05・そして結果は

 


「大変! あの、あなた、大丈夫!?」

「お客さま!!」



 気遣わしげな彼女の声音に、キャロルは少し胸が痛む。だが不確定な悪意にさらされているのだ、このぐらいでいちいち気にしては身が持たない。



「お二人の食事の邪魔をして申し訳ない。彼女が少し気分が悪いといっていて、外の風にあたりに行こうとしていたところだったのです」

「まあ、それでお倒れに。あの、お医者様を呼ばれた方が」



 ぐったりとした様子で、キャロルは床に視線を走らせる。散らばる破片に広がる液体、そこにあの鈴蘭が一本、落ちているのを確認する。絹のハンカチに包まれたブーケも床にある。目的は果たした、後は現場から逃走するだけだ。

 キャロルの顔色を見るために屈んだジャックが、そっとあの鈴蘭を摘み取る。静かにポケットへ入れた。



「ねえ、ブラウン。お医者様を呼びましょう」

「――っ!? あ、あ、ウエイターを……」

「ご連絡いたしましたので、ご安心ください」



 彼女に声をかけられるまで、唖然としていた子息は、はっとしたように腰を浮かせた。突然のこととはいえ、少し反応が遅すぎやしないか。

 そこにウエイターがすぐさま声を重ねる。どうやら、ジャックが鈴蘭を持ち去ろうとしていることに気が付いてはいないらしい。



「ああ、よかったわ。ええと、キャロライン様? あの――」

「キャロライン、立てるかい?」

「え、ええ、なんとか立てるわ。あの、二人とも、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。お怪我はございませんか?」

「はい、私たちは……」

「よかった」



 ふらふらとしながら、ジャックに支えられてキャロルは立ち上がる。憔悴したような表情で、二人に謝罪の言葉をかける。騒動を起こしてしまったとうな垂れるキャロルに、慰めるようにジャックがその肩に手を添えた。



「本当に申し訳ありませんでした。連れがご迷惑をおかけしました」

「いえ。お加減が悪くなってしまったのは、仕方ありませんもの」



 さっきから話しているのはほとんど彼女で、どうも子息の方は心ここにあらずな様子。ちょっと、このぐらいで放心するとか、いくらなんでもないでしょう? まさか本当に未必の故意でも狙っていたのか。邪魔が入るはずじゃなかったから、計画が狂ったとか……。

 思わず怪訝な表情で子息を見てしまう。ぽんと軽く叩かれる肩に、キャロルは一瞬でその表情を押し込む。



「すまないが、どこか横になれるところは」

「奥にございます。ご案内いたします」

「頼む」



 ウエイターに案内されて、自然と現場から離れていく。キャロルたちが場を空けると、別のウエイターが彼女たちを違う席へと案内した。大騒ぎになりながら、片付けが始まった。

 不安げな彼女の表情。対照的に取り繕った表情になった子息は、テーブルの周りを見ていた。あの鈴蘭でも探していたのか? すでに二人のいた席は、片づけが始まっている。そう、あのブーケ自体も回収対象。たとえ見つけたとしても、そこから取り戻すのはもう無理だ。



「びっくりしたわね」

「そ、そうだね。もしかしたら、彼女、あまり体が丈夫じゃなかったのかもしれないね」



 残念ながらキャロルは健康である。年一回の健康診断もまったく問題のない数値が毎回書かれている。



「あ、それでね。今日は話があって」

「あ、ああ。そうだったね。それでどんな話なんだい?」

「式の日取りとか、そろそろ決めようと思うの。お父様も、小さなものでもいいから挙げようって言ってくれたの」

「えっ? 式?」



 通された奥の部屋からは、会話を聞くことは出来ない。用意されたソファーに座って、キャロルは摘んだスカートの裾を軽く揺らす。色こそないものの、無視できない大きさの水染みが付いている。しかも軽く、アルコールの匂いがする。

 店を任せているマネージャーに、ジャックは何かを話していた。どうやら、あの二人からはお金を取らないようにしたらしい。そのかわり騒ぎを口止めさせておけ、ということか。

 実害があったのはキャロルのドレスだけ。……あとは、あの鈴蘭つきのシャンパンぐらいで。



「お疲れ様、キャロル。紅茶を淹れたよ」

「ありがとう、ジャック」



 出されたカップは少し甘い香りが強いものだ。紅茶の赤より、やや薄い桃色の液体に口をつける。味は、下手なカフェで飲むものより美味しいのだから、特技であると彼が言っていたのもあながち嘘でもないらしい。

 もっとも、屋敷では滅多に自分で淹れないが。これだけの味を出せる人が、屋敷のメイドが淹れる紅茶で満足できるのか疑問に思う。



「本当は、邪魔に成功した祝杯にしたいところだけどね」



 ジャックは立ったまま紅茶のカップを片手に、そんなことを呟いた。壁際にある小窓から、庭園を覗いている。

 広がる香りに、いくばくかささくれ立った心を落ち着かせ、キャロルはその姿を眺めた。すらりとした体の線に、物憂げな表情。王子様といっても問題ないくらい、顔は無駄にいい。実に絵になる姿である、腹立たしい事に。



「……男爵か、あの令嬢から依頼は来てないのよね?」

「残念ながら。私たちは依頼が来ていない以上、勝手には動けないよ。まあ、今日のように、不測の事態は起こせるけれど」

「はあ……。無力だわ」

「君は素直だね」

「そう?」

「それを仕事で出さないのは、君の培った経験の賜物であり、使用人としての美徳だよ。たまに被った猫が昼寝をしているようだけど」

「……失礼しました」



 気まずさに居ずまいを正す。せっかく褒めているというのに、落とすところはしっかり落としてくるのだから、この上司ときたら。



「まあ、仕方がない。貴族社会は決まり事としきたりで溢れた場所だ。人よりも家名に重きが置かれる場所。気にかけておくだけに留めておいた方が、こちらも被害がない」



 流すように、ジャックがキャロルに視線を向ける。ジャックの家、スミス伯爵家が実利を損なう被害を受けるわけには行かないのも、また事実。

 真実か定かではない醜聞一つで、家が傾く世界はなんと恐ろしいことか。家ならばまだいい、持ち直すチャンスはある。だが、個人ではほぼ不可能な領域だ。歪められ、尾ひれに背びれが付いた噂は、容赦なく当人を潰しにかかる。

 キャロル個人が潰されることがなかったのは、ただひとえに『家』だったからだ。



「分かったわ。もう首を突っ込まないわよ」

「そうしてくれるとこちらも助かる。それに、次の派遣先で考え事をしながらでは困るからね」

「……釘を刺さなくても大丈夫よ。それで、派遣までの間、私は屋敷の仕事に振り分けられるのよね? それとも、他に短期?」

「次はかなり神経を使うだろうから屋敷だ。細かいところはマダムと相談してくれ、派遣日時は伝えてある」



 マダム――マダム・メイアはスミス邸で最も年嵩のメイド頭で、さすがのジャックも彼女には頭が上がらないらしい。細いフレームの眼鏡をかけ、きっちりと後ろで結った黒髪に、服装には一部の隙もない女性だ。腰に鍵束をつけ持ち歩いているというのに、音が鳴らないのだからキャロルは心底不思議でならない。

 使用人一族として育ったキャロルも、彼女には教鞭をとる教師を見るような尊敬の眼差しを向けている。けれどそんな彼女もスミス邸にいるということは、何かあってここに勤める事になったのだろうかと勘ぐってしまう。



「さて、持ってくるよう頼んであるから、ランチを再開しようか」

「……今度は仕事の話は抜きにしてよ」

「すでに終わってしまったからね、残念な事に話しようがない」

「残念がらなくていいから」



 ちゃかすような口振りだが、これ、話すことがあったら話していたんじゃ……と、キャロルは思ってしまう。

 タイミングよく運び込まれる料理に、いそいで簡易のテーブルセッティングをする。プレートに盛られた料理の様子から、肩肘張らない食事方法になった事に気が付いた。おしゃれをしてこういった店で食事もいいのだが、やはり多少は楽にしていたいと思うこともある。特に、神経を使った後には。

 ウエイターが引いた椅子に座るキャロルが、デザートも用意されているという一言に喜んでいるのを横目で確認しつつ、ジャックも席につくと銀食器に手を伸ばした。



■□■□■



 曇天の空だ。天気がいい方が気分的にも違うというのに、こればかりは仕方がない。

 持っているのは着替えの入った鞄、それと紹介状。ジャックの屋敷と較べると断然広い敷地に大きな建物。さすがは七代続いた伯爵家だ。

 鉄製のアーチを抜け、まっすぐに玄関に向かう。キャロルは気持ちを落ち着けるように深呼吸をして、ドアノッカーを鳴らした。



「はーい。どちら様でしょうか?」



 若い女性の声と共に、ゆっくりと開かれるドア。予想通り、現れたの若いメイドだった。

 背筋を正し、キャロルはまっすぐにメイドの顔を見た。



「私はキャロル・タウンゼントと申します。シャルマン家家政頭のミセス・ガレットから、この屋敷へ来るように、と言われて参りました。紹介状はアーガスト家からのものを持っています」



 さあ、キャロルの舞台の始まりだ。


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