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04・鈴蘭が意図するもの

 


「それでキャロル、君はどうしたい?」

「え? そりゃあ、腹が立つから婚約解消させたい……けど、借金がねえ」

「そう。彼女が婚約を解消しても借金が残る。もし、借金の返済を条件としたら、私たちの考えていることは、男爵には迷惑だろうね」

「……ですよね」



 くいっと、グラスに残った果実酒をキャロルは煽る。今度は行儀が悪いと窘められることはなかった。代わりに、ジャックはおもちゃを見つけたような顔になる。

 ……彼がよからぬことを考えているときの顔だ。



「……もしかしたら、借金の返済は令嬢に関係ないかもしれない」

「どういうこと?」



 指先だけで、ジャックはあの二人のテーブルをさす。

 話が済んだのか、ようやく二人の前に運ばれたのは細長いフルートグラス。グラスの中の液体に気泡が見える。シャンパンか。

 令嬢に媚を売るような甘い顔を見せながら、男はあのブーケから鈴蘭を一本取り出し、グラスに差し込んだ。



「あら、小洒落たことをするじゃない」

「そう思うかい?」

「え? 違うの? ジャックだって、前にやってくれたでしょう」

「確かにそうだね。でも、そんなことをしたのは君だからだよ」



 不意打ちだ。にこりと笑って、キザなセリフを吐かれてしまえば、たとえ嘘だとは言え顔が熱を持つ。これだから、無駄に顔の作りがいい男は困るのだ。しかも、己の容姿を理解しての発言だからなおさら性質が悪い。



「ごほん。それで、どういうこと」

「鈴蘭はあんな可憐な見た目だが、立派な毒草だ。その白い花から、地に埋まる根までね。ご令嬢は食事、つまりは固形物を胃に入れていない。空胃にアルコールを摂取すれば、さぞや毒の回りは早いだろうね」

「よし、現行犯」

「残念だけど知らないと言い切れてしまうよ。喜ばせようと思ってしただけで、花をグラスに飾るのは珍しいことじゃない。今、あそこにあるのは想像でしかない殺意だ」



 ここまで分かっていて、それでそのまま見捨てろというのか。不満げにジャックを見るが、彼はキャロルのこの心情まで計算している可能性が高い。

 何を考えている。何を考えて、行動を起こさないのか。



「『キャロライン』、さっき少し気が滅入ったといっていたね?」

「え……ええ」

「……外の空気でも吸いに行こうか? 幸い日もかげっているし、それほど日差しも辛くはないだろう?」

「――っ!? え、ええ! ぜひ、外の風に当たりたいわ」



 そういうことか! 直接の邪魔にも方法はある。向こうが無関係を通すなら、こちらも偶然を装うまでだ。

 わざとらしくジャックが席を立てば、あのウエイターが何事かと様子を伺いに来た。



「オーナー」

「可能性の段階とはいえ、この店で死人か中毒患者を出すわけには行かない。念のためいつもの医者に連絡と、巡回の警察にワザと顔を出せと伝えろ。上手く出来れば、ご令嬢のブーケも回収してくれ」

「承知しました」



 さっと踵を返すウエイターを見送ると、ジャックはキャロルに手を差し出した。

 そうだ、今はキャロラインだ。ジャックが用意した舞台の、主演の名前。

 ゆっくりと、さぞ具合が悪かろうといった風体で、その手にそろそろと自分の手を伸ばす。立ち上がる前に一度目を閉じ深呼吸。よし、大丈夫。私は舞台女優だ。


 そっと立ち上がり、ジャックの腕に支えられ、『キャロライン』は庭園へ向けて歩き出す。

 テーブルの間を縫うように進み、時折、様子を確かめるようにジャックが声をかける。それに弱々しく微笑みかければ上出来。会話の中身がちぐはぐなのは除く。よくあることである、私たちの間では。後は夜会で下心のある子息たちにもだ。



「シャンパン、染みは落ちるかしら」

「落ちなければ新しいドレスを買ってあげるよ」

「ワー、ウレシー」

「私の恋人はまったく感情が篭ってないな」

「ごめんなさい、ジャック。なるべく汚さないように気をつけるわ」

「むしろ逆に仕立てる理由が欲しいのだけれど」

「どういうこと?」



 汚して新たに一着仕立てさせるな、ではなく、むしろ仕立てさせろとはどういうことか。

 きちんと仕立てた服はけして安いものではない。かなりの金額が飛ぶのだから、よほどのことでない限り、大事に使うべきものだ。まして彼の仕立ては完全なオーダーメイド。屋敷にいる使用人たちに、全員カルテと称される顧客表を作らせるほどの、しっかりとした店のものだ。



「メイドたちの服を作っているのは、私の友人のテーラーだ。いろいろデザインはあるらしいが、注文で来る婦人服は形式ばった物ばかりで詰まらないんだそうだよ」

「……ああ、そういうこと。つまり盛大に汚して、友人の気晴らしに付き合えと」

「ぜひとも派手に転んで欲しいね」

「痣作りたくない」

「そこはちゃんと支えてあげるよ、私の可愛い恋人さん」

「わぁ、うれしい」



 本当にもう、嬉しくない。キャロルの心中は真逆である。衣服に関しては財布をまったく気にすることはないのだけれど……。それでもあの仕立屋で、高級な生地が並ぶ場所で、テーラーが直接採寸を取るのだ。心臓にはきつい。一度など裁断師と呼ばれる人まで来た。一体何をする人なのかと混乱したのは記憶に新しい。



「しかし彼女、今までにまったくそういった経験がないのかな?」

「今まで?」

「他にもこうやって、微量な毒物を常時摂取させられていないのか、ということだよ」

「ジャック、適切な罪をでっち上げて――」

「キャロライン。一番肝心なことは、男爵家が令嬢と借金の返済、どちらに比重を置いているかだ」



 言い聞かせるようなジャックの言い方に、俯きながらもキャロルは顔をしかめた。もし、彼女の実家が借金を優先していたら……乗っ取られるのを覚悟していても、家名を残すことに執着していたら……。

 今までの仕事でも、そういった家があったのをキャロルは知っている。貴族の名前、そこから貴族席を返上することは、代々続いていた家ほど抵抗感が強い。

 差し出された腕を掴む手に、力が篭る。知っていても、無力でしかないことが多いのは分かっている。けれど……。



「男爵と家格は低いが四代続いている家だ。家を残すために切り捨てることも、出来なくはないだろう」

「……嫌な世界ね」

「だからこそ、外の世界に恋焦がれる。その先が、求めたものが自分に善いものになるどころか、悪い事にしかならないことを知らずにね」

「ジャック、あなたも外に焦がれているのかしら?」

「さあ、どうだろうね」



 うっすらと、淡く微笑みながらジャックはキャロルを見た。かすかに覗く寂しさに、顔に落ちる暗い影。

 ……きっと、彼にもかつて何かあった。そう思わせるだけのものが見て取れた。



「彼女のご実家が、彼女を大事に思っていることを願うよ。そしてあの二人も、打算が仮にあったとしても、その中に愛情を育もうとするだけの気持ちがあることを、信じるしかない」

「……そうね」



 今はまだ、可能性の段階しかないのだ。あの子息も知らず喜ばせようとしただけかもしれない。前の恋人がしつこくて、仕方なくああ言ったのかもしれない。

 どうとでも、取ることは出来るのだから。



「さあ、キャロライン。ちょうどいい具合に顔色も悪い。そろそろ近付く、準備はいいかい?」

「ええ、大丈夫よ。任せて」



 タイミングは、ぴったりだった。二人が乾杯をしようと、グラスを持ち上げたところだった。

 ジャックは微笑ましげな表情を浮かべて、キャロルはふわりとした笑みをあの彼女に向ける。目が合った、ほんの少し頬を高揚させて、恥ずかしそうに、はにかんだ笑みを見せ――キャロラインは、足を縺れさせた。

 テーブルクロスにスカートの裾を絡ませ、崩れる体を支えるように、テーブルに手を伸ばし、クロスを掴んだまま横に滑り落とさせる。



「キャロライン!」



 店内に広がる盛大な音の中混じる、グラスの割れる音が耳に入った。


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