02・待ち合わせの店
皿が並ぶのを待ちながら、キャロルはさっと店内に視線を動かす。
キャロルたちと同じように店内の、随分と離れた席に座っている女性が一人、目に入った。紅茶を飲んでいるが、昼の時間にしてはテーブルの上に皿が一つも置いていない。
服装と、所作を見るに貴族階級のようにも見える。恋人か婚約者との待ち合わせ、だろうか? どこか落ち着かない様子でカップを持ち、壁にかかった時計を何度も見ている。
「会話しながらの食事って、行儀が悪いんじゃなくって?」
「ここは舞踏会の会場じゃないんだ。そこまで型にはまらなくていいだろう」
「むしろそっちのほうが会話は多いわよ」
「それはそうだろう。あそこはいかに相手の弱みを見つけるか、腹の探りあいの場所だ」
以前、ジャックの恋人のフリをして夜会に出たときを思い出して、キャロルは渋面になる。
舞踏会や夜会は、主催者の家によって規模の違いはあるだろうが、それでもあの限られた空間に人が密集するのだ。それも腹の内に何かを抱えた人たちが。仕事でなければ行きたくはない。
「相変わらず嫌な場所よね」
「それは同意する」
心底嫌だと顔に出してそう言えば、ジャックは苦笑した。
こっそりとキャロルはあの女性を見る。ああ、やっぱりそうだ。あの女性の着ている淡い水色のドレス。袖口や胸元の飾り、首を隠すような襟は、特徴的な花柄の刺繍のレースだ。
見覚えがある。自分が普段着ている服とは桁が二つほど違う、明らかに老舗有名ブランドの刺繍。ということは、彼女はやはりどこかの貴族の令嬢なのだろう。
「君は、恋人と食事をしにきたはずなのに、他の人間に目を向けるのかい?」
クスクスと笑いながらグラスを揺らすジャックに、キャロルは軽く肩を竦めた。
ジャックのその仕草が妙に似合っているものだから、毒気を抜かれる。たとえ演じている役柄とはいえ、そういったことを言われるのは悪い気はしない。
「ごめんなさい、ジャック。でも仕方ないでしょう。この仕事のおかげで、派遣先以外でも人の動きが気になっちゃうんだから」
「それは僥倖」
「よくないわよ」
「まあ、確かに私も、彼女はちょっと気にはなっていたけどね」
続いて出た言葉に、軽く目を開いてキャロルはジャックを見た。
このとき反射的に振り向かないように、訓練した甲斐がある。
「どういうことよ?」
「私が来る前にあそこに座っていたからね。どれだけ待っているのかウエイターに聞いたら、一時間以上前にはいたそうだ」
「……それって、相手にすっぽかされただけじゃないの」
キャロルは呆れた。そこまで待ったのなら義理は果たしただろうに、待ち続けるなんて健気にも程がある。
まあ、貴族令嬢特有の鈍さから待っているのかもしれないし……。本気で好いた相手ならば、おかしくも、ない。そうね、もしかしたら遅刻したのも訳があるかもしれないし……と。好意的な解釈などいくらでも出来る。
キャロルがここに来るときに、運転手役を買って出てくれた同僚は、人命にかかわる事故はなかったと話していたし、自分も窓の外を見ていたが事故現場後の様子は見かけていない。お世辞でも、交通事情がいいとはいえない王都だ。たとえ別の道といえども何かしらの影響が、自分たちが通った通りにも出ているはずだ。だが、それらはなかった。
「令嬢がそんな言葉を言ってはいけないよ」
「失礼。お相手の方は、忙しくて忘れてしまわれたのでしょうか? あんなに可愛らしいご令嬢を待たせているなんて、酷い人ね」
口元を手で隠し、眉を八の字に下げて言えば完璧だ。
「上出来」
音を立てないように、わざとらしく拍手を送るジャックを恨みがましく見る。
「まあ、あの待ちぼうけの彼女も気になるが、仕事の話に戻ろう」
「……そうね。あなたの頭から、仕事の二文字は抜けなそうだし」
「ご名答。いいタイミングで料理も来たことだし、始めよう」
目の前に置かれた美味しそうな魚料理、きっと話が始まったら美味しく感じないんだろうなぁ。そんなことを思いながら、キャロルはナイフを動かした。
「君は、紫陽花屋敷を知っているかい?」
「紫陽花屋敷って、王都の西にある、シャルマン伯爵家のお屋敷? 確かシーズンは、お金とって紫陽花庭園を公開してたわよね?」
「……そう言う事はしっかり覚えていたようでなにより。そう、今回の依頼人はそのシャルマン伯爵家の当主」
シャルマン伯爵と言えば七代続いている名家だ。武勲によって功績を立て、爵位を得た家。その武勲のとおり、一族の中から軍事に秀でた者を多く輩出している。
紫陽花屋敷といえばシャルマン伯爵家のタウンハウスだ。今は戦争によって夫を亡くした妻、現当主のカリーナが居を置いている屋敷。
貴族名鑑を見たときにチラリと目にしたが、ジャックに依頼するようなことがあるとは到底思えない。何かの間違いじゃないの? そんなキャロルの考えが顔に出ていたのか、ジャックが皮肉げに笑った。
「どんな名家といえども、いや、名家だからこそ、問題が起きても表に出にくい」
「噂だけが一人歩きするってことね」
「君みたいにね」
「ジャック……」
「これは失礼」
言っている唇の端が、微かにあがっている。絶対にジャックは悪いと思っていない。そんなジャックに、キャロルは不満気に眉根を寄せる。
あまりその話でからかわれたくはないのだが、ジャックはときどき、思い出したかのように言う。古くもない傷口を抉られたくはない。
「――その伯爵家の娘が一人、失踪した」
「は? 失踪って、それ大っ――大事件じゃない」
途中で大きくなりかけた声に、口を慌てて塞ぐ。
「警察には相談済み。ただし事件が事件なので内密扱い」
それもそうだ。娘が失踪だなんて、自発、事件どちらだろうが関係なくスキャンダルだ。そこに『名家』が付けばなおさら。
「確かシャルマン伯爵の本家の娘は――」
「双子の娘が二人に、その下に息子が一人。ただし、息子の方は人脈作りもかねて留学中。失踪したのは妹の方。姉のほうは病弱で、今回の失踪でだいぶ参ってしまっているらしい」
「いつ失踪したの?」
「もうじき二年になる」
ちょうど一人で待っていた、あの貴族令嬢らしき女性に男が声をかけてくるところだった。フラワーガーデンから入ってきた男は、待っていた女性よりも随分と年上だ。
少々離れた過ぎた気もするが、年の離れた恋人や婚約者など、貴族社会ではよくある。手に持っている鈴蘭のミニブーケを目の前に差し出し、詫びるかのような表情で何かを言っている。ぱっと表情を綻ばせる女性を見るに、どうやらそのどちらかで間違いない。恋人たちの待ち合わせに、この店はよく使われる。
もっとも、その待ち合わせの情報が、この店のオーナーであるジャックに流れていると知っている人は少ない。とある貴族の婿養子である夫の、不倫相手との密会がバレたのは、この店とキャロルたちが原因だ。
……あれはすさまじい修羅場だった。そのときの金切り声の混じった怒号を思い出して鳥肌がたった。
不倫相手との間に子供もいて、しかも認知していたのだからさあ一大事。当主である夫人の怒りがどれほどのものか、想像するのも恐ろしい。夫の言い分と、夫人の主張はお互いがまったく引く気がなく平行線。
婿養子だからというわけではないが、夫人に隠れて別の相手を囲っていたのだから、夫はもう少し殊勝な態度を取ってもよかったような気がする。そうすれば離婚された挙句、婚前契約をフル行使されて、身一つで追い出されることはなかっただろうに。
夫人は不倫相手の子供にだけは優しかったが、それでも、着の身着のままの『元』夫を払い下げるあたりに、不倫相手にいい感情を持っていないのは明白だ。
結局、それほどの期間を開けず、元夫と不倫相手は別れた。子供は孤児院に預けられた。そもそも婿養子だ、その不倫相手が生んだ子供に相続権は存在しない。これが、夫人が亡くなり夫が当主になって、その不倫相手との間の子供だったのなら話は別だが。
……不倫相手がそんなことまで計算高く考えていたのだから、夫人の怒りに火を注いだのだ。ええ、その話をしっかり調べて裏取りしてたのも私たちですが。情報を渡したのも私たちですが。
……お仕事しただけですとも。だからそんな、今にも刺し違えそうな目で私を見るのだけは止めて欲しかったです、夫人。執務室で夫人に報告したときの、私の心境を分かる人はいまい。
渋い顔になって、キャロルはグラスに口をつける。そのことを思い出したのが分かったのか、ジャックは愉快そうな顔でグラスを回す。そう、ここで人の表情にフォローを入れないのも、この上司の性格だ。
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