まずはパーティーを組みましょう。そのよん
円錐階層都市Bnburio第三層━━《彩菜亭》
「そういえば、モモの店にお客さんが来ないのは、無断だとか曲解だとか、なんだか小難しいこと言ってたですけど、あれ、どういう意味です?」
樽の上に丸い木板をのせて釘で打ちつけただけのテーブルを囲うようにして、マオと仔百は座っている。
《意識混濁性消失障害》の菜食主義主人が開業した《彩菜亭》は、Bnburioでは名の知れた食事処だった。というか、マオが咄嗟に思い出せた店は《彩菜亭》だけだった。
葉菜、根菜、香草、果実など、趣向を凝らした一品が、卓上を彩りよく演出している。
テーブルの真ん中で圧倒的存在感を放っているのは、マオ達の目線ほどまで競り上がったサラダの山塊だ。
サラダの山塊の周囲には、四季を連想させる《彩菜亭》自慢の創作料理が並んでいた。
ミルトマトによる淡い桃色のソースが掛かった茸の束は、散りゆく桜の如く。
平べったい縞々林檎を刳り抜いた器には、宝石のように煌く様々な果実が一口大に詰め込まれており、ほんのりと水色の花蜜で満たされている。テーマは真夏のビーチといった所か。
紐南瓜とキュキュロットの鉄板焼きには、ルージュリーの葉が散らしてあり、秋の紅葉をイメージさせた。
粉雪粉をまぶして、油分を多く含むポーメジュの樹液で揚げた根菜の天ぷらが織り成す冬景色には、シルクソルトの雪が積もっていた。
どれも《New Age》の世界でなければお目に掛かれない。いや、味わえないであろうものだ。
「いくらモモでも曲解ぐらいは分かるでしょ? ほら、僕達《意識混濁性消失障害》ってさ、現実では認識が曲解されてるって、フィズが言ってなかった? 」
「言ってたですねー」
「モモはあそこの賃貸料払わなくてもお店作れるけど、画面を通した現実では適用されないっていうか、そもそも映し出されないというか。まぁ、実証できるわけもないから、憶測の域でしかないけどさ。あと《意識混濁性消失障害》からしたって、適用されてないんだから店舗として識別できないわけだし、しかも端っこだもん。誰一人として声を掛けてくれなくても不思議じゃないよ」
「むぅ。こんなに可愛い女の子が困ってるのを見て見ぬふりするなんて、世知辛い世の中です」
マオはバンブリオに辿り着いた時の初印象を掻い摘んで話し出す。
「まぁ、ざっと見た感じ、バンブリオは《意識混濁性消失障害》も少ないみたいだからね。やっぱり、この国まで到達するには、それなりの勇気とか、覚悟とか。そういうのが必要になるんじゃないかな。周辺の魔物もそれなりに強いから、レベルだって上げておかないと太刀打ちできないだろうし」
《意識混濁性消失障害》は死ぬ時、呆気なく死ぬ。数値上で幾ら標準を超えていても、決して肉体が鋼のように強固になるわけでもないし、自然治癒が並外れて加速するわけでもない。なら、レベルを上げる利点とは何だろうか? これは《意識混濁性消失障害》にとっては周知の事実だから、マオも当然のように説明を省くし、仔百もその部分を掘り返したりはしない。
レベルにおける恩恵として最重要なのがスキルの習得である。先に数値上では然したる変化が望めないと言ったが、スキルによる変化は《意識混濁性消失障害》にも確実に適用されていた。
治癒魔法を習得しておけば、致命傷を受けてもその場で癒せるだろうし、近接職であれば、剣技などのスキルを覚えれば、予備動作と意識想起により人外的な動きをも可能とする。
さすがに蘇生魔術までは実現しないなど、現実的限度はあるにしても、現実の頃と比較して生殺与奪が身近に迫る《New Age》の世界では、スキルを習得する恩恵は大きい。
「おいおいっ子供達はそろそろおねんねの時間じゃねぇかぁ? おめぇらみたいなのが居るとよぉ、俺達も気持ち良く酔えねぇだろうが。なぁおいっ!!」
マオ達のテーブルへ乱暴に肘を突き立てた男は、言動とは裏腹に額から顎先までが真っ赤に茹で上がっていた。
男が握っている小さな樽に取っ手を接着させただけの杯から麦酒が零れ、マオ達の料理に飛び散る。
仔百が怒りを露わに、男の胸倉を掴み掛かろうと立ち上がった直後。
「で、Bnburioまでくると、変に自信ついちゃう人も多いんだよね」
視線は仔百に向けたまま、マオはわざとらしく呟いた。
「威勢だけ立派でもね」
揶揄するようなマオの物言いを受けて、ますます赤みを帯びていく男の顔面。
「んだとぉこのやろぉ!!!!」
Bnburioは、闘技場を除く全面が不可侵領域に設定されている。つまり、スキルは使えない。
だが、暴力に訴えることも、凶器に頼ることも、《New Age》は許していた。
低すぎる沸点を超過した男は、酒杯を乱暴に投げ捨てて、マオへと拳を振りかぶる。
「やめやがれですっ!!」
店内は瞬く間に緊迫した空気に包まれていく。調理場の方から駆けつけた菜食主義の主人は、状況がわからず戸惑っていた。
「殴れば?」マオはあくまで挑発的な態度を崩さなかった。
額に血管を浮かばせ、憎しみの色が強く滲む睥睨を利かせる男。いつの間にか、その背後には仲間らしき男達の姿もある。
マオは静かに、右の指でついっと宙を掻いた。《葬儀人》であるマオには仕様外スキル《強制書換》という切り札が隠されていた。
世界の均衡を保つためだけに奮われるべき《強制書換》をいつでも発動できるように伏せているのだ。
フィズが知れば、命すら危うくなる暴挙だった。しかし、マオはそうと知りながら、あえて理性を突き放している。
厳格であるべき《葬儀人》としてではなく、気儘な《朱猫の魔術師》として、マオは己の本質に従おうとしていた。
なによりマオはこういう連中が嫌いだった。
「世界が変わっても、君達みたいな人は変わらないんだね。威張り散らして、自分より弱そうな相手にばかり吠えてさ」
「マオ!!ちょっと黙ってろです!!」
「そうだね。これじゃ弱いものいじめだ」
「てめぇ!!ふざけんなよぉ!!」
男の拳が勢いよく振り下ろされる。
マオが《強制書換》を発動させようと、指先を動かしかけた刹那。
「━━もうよしなよ」
男の拳を見知らぬ掌が受け止める。二人の仲裁に入ったのは、金髪を後ろに束ねた長身の女性だった。
「ほら、あんたは、この子らの料理に酒をかけたんだから、きっちりと謝んな」
「あぁん!? 女がしゃしゃり出てくんじゃねぇよ!!」
「ちょっと失礼するよ」と、女性は空いている片手を使って、酒を浴びた野菜をひょいと口元に運んだ。そして。
「ほんはひ、んまいひょういをほまつにすんなよっ!!!」何を言ってるのか、誰にもわからなかった。
「うっげほっ……姉御、食事中に喋るのはマナーいは、うっ、ごっほ!!」今度は咳がうるさかった。
「おい、大丈夫かよ!!ひふみん!!」
「なんのこれしき……ふぶっ、げぼっ」
「だ、大丈夫ですか!?」仔百が心配そうに咳き込む人間を……全身鎧姿の病人を見上げた。
「なんだこいつら……」男達もすっかり毒気を抜かれている。
「あんなぁ、そこらへんにしときやー」と、今度は不自然な関西訛りが聞こえた。
━━おい、あれ……《ゾディアーク教団》の……《死霊師》紫苑だぞ。
成り行きを静観していた誰かがそう囁いていた。
《死霊師》の紫苑……。その名にはマオも聞き覚えがある。《New Age》の世界の住人を誘拐して、人体実験を繰り返している狂信者だ。
鈍い紫色の細い頭髪は、首元まで垂れている。
赤紫の瞳に不健康な印象を与える青白い肌。目元には薄っすらと隈すら浮かんでいた。
成人男性にしては小柄な身体を更に猫背気味に丸めており、どこか卑屈な印象を強調している。
「折角の晩酌が台無しやんなぁ、バルド」
「もう酒は飲めん……酔った」
カウンター席で、紫苑の隣に座っている大男は背を向けたまま、しゃがれた声で答えていた。
へぇ、あれが━━《滅竜士》のバルドか。僕達《葬儀人》以外で《強制書換》を持つたった一人の先駆者。
竜(管理者)を殺した男。そして《意識混濁性消失障害》の謎に最も近付いているとフィズが危惧している特異点。
マオは気取られぬように《ゾディアーク教団》の頂点に君臨する二人の姿を記憶する。
《葬儀人》を続けていれば、いずれ必ず相対する弊害だ。
「だ、だいじょうぶですか? この飴を舐めるといいですよ!!」
「すまない……ふぐぅ、っ!!」
「あぁ、詰まらせたですか!!」
「あたしに任せな。ひふみん、ちょーっと我慢しててねー。おりゃあぁぁ!!」
鎧の人の腹部をおもいっきり蹴飛ばす金髪さん。
「駄目です!!ごめんなさい!!モモが飴玉なんて渡すから!!」
「気にしないでー。ちょっとぉひふみん。根性出しなさいよぉー」
「━━っ!!」
「あんなぁ、飴ちゃん詰まった時はブリッジさせるとええらしいでー」
「まじかっ!!おい、ひふみん。ブリッジだブリッジ!!」
「ファイトです!!」
「あはは、冗談やて」
紫苑の声は細々としており、女性陣が張り上げる罵声?に掻き消されていた。
「せやから……あー、もうええわー」
あ、諦めるんだ。マオは突っ込みたい衝動を必死に抑えた。そして、苦し悶える鎧人間と、そんな状態の人間にブリッジを強要する鬼畜な二人にも関わらないように、椅子をちょっとだけずらして、まだ一口も食べていない縞々林檎のフルーツ盛り合わせを黙々と堪能した。