ミラーランド・マッド・ティーパーティー 1p-1t
黄金色の帆が波を立て、夕日を映す棚田はプリズム片の輝きを見せていた。
雀を背負う鴨が緩やかに降下している。二匹は稲穂の先すれすれまで接近すると、流線型を模して一匹の鳥となり、再び放物線を描きながら空へと舞い上がっていく。
不思議な光景だった。
鴨と雀の向かう先に、とてつもなく巨大な雲群が浮いていた。
空に壮厳と聳える雲は、神の手に切り落とされたような絶壁を晒す岩山のようでもある。
青年は、その逞しい雲の輪郭に故郷の情景を重ねる。
「兄さん、ほら、あの雲を見てよ。すっごく大きい……きっと竜がいるんだ」
「ギル。竜は朽ちて山脈になったんだって、父様が言ってたじゃないか」
二人はいつでも一緒だった。
鉄の馬車がもくもくと煙を吐き、鋼の鳥が鋭い回転翼で雲を切り裂いている。
平たい水晶に投影されている人間の肉声や、点在する柱の上から蜘蛛の巣のように張り巡らされた黒い紐。
それが二人にとって馴染み深い箱庭とは違う……即ち、小人にとっての上界だと気付けたのは、賢人のお告げがあったからだ。
この世のものとは思えない程に透き通った幻想的な声音の主は、自らをスピリティブ・フォン・ド・ジキルと名乗った。
それは彼等の世界で三賢人の一人に数えられる人物の名前であり、双子にとっても聞き覚えのある名前だった。
「シュヴァリエの双子……君達はとても美しい。持たざるものであれ、容姿の恩恵は得られるからね。君達には、いずれ僕達が立ち向かわなければならない世界を知ってきてもらいたいんだ。僕達を創り出した神々の世界をね」
シュヴァリエの双子。
兄のナイトレイ・シュヴァリエと弟のギルフォート・シュヴァリエは、過去、賢人の手先となり、上界へ……現代へとやってきた。
やがて、双子は、その世界で大切なものを見つける。
しかし、賢人にとっての望まない変化を悟られた二人は、前触れもなく元の世界へ戻されてしまう。
帰ってきた世界では、両親は他界しており、住居は解体されていた。
双子は、幸せを与えては奪い、相対的に不幸を濃くさせた賢人を恨んだ。
そして、双子は復讐を遂げる為、ひたすら鍛えた。
兄は魔術を深め、弟は武術を極め、いつしか双子揃って最強の矛と盾に称されるまでに至る。
それでも、双子は鍛錬を欠かさなかった。
雲泥を見下ろし、蒼穹に寄り添って、未開領域を漂流する島に住まう賢人へ一矢報いるまでは。
そう約束していた。
だが、負の感情に囚われた双子の前に、彼女は再び姿をみせた。
賢人の掌の上で踊らされているに過ぎないと自覚していながら……双子は涙を隠せなかった。
彼女は、その行為の代償を理解した上で、双子へ会いに来てくれたのだ。
たとえ、生まれた世界が違うとしても、たとえ、住まうべき世界が違うとしても……世界が変わっても、変わらずに三人を繋ぐものが確かにあった。
世界が変わり、名前を変えても、二人へ微笑む少女の姿に違いなんてなくて……。
身の危険を顧みず、元の世界へ帰れる保証もないと理解しながら会いに来てくれた無鉄砲な少女へ、双子は生涯を捧げると誓い合った。
俺達は、いついかなるときにおいても、彼女の……姫の翼でいよう。
歯車が泣いている。
ギルフォート・シュヴァリエは、自身が深い眠りに落ちていたのだと気付き、はたと両目を大きく見開いた。
「ここは!?」
「ぐ、ぐぐぐ、もー、もー、ん? もーにー? ぐぐ、もー、ん?」
歯車が泣いていた。
「な、なんだ貴様はっ!?」
目の前に広がる風景は、二つの世界を行き来してきたギルでさえも言葉を失うほど、理解の範疇を超えていた。
四角い線で均等に分けられた足場が延々と視界の先まで続いており、それはチェス盤などのボードゲームの仕様に似ている。
しかし、色調は悪趣味といった感想しか見つからないぐらいに乱雑としていて、全てが平面という訳でもなく、目を凝らすと疎らに起伏しているのが見てとれた。
頭上ではカラフルな風船が渦を巻いている。
「うぇ、えぇ、むむ、うぇる、かん? か、うぇ?」
中央にぽっかりと穴をあけた歯車に、溶けかけの棒飴のような手足と、ぎょろりとしていて、どことなく爬虫類を想起させる眼球を付随させた奇妙な生物が足元でなにやら喚いている。
先程まで裸の眼球から水滴を撒き散らして泣いていた歯車が、今度はぶるぶると全身を震えさせて、ギルを一心に見上げている。
「魔物か!?」
半ば反射的に、彼は長年愛用している槍を周囲に探した。
しかし、彼が最強の矛と呼ばれるまで常に傍らにあった唯一無二の槍型宝星具〈失墜〉の姿はどこにも見当たらない。
歯車はただぶるぶると震えているだけだ。
ギルはこめかみに指をあてて、経緯を思い出そうとする。
意識が眠りに落ちる直前、俺はなにをしていた……?。
目覚めたばかりで靄かかっていた思考が徐々に晴れていく。
経緯はすぐに思い出せた。
「そうだ、俺は、姫様とレイと一緒に……あの鏡を見て、それで……」
「いかんいかん、またもや遅刻だぞこれは、いそげいそげ」
いつの間にそこにいたのか。
チェック柄のチョッキを着て、分厚い瓶底眼鏡を掛けて、左手に震えるはぐるまを掴んで、ギルの眼前を横切っていったのは、二本足で走る白い兎だった。




