近況とこれからのこと
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こんにちは、竹仲法順です。小説家になろう様にてエッセーに初挑戦いたします。
ボクも大学在学中の二〇〇三年の夏から小説を書き始めているから、純粋な筆歴は十年ある。文芸社から協力出版でデビュー作を出したのは八年前の二〇〇五年五月だ。そしてそれからずっと、ブログでの連載や様々なサイト様で作品を発表し続けてきた。
原稿を書かなかった日は一日たりともない。<継続は力なり>という言葉通り、ずっと書き続けてきた。だけど、もうすぐ三十五歳の誕生日を迎えるに当たり、思うのが、現実を直視した方がいいということだ。
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確かに文芸社の担当者なども「お金を積んで本を出しませんか?」などと言ってくる。大抵百万円とか百五十万円など、法外な金を要求してくる。そんな金、出せるわけがないのだし、文芸社の本が売れる可能性は極めて低い。現にボクの処女作も千部刷って五百部か六百部しか売れてない。言い方は悪いのだが、金をドブに捨てたようなものである。
それに出版の話はともかく、今考えるべきことは、オヤジが死んだ後の遺産分けや将来生活に困った際、受ける生活保護のことなど、より現実的なものの方だ。作家が生活に困るのは本が売れないからである。だから雲を掴むような話ではなく、そういった地に足の付いたことの方にウエイトを置きたくなる。
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出版社は普通、作家側に原稿執筆の依頼をする。書き手側が原稿を書き、編集者と一緒に編集して世に送り出す。それが常道だ。ただ、自費出版系の会社などは大抵金を積んで出版するよう言ってくる。そんな滅茶苦茶なことがあるのかと言いたくなる。根本的に筋道が違っているのだ。作家は原稿を書き、原稿料や所定の印税などを受け取って生活する。なぜ書き手の方が金を積まないといけないのか……?まるで解せない。
それに出版するにしても、売れる保証などまるでないのである。それで法外な金が無駄になるなど、おかしい。こっちは統合失調症で精神障害二級、月額六万五千円の障害年金で細々とやっている。文芸社のSさん、このエッセーをもしお読みになってたらお怒りになるかもしれませんが、ボクに百万円を超えるような大枚は到底出せませんよ。
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今一番気掛かりなのは、重ね重ね言うようだけど、将来の生活への不安である。この持ち家を維持し、遺産があれば遺産を使う。生活に困窮した場合、生活保護費など最低給付を受け取る。こういったことの方に重点が移ってくる。作家としての成功?そんなもの、今のボクには万に一つもない。仮に起死回生の一作が書けたとしても、それが売れるかどうかの保証など全くないのだ。
大体、今住んでるこの街からもう五年以上出てない。街の外がどうなってるのか、分からないのである。別に出るメリットも意味合いもないのだが、ボク自身、そうやって暮らし続けてきた。
今まで約三十五年間生きてきて、七十年、八十年分の苦労をしてきたと思っている。もうこれ以上、振り回されたくはない。自分の気持ちに素直に生きていきたい。煩わしいことなどを極力避けて、だ。
最後に一言言わせてもらうが、いずれボクがこの家の主になるのだけれど、その時は近所や地域社会との関わりはなくなってくる。オヤジのやってるまんじゅう屋とやらも廃業するのだし、工場や機械、事務員の使っている事務所など必要ないものは全て処分する。そして最低源のお金を上手く回しながら暮らしていく。それがボクのこれからの人生だ。健康に生きれば五十年、五十五年ぐらいは残りがある。創作を金儲けではなく、半ばライフワークとして続けながら、歩んでいきたい。
初エッセーで何を書いていいのかよく分かりませんでしたが、ひとまず一筆書かせていただきました。また折り入って、気持ちを整理するために書くかもしれませんが、その時はどうぞよろしく!ではまた。
(了)