第三十四話:二度と後悔しない為に立ちましょう
調子が良いので連日投稿。
だいぶ前にした事ですが、三十二話にゴブリンの回想を加筆したので、読んでない方はそれを読んでおくと、今回の話をより楽しめるかもしれません。
エルフの少女であるカナが、ゴブリンと出会ったのはこの世に生まれてから、10度目の春を迎えた頃だった。
この世界において、それぞれの地方や国によって多少の差異はあるが、子供は基本的に10歳前後で魔物を従える事を許される様になる。
そして幼年期からの脱却とその成長の証の意味も込めて、初めての魔物を大人から与えられるのが習わしとなっていた。
大人達は都で買ったり、または自身の手で従えたりと魔物の手に入れ方はそれぞれだが、少女に元に来たゴブリンは後者の方だった。
──その日は村に住まう10歳を迎えた子供達の祝いの日だった。
村の狩猟者が近隣の森で従えた魔物を子供達に与えるのが、この村での通例で、カナはその時に他の子達と同じく一つの指輪を与えられた。
緊張と期待で胸が高鳴らしながら、指輪を中指に通す。
不思議な事に通す前はぶかぶかだった指輪は、通した途端に縮み、指の大きさにびったりと一致した。
少々の驚きを残しつつ、事前に両親に教えられた通り、指輪を嵌めた手を掲げて『いでよ』と念ずる。
次の瞬間、指輪に取り付けられた蒼い宝珠から輝く粒子が溢れ出し、それはカナの前に集まると、一匹の魔物へと変じた。
緑色の肌、大き過ぎて不格好な鼻、顔の両側から大きく突き出て垂れ下がった耳。
現れたのは、近隣の森にいる魔物で、最もありふれている魔物のゴブリンだった。
カナの後ろにいた両親はそれを見て絶句した。
何せ周囲の子供達は愛らしさや勇ましさに満ちた魔物を得ているというのに、カナだけはお世辞にも誇れる長所のない、みずぼらしい魔物のゴブリンだったからだ。
毎年、与えられる魔物は特に定められている訳ではない。
その年に狩猟者が従えてきた魔物を無作為に子供達に与えて回るというのが恒例の事で、カナにゴブリンが与えられた事に他意があるはずもなかった。
つまりこれは完全な偶然、不運としか言いようのない事だった。
ゴブリンが現れてから微動だにしない娘を見て、両親はその心中を察した。
昨夜、眠れない程に期待していたのだ。
それがこんな汚らしい魔物では無理もない。
両親はそう憐れんで、慰めを言おうとカナに近づいたその時。
「やったーーー!!」
カナは歓声を上げて、目の前のゴブリンに抱き付いた。
「カナの所に来てくれてありがとう! これからよろしくね!」
両親があっけにとられる中、カナは満面の笑みでゴブリンに頬ずりしていた。
何の事はない。
彼女にとって、自分の魔物になってくれるというその一点だけで十分だったのだ。
他の誰でもない自分だけの魔物。
容姿や強さなどのそれ以外の要素はカナにとっては大した価値を持たなかった。
だから、たとえそれが貧弱で不細工なゴブリンだろうが、彼女には最高の魔物であったという事だった。
そうして出会ったその日から、カナはゴブリンをゴブという愛称で呼び始め、付きっきりで構い倒した。
初めの頃は他の子供も同じ様に自身の魔物にべったりだったが、時間が経つにつれ、段々と慣れ、適度な距離の付き合い方を学んでいった。
しかし、カナは周りが変わろうとも、最初の頃とまるで変わらず、ゴブリンに接し続けた。
その事で心無い言葉を言われた事もあったが、特に気にする事もなかった。
目の前の自分の魔物は接した分だけ、答えてくれたのだから。
言葉は分からなくとも、指輪を通してその意思は伝わってくる。
そうしてカナは周りから何を言われようとも、自分なりに愛を持って、ゴブリンに接し続けた。
共に遊び、共に学び、共に食事する事もした。
時には自分の拙い知識を教えたり、本を読み聞かせたりもした。
傍から見ればそれは、ヒトと魔物というより、姉弟の様な関わりに見える程に、カナは親身にゴブに接した。
ゴブもそれに応えて、よく懐き、従順さだけならば村で一番の魔物と言っても過言ではない程にカナを慕っていた。
二人はこれ以上なく、信頼し合い、その幸せで平和な日々はこれから先も続いていくはずだった。
あの日が訪れるまでは。
巨大な殴打音と共に地面が小さく揺れる。
振り下ろされた棍棒はゴブリンに辛うじて躱され、地面を叩いていた。
息つく暇もなく、もう一匹の棍棒がゴブリンを襲う。
横薙ぎに振るわれたそれを、ゴブリンは死に物狂いで身体を後ろに仰け反らせ、肌を掠めさせた。
そして生まれたゴブリンの致命的な隙を狙って、更にもう一匹のオークが追撃に走ろうとするが、スペルホーンラビットが放った火球に牽制され、阻まれる。
その間にゴブリンはすぐさま必死で体勢を立て直し、オーク達と対峙する。
「ゴブ……」
──そんな風に先程から繰り返される、いつやられてもおかしくない紙一重の防戦をカナは小屋の中からどうする事も出来ずに床に座り込んだまま見つめていた。
オーク三匹に対してゴブリンとスペルホーンラビットという乏しい戦力は案の定、あっさりと防戦一方の状況に追い込まれた。
むしろ単体の強さですら劣るオーク達相手に瞬殺されず、それどころか防戦状態で持ちこたえられているだけ流石と言えた。
本来叶うはずのない相手に二匹がここまで食い下がれているのは、後ろにいる自分という存在の為に死力を尽くしてくれているからというのは、カナにも分かった。
しかし、だからこそ困惑もしていた。
何故守る事も出来ず、見捨てたとさえ思われても仕方の無い自分を、ゴブリンは、ゴブは助けてくれるのだろうか。
最初にその姿を見た時は、追い詰められた自分が生み出した都合の良い幻想かと思った。
けれど、今もなお自分の前に立って、必死でオークの注意を引き、守ろうとしてくれているその姿は見紛う事なくあの懐かしきゴブと一致した。
しかし、そんな確信がちっぽけに思えるぐらい、ゴブが自分を助けに来るなんて事は有り得るはずがなかった。
何故なら、あの日の出来事を経験して戻って来ようと思う魔物なんているはずないからだ。
ゴブと出会ってから一年が経とうした頃。
始まりは村に届けられた一つの報せだった。
『亜人種の反乱』
それは魔獣族の中の一種、ゴブリンやオーク等の人型の魔物である亜人種と呼ばれるそれが、ある街で一斉に指輪の支配を打ち破って、暴れたというものだった。
村を訪れた行商人から届けられたその報せは、瞬く間に村中に広まり、村にいる亜人種の魔物に疑惑の目が向けられるようになるまでそう時間はかからなかった。
何せ指輪の支配を抜けた原因は不明で、未だ解明されておらず、更にはその場で他にいた魔物はきちんと正常だったの対し、亜人種のみが暴れ出したというのだ。
大人達が不安と疑惑を深めるのは無理もない状況だった。
当然、その疑惑の目はゴブにも向けられた。
しかし、カナだけはそんな心無い視線からゴブを庇い続けた。
確かにカナにも恐怖はないとは言えなかった。
もしかしたら本当にゴブは支配を破って自分を襲いに来るかもしれない。
そんな思いを心の片隅に抱えながら、けれどカナはゴブを信じて絶対に疑う素振りを見せなかった。
いつか村を訪れたマスターに教えられたのだ。
いつ如何なる時、どんな理由があろうとも己を慕う魔物を疑ってはいけない。
どんな状況だろうとマスターは己の魔物の最後まで信じ抜く。
それが良いマスターの条件だと。
だからカナは自分以外の村の全員が己の魔物を含めて亜人種を疑い始めた時も、両親すらもゴブに対して疑いを深めていた時も、決してゴブへの態度を以前と変える事なく、信頼を込めて接していた。
故に気づけなかった。
周囲の疑惑は最早、限界まで高まっており、既に実力行使に移る段階にまで差し迫っていた事に。
そしてついにあの日が訪れた。
カナが目覚めた時には全てが終わった後だった。
いつも中指に嵌っていた指輪は無くなり、ゴブの姿は村の中から消えていた。
両親に激しく問いただすと何をしたのかをあっさり吐いた。
亜人種の魔物の、村からの排除。
自分がすやすやと寝ている深夜の間に、ゴブを含めた亜人種の魔物は全て大人達によって村から追放されたらしい。
あなたの為だの、他の子は納得しただのと言う両親の言葉が、耳に遠く聞こえた。
カナは家を飛び出し、走った。
走って走って、とにかく走った。
そうしていつの間にか村の外れの森の前まで来ていた。
「ゴブーーー!!」
呼ばずにはいられなかった。
森に張り裂けそうな呼び声が響く。
何も起こらない。
何も来ない。
何も現れない。
爽やかな風が葉を揺らす音だけが聞こえる、憎らしい程にいつも通りの平和な森の姿だった。
もっと周囲に気を配っていれば、防げたはずだった。
あの夜、両親の様子に何か異変を感じ取っていれば、気づけたはずだった。
あの時、あの時、あの時、ああしていればという後悔に際限はなかった。
けれどいくら後悔しようともゴブが消えた事実は変わらない。
自分はゴブを、守れなかったのだ。
カナは膝から崩れ落ちて泣き叫んだ。
ゴブが来てから、滅多に流す事が無くなったはずの涙をこれでもかと流して。
そう、自分はゴブを守れなかったのだ。
ゴブからしてみれば自分はあの日、追放した大人達と同じ様に憎むべき存在のはずだ。
けれどそのゴブはこうして今、目の前で命を賭けてラビと共にオークから守ってくれている。
一手間違えれば即死の状況の中、死力を尽くして戦ってくれている。
こんなどうしようもない自分にその命を使ってくれている。
そこまで思って、カナはようやく気付いた。
今まさにゴブは自身の命を危険にさらしていて、カナの目の前から今度は永遠に消えるかもしれないという事実に。
それに気づいた瞬間、今までまるで力が入らなかった足腰に力が戻り、恐怖の代わりに身体の芯から怒りめいた何かが湧いてきた。
一度守れなかった自分ではおこがましいかもしれない。
けれどもう二度と何も出来ずにゴブを失う事は嫌だった。
勢いをつけて力強く立ち上がると、カナは深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
そうして力に満ちた眼差しで必死で戦い続けるゴブとラビを見据えた。
カナ自身にはもちろん戦う力はない。
けれども共に戦う事はできる。
「ラビッ!!」
裂帛の呼び声がラビに届く。
オークもつられて、こちらを見るが怯まず、見据える。
はっきり言ってこのまま普通に戦っても、力負けするのは目に見えている。
周囲にあるもの、持てるスキルを何でも使ってこちらに有利な状況を作る──。
カナはいつか村を訪れたマスターの言葉を思い出していた。
そしてその言葉を踏まえて、一つの手が浮かんでいた。
後、必要なのはそれを実行する勇気だけ。
「戦うよ。力を貸して!」
カナは今、守られる者から魔物と共に戦うマスターとして戦場に立った。
ラビのスキル、自分のスキル、そしてこの場所。
それらを活用して生み出せる有利な状況──。
それを実現すべく、カナは指示を飛ばす。
「ラビ、風の魔術で思いっきり地面の砂を巻き上げて!」
オークの棍棒を躱したラビが、カナの指示に沿って、間髪入れずに風魔術を発動させる。
強風が巻き起こり、地面の砂をさらっていく。
オークやゴブが思わず目を瞑り、動きを止める。
そうして巻き上げられた大量の砂による砂煙で視界が阻まれるまではあっという間だった。
それを確認して、カナは小さく頷く。
視界は最悪、誰が何処にいるのか全く見えない程に濃い砂煙がこの場に充満していた。
これで誰も不用意に動く事は出来ない。
自分を除いて。
「ラビッ! 風の魔術をやめて、あそこに火の魔術を撃って!」
カナの指差したラビが火魔術で火球を撃ち出す。
火球は砂煙を突き破りながら飛んでいき、その先にいたオークの顔に直撃した。
そう、カナだけにはオークの位置が分かっていた。
カナが持ち得る唯一のスキルである警戒によって、視界が塞がれた状況でオークの気配を感知したのだ。
「ゴブ……!」
乞い願う様なカナの声と同時にゴブは走り出していた。
火球の当たったオークは顔が炎上して汚い悲鳴をあげており、よく見えなくとも位置が丸分かりの状態。
更に炎に気を取られて隙だらけとくれば、やることは一つ。
鎌を頭上に構えて、素早く懐に入り込むと、オークのその喉笛を目掛けて、思い切り突き刺す。
そしてオークが痛みで暴れ出す前に間髪入れず、突き立てた鎌を力いっぱい抉り薙いだ。
切り裂いた喉笛から血を噴き出しながら、オークが地に倒れる。
まずは一匹。
「ラビ、もう一度砂を巻き上げて!」
ゴブが自分のしてほしい事を分かってくれた喜びを抑えながら、ラビに指示する。
怒り狂ってゴブに殺到しようとしているオーク達の前に再び風が吹き荒れ、治まりかけていた砂煙が再び舞い始める。
そして先程と同じ様に警戒で捕捉したオークの気配に向けて、ラビに火魔術を使わせようとする。
が、オークの様子を見て、思いとどまった。
「暴れてる……!?」
オーク達は自分達の周辺に向けて、砂煙で覆われていても分かる程に棍棒を我武者羅に振り回して、暴れていた。
とにかく手当たり次第に棍棒を振るい、風を切り、地面を殴打する音が連続している。
どこから攻撃が来るか分からない以上、とりあえず暴れて、砂煙が止むまでこちらを近づけさせない腹積もりなのだろう。
これでは火魔術を撃っても、振るわれている棍棒に撃ち落される可能性が高い。
失敗すればラビの位置もバレてしまうし、何よりラビの魔力がもう限界に近い。
風魔術を行使し続けている所為で、消耗が激しく、かなり荒い息をしている。
この砂煙が終われば、もう一度同じ事はもうできないだろう。
だからここで確実に一匹、仕留めておかないと、勝ち目はほぼ無くなる。
しかし、どうすればいいのか。
そうやって考えを巡らせていると、ゴブの気配が砂煙の中で動き出した。
一瞬の間を置いて、風切り音が耳に伝わる。
何かが当たった鈍い音と共にオークの汚い声が聞こえた。
砂煙の向こうから足元に棍棒が転がって来る。
ゴブは先に倒したオークの棍棒を投げたらしい。
突然の攻撃に戸惑って、暴れていたオークの動きが止まっているのが分かった。
「ラビッ!」
千載一遇の機会を逃さず、ラビは火魔術で生み出した火球を声のした方向へ放つ。
砂煙を突き抜け、その向こう側にいるオークに迫る火球。
そしてそのままオークに直撃する──そう、カナが確信した瞬間に火球は無残にも撃ち落された。
すんでの所でオークが迫り来る火球に気づいてしまったのだ。
気づかれた以上、もう不意打ちは効かない。
砂煙もできない。
オーク二匹相手にゴブと限界のラビでは打つ手がない。
晴れてきた砂煙の向こうから、オークが醜悪な顔をこちらに向けたのが見えた。
その光景を認めて、これから起こる最悪を理解してしまったカナの胸の奥が絶望で詰まり始める。
が、そのオークの顔に前触れなく唐突に鎌が生えた。
腐ったドブの様な悲鳴を上げて、顔を抑えながらオークが地面に転ぶ。
「ゴブ!」
倒れたオークの前に立っていたのはゴブだった。
ゴブは間髪入れず、オークが落とした棍棒を奪い、目一杯オークの上へ跳躍する。
そして落下する勢いのまま、鎌が刺さったオークの顔へ棍棒を振り下ろした。
肉がひしゃげて潰れる鈍い音と共に、痛みに悶絶していたオークの動きが止まった。
これで残り一匹。
守ると意気込んでおいて、助けられてしまった情けなさと少しの喜びを嚙みしめながら、カナは最後のオークと対峙する。
オークは汚い怒声を上げながら、こちらを睨み付けていた。
そのオークの視線から庇う様にゴブとラビがカナの前に立つ。
かなり消耗しているとはいえ二対一。
油断はできないが、勝機は十分にある。
焦らず冷静に考えて指示を飛ばす事を念頭に置く。
そうやって相手の出方を窺っていると、ついに痺れを切らしたオークが棍棒を振り回しながら突進してきた。
壊した鎌の代わりに奪った棍棒を持ったゴブが身構える。
向こうから来るなら好都合。
狙うはがら空きの足。
カナはラビに最後の火魔術を撃たせるべく、指示を出そうとした、その瞬間だった。
走っていたオークの頭が、その背後から飛んできた何かに消し飛ばされたのは。
頭を失った最後のオークが鈍い音を立てて、地面に崩れ落ちる。
「ふむ、どうやら間に合った様ですね。よかったよかった」
倒れたオークの向こう側にはオークの頭を消し飛ばした張本人だろう、禍々しい雰囲気を纏った悪魔の男の魔物とそのマスターと思われる柔和な笑みを浮かべた男が立っていた。
突然の出来事にカナ達が呆然としていると、男の背後から二人の大人が飛び出して、こちらに走り寄って来た。
「「カナ!!」」
両親だった。
連続する事態を上手く飲み込めず、戸惑うままに二人から抱きしめられる。
「ああ、よかった。本当によかった!」
「大丈夫!? ケガはない!?」
両親から口々に心配と安堵の言葉を掛けられて、ようやくカナは実感する。
自分達は助かったのだと。
それを認識した瞬間に今まで抑えていたモノがこみ上げてきた。
「お……おか……おかあざん……!! おとうざん!!」
カナは溢れ出した想いを吐き出して、両親に抱き付いた。
ラビはその足元で労わる様に寄り添っている。
アルベルトの先導で、少し遅れて到着した村人の集団もその家族の様子を見て、口々に安堵の息を漏らしていた。
その様子を少し離れた場所でゴブは寂しげながらも満足そうに見ていた。
しかし、そんな大団円の雰囲気をぶち壊す、轟音が鳴り響いた。
その場の者が一斉に音の聞こえた方向へ振り返る。
村の中央、広場に当たる場所の辺りから砂煙が舞っていた。
戦いはまだ終わっていない──。
励み、改善の目安になるので、感想お待ちしております。




