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人間って伝説の魔物らしい  作者: PAPA
~第二章~人間、ヒトと魔物を知る
32/34

第三十二話:守りたいなら自分で守れ

今回も楽しんで頂けたら幸いです。

知性あるゴブリンは人間と竜の子を元の場所に送り届けた後、幾匹かの仲間達と共に巣に戻る道程で思案していた。

まずは今でも信じがたい、まさかのお伽話の伝説の魔物と鉢合わせ、生き延びた幸運に安堵する。

しかし、その一方で、知性あるゴブリンは唐突に現れたオークに疑念を抱いていた。

オークとは本来、縄張り意識が強い魔物で、自身の縄張りに入った者は執拗なまでに付け狙う魔物としてヒトにはそれなりに厄介な存在と認識されていた。

そんな魔物であるから、自身の縄張りから出てくる事は滅多になく、縄張りの外に現れたとしても群れから出た一匹はぐれである事が確実だ。

しかし、あのオークは()()で現れた。

しかもはぐれであれば仲間意識などあるはずもないのに、一匹がやられた後、もう一匹は明らかに怒りを露わにしていた。

嫌な予感が知性あるゴブリンの頭を過る。

知性のないオークがわざわざ縄張りの外へ出て、他の縄張りを荒らした?

そんな事があり得るのか。

オークが本来、しない事をするなど。

いや、そういえば自分は知っている。

魔物が本来、しない事をする状況を──。

次の瞬間、爆音が鳴り響いた。

反射的に思考を中断し、音の方角を見る。

煙が上がっていた。


〔走るぞ!!〕


仲間達へ声を張り上げ、全速力で走り出す。

現在位置と方向から考えて、その煙の位置は間違いなく自分達の巣だった。

走りながら、先程の思考を再開する。

自分達ゴブリンやオークは基本的に本能のままに動く。

だから、その本能から逸脱した行動は取らないし、しようとも考えない。

けれども例外がある。

それは群れの主にそう指示された時。

本来、ゴブリンに連絡役を用意したり、密に連携を取って行動するなんてとてもできなかった。

しかし、自分が教えて指示すると、できる様になった。

つまり、これと同じ事がオークに起こっているとすると──。

走り続けて、ついに自分達の巣である切り立つ丘の岩壁にある洞窟が見えてくる。

そしてその洞窟の前に何匹かのオークと、それより一回り大きい赤い肌のオークが陣取っていた。

その傍らには煙の元になっている、轟々と燃える木々が積み重なっていた。


〔ようやくゴブリンの主のおでましか〕


知性あるゴブリンが到着すると、赤いオークはにやりと口の端を上げた。

その意思が言葉として明確に伝わってくる。

やはりそういう事だった。


〔オーク達を率いているのはお前か〕


〔その通りだ、同類さん。ハイオークだ。お見知りおきを〕


おちゃらけて、自己紹介する赤いオーク。

自分と同じ様に仲間を率いる者。

オークの不可解な動きは全てこの目の前の指導者に指示されたものだと考えるのが一番自然だった。


〔ああ、心配するな。()()中にいる奴等に手は出していない〕


知性あるゴブリンが洞窟を気にする素振りを見て、ハイオークはまだ、という明らかにこちらの出方次第で、これから手を出す事になるという脅しをかけてくる。

格上の存在に人質を取られた状況に、知性あるゴブリンは内心、苦虫を嚙み潰す思いを抱えながら、仲間のゴブリンを制止しつつ、表面上は冷静にハイオークと対峙する。


〔あのオーク達を縄張りによこしたのもお前だな〕


〔ああ。ゴブリンでありながら、うちの仲間二人をやったというから尋常ではないと思っていたが、いやはやまさか俺と同じヒトに弄ばれた同類がいるとは。そうだろう?〕


妙に嬉しそうに語るハイオークをよそに知性あるゴブリンは冷静に思考する。

先程の発言からしてこのハイオークが自分と同じくヒトに使役され、知性が芽生え、そして最後に捨てられた境遇なのは分かる。

それより気になるのはあのオーク達をやったのは自分達ゴブリンであると思っている事だ。


〔……あのオーク達をやったのは私ではないぞ〕


〔そんな謙遜しなくていい。矮小なゴブリンが強大な敵を倒すのに仲間と力を合わせるのは当然の事だ。一部始終を見ていたうちの者からも連絡は入っているからな。仲間二人ともやられたと〕


ここで知性あるゴブリンは気づく。

目の前のハイオークは仲間のオークの報告を鵜呑みにしている事を。

これは全ての種族の魔物に言える事だが、下位クラスの野生の魔物は総じて本能で生きている。

感情はあっても、知性はなく、故に組織立った行動を実現させるにはかなりの訓練が必要となる。

事実、知性あるゴブリンは苦労して仲間に教え込んだし、目の前のハイオークもその経験はあるのだろう。

しかし、それにも限界はある。

どれほど訓練しようと知性を持つゴブリンとは違い、普通のゴブリンに複雑な報告は出来ず、連携も単純なモノしか覚える事ができなかった。

だからこそ知性あるゴブリンは仲間の報告等は基本的に鵜呑みにせず、吟味する事にしていた。

それはオークも同様で、今回は恐らく仲間が倒されたという結論のみの報告だったのだろう。

しかし、その報告をハイオークは吟味せず、鵜呑みにした所為で、肝心な()が倒したのかを知る事なく、自分達ゴブリンが力を合わせて倒したと思い込んでしまっている。

ハイオークが知性あるゴブリンより群れを率いる経験が浅い証拠でもあった。

しかし、それが分かった所で戦力の差は歴然である以上、大した有利にもならない。


〔何が目的だ。何の為にオークを嗾けた〕


侵略であれば、そもそも最初の襲撃の時点でハイオーク自身がオークを引き連れて来ているはずだ。僅か二匹の尖兵や、先程の様な脅しをかけるなど、そんな回りくどい事をする必要はない。


〔あれはお前達の力を計る為で、謂わば小手調べだ。そしてそれをお前達は見事乗り越えた。故に次は‶意思〟を問うべく俺が来た〕


この時点で知性あるゴブリンからオークを倒した誤解を解くという選択肢は消えた。

ハイオークは自分達ゴブリンがそれを為したという前提でここに来ている。

それがもしそうでないと分かった場合、あの脅しから考えて、ろくな事にならない可能性が高い。

最悪、皆殺しもあり得る。


〔‶意思〟だと?〕


ゴブリンはそんな思考をおくびにも出さず、ハイオークの発言の真意を問う。

それを聞き、ハイオークは笑顔を浮かべる。


〔そうだ。まあ、俺と同じ境遇のお前にとっちゃ、聞くまでもない事だろうが──〕


そこで一旦言葉を切ると、ハイオークはその笑顔を凶悪に歪めた。


〔お前、ヒトを殺したいという意思はあるか?〕


知性あるゴブリンはその言葉に込められた意思のあまりの禍々しさに絶句する。


〔いきなり、何を──〕


〔俺達は、この後、森の中にある村を襲いに行く〕


続けられた言葉に知性あるゴブリンは完全に言葉を失った。


〔どうやら俺以外には認識できなくなる様な結界が張ってあるらしくて、手が出しづらかったんだが、ようやく突破の糸口を見つけてな。結界を解除できそうなんだ〕


ハイオークは本当に嬉しそうに話し続ける。


〔その襲撃にお前達ゴブリンも加わってもらいたい。以前の戦いで少し戦力に痛手を負ってな。兵隊が欲しいんだ〕


〔──何故、ヒトを襲う。何の利点があるんだ……?〕


知性あるゴブリンは絶句する中で、絞り出す様に言葉を紡いで問いかけた。

ハイオークはその問いにキョトンと首を傾げた。


〔あん? 何故って、決まってるだろう〕


────ヒトが死ぬ程憎いからだ。


恐ろしい憎悪だった。

ただの言葉であるにも関わらず、関係ない魔物の自分が身を震わせてしまう程に、どす黒く限界まで煮詰められた感情の極致。


〔ヒト共は勝手な理由で俺を従え、虐げた。洗脳されて心から尽くす俺を何度も強制的に指輪に戻る程に瀕死になるまで追い込んで働かせ、まともに動けなくなると、今度は暇潰しの玩具として使われた〕


目に見えるはずの無い殺意が、その身体から黒い煙の様に立ち昇るのが見えてしまうと錯覚する程に。


〔挙句、本当に使い物にならなくなると、ゴミの様に捨て、処分と称して嘲りながら殺そうとした〕


その濃く濃く塗り潰す様に重ねられた憎悪と。


〔なあ、そんな奴等、憎まずにいられるか? 殺さずにいられるか?〕


その憎悪からマグマの如く噴き出る殺意。


「いられるはずないよなあ!! だからぐちゃぐちゃに殺してやったよ!!」 


それらを更に混ぜ濁らせたものをギラギラと輝く目に宿らせ。


〔まさか死に体の俺に逆襲されると思っていなかった奴の死に様は最高に笑えて、生き返る程に気持ちが良かったなあ〕


その心の赴くままに歪み切った笑みを浮かべて。


〔でも、まだまだ憎くて憎くて憎くて仕方がないから。だから殺す。奴等が俺の前から消えていなくなるまで殺し尽くす〕


ハイオークは知性あるゴブリンを己の全てを伝える様に見つめていた。


〔なあ、お前だってそうだろう? 同類〕


問いかけられた知性あるゴブリンは何も言えなかった。

ハイオークに圧倒されていたという事もあるが、それを差し引いても彼にはその問いに答える事も頷く事もできなかった。


〔まさか、違う、のか?〕


〔っ! いや、そうじゃない! 私とてヒトは憎い。ただそれから時間が経ち過ぎて少し薄れてしまっただけで……〕


慌てて知性あるゴブリンは否定するが、既にハイオークの顔は今度は怒りで歪んでいた。


〔いや違うっ! お前違うな! 分かるぞ、お前は憎んでなんていない! ! むしろその逆!〕


ハイオークは自分で指摘しておいて、信じられないと怒りを燃やして、咆哮した。


〔何故だ!? お前とてヒトに弄ばれ、捨てられたのだろう! 何故ヒトにそんな気持ちを抱ける!?〕


〔それは……〕


知性あるゴブリンが答えに窮していると、ハイオークは怒りに歪んだ顔を唐突に真顔に戻した。


〔もういい。お前には失望した。やれ〕


〔な!? 待て、やめろ!!〕


ハイオークの命令で一斉に引き連れていたオーク達が棍棒を洞窟の入り口周辺の岩壁に向かって、振り下ろした。

巨大な鈍い破砕音と共に、殴打された岩壁が陥没する。

陥没した部分から全体に激しい亀裂が走り、やがて耐えきれず丘ごと脆く崩れ落ちて、洞窟を完全に押し潰してしまった。


〔これで生き埋めだ。可哀想に、お前達の主が腑抜けで無ければ死なずに済んだのに〕


〔くっ、この……!?〕


知性あるゴブリンの脇に控えていた仲間達が目の前の光景に激昂して、止める間もなく、武器を振りかざしてオークに突進した。

本能で生きる魔物が目の前で同胞を殺されて、我慢できる理性など、あるはずもなかった。

たとえ相手が絶対に叶うはずのないオーク達でも。


〔駄目だ! 戻れ、お前達!!〕


知性あるゴブリンが声を上げるが、もう間に合わなかった。

無謀にもオーク達に真正面から挑んでいったゴブリン達は、一瞬で棍棒を汚す血肉へと変わった。


〔とんだ期待外れだった。だが、安心しろ。お前の様な腑抜けの代わりに俺があの村を、きっちりぐちゃぐちゃにしてやる。ヒトは全員念入りに甚振って、四肢を捥いでから、串刺しにして焼いてやる。さぞ美味だろうな〕


〔っ! このクソ野郎っ!!〕


知性あるゴブリンは反射的に仲間が遺した石の斧を持って、ハイオークに飛びかかった。

しかし、ハイオークにただの腕のひと振りで地面に叩き落とされる。


〔ほら。仲間がやられた時には耐えていたのに、ヒトを害するというと、すぐに激昂した。ヒトを想っている何よりの証拠だ。反吐が出る〕


〔離、せっ……!〕


ハイオークは知性あるゴブリンの頭を片手で掴んで持ち上げ、その顔を睨み付ける。

知性あるゴブリンは必死に踠くが、力の差は歴然でビクともしない。


〔しかし、ここまで反応するという事はあの村にいるんだな? お前が想うヒトが〕


知性あるゴブリンの動きがピタリと止まった。

それを見たハイオークの顔が醜悪に歪む。


〔ふはは、当たりか。ならお前の様な腑抜けが二度と現れない様に、あの村のヒトは気合入れて完璧に殺し尽くさないとな〕


〔う‶あああああっ!!〕


知性あるゴブリンは全力で暴れるが、やはり頭を掴む手は全く外れない。

ハイオークは空いたもう一方の手で拳を握る。


〔お前を従えて、弄び、腑抜けにしたヒトは俺が責任持って殺してやる。だから、安心して死ね〕


ハイオークの拳が知性あるゴブリンに顔にめり込んだ。

拳の隙間から赤い血が噴き出す。

そのまま殴り飛ばされ、付近の木の幹に激突して、地面に力なく落ちる。


〔食っていいぞ〕


ハイオークは仲間のオークの一匹にそう言うと、残りのオークを引き連れて、振り返りもせず、去って行った。

残ったオークは涎を垂らしながら、地に伏した知性あるゴブリンに近づいていく。

危機が迫っているのに、知性あるゴブリンはピクリとも動かない。

そしてついにその目の前まで迫り、オークが食らいつこうと手を伸ばしたその時。

知性あるゴブリンは飛び起きて、手に隠し持った砂をオークの顔を目掛けて投げつけた。

完全に油断していたオークはもろに砂が目に入り、悶絶する。

その隙をついて、知性あるゴブリンは駆け出した。


知性あるゴブリンは森の中を残った力を振り絞り、痛みに耐えて走り続ける。

しかし、木に激突した時に悪くしたのか、あまり足に力が入らず、速く走れない。

それでも力の限り、走り続ける。

走る方向の先にあるのは、あの村だった。

無意識に身体が村を目指していた。

今更ただのゴブリン一匹が行った所でどうにかなる訳がない事は頭の冷静な部分が分かっていた。

しかし、それでも足を止める事は出来なかった。

何もせずにいるという事は知性あるゴブリンには出来なかった。






──ゴブリンがその少女と出会ったのは春の事だった。

心地よい微睡みから覚醒した時、ゴブリンの目の前には満面の笑みを浮かべる少女がいた。

唐突にこの少女が自分の主なのだと理解した。

根拠は上手く説明出来なかったが、とにかくこの少女が主だと分かった同時に途轍もなく愛おしくなった。

少女は喜悦の声を上げて、ゴブリンを抱きしめた。

言葉は分からなかったが、少女がゴブリンを歓喜して受け入れている意思は伝わった。

主に自分を認められて、幸福感が全身を包んだ。

命に代えても、この可愛らしい少女を守る事をゴブリンはその日、誓った。

そんな誓いとは裏腹に少女と過ごす日々は平和の一言だった。

当たり前だが少女は子供である以上、村の外に出る事はまずなく、ゴブリンが彼女を守らねばならない状況になる事は有り得なかった。

その日々の中で少女は様々な事をゴブリンに教えてくれた。

村での暮らし、日々の営み。

美味な食べ物や簡単な料理。

言葉は分からずとも、少女から伝わる意思はしっかりゴブリンに知識を与えてくれた。

中でもとりわけ娯楽については多く教えてくれた。

(オーガ)ごっこや玉遊び、おままごとに人形遊び、果ては英雄ごっこ。

村の他の子供や魔物と共に、毎日、日が暮れるまで遊び尽くした。

少女の僕として過ごす日常は、森で一魔物として日々を生き抜いていた時とは、比べ物にならない程に平和で、充実していた。

あの頃の、本能のままに動いていたゴブリンの知らない幸せが、確かにここにあった。

しかし、そんな幸せな日々にも悩みはあった。

それはこの村の他の魔物と比較した自分の存在だった。

この村にいる魔物は皆一目見て、何かしら秀でているのが分かる。

例えば筋骨隆々で力があったり、魔術が使えて生活に便利だったり、くすみ一つない毛並みで美しかったり、小さくつぶらな瞳で可愛らしかったり。

誰かも彼もが他に誇れる長所というモノを一つは備えていた。

そこで自分を顧みてみる。

ゴブリンである自分はお世辞にも力があるとは言えないし、魔術はもちろん使えない。

美しい毛並みなどあるはずもないし、小さくもないし、つぶらな瞳も持ち合わせてはいなかった。

あるのは緑色の不細工な顔と、頼りない手足だけ。

何一つ他に誇れるモノはなかった。

実際に少女が自分を僕としている事を他者から揶揄されている様子は何度かあった。

その度にゴブリンの気持ちは重く沈んだ。

自分の存在で主が軽んじられている。

その事実がゴブリンを苛んだ。

森にいた頃からそうだった。

他の仲間と違い、要領の悪かったゴブリンは一人前とは認めてもらえなかった。

こうして少女の僕となった今でも他者に認めてもらえるような要素は持っていない。

あるのは自身に対する怒りとやるせなさだけだった

しかし、ある時、ゴブリンのそんな様子を察したのか少女はゴブリンを抱きしめ、こう言った。


「カナはね、ゴブが他の皆よりダメだなんて全然思わないよ。だってゴブはカナのお話を聞いてくれるし、いつも遊んでくれるもん。だから他の皆よりもゴブが一番大好き! ゴブじゃなきゃダメなの! 一緒にいてくれるだけでカナはすっごく幸せだよ!」


ゴブリンは生まれて初めて、嬉しさで涙を流した。

言葉は通じずとも、指輪を通して少女の意思と感情は確かに伝わった。

誰にも認めてもらえなかったゴブリンは、他の誰でもない自分の主に初めて認められた。

ゴブリンの最初の誓いはこの時より不変のモノとなった。


そんな幸せな日々はそう続かなかった。

少女の指輪の中で休んでいたはずのゴブリンだったが、不意に意識が覚醒する。

まず視界に入ったのは深い暗闇に覆われた森だった。

世界は夜になっていた。

何事かと思考する前に頭の中で何かが弾けると、激流の如く、記憶が蘇ってきた。

そうして理解してしまう。

今まで自分が指輪によって洗脳されていたという事実を。

背後から水の弾丸が頬を掠めて目の前の森へ消えた。

驚いて尻餅をついてしまう。

慌てて振り返ると、村の男衆がそれぞれ魔物を従えて、こちらを威嚇していた。

呆然としていると魔物の一匹が再び水の弾丸を放ってきた。

咄嗟にその場から飛び退いて躱す。

それを皮切りに魔物達は追い立てる様に魔術を乱射し始めた。

ゴブリンは訳も分からないまま、とにかく逃げ出すしかできなかった。

必死に森の奥へと駆けていく。

男衆と魔物達は追っては来なかった。

けれどもゴブリンは走り続けた。

どれくらい走り続けたか、不意に足は走る事をやめてしまった。

そうしてゴブリンは夜の森の中で立ち尽くした。

不思議とその時の夜の森は静かだった。

見上げると、木々の間から月の光が見えた。

ゴブリンの瞳から雫がこぼれ落ちる。

憎しみはなかった。

怒りも湧いてこなかった。

あったのは悲しみだけだった。

涙は止まらなかった。

その夜、ゴブリンは少女の名を叫びながら泣いた。







そんな捨てられたはずの自分はしかし、今、村へと向かっている。

助ける義理は何処を探してもなく、もはや何の関係ないというのに、その足は止まらなかった。

その理由は何の事はない。

結局、自分はカナのゴブである事をやめられなかっただけの話だった。

あの日、胸に刻んだ誓いはカナの危機を知って、今まで積み上げてきた偽りの感情を一瞬で全て吹き飛ばしてしまった。

故に知性あるゴブリンは改めて自覚するしかなかった。

自分はもはや指輪など関係なく、カナがどうしようもなく大好きである事を。

そのカナをどうあっても死なせたくない事を。

そんな心とは裏腹に身体の機能は限界の悲鳴を上げる。

気づいた時には地面を転がっていた。

足がもつれてこけてしまった事に遅れて気づく。

そして更に自分の背後からオークが追って来ている事にも。

知性あるゴブリンはすぐに立ち上がるが、足に訪れた激痛に再び地面に転がってしまう。

痛みに耐えて、必死に立とうとするが、身体は言う事を聞かない。

ドスドスという足音が近づいてくる。

しかし、身体は動かない。


〔クソっ、クソぉっ!!〕


涙が溢れて来た。

結局、何も出来ず、こんな所でオークに食われて死ぬ末路。

諦めたくないのに、身体は動いてくれない。

悔しくて、情けなくて仕方がなかった。

背後からオークの息遣いが聞こえた。

振り返ると、オークの汚らしい大口が迫っていた。

明確な、どうしようもない死だった。


「おい、大丈夫か!」


次の瞬間、目の前まで迫っていたオークの顔が消し飛んだ。

崩れ落ちたオークの背後、そこにあの人間が蹴りを放った体勢で立っていた。








「おーい、本当にどうした。というかお前喋れるゴブリンだよな。ゴブリン違いという訳じゃないだろ」


オークに襲われていた所を助けたのはいいが、知性あるゴブリンを俺を見て、固まったままだった。

その顔は余程ごつく殴られたのか、少しへこんでおり、涙と鼻血で汚れている。

ここに来る前に聞こえた声といい、明らかに尋常じゃない事が知性あるゴブリンの身に起こったのは間違いなかった。


〔……助けて〕


「はい?」


〔どうか助けてください! あの村を守って……!〕


知性あるゴブリンは唐突に動き出したかと思うと、俺に縋り付き、よく分からない助けを叫んで、荒ぶり始めた。


「ちょ、落ち着けって! 全然、話が見えないから!」


〔お兄ちゃーん!〕


〔ふう、ようやっと追いついたわ〕


俺が知性あるゴブリンを宥めるのに悪戦苦闘していると、ミニとアイアンが追いついてきた。

その後ろにはアルベルトの姿もある。


「この阿呆! いきなりあらぬ方向に駆けだすな。せめて一言、理由を言ってから駆け出せ」


「いや、すまん。結構切羽詰まってそうな声がしたから、あんま余裕なくて」


追いついて開口一番にアルベルトに怒られる。

確かに森の中を普通に歩いていて、唐突に進行方向から逸れた方向に走り出したのは申し訳ないと思った。

 

「第一、森に上がった煙が気になるなんていう貴様の我儘でわざわざ寄り道しているのに。全く」


「本当にすまん。でもお陰でこいつを助ける事が出来たよ」


「さっきから貴様に縋り付いているゴブリンか。酷く傷ついているな。そいつをそこに転がっているオークから助けたのか。一体何故に?」


知性あるゴブリンはヒトであるアルベルトが現れても、まるで気にする事なく俺に縋り付いて喚いていた。

アルベルトがそのへこんで汚れた顔を見て、顔をしかめる。


「ああ、お前が村に行ってる間にちょっとあってな。そこで知り合った奴で放っておけなくて」


「へえ」


アルベルトの声が一つ低くなった。

何故か目つきも鋭くなっている。


〔お兄ちゃん、それ言っちゃっていいの……?〕


「あ」


ミニに言われて気づく。

もう終わった事だと油断して口走ってしまった。


〔えー、何、あんちゃん。何か面白そうな事してたみたいやん。ええなー、ワシもそっち行きたかったなー〕


アイアンが暢気にぴょんぴょん跳んでいるそばで、明らかにアルベルトは怒気を放ち始めていた。

しかし、すぐに引っ込めて大きな溜息をつく。


「……後で聞かせてもらうからな」


その後、アルベルトは麻袋から手当て道具を取り出した。


〔何を……〕


俺に縋り付いて喚いていたゴブリンはその様子を見て、困惑する。

ヒトが何でもない魔物であるゴブリンに施す事が有り得なかったのだろう。


「ああ、こいつお人好しなんだ」


「うるさい。このゴブリンの顔が見るに堪えないだけだ」


しかし、知性あるゴブリンはアルベルトの手当てしようとする手を払いのけると、再び喚き始めた。


〔私の傷なんてどうでもいいんです! だから……!〕


「どうでもいい訳あるか」


俺に縋り付く知性あるゴブリンの手を掴んで離し、そのまま顔を突き合わせる。


「まず黙って手当てを受けろ。そしたら話を聞いてやる。その面、見てるこっちが痛いんだよ」


語気を強めて、言葉をぶつけてやると知性あるゴブリンはようやく大人しくなった。

様子を見ていたアルベルトに目で合図し、手当てを再開させる。


「さて、それじゃあ聞いてやる。頼むから落ち着いて、順序立てて説明してくれよ?」









「ふーん。あの村がオークの群れに襲われる、ねえ」


「何だと。どういう事だ!」


一通りの事情を知性あるゴブリンから聞き終えた。

話している間に、知性あるゴブリンの手当てを終えたアルベルトは俺の言葉に詰め寄ってくる。


「どうもこうもそのままだ。あの村のヒトを皆殺しに、オーク達がやってくるらしい」


「しかし、あの村には知性なき魔物を遠ざける結界が」


「オークのリーダーにはそれを破る術があるらしい」


それを言うと、アルベルトは頭を抱えた。

そして何かをぶつぶつ呟き始めた。

色々考えているのだろう。


「しかし、よく分からないな。お前はヒトが憎いとばかり思ってたんだが」


〔……私だって、そうあろうとしましたよ〕


説明を終えた後、黙ったままだった知性あるゴブリンが唐突に口を開いた。


〔自分の意志と身体を好き勝手にされたんです。当然、魔物として憎まぬ道理はないと思いましたよ〕


知性あるゴブリンは独り言の様に続ける。


〔けど、無理でした。憎しみなんてちっとも湧いて来なかった。だって、だってあの子は、カナは、あまりにも……!〕


────優しかった。


〔どれほど思い返しても酷い記憶は一つもなく、出てくるのは幸せだった記憶ばかり。そんなの憎める訳がない……!!〕


堰を切って話す知性あるゴブリンの言葉遣いは涙が流れるごとに荒くなっていく。


〔あの子はただ本能のまま生きてきた私に幸せを教え、与えてくれた〕


懐古、歓喜、悲哀。

様々な感情が言葉となって、止まる事なくその口から溢れ出てくる。


〔おかしな話だろう? 洗脳が解けた今でも、あの子の事が好きで好きでたまらないんだ。むしろ出来る事なら彼女の下に戻りたいとすら思っている。でも心配して迎えてくれた仲間の前でそんな事を言える訳がなかった。だから、ずっと自分を騙してまで、黙ってきた! けど、決して忘れる事もできなかった!!」


言葉はやがて感情の叫びと化して、その想いを相手に叩きつける。


〔でも、それほどあの子が、カナが好きなのに、私には彼女を守る力がない。救う力がない。敵を倒す力がない! 情けなくて悔しい程、私はこんなにも弱い!!〕


自分への憤怒と悲哀、そして救いと祈りを込めたその目で、ゴブリンは真っ直ぐに俺を射抜いた。


〔だから、お願いします! 伝説の人間様! 私の全てを貴方に捧げますから! 全身全霊で報いますから! どうかあの村を、カナを守ってください!!〕


そして知性あるゴブリンは包帯が巻かれているのも気にせず、滂沱の涙を流しながら、半ば悲鳴と化した声を上げ、額を地面に擦りつけて土下座した。


〔あんちゃん……?〕


〔お兄ちゃん……〕


尋常ならざる知性あるゴブリンの様子を見て、事の重大さを察したミニとアイアンの視線を受け、俺は答えた。


「やだ」


知性あるゴブリンは固まったまま、動かなくなった。


〔えぇ……〕


〔お、お兄ちゃん……〕


ミニとアイアンが明らかに引いた声を出したが、構わず言葉を続ける。


「お前の全てなんていらないし、そもそもお前の代わりにカナって子を助ける義理も理由も俺にはない。お前が弱いとか知った事か。そんなに好きなら自分で助けに行け」


俺がそう吐き捨てると、知性あるゴブリンは震えながら、顔を上げた。


〔どうしても、駄目ですか?〕


「駄目だ」


きっぱりと言ってやった。


〔分かり、ました。下らない私の話で、耳を汚してしまって、申し訳ありませんでした〕


そう言うと、知性あるゴブリンは立ち上がり、俺達に背を向けてふらふらとした足取りで歩き始めた。


〔あんちゃん、流石にもうちょっと何かあるやろと思うんやけど〕


〔ねえ、いくら何でもあれは酷いよ。お兄ちゃん〕


二人が何か言っているのが聞こえるが無視して、知性あるゴブリンの去りゆく背中に声をかける。


「これからどうすんだ」


〔……村に行きます。何もできないかもしれませんが〕


知性あるゴブリンは振り返る事無く、歩きながら答える。


〔諦められないですよ。だから貴方がいなくても、私は行きます。貴方の言う通り、この命が続く限り、私の力でカナを守ります〕


「そうかい、じゃあ手伝ってやる」


〔はい。……は?〕


知性あるゴブリンはポカンと口を開けた間抜けな表情でこちらを振り返った。


「何を呆けた顔してんだ。手伝ってやるって言ってるんだよ」


〔いや、だって、何で〕


「俺は()()()()()()に助ける義理も理由もないって言ったんだ。手伝わないなんて一言も言ってないだろ。それに──」


口をパクパクさせて、戸惑いながら戻って来る知性あるゴブリンに言ってやる。


「男が好きな相手を守るのを他の奴に任せるなよ。守りたいなら、自分で守れ。その手伝いならいくらでもしてやるから」


その言葉で知性あるゴブリンは涙を溢れさせて、膝をつき、俺の手を握った。


〔ありがとう……! ありがとう……!!〕


「よせよ。さっきから泣き過ぎなんだよお前」


俺が知性あるゴブリンの行動に困っていると、両脇から嬉しそうに跳ねるアイアンとニコニコと笑顔を浮かべるミニが現れた。


〔さすがや、あんちゃん! まさに漢やな!〕


〔ふふ、お兄ちゃんはやっぱり私を助けてくれたお兄ちゃんだ〕


「お前ら笑ってないで、こいつどうにかしてくれよ」


ほとほと困るしかなかった。


「私抜きで、随分盛り上がっているみたいだな」


「アルベルト」


おれの背後にいつの間にかアルベルトが立っていた。

考え事は終わったらしい。


「どうせ行くんだろう? オークだからといって油断だけはするなよ」


「あれ、止めないのか?」


アルベルトはそれは大きな溜息をつくと、眉を下げ、顔をしかめて、むすっとした表情になった。


「どうせ止めて無駄だからな。後始末は考えておいたから、派手に暴れて来い」


どうやらあの時から俺が行く事を見越して、後始末をどうするか考えていたらしい。

完全に思考を見透かされていた。


「すまん、ありがとな。言う通り、派手にやってくるさ」


「謝るくらいなら、やめてくれれば助かるんだが」


「そりゃ無理だ。これが俺だからな」


アルベルトは再び大きな溜息をついた。


「おら、いつまで泣いてんだ。急がなきゃいけないんだろ? 案内頼むぜ」


〔はい……!〕


知性あるゴブリンは力強く頷いた。











〔はっは、臭うなあ。忌まわしいヒトどもの臭いが〕


夕暮れ。

徐々に夜が迫る頃。

村の入り口前の森にハイオークは立っていた。

背後の森の奥には既にオーク達の配置が済んでいる。

後は厄介なこの村の結界を破るだけだった。


〔さて、邪魔な結界の元は──コイツだな〕


ハイオークは村に足を踏み入れ、入り口に立つ像に触れる。

石像ではあるが、ただの石ではなく、ハイオークにまったく未知の素材で出来ており、力で破壊するのは不可能と思える強度をしていた。


「ひ、ひいい! オーク!? な、何で村の中に!?」


入り口付近で悪魔族の魔物に農作業をさせていたヒトがハイオークに気づいて慄き、魔物と共に村の奥へと逃げていく。

騒がれるのは時間の問題だろう。


〔面倒臭い。騒がれる前にとっとと結界を破るか〕


破壊はできない。

しかし、この結界が魔力で作動しているのは、以前手に入れたスキルで分かっていた。

その魔力が供給される導線も。

要は結界が維持できなくなればいい訳で、一番簡単で手っ取り早いのが、その魔力の供給を断つ事。

その導線は石像の下から繋がっていた。

ならば、やる事は一つ。


〔ふんっ!!〕


ハイオークは石像の下の地面に手を入れ、端の方を掴んだ後、力の限り石像を下から持ち上げようとした。

端から力が加えられ、徐々に石像は傾いていく。

やがて半分傾いた頃に、自重によって石像はズズンと音を立ててあえなく横倒しとなった。

石像が元々、立っていた場所には白い魔法陣の様な紋様が描かれていた。

魔力供給の為の何かなのは間違いなかったが、ハイオークには何の興味もなかった。

大事なのは石像の魔力が断たれた今、村を覆う厄介な結界は失われたという事だ。


〔待たせたな、お前ら。存分に暴れて殺し尽くせ!〕


背後の森へ向かって叫ぶと、地響きと共にオークの群れが殺到してきた。


〔さあ、至福の時間だ。ヒトよ、俺の為に死ね〕


自分を通り過ぎ、我先にと村の中へ殺到するオークを眺め、ハイオークは邪悪な笑みを浮かべた。

しかし、先頭のオークが飛んできた何かにいきなり頭を蹴り飛ばされるの皮切りに、次々とオーク達の顔に何かから放たれた火球が当たって、進軍が止まってしまう。

その何かはオーク達の前に降り立ち、立ち塞がった。


〔俺の至福を邪魔するとは、誰だ貴様ァ!!〕


ハイオークが激昂すると、その何かは黒髪を風に靡かせ、黒い目で真っ直ぐ見据えてきた。


「この村を守りたいゴブリンの助っ人」


そう言って黒髪黒目の人間、ナオトは獰猛に笑った。




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