第三十一話:ゴブリンとお喋りします
この小説は面白いのかと自問自答する日々。
カルタ地方。
その地方ではヒトが北半分の平野にギルドの自由都市を始めとした街や村を築き、栄えていったが、逆にあまりヒトの手が入らなかったもう片方の森で覆われた南半分は、魔物達が格好の場所として巣や塒を多く築いて、栄える事となった。
そして図らずも北がヒトの領域、南が魔物の領域という状態が出来上がってしまい、今に至る。
しかし、北に全く魔物の影がない訳ではない様に、南の方にも全くヒトが生活していない訳ではない。
例えば、広大な森の中にあるほんの少しの切れ目にその村落はあった。
丁度、村のある範囲だけが広大な森からくり抜いた様に切り開かれており、村から一歩出れば目の前はもう森という、魔物達が多く生息する森の中で極めて局所的なヒトの生活圏だった。
「毎度あり! いやあ、私も最初は驚きましたからねえ。まさかこんな森の奥にこんな村があるなんて思いもしませんでしたから」
そう言って行商人は快活に笑った。
今、アルベルトは偶然森の中で見つけた村に訪れていた。
木造の家が立ち並び、エルフや獣人など人種が魔物を使役して畑を耕し、日々を暮らす小さな村。
特筆する事はその入り口に誰かの像が立っている事ぐらいの長閑で平凡な村だった。
村を訪れた目的は物資調達と情報収集。
一応、シルク自由都市で十分に物資は買い込んでいたが、リザードキングからの一連の経験から、余分に買い込んでおくべきと思い、ついでに何かこの辺りの近況や注意すべき情報を手に入れる算段だった。
しかし、物資調達と言えど、こんな辺鄙な村ではそこまで期待はできないと思っていたのだが、そこにたまたま村を訪れていた行商人がいたので、これ幸いと話をつけ、取引をする事ができた次第である。
「しかし、何故こんな森の真っ只中だというのに、この村は魔物は襲われないんでしょうかね」
「ああ、実は私もそれが気になって、以前村長に聞いた事があるんですよ」
外からここへ訪れた者は誰もが考える疑問をアルベルトが口にすると、行商人はしたり顔で頷き、その理由を話し始めた。
「実はこの村、知性の無い魔物には認識できず、無意識に遠ざかってしまう結界が、あの村の入り口にある像から発せられているんですよ」
何故か顔を寄せてきて、ひそひそ声で行商人は話す。
村長から聞いたなら、そんな周囲に隠し立てする様な内容ではないはずだが。
アルベルトはそれよりも今聞いた内容に耳を疑う。
「そんな荒唐無稽な現象を起こせるモノなんて、まさか」
「そうです。古代魔具なんですよ、あの像。村長が言うには、この村が出来るずっと前から像はここにあって偶然、像の発する結界に気づいた者達が、ここに村を作ったらしいですよ」
アルベルトは思わず村の入り口にある像を見る。
台座の上で何かを掲げている様な姿勢をしている人物の像だが、年月によって表面が削られており、顔は分からず、残念ながらヒトの像という事しか分からない。
「誰の像なのかは村長も知らないそうです。ただはっきりしているのはあの像の結界のお陰で、魔物は村に近寄らず、盗賊はそもそもこんな危険な森の中には来ないので、この村が安全に暮らしていけるという事です」
その言葉で締めると、行商人は満足気にうんうんと頷いた。
誰かにこの話をしたくて仕方なかったのか、話し終えて、随分とご機嫌だった。
確かに興味深い話ではあったが、旅をするアルベルトには関係のない話である。
「そういえば、最近何かありましたか? 私、結構長く旅をしていて、近頃、街を訪れていないんですよ」
聞くべき事は他にもある。
まずはシルク地方での騒ぎがどの様に伝わっているか。
アルベルトは、とりあえず軽く世間話の体で探りを入れてみる。
「ふむ、そうですね。直近で言えば、又聞きなので詳しくは分かりませんが、シルクの方で地震だか、巨大な火柱が起こっただとか。怖いですよねえ」
行商人の口からあの地震と火柱の事が出てくる。
あれだけ派手に起こった事だ。
当然、広まらない方がおかしいと、アルベルトは内心で相槌を打つ。
これは想定内、問題は次からである。
「ははあ、そんな事が。原因とかは分かったんですかね」
「いや、ギルドから特に発表とかないですから、まだ分かってないんじゃないですかね」
どうやらまだあれがナオトの仕業だとはバレてはいないらしい。
確かに普通に調査した所であれが人間によるものだと分かるとは思わないが、既にナオトはあの勇者に姿を見られている。
その線からバレても不思議ではないが。
「そうですか。他に変わった事は?」
「んー、そんな所ですかね。この辺りは基本、平和ですからねえ」
行商人は顎に手を当て、首を捻らせながら答えた。
様子を見る限り、本当に何もなさそうだった。
となるとナオトがシルクにいたという事はまだ世間には伝わっていないらしい。
何せ伝説の魔物だ。
もし人間の情報が出ていたなら、すぐに広まっているだろう。
しかし、姿は見られたから、間違いなくギルドには報告がいっているはずである。
それが世間には広まっていないとすると、ギルドが情報をそこで止めたか。
混乱を防ぐ為か、あるいはギルドで人間を占有する為か。
「ところでお兄さん。この後はどちらへ?」
アルベルトは思考に耽っていた所に、行商人に声を掛けられる。
答えるついでに、この先に何か注意すべき事も聞いてしまうべきだろう。
「トルトへ向かおうと思っています。何かこの先注意すべき事ってありますか?」
「あー、トルトですか。ふうむ」
行商人はトルトの名を聞いた途端、顔を曇らせた。
「何か?」
「いや、トルトに行くって事は自由都市を目指してという事ですよね、お兄さん」
再び顔を近づけて内緒話の様にひそひそと行商人は話しかけてくる。
もう特に言う事はないので、そのまま流す。
「あそこ、それなりに前から妙に犯罪が多くなってるんですよ。それはもう街に入れば必ず一度は犯罪現場に鉢合わせるっていうぐらいに。以前、知人も訪れて犯罪に巻き込まれて酷い目にあったらしくてね。余計なお世話かもしれないですけど、できる事ならあまり近づかない方がいいと思いますよ」
何やらトルト自由都市はかなりきな臭い事態になっている様だった。
知らずにいたら危なかったとアルベルトは胸を撫で下ろした。
「ご忠告感謝します」
アルベルトは感謝の言葉を述べる。
行商人は朗らかな笑顔でいやいやと手を振った。
「いえいえ。おっとそろそろ村長との商談だ。では、お兄さん、旅の無事を祈ってます」
「こちらこそ色々とありがとうございました」
行商人は軽く頭を下げた後、村の中央にある少し大きな木造の家屋へと向かって行った。
恐らくあそこが村長の家なのだろう。
アルベルトは空を見上げる。
まだ空は明るい。
そろそろ陽が傾き始めるぐらいか。
日暮れ頃に戻るとナオトには伝えたが、用事も終えたし、少し早いが戻る事を決めた。
そうして歩き出したアルベルトの足元に何かが飛んできた。
反射的に立ち止まって見下ろす。
それは角の生えた小さな兎の魔物だった。
スペルホーンラビット。
愛玩用の魔物として有名な種で、またその強さもEランク相当でそこそこ戦える事もあり、世間一般での人気が高い魔物だった。
「ラビ!」
幼いエルフの少女が駆け寄ってきた。
嬉しそうな表情でアルベルトの足元にいるスペルホーンラビットを抱き上げる。
「君の魔物かい?」
「うん!」
少女は満面の笑みで答える。
少女の手は優しくスペルホーンラビットを撫でており、撫でられている本人も安心して気持ち良さそうに身を預けていた。
スペルホーンラビットが少女によく懐いている証拠だった。
「君はいいマスターだな」
アルベルトがそう言うと、少女は顔を曇らせ、首を振った。
「ううん。カナ、全然いいマスターじゃない。だってゴブの事、守ってあげられなかったから」
「カナ!」
眉を下げ、悲しそうな様子で話す少女──カナを呼ぶ声がアルベルトの耳に届いた。
声のした方を向くと、妙齢のエルフの女性がこちらに向かって来ていた。
「すいません、旅の方。この子がご迷惑をお掛けしました」
「いえ、そんな事は。少し話していただけですよ」
恐らくカナの母親である女性は、アルベルトと顔を合わせるやいなや、申し訳なさ気に頭を下げた。
すぐさまそんな事はないと訂正はしたが、女性の申し訳なさ気な表情は晴れる事はなかった。
しかし、女性は悲し気な表情のカナを見て、顔色を変える。
「カナ、あなたまさかまだあのゴブリンの事」
「だって」
「いい加減忘れなさいと言ったでしょ! アレの事は!」
突如、恐ろしい剣幕で女性はカナを叱り飛ばした。
アルベルトが突然の事に面食らっていると、カナは顔を上げ、瞳を涙で潤ませながら女性を睨んだ。
「ゴブはアレじゃないもん! お母さんのバカ!!」
カナはそう言い捨てて、スペルホーンラビットを抱えたまま走り去っていく。
「こら、待ちなさい!」
女性が怒声を上げるも、カナは無視して村の奥へ消えていった。
「すみません、お見苦しい所を見せてしまって。失礼します」
女性は早口でそう言うと、足早にカナを追って、去って行った。
アルベルトは目の前で繰り広げられた親子喧嘩に終始、圧倒されたままで終わった。
何か口を挟むにしても、事情を知らない他人である自分がおいそれと家庭事情に首を突っ込むのは具合が悪い。
あまり気分の良い展開ではなかったが、自分に出来る事はなかったと、アルベルトは自身に言い聞かせた。
陽はこうしている間も傾き続けている。
夕暮れになる前には村を出るべく、アルベルトは気を取り直して歩き出した。
「あれか」
ゴブリン達と森の中を疾走して数分。
耳障りな声と豚の鳴き声に似た醜い叫び声と共に森の一角に戦塵が舞っていた。
その戦塵が一瞬、晴れる。
現れたのは棍棒を振り回す浅黒い肌の豚の顔した魔物達だった。
〔オーク……!〕
先頭を走る、知性あるゴブリンが憎々し気に魔物の名を言う。
戦っていたゴブリン達が棍棒に弾き飛ばされて、宙を舞っていた。
ゴブリンとオークでは力もさる事ながら、体格に差があり過ぎる。
子供が力自慢の大人に立ち向かう様なものだ。
ゴブリン達がまともにやり合っても到底、勝てる相手ではないだろう。
【名称】オーク
【Lv】21
【種族】魔獣
【ジョブ】魔物重戦士
【ユニークスキル】
野性 生命力
【スキル】
戦槌術Lv10 腕力
洞察でステータスを見ると、見た目通りの力押しが得意そうなスキルが並んでいた。
しかし、今の俺に脅威になり得る様なモノはない。
「全員、下がってろ!」
声を張り上げ、敵に向かって突進する。
数は二匹。
大した問題にはならない。
ゴブリンと戦っていたオークの一匹がこちらに気づく。
その振り向きざまに棍棒が振るわれる。
風を切るというより、圧し潰す様な勢いのそれを、身を低くして躱す。
リザードキングの速さを経験した俺にとって今更そんな遅い攻撃に当たるはずもない。
そのまま懐に入って、その醜い顔面に思い切り拳を突き刺した。
「爆!」
拳を振り抜くと同時に火魔術で起爆する。
顔を燃やしながら、オークは勢いよく吹っ飛んで、木々をなぎ倒した。
仲間をやられて怒ったのか、もう一匹のオークが醜い豚の鳴き声を上げながら、めったやたらに棍棒を振り回して突進してきた。
慌てる事無く、すぐさま手近な石を拾って、オークの足を目掛けて投げつける。
石はキュインと風を切る音を立てて、ドスドスと走るオークの足に命中した。
石がめり込み、皮膚が破けて血が溢れる。
痛みに耐えきれず、勢いよくオークは地面に転がった。
当然、その隙を逃さない。
立ち上がろうと踠いているオークの頭を一切の容赦なく全力で踏み抜いた。
破裂音と共に、圧し潰された血肉が弾け飛んで、地面が陥没し、周囲に亀裂が走る。
ビクビクと痙攣するオークの身体から噴き出した魔素を吸収し、その場から飛び退く。
陥没した地面に棍棒が叩きつけられ、衝撃で亀裂の入った地面が盛大に割れる。
「まだ生きてたか。タフだな」
先程、殴り飛ばしたオークが焦げてひしゃげた顔で、怒りを滲ませてこちらを睨んでいた。
生命力というユニークスキルからタフだと想像して、念入りに顔を吹き飛ばしたつもりだったが、先に倒した奴と同様に完全に頭を粉砕しなければ倒れないようだ。
オークが動き始める。
その瞬間、切り裂く様な鋭い風の奔流がひしゃげたオークの顔を削ぎ取っていった。
頭を失ったオークの身体がズシンと音を立てて、崩れ落ちる。
「やるじゃないか、ミニ」
倒れたオークの後ろ、止めとなった魔殺息を撃ったミニがどうだとばかりに羽を広げていた。
「さて、じゃああの続きを話してくれるか?」
自分で仕留めたオークの魔素でレベルアップして嬉しそうに羽をばたつかせてはしゃいでいるミニを尻目に、俺は切り株に座って、再び知性あるゴブリンに尋ねた。
〔私が知性を持っている理由、ですか〕
知性あるゴブリンは仲間にオークの死体や残念ながら死んでしまったゴブリンの扱いを指示した後、俺に向き直る。
そして一瞬、何か躊躇い、それを振り切る様に話し始めた。
〔私も始めは他の仲間と大差なかったんです。仲間と共に獲物を襲い、食らって生きるという本能のままに日々を過ごしていました。私が以前、ヒトに使役されていた事は言いましたよね〕
「ああ」
ゴブリンは俺に確認を取りながら、自身も近場の切り株へと座る。
〔私がはっきりと自我を認識したのは、ヒトに指輪で従えられた時でした〕
伏し目がちに語っていた知性あるゴブリンは、そこで遠い何かを思い出す様な懐かしい目をしたが、すぐに戻る。
〔今だからこそ分かるんですが、あの指輪の従えるという効果は、具体的には恐らく洗脳という言葉が一番適当でしょう。指輪の主人に対する絶対的な愛情と忠誠心を刻み込み、精神の根底から服従させる。あの時の私は無理矢理に従えられたにも関わらず、その事に反抗するどころか喜んでいましたからね〕
知性あるゴブリンは自嘲気味に話し、そのまま続ける。
〔で、恐らく精神を洗脳する過程で、知性を芽生えさせるんだと思います。本能だけでは命令を理解する事が難しいからでしょうね。何かを従わせるという事において、あの指輪程、完璧なモノはないと思いますよ〕
そこまで話して、知性あるゴブリンは一息ついた。
興味深い話だった。
つまり、基本、本能で動く弱い魔物は意思疎通できないが、ヒトに従えられると知性が芽生え、確固たる意志を持つ様になる。
その意思に翻訳能力が効果を発揮できたという事か。
弱い魔物が話せる様になる、ミニとは違う新しいケースだ。
それとあの忌まわしい指輪の効果についても具体的に知る事ができた。
もし一番最初、あの美青年達に襲われた時、指輪のアレに耐えきる事が出来ていなかったら、俺も襲った奴らに馬鹿みたいに尻尾を振るハメになっていたという事を考えるとゾッとする。
しかし、指輪の効果がそれ程に強力なものなら、まず自力で抜け出す事は不可能だろう。
何しろ指輪の主に対して愛情と忠誠心を持つ事なるのだから、そもそもそんな考えすら浮かばないはず。
なのに今、この知性あるゴブリンがここにいるという事は────。
〔捨てられたんですよ、私〕
俺の疑問を先読みして、知性あるゴブリンは静かに答えた。
〔何が不興を買ったのか。私はある日突然、自由にされて、訳も分からぬままヒトに従えられた他の魔物に森へ追い払われました。そして今に至ります〕
顔を俯け、感情の乗らない声で淡々と知性あるゴブリンは語る。
「……憎くはないのか?」
口に出してから、無遠慮が過ぎたと後悔する。
しかし、知性あるゴブリンは気を悪くした様な素振りもなく、ただ顔を上げて自嘲気味に笑っていた。
〔さて、あれから二年も経ちますからね。最初の頃は憎かったかもしれませんが、弱い私は日々を生きるので精一杯で、もう忘れてしまいました〕
何かを堪える様な、そんな笑みを浮かべて、知性あるゴブリンはそう締め括った。
いつの間にか太陽が、傾き始めていた。
「……そろそろ時間だな。色々聞いてすまなかった」
〔いえ、最初にご迷惑をおかけしたのに、助けてまで頂いて、感謝しかありませんよ〕
知性あるゴブリンは先程までの様子がまるでなかったかの様に振る舞う。
先のアレはあまり触れてほしくない事に違いなかった。
〔お兄ちゃん、お話終わった?〕
話が終わるタイミングを見計らっていたのか、丁度良くミニが近づいてきた。
その頭を撫でつつ、切り株から立ち上がる。
「ああ、あいつが戻って来る前にさっさと戻るぞ」
〔それはいいんだけど、お兄ちゃん、元の場所、何処か分かるの?〕
「あ」
言われて気づく。
ここは森の真っ只中。
四方八方、木々が複雑に立ち並んだ景色。
自分がどの方向から来たのかも分からなくなっていた。
〔あの、案内しましょうか?〕
「……すまん」
俺の様子を見て察してくれた知性あるゴブリンに頭が上がらなかった。
深い森の中。
周囲の木々とは別格の大樹の根元に大量のオークが集っていた。
そのオーク達は口々に醜い鳴き声を上げて、集団の中心に向かって傅いている。
その傅きの先には一匹の魔物が座していた。
〔あの二人はやられたか。ゴブリンの身でよくやる。ま、小手調べは合格だな」
伝令役のオークから伝えられた情報に魔物は薄く笑うと、手に持ったヒトの腕を一口で噛み砕く。
〔なれば、次は‶意思〟だ〕
周囲に控えるオークより一回り程大きいその魔物が、人骨で組まれた悪趣味な玉座から立ち上がって歩き出すと、周囲のオーク達の中から何匹かがその後ろにつく。
オーク達を引き連れ、彼らとは違う赤い肌を晒し、ヒトの残骸が散らばる上を王の如く闊歩する。
〔さて、彼奴等は我らの同胞足り得るのか、否か〕
その魔物────ハイオークは凶悪に笑って、血腥い息を吐いた。
励みや改善の目安になるので、感想お待ちしております。




