第三十話:ギルドで飛び交う思惑
今回は早く仕上がったので投稿。
この拙作を待って、読み続けてくれる人に感謝します。
「で、それは真なんですね。ルキドさん」
「ええ、何一つ嘘は言ってませんよ。ギルドマスター」
シルク地方、シルク自由都市。
その都市の中央に位置するモンスターギルド、シルク支部。
その内の数ある集会室の一つで公には秘密裏の談合が行われていた。
談合をしているのは、ここシルク支部の若いエルフの女のギルドマスターとAランカーにして魔王に立ち向かえる勇者を従えるマスター、ルキドと呼ばれた犬の獣人の男。
二人は広い集会室で椅子に座り、机を挟んで向かい合っていた。
「人間ですか……」
ギルドマスターは深く溜息をついた。
机に両肘をつき、顔の前で手を組んで、項垂れる。
その右耳に付いた金色のイヤリングが揺れた。
「本部からの知らせを受けた時は正直、半信半疑でしたが、まさか本当に実在して、さらにこの地方にいたとは」
「あまり嬉しくなさそうですね」
ルキドの目の前にいるギルドマスターの顔は明らかに面倒臭いという表情をしていた。
指摘されたギルドマスターは肩を竦める。
「こちとら先日の地震と森で上がった火柱騒ぎの対応で忙しいのに、蘇った伝説という、どう転んでも厄介事にしかならないモノを喜べと言うんですか? 最近まで黙りを決め込んでいた本部の老害どもがその伝説の所為で年甲斐もなくはしゃぎだして鬱陶しいし、ろくな事がないですよ」
丁寧な言葉尻で吐き捨てるギルドマスターにルキドは苦笑した。
「ギルドマスターがそんな事を一介のマスターに言ってもいいんですか?」
「貴方が本当にただの一介のマスターだったら言ってませんよ。《無法無頼》のルキドさん。老害どもからは散々な評価の様で」
からかう様な声色で世間の通り名を呼ばれたルキドは、しかし、眉を軽く動かしただけで、反論する事はなかった。
「アレの言う通りに動くのが嫌なだけですよ」
「あら、気が合いますね」
ギルドマスターは微笑を浮かべる。
美形揃いのエルフの女の微笑みは常人であれば見惚れる程に美しかったが、その微笑を見て、ルキドは小さく溜息をつくだけだった。
その後、唐突にギルドマスターから顔を背け、あらぬ方向を見つめ始める。
「で、さっきからそこでコソコソ隠れている肝の小さいお嬢さんは貴女の差し金かい? ギルドマスター」
「やっぱり私、貴方嫌いだわ」
ルキドが見つめていた中空から声と共に、空間を引き裂かれた。
引き裂かれた事によりできた空間と空間のその狭間、そこからぬるりとSランカーのエカテリーナが相棒の魔王ルシファーと現れた。
「あら、バレてしまいましたか。というより最初から分かっていたみたいですけど」
エカテリーナ達を潜ませていた事を全く悪びれる様子もなく、ギルドマスターはコロコロと笑っていた。
その様子にルキドは目を細めつつ、ギルドマスターの発言を問う。
「ほう、どうしてそう思うのです?」
「だって貴方、肝心な事を教えてくれていないですから」
「そうよ。人間がどの方向へ飛び去ったか。貴方、人間はシルモア丘陵の風竜の巣から飛んで逃げたとしか言わなかったでしょ」
エカテリーナは机に身を乗り出して、ルキドに迫る。
エカテリーナ自身は見た目はただのエルフの娘でしかないので、大した迫力はなかったが、代わりにその背後に控えるルシファーが尋常ならぬ気配を纏い、底冷えする様な冷酷な目で重圧をルキドにかけてきていた。
「ああ、それはつい油断して見逃してしまったのですよ。私とした事が、息子に急かされ、目の前の風竜との戦いに気を取られてしまって」
しかし、ルキドはルシファーの威圧を全く意に介さず、残念そうに肩を落としてすら見せて、飄々と語った。
常人なら怯えるどころか気絶すらしかねない程の威圧を向けられているにも関わらず、ルキドは余裕を崩さない。
「嘘ね。貴方が見逃す訳がない」
エカテリーナはルキドの話を即座に切って捨てた。
背後に立つルシファーが放つ威圧に魔力が混ざり始める。
「心外だな。私は真実を述べただけだというのに」
「なるほど。力づくで聞き出されるのがお好みという訳ね」
その言葉が終わると同時にルシファーの背後に十枚の翼が出現する。
ぶわりと瞬時に集会室を濃厚な魔力が満たした。
ルキドに向けられていた威圧が明確な敵意へと変わる。
「すぐ野蛮な手段を取ろうとする。これだからSランカーは好かない」
「自分を取り巻いていた柵全てを力で粉砕した様な奴に言われたくないわよ」
一触即発。
状況はその一言に尽きた。
エカテリーナは完全に臨戦態勢。
ルキドもそれに応えようとしている。
飽和した魔力によって物理的な息苦しさすらある状況の中で、二人は互いに一歩も引かず睨み合っていた。
そしてついにルキドも己の魔物を呼び出そうとする。
「はい、そこまでです」
ギルドマスターが魔物を呼び出そうとしたルキドの手を掴んだ。
出鼻を挫かれたルキドは反射的に文句を言おうとしたが、それより先に唇に人差し指を当てられ、止められる。
「お二人とも、ここはギルドの集会室です。ドンパチやるなら私の管轄外の地方でやってくれませんか? 始末書書くの面倒ですから」
それと──、とギルドマスターは背後を振り向く。
「彼女の前でそういう事するのはあまり良くないと思いますよ」
いつからいたのだろうか。
魔力に満たされた集会室の隅。
そこに美しい銀色の毛並みを持った巨大な狼が鎮座していた。
天井に頭がつきかねない程の体躯でありながら、その存在は何故か希薄で、しかし、部屋を満たすルシファーの魔力に決して負けない神々しい光を纏っていた。
そんな謎の大狼の足元に一人の少女がいた。
飾り気のない真っ黒なワンピースを着たその少女はエルフの様な美麗な顔をしながら、背中まで伸びた長い栗色の髪の頭に狼の獣耳を生やしていた。
混血種。
獣人とエルフのそれである少女は無表情でエカテリーナを見つめていた。
「うわ出た、ギルドの狗! ていうか何でここに」
「エカテリーナさん、もしここで騒ぎを起こす様でしたら、今度こそ魔界への入界権利剥奪ですよ」
鈴の音が響く様な声で、少女は静かにエカテリーナに宣告した。
その宣告にピシりとエカテリーナは固まる。
「ちょ、ちょ、ちょっと! それは勘弁して!」
「でしたら引いてください」
眉一つ動かさない冷静な少女とは対照的にエカテリーナは冷や汗を流しながら、手足をばたつかせ、あわあわと全身で動揺していた。
「分かった! 分かったから! ルシファー!」
背中に発現していた十枚の翼が消え、ルシファーが発していた、先程までの濃密な敵意と魔力が嘘の様にかき消えた。
集会室に平安が訪れる。
「ほら、これでいいでしょ! じゃ、もう私行くから!」
そのままエカテリーナはルシファーに掴まり、そそくさとこの場を去ろうとする。
しかし、それを見逃さない者がいた。
「あ、エカテリーナちゃん。先日の地震と火柱の調査と異常があれば解決、ちゃんとお願いしますね」
「え」
ギルドマスターだった。
彼女は朗らかな笑みでエカテリーナに自分の仕事を依頼した。
帰ろうとした矢先の唐突な出来事にエカテリーナは思わず目を丸くする。
「そういう約束だったでしょう。ルキドさんとの談合に秘密に参加させる代わりに、私のお願いを一つ聞くという約束。まさか破りませんよね。彼女の前で」
ギルドマスターが話している間、少女は無表情でエカテリーナを見つめていた。
無言の圧力がエカテリーナを追い詰める。
エカテリーナの脳裏に先程、少女が言った権利剥奪がよぎった。
「うう~、やればいいんでしょ! やれば!」
そう言い捨てて、エカテリーナはルシファーと共に裂いた空間の狭間に消えた。
ギルドマスターは嬉しそうに手を振ってそれを見送った。
「ギルドマスター、貴女、あの小娘が私に喧嘩を売る事を見越して、予めこの犬っころ呼んでましたね」
「ええ、勇者と魔王を引き合わせれば、どうあれそういう事になると思いましたから」
ルキドが半ば呆れた様子で問うと、ギルドマスターはあっさりと認めた。
仮にもSランカーにその思惑をおくびにも出さず、手玉に取って、自分の仕事を押し付ける手腕。
若くしてこのシルク地方のギルドマスターに選ばれただけはあると、ルキドは内心、舌を巻いた。
「というより最初から、自分の仕事を押し付ける事の方が主目的でしたね?」
「はい、その通りです。どうせ貴方は当たり障りのない情報しか提供しないだろうと踏んでおりましたから」
顔に笑みを浮かべたまま、全く悪びれず肯定するギルドマスター。
──食えない女。
ルキドは改めて感心すると同時に、そう心の中で毒づいた。
「ならば、私はもう用済みの様ですから、お暇させていただきますよ」
「待ってください。ルキドさん」
少女が席を立って集会室を出ようとするルキドを呼び止める。
ルキドは立ち止まり、首を曲げ、視線だけ背後にいる少女に向ける。
「何だ、犬っころ。人間が何処の方向に飛んで行ったか聞くつもりなら、ギルドマスターに聞け。私の答えは変わらん」
「いえ、そうではありません」
先程までの丁寧な言葉遣いと打って変わって、ルキドは乱暴な口調で少女に応答する。
しかし、少女は特に気にする様子もなく、話を進める。
「あの方からの伝言です。返すべきモノを返せと」
その言葉を聞いた瞬間、ルキドから強烈な怒気が放たれ始めた。
事を見守っていたギルドマスターが思わず顔をしかめる程のそれを全く抑えもせず、ルキドは少女を向き直り、未だ無表情のその顔を睨み付ける。
「もし断ると言ったら?」
「実力行使になる、と」
ルキドの低くドスの効いた声に、少女は怯えるどころか全く感情を見せず、一切の淀みなく即答した。
ルキドから放たれる怒気がより一層強まる。
「それはつまり飼い犬のお前を、あの魔王を差し向けるという事か」
「相違ありません」
ルキドは集会室の隅で静かに座っている銀色の大狼をちらりと見た。
大狼は鋭い眼差しで、ルキドを見つめるだけで動く気配はない。
しかし、少女に何かすれば即座に牙を剥く──。
それだけは確信できた。
「返答は急がなくて結構です。いずれまた伺います。その時までに答えを出しておいてください」
そう言われた後、ルキドはしばらく少女を憎い仇を見る様な凄惨な目で睨み付けていたが、集会室に響く程の舌打ちをした後、乱暴な足取りで出ていった。
その間も少女の表情は変わる事はなかった。
「何の話か分かりませんが、随分と怒らしてしまったみたいですね。あれで良かったのですか?」
「貴女には関係のない事です。ギルドマスター」
ギルドマスターが興味本位で問うが、少女は全く取りつく島も見せず、無感動に切って捨てた。
ギルドマスターはその答えを予期していたのか、特に気分を害した様子もなく、笑みを浮かべているだけだった。
「ふふ、口が固いですね。流石ギルドの懐刀、Sランカーにして魔王ティアマトのマスター、アルムさん」
少女──アルムはそれに特に反応する事もなく、その無表情を今度はギルドマスターに向けた。
「では、人間に関する報告をお願いします。ギルドマスター」
「報告と言っても、ルキドさんから提供された情報くらいしかないですよ」
ギルドマスターは胸の前で腕を組みながら、右耳のイヤリングを弄る。
アルムは首を振った。
「構いません。あの御方はどんな些細な情報でもお望みです」
「そうですか。分かりました。でも、あまり期待はしないでくださいね」
ギルドマスターは微笑みを崩さず、ルキドからもたらされた人間の情報を話し始めた。
壁にかけられた明かりを反射し、金色のイヤリングが煌めいた。
カルタ地方。
帝国領の南に位置し、その半分が森に覆われた地方。
その地方の端も端、帝国領の最南端と言える深い森の中。
陽の光が遮られ、薄暗い木々の間をいくつもの小さい影が走り抜けていく。
小さい影はバラバラに行動している様に見えたが、実際はある一つの影を先頭にして、移動していた。
先頭の影が止まる。
その影の先に二つの存在がいた。
一つは竜の子供、もう一つ珍しい黒い髪をしたヒトだった。
後に続いてきた影が静かにその存在達の周囲を取り囲む。
いつもの狩りの作法だ。
獲物を狩る際は取り囲んで、合図と共に一斉に叩くのが定石だった。
やがて影達による包囲が完成する。
後は合図が出されるのを待つだけだったが、包囲して一分経っても合図はまだ出されなかった。
その合図を出すはずの先頭に立っていた影は目の前の存在に悪い予感を感じ取っていた。
竜の子供ではない。
黒い髪のヒトに対してだ。
その予感は勘などという不確かなモノから来るそれではなく、いつか得た知識、まだ自分がヒトに使役されていた頃に耳にした御伽噺の中に出てくる存在の特徴が目の前の存在と同じである事が原因だった。
確実に狩れる様にわざわざ魔力の弱いはずの獲物を見つけて選んだはずだった。
事実、目の前の存在達から感じる魔力は大した脅威を感じない。
それにアレはあくまでも御伽噺の中の存在でしかなく、実在するはずもなかった。
しかし、自身の知性が訴える予感を無視する事も出来ず、未だ判断を躊躇っていた。
その時、包囲していた影の一つが動き始めた。
獲物を目の前にして痺れが切れたらしい。
我慢できず飛びかかっているのが、見えた。
〔駄目だ、やめろ!!〕
反射的に自分も飛び出す。
瞬間、黒髪の魔力が急激に膨れ上がった。
悪い予感は当たった。
どういう方法なのか、本来の魔力を隠していたらしい。
その意識は先に飛び出した仲間の方に向いている。
放っておけばどうなるかは明白だった。
黒髪に飛びかかった勢いのまま攻撃しようとしている仲間へ全力で飛びかかり、寸での所で抱きしめ、抑え込む。
その勢いのまま、二人で地面を転がった後、すぐに体勢を立て直し、黒髪と対峙する。
〔待て! 出てくるな!〕
殺気立って後に続こうとする周囲の仲間達をすぐさま制止する。
あまりにも力の差があり過ぎる。
仮に今、全員でかかってもあっさり皆殺しにされて終わりだろう。
助けた仲間を後ろにやり、恐怖を抑え、冷静に相手を観察する。
その男はヒトでは見た事のない黒髪と黒目を持ち、ヒトに非ざる魔力を発しながらこちらを見下ろしていた。
男の隣には竜の子供が不思議そうな瞳で見ている。
「ははあ、話せるゴブリンなんていたんだな」
驚くべき事に男の口から魔物である自身に理解できる言葉が発された。
その外見といい、言葉が理解できる異常さといい、御伽噺が現実味を帯び始めていた。
しかし、会話できるのなら、見逃してもらう事もできるかもしれない。
幸い、相手は今すぐこちらをどうこうしようという気はない様だ。
その気があれば既に自身は肉塊と化しているはずだ。
それ程の力の差があった。
とりあえず、まずは相手の気を引く話題で、かつさっきから気になっている事を話してみる事にした。
〔もしかして、貴方は、あの伝説の人間ですか?〕
あの胸糞悪い風竜の一件から数日、俺達はミニを加えて、帝国領の端の方を通り、トルト自由都市を目指していた。
目指す帝国の闘技大会まで残り約二ヶ月。
シルク地方では派手な騒ぎを起こし過ぎた所為で、そこにいる訳にはいかなくなり、新たな魔素稼ぎ場所としてシルク地方から丁度真反対に位置するトルト地方が選ばれた。
そしてカルタ地方の深い森の中をときどき襲い来るゴブリンやリザードマンを軽く蹴散らし、時にはミニに軽く戦いを経験させながら進んでいたが、途中、偶然見つけた村落に物資補給と情報収集をする為、立ち寄る事になった。
当然、人間である俺は姿を見せる訳にはいかないので、付近の森の中で待つ事になり、ミニも俺と離れたがらないので共にいる事になり、一人と一匹で特にする事もなく、益体もない会話をして暇を潰していた次第だったのだが──。
〔もしかして、貴方は、あの伝説の人間ですか?〕
今現在、妙に統率の取れたゴブリンの集団が襲ってきて、軽く蹴散らそうと思ったら、まさかの言葉が分かるゴブリンが現れ、どころかこちらに対話を試みてきた。
しかも、俺をあの伝説の魔物かどうかを聞くという。
かなり驚きだ。
今まで出会ったゴブリンは皆全て耳障りな声を上げながら、こちらを無謀にも襲ってくる奴等しかいなかった。
しかし、目の前のゴブリンは襲うどころか、他のゴブリン達を抑え、対話を行おうとしている。
他のゴブリンを抑えた所を見ると、この群れの主だろう。
緑色の肌、大きな鼻、顔の両側から大きく突き出て垂れ下がった耳と、見た目は他のゴブリンと大差はない。
しかし、今までとは違い、明らかにこのゴブリンには知性があった。
恐らく俺が人間かどうかを聞いてきたのも、ほぼ確信があって事だろう。
〔お兄ちゃん、どうするの?〕
「話してみるさ。面白そうじゃないか」
ミニがこのまま倒すのかそれとも話すのかを小声で聞いてくるが、当然、話す方を選ぶ。
こんなに面白そうな事態、このまま終わらせるのは勿体ない。
それに上手く行けば翻訳能力を解明する為のヒントを得られるかもしれない。
「ああ、その通り。俺は人間。あの伝説の魔物さ」
俺はこの世界の人間ではないから、純粋にそうだと言える訳ではないが。
俺の答えにゴブリンが目を見開いたが、すぐに戻る。
確信があっても半信半疑だったのだろう。
〔やはりそうでしたか。先程はとんだ無礼を致しました〕
ゴブリンはそう言うと、額を地面につけて土下座した。
唐突な事だったので、少々面食らう。
「無礼?」
〔はい。我らの者の一人が気が逸って、貴方に襲いかかろうとしてしましました。申し訳ございません〕
ここで理解する。
それはつまるところ命乞いだった。
この知性あるゴブリンだけは俺と自分達の間に圧倒的な力の差がある事を理解できたのだ。
〔我らの縄張りにいつもとは明らかに違う気配を感じ、皆殺気立っていたのです。常なら貴方にあの様に襲い掛かる事は決してありませんでした。ですから〕
「故意ではなかったから、見逃せと?」
俺がゴブリンの意思を汲み取り、言ってやると、ゴブリンは息を呑んだ。
〔……はい。我々に出来る事なら何でも致します。ですから命だけはどうか……!〕
息を呑み、極限まで緊張した面持ちでゴブリンは額を地面にこれでもかと擦り付ける。
正直な話、もはや殺す気はなかった。
もしミニを傷つけられていたなら、言葉を話そうが、一切の容赦なく塵殺していたが、それもなくむしろ知性と身体を張って群れを守ろうとするこのゴブリンの在り方に感心すらしていた。
仮に殺した所で、大した魔素の足しにもならないし、その知性に俄然、興味が湧いた以上、殺すという選択肢は露と消えた。
「なら、聞きたい事がある」
〔……何でしょう〕
しかし、せっかく相手が何でもするとわざわざ言ってくれたのだ。
丁度聞きたい事もある。
せっかくの言葉に甘えない手はないだろう。
「お前、何で話せる程の知性がある? 何でお前だけ。他のゴブリンと何が違う」
俺の言葉にゴブリンが一瞬、止まった後、何かから背く様に目を伏せた。
〔それは、多分、私が以前、ヒトに使役されていたからです〕
ゴブリンは呻く様な声で、興味深い事を言った。
「ヒトに使役されていた? それはつまり」
唐突に耳障りな叫び声が聞こえた。
それと同時に一匹のゴブリンがこちらに走ってくる。
必死の形相だ。
反射的に身構える。
〔待て、早まるな……!?〕
知性あるゴブリンが前に立ち、それを止めようとしたが、そのゴブリンは俺たちに襲い掛かってくる事はなく、知性あるゴブリンの下に辿り着くと何かを大声で捲し立てていた。
〔何、オークが我らの縄張りを荒らしている!? 何故だ! 奴等の根城はもっと北の方だろう!?〕
どうやらあのゴブリンは群れの主の知性あるゴブリンに異常を伝えにきた連絡役らしい。
知性あるゴブリンのその驚き様からして、オークがこの近辺に現れるのは尋常な事ではないようだ。
「おい、よく分からないが、そのオーク、俺が退治してやるよ」
〔お兄ちゃん!?〕
俺の言葉にミニは驚愕の声を上げ、知性あるゴブリンは困惑の表情をする。
〔どういう風の吹き回しですか?〕
「お前にもっと聞きたい事ができた。だから、お前に何かあると困るんだ」
それに強くなる為でもある。
警戒で周囲を探知してみると、確かにこの森には不釣り合いな大きさの気配が、少々離れた場所にあった。
以前、戦ったリザードキングとは比べるべくもない程小さいが、それでもゴブリンよりかは大きい。
手頃な強さで魔素もそこそこ期待できるだろう。
〔それはつまり、この場は見逃して頂けると?〕
「ん、当然。確かに襲われかけたけど、お前が止めてくれたしな。誰も殺すつもりはないさ」
俺の言葉を聞いて、ゴブリンは大きな安堵の溜息をついていた。
「一応、言っておくけど、助けを断っても俺はついていくぞ。聞きたい事を聞くまではな」
〔お兄ちゃん、本気? そんな勝手な行動してたら、あのヒトに怒られちゃうよ!〕
ミニが焦った様に、俺を止めようとするが、その頭を撫でてやる。
「あいつが帰ってくる夕方まで、まだ時間はある。その前に終わらせてしまえば、バレず済むさ。ミニも一緒に行くぞ」
でも、と心配を続けるミニを宥めながら、知性あるゴブリンを見る。
知性あるゴブリンは包囲していた仲間のゴブリン達を呼び集め、知らされた状況を説明していた。
仲間のゴブリン達はしばらく何かを言い合った後、二つの集団に分かれ、そのまま片方の集団は森の奥へ消えて行った。
「……ついてきてください」
知性あるゴブリンは少し逡巡した後、ついてくる事を促し、残った集団を引き連れて、森の奥へと駆け出した。
俺はそのまま後に続き、ミニも渋々といった様子でおれのそばへとついてきた。
人間と竜の子供とそこそこの数のゴブリンという、何ともまとまりのない集団はオークがいる場所を目指して、森を駆け抜けて行った。




