第十八話:異世界の街並みが見たかった
非常にお待たせしました。
申し訳ないです。
〔いやー、起きたらご主人がわしを抱えとって。びっくりしたで!〕
「そりゃよかったね」
昨日、結局、アルベルトはアイアンを離すことなく、そのまま寝てしまった。
二人用のテントだったので、場所を圧迫されて、俺の方はよく眠れなかったというのに。
抱えていた当の本人はすまし顔で俺の先を歩いているから、憎らしい。
まあ、その行動を取った理由を考えれば、咎めるのは無粋だろう。
数日、行動を共にしてわかったが、アルベルトはかなり不器用な奴らしい。
感情を素直に出せない、あるいは出さないようにしているとでも言うのだろうか。
「何か用か?」
そんなことを考えながら、本人を見ていると、その視線に気づかれてしまった。
「いや、後どのくらいで目的地に着くのかなって」
誤魔化すように適当に質問する。
「もうそろそろ森を抜けるはずだ。そうすれば、すぐ目の前だ」
その言葉通り、終わりが見えなかった森の奥に開けた場所が見えた。
あれが森の終わりだろう。
「ようやくこの森ともオサラバか」
「もう少し早く、貴様が自分の魔力を抑えることに気づいていれば、昨日の内に森を抜けられたんだがな」
「そりゃ、悪うございましたね」
ここに至るまでにもアルベルトはこんな風に、ことあるごとに憎まれ口を叩いてきた。
初めの内は、それにムッときて、色々と本気で言い返したりしたが、今となってはこちらも軽い憎まれ口を叩き返したり、スルーしたりと基本的にあまり気にしなくなってきていた。
この程度の憎まれ口を気にしていたら、きりがないということで慣れてしまったのだ。
慣れとはすごいものだ。
「まあいい。予定より到着が遅れているからな。急ぐぞ」
「へーい」
アルベルトが早歩きし始めたので、それに応じる。
〔ご主人たち、ちょっと早いわー〕
アイアンがぴょんっと俺の肩に乗ってきた。
ズシリとその重さが体に響く。
元の普通の人間の体だったら、間違いなく肩にヒビが入っているか、折れていただろう。
今の俺なら、重いこと以外にたいしたことはないが。
「何だ。重いから降りろ」
〔いやや〕
「おいコラ」
〔だって早歩きされると、わしちっさいから小走りせなアカンくなるやん。それやったら、あんちゃんに乗せてってもらった方が早いし、楽やし、ええやん〕
「知るか。さっさと降りろコラ」
〔ケチ〕
「ケチで結構」
「おい。何してる。早く来い」
気が付くと、アルベルトは遥か先にいて、こちらを呼んでいた。
〔ほら、はよ行かな〕
俺はため息をついて、歩き出した。
〔ありがとーな。あんちゃん〕
「どういたしまして……」
そんなこんなで俺はアイアンを肩に乗せたまま、アルベルトと共に森の出口を目指して街道を歩いた。
森の出口へ近づくにつれて、出口の向こう側の景色が徐々にはっきりと見えてくる。
頭上を覆う木の葉の数も疎らになってきて、差し込んでくる木漏れ日の量が多くなる。
そして、ようやく森を抜ける。
「ほあー……」
思わず感嘆の息が漏れた。
そこには青く澄んだ空の下、そよ風に揺れる雄大な草原が広がっていた。
その草原が続くその先、鬱蒼と生い茂っている森に周囲を覆われた、小さな山と言っても差し支えないほどの丘陵が見えた。
「あれが目的のシルケ森林とシルモア丘陵だ」
アルベルトが俺の横を通り、街道を外れて草原を少し歩いたところで止まる。
「そして、あそこがこのシルク地方のギルドがあるシルク自由都市だ」
アルベルトの隣に並ぶと、すぐそこが崖になっていた。
さっきまで立っていた場所では、その崖の陰に隠れて視界に入らなかったが、崖から見下ろした先に壁に囲まれた街が見えた。
「へぇ、あれが」
「先に言っておくが、貴様には街の外で待っていてもらうからな」
「……やっぱり?」
「当たり前だ。いくら私の魔物ということにしても、そのまま街を歩けば目立ちすぎる。ましてや、ギルドが血眼になって貴様を探しているだろう今に自由都市を歩くなんて厄介事に自ら首を突っ込むのと同じだ」
「だよなあ。思うんだけどさ、これじゃ結局、俺がお前の魔物であるって見せかける意味ないんじゃ?」
「問答無用で捕獲されそうになるのと、まだ安全の可能性があるの、どっちがいい?」
「……それは」
安全の可能性がある方に決まってる。
だからこそ俺はこの取引に乗ったのだ。
「私は単なるマスターの一人に過ぎない。完全なる安全を提供をすることなど不可能だ。だが、少なくとも、貴様一人でこの世界を生きるよりかは安全を提供できているはずだ」
アルベルトの言葉に偽りはない。
確かに奴の取引に乗らなければ、この世界の常識について知ることはできなかったし、人間という伝説の魔物の立場を自覚するのも遅かっただろう。
知っておくべき情報を知らないのは、常に危険に晒されているのと同じことだ。
それらを知らなければ、もうとっくの昔にマスターの誰かに捕まっていてもおかしくはなかった。
「とにかく安全のために、大会当日までは極力、他人との接触は避ける。無用なトラブルはごめんだからな」
「わかったよ」
残念だ。
異世界の街並がどんな感じなのか見たかったが、仕方がない。
身の安全には代えられない。
「そういうわけだから、ここで待っていろ」
「え、ここで待つの?」
「自由都市はマスターたちが行き交う場所だぞ。街の近くで待っていたりなんかしていたら、他のマスターとバッタリ、なんてことが十分にあり得る」
「……わかったよ。待ってるさ」
「よろしい。日が暮れる前には戻ってくる。くれぐれも他の誰かに見つかるなよ。見つかりそうになったら、森に隠れろ」
「そんないちいち言わなくてもわかってるって。さっさと行ってこいよ」
〔ほら、御主人。あんちゃんは腐っても伝説の魔物なんやから心配せんでも大丈夫やって。はよ行こうや〕
「腐っても、ってどういう意味だコラ」
〔怒らんとってやー、あんちゃん。言葉の綾っていうやつや〕
それでもなお心配そうな顔で、アルベルトはアイアンと共に街道の先を歩いていった。
さて、アルベルトたちが戻ってくるまで何をして暇を潰そうか。
アルベルトはヒトが歩くことによってできた天然の街道をアイアンと共にキビキビとした歩調で進んでいた。
都市から伸びる街道は複数あるが、その中でもしっかり舗装されているのは、それぞれの自由都市へ繋がる、都市の北門と南門から伸びる二つの街道だけである。
他の街道はマスターたちがそれぞれの目的のために行き交ったためにできた所謂、獣道というのが相応しい道で、大体が森や山、迷宮など、魔物が蠢く危険な場所へと続いている。
アルベルトたちが歩いてきたのは、その獣道であり、今もその上を歩いて、都市へと向かっている。
アルベルトは歩きながら、考えていた。
幸いなことに自由都市の近くを魔物がうろつくことは、都市の周囲に設置されている魔具のおかげで滅多にない。
故に、多少、思考に耽ったところで大した危険はなかった。
しばらく思考した後、表情を曇らせたアルベルトは後ろを付いて歩くアイアンを見下ろした。
「アイアン、彼は、ナオトはまだ私についてきてくれるだろうか?」
リングを通じて伝わってきたのは肯定の意思だった。
モンスターリングは使役者と魔物の意思疎通の役割も担っている。
お互いに言葉を理解することはできないが、その意思はリングを通じて伝わる。
戦闘の際、マスターはこれを利用して、魔物に指示を出しているのである。
「そうか」
短く、そう呟いただけで、アルベルトの表情が晴れることはなかった。
無言のまま、歩き続けて、ついに自由都市の二つのある入り口の門の一つ、南門のそばへと近づいてきた。
都市の周りは近づく者を威圧するかのような、10メートルはあるだろう壁に囲まれている。
何の装飾もない、質素な壁だが、周囲に魔物がいることを考えれば、実用性を追求した結果だと言える。
壁の上には見張りが立って、辺りを見回している。
いくら都市の周囲に魔物除けの魔具が設置されているとはいえ、完全に安全という訳ではない。
強力な魔物には効果がないし、魔穴が発生してしまえばまるで意味がない。
それらに対応するためにも、最終的にはヒトの目で監視せざるをえないのである。
門の前ではちょうど旅の隊商が都市へ入るための審査を受けていた。
審査とは自身のステータスを見せることである。
門番は証明というステータスを閲覧できる魔具を持っており、それでステータスの職業欄を見る。
職業欄は本人の行動や保有するスキルによってのみ自動で変化するので、自分で能動的に変化させることはできない。
さらに言えば、一度でも殺人や窃盗などの罪を犯した場合、『罪人』という称号が職業欄に追加される。
故にステータスを見れば、その人物が罪人であるかどうかが一発でわかるのだ。
一応、スキルなどでステータス欄を改竄したり、ステータスを見ること自体をジャミングするモノがあるが、今、使われている証明はそれら一切を無効化する。
まさしくステータスを『証明』するのだ。
例外はあるが。
単純に識察の上位互換の魔具である。
審査が終わり、隊商が街の中に入っていく。
それを見送りつつ、アルベルトは門へ近づく。
「おっ、今度はマスターさんかい?」
門番のエルフ族の男が気さくに話しかけてきた。
「お手数だが、ステータスを確認させてもらうよ」
「ああ」
言うが早いか、門番は皿ぐらいの大きさの縁が装飾されたガラスのような魔具、証明をアルベルトに翳して、それを覗き込んだ。
【名称】アルベルト
【Lv】35
【種族】エルフ
【職業】魔物使い
【スキル】
同調Lv4
「へえ、兄さん文字持ちか。すごいねえ」
「もういいか?」
「ああ、大丈夫だ。ようこそ、シルク自由都市へ」
アイアンをリングに戻して、入った煉瓦造りの建物が立ち並ぶ街の中は人々で賑わっていた。
石畳の大通りは露店が広い道の左右に並び、食料品、衣類、医療品など、果ては娯楽の贅沢品など様々なモノが売られており、それぞれ客と店員が熱い商談を交わしている。
大通りを進んだ先にある大きな広場には中心に巨大な噴水があり、天を衝かんばかりに吹き上げていた。
人々が行き交う中、その周囲をドワーフの子供がペットであろう魔獣族の狼型の魔物とともに走り回って遊んでいる。
噴水のそばのベンチには女性の兎の獣人が座っており、そのそばに荷物持ちだろう巨人の魔物が佇んでいた。
他にも多くの人々が魔物と行動を共にしていた。
そのまま広場を直進していくと、星の形のマークが屋根に掲げられた、一際大きな煉瓦造りの建物、モンスターギルドが見えてきた。
アルベルトは躊躇いなく、ギルドのその扉を開けて中に入った。
ギルドの中は外よりも賑わっていた。
カウンターの受付嬢に依頼の引き受けの処理を頼む者、ギルド内にあるマスター御用達の店で必要な品を買い込む者、買い取りカウンターで持ってきた素材を売る者など様々なマスターがいた。
その中でも多くのマスターが集まっていたのは、依頼の詳細が書かれた依頼書が大量に貼られている依頼掲示板の前だった。
何度かギルドに来たことがあるアルベルトには大して珍しくもない光景だったが、今回は様子が違った。
マスターたちは皆、同じ一点を見つめているようなのだ。
気になったアルベルトはその視線を追って見た。
そこには他の依頼書とは違い、大きな紙で詳細が書かれた依頼書だった。
アルベルトはその依頼書の題名を見て、目を見開いた。
『人間、発見!』
逸る気持ちを抑えて、掲示板に近づき、その依頼書の内容を凝視する。
それは伝説の魔物の人間が発見されたことと逃がしてしまったこと、そして人間の情報を求めていることの旨が書かれていた。
その報酬は金貨500枚。
1年は遊んで暮らせる額だ。
情報だけでそれだけの金をかけるということは、ギルドは本気で人間を求めているということだ。
さらに情報を得るために、近くの男のマスターに声をかける。
「すまない。人間が見つかったとは本当か?」
「ん、おお。俺も驚いたが、どうやら冗談じゃないらしいぜ。ギルド本部直々の依頼だからな」
気さくな男だったらしく、あっさりと答えてくれた。
「俄かには信じ難いな。しかし、王国領のギルタ地方で見つかったのだろう。帝国領のシルク地方で情報を募ったところで見つかるとは思えないんだが」
「それがそうでもないらしくてな。依頼書にも書いてる通り、人間は魔力泉に入って消失したらしいが、何処かにワープした可能性があるんだと。だから、全ギルド支部に、この依頼書が貼られたんだとさ。依頼書が貼られた時に、ここのギルドマスターが説明してくれたんだが、兄さんはその時、いなかったのか?」
「旅をしていてな」
「それは運が悪かったな」
「ああ、色々教えてくれてありがとう。助かったよ。伝説の人間、一度でいいから目にしたいものだな」
「おう、どういたしまして。見れたらいいな」
礼を言い、アルベルトは男と別れて、掲示板から離れた。
かなり不味いことになっている。
まさかワープしたことを見抜かれているとは。
ギルドはずいぶんと鋭い。
もはや、あの魔力珠を取った魔力泉が見つかるのは確実だろう。
見つかれば、たとえ自分の魔物であると主張しても、厄介なことになるのは確実だ。
考えたくはないが、ナオトを力づくで奪おうとする者も現れるかもしれない。
何にせよ、レベル上げは見つからないように細心の注意を払って、ギルドのある自由都市からできる限り離れた場所で行わなければならない。
アルベルトは思考をまとめた後、ここに来た本来の用事を済ますべく、買い取りカウンターへ向かった。
「いらっしゃいませー」
受付嬢がにこにこと微笑む。
カウンターの上にあらかじめ空袋から取り出しておいた、リザード系の魔物の皮やら爪やら武器やらを詰めた麻袋を置く。
「頼む」
「はい、少々お待ちくださいねー」
受付嬢は麻袋を持って、奥へと引っ込んでいく。
3分後、奥から小さな袋を持った受付嬢が戻ってきた。
「結構、多かったですね。こちら、お代金です。ありがとうございました」
手渡された袋の中には金貨6枚と銀貨8枚が入っていた。
リザード系の魔物の素材だけで稼いだ額としては、かなりの大金だ。
準備を整えるための軍資金としては十分である。
アルベルトは、その袋を持ったまま、マスター御用達の店へと向かった。
「暇だな」
アルベルトたちが自由都市へ向かってから、かなり時間が経ったが、未だ戻ってくる気配はない。
太陽も未だ空でギラギラと光っている。
さすがにずっと日向にいるのは暑かったので、今は森の入り口の近くに生えている木の日陰に座っていた。
さっきまでは暇潰しに火魔術を扱う訓練も兼ねて、手から出した火で様々なモノを形作って、遊んでいたが、最後に火の竜を作って満足してしまい、飽きてしまった。
一応、アルベルトたちが行ってしまった後、念のため、すぐに警戒を洞察と入れ替えて、それから数分おきに発動させているが、何かが近づいてくる気配もない。
完全に暇だった。
もはや惰性で続けている状態だが、再び警戒を発動させる。
「ん!?」
不意に大きな魔力を背後の森から感じ取った。
さすがにあの美青年の気配には到底及ばないが、それでも俺が今まで戦ってきた雑魚とは比べ物にならないほどの気配だった。
まだ距離はある。
俺は森の入り口から離れたところにある木の木陰に隠れて様子を見ることにした。
当然、魔力は限界ギリギリまで抑えつけてある。
しばらく待つと、その魔力を持つだろう魔物の姿が森の中に見えた。
それは四本の腕を持つ一つ目の巨人だった。
体は茶色い体毛に覆い尽くされており、腰には武器だろう巨大な剣が四本も着けられていた。
その隣には犬耳の男性と、同じく犬耳の少年の二人がいた。
親子だろうか。
それはともかく、あの魔物はあの二人に使役されているのだろう。
となると、あの二人はマスターということになる。
早めに気づけてよかった。
見つかっていたら、厄介なことになっていたに違いない。
たとえ戦ったとしても、あの魔力的に今は勝てないだろう。
ほっ、と胸を撫で下ろした、次の瞬間、四本腕巨人の魔物の一つ目がギョロリとこちらを見た。
思わず出そうになった声を飲んで、素早く木陰に隠れる。
まさか気づかれたのか。
魔力はしっかり抑えていたというのに。
重い足音がこちらに近づいてくるのがわかった。
ダメだ。
完全に気づかれた。
そう思ったが、その足音はこちらに真っ直ぐ向かってくることはなく、辺りをうろついているようだった。
こちらの位置を完全に特定しているわけではないのか。
ならば、まだ希望はある。
隙をついて、何処かに移動すれば。
「どうした、キラージャイアント。何かいるのか?」
「父さん、自由都市はもう目の前だよ。早く行こうよ」
不味い。
あの二人まで来やがった。
しかも、かなり近い距離にいる。
今、この状態で動き出せば、確実に見つかる。
とは言っても、このまま待っていれば、どのみち見つかる。
どうすればいい。
うろついていた足音も、次第にこちらへと近づいてくる。
心臓がドクンドクンと脈打ち、呼吸が荒くなってくる。
口の中はカラカラになり、冷や汗が顔から地面に落ちる。
俺は祈るような気持ちで、極限まで魔力を抑えて息を殺した。




