麗しの婚約者様はどうやら僕を観察しているようです
※BL妄想ネタがありますので苦手な方はご注意ください。
彼、エイドリアン・フェアクロフトはティーテーブルのそばで立ち尽くしていた。
淡い金の髪は昼の柔らかい日差しを透かし、その白い肌はあまりにも澄んでいた。中性的な美貌を持つ彼は、その透き通るような大きめの青い瞳を、さみしげに細める。
彼の視線の先、婚約者であるリリアン・ウェストウッドは、フェアクロフト家のメイドであるクレアと先ほどから何かを小声で話し込んでいた。時折、くすりと笑い声が漏れる。
それを、見つめた。
エイドリアンの侍従であるガレスが彼に近づき、顔を寄せた。護衛も兼ねるガレスは体格が非常に良く、エイドリアンに合わせてわずかに腰を曲げる。
「先にお茶をお出ししますか」
「いや、いいよ。リリアンを待つ」
「かしこまりました」
ガレスに椅子を引いてもらい、先に席について彼女を待つことにした。
顔を上げる。
はっきりとリリアンと目が合う。
だが、すぐに目はそらされる。
エイドリアンは瞳を伏せ、ため息をついた。
クレアから離れたリリアンが、やっとエイドリアンの前の席に腰を下ろすと、彼女は一度だけにこりと笑んだ。
「申し訳ありません。お時間をちょうだいしてしまいましたわ」
墨色の髪に切れ長の黒曜石の瞳、そして艶のある白い肌。大人の女性の色香が漂うリリアンは、ずっと、彼の憧れの女性だった。
エイドリアンは首を振る。
「いいよ。リリアンはクレアと本当に仲がいいね。……どんな話をいつもしているの?」
「こちらの話です」
短く、言い切られる。
「ごめん。聞くなんて、無粋だったね……」
「……いえ」
リリアンは、エイドリアンより年上だった。それに、エイドリアンは瞳が大きく、どこか、幼く見えるような顔立ちをしていた。中性的な見た目と雰囲気も相まって、時折少女に間違えられるほど。
――僕は、彼女の眼中にはないんだろうな。
エイドリアンはもう一度、小さく息を吐いた。
「あ、はちみつ入れてくれたんだ」
「お疲れかと思いまして」
ガレスがクレアに用意させた紅茶のカップ。それを持ち上げると、エイドリアンは香りを確かめる。琥珀の水面がわずかに揺れ、映り込んだ自分の瞳が歪んだ。
「ガレスにはお見通しだね」
顔を上げて淡く笑うと、ガレスもかすかに口角を持ち上げて笑む。
ふと、視線を感じた。
壁には、先ほどお茶を注いだクレアを含めた使用人が三人。全員がフェアクロフト家に長く仕える者だ。はっきりと感じるほどの不躾な視線を令息に向けるとは思えない。
――なんだろう?
エイドリアンは小さく首を振って、机上のペンを手に取った。書類をめくり、静かに仕事を始める。違和感だけが、胸の中にぽつりと落ちていた。
召し替えの際、メイドやガレスが、彼の服に触れる。由緒ある貴族家。晩餐のためだけに彼は礼装に着替えるのだ。シャツのボタンが外され、別のものへと袖を通し直す。
また、視線。
エイドリアンはほとんど無意識に自分の胸元に触れた。
「……エイドリアン様?」
前に立っていたガレスと目が合う。
「今……なんか……」
視線だけで周りを伺う。ガレス以外の使用人は目を合わせないよう伏し目がちにエイドリアンのクラヴァットやウェストコートの準備を淡々としていた。
――気のせいか。
「何でもない」
「……そうですか」
ガレスに向かって眉を下げて笑ってみせる。
だが、エイドリアンの眉がぴくりと動いた。
――やっぱり、視線を感じる……。
エイドリアンは小さく首を傾げながらも、とりあえず着替えを進めた。
ガレスを伴って廊下を歩く。壁に備え付けられた燭台の明かりがゆらりと揺れ、あちらこちらに鈍い影を作り出していた。
「今日はなんだろう?」
「鴨のコンフィです」
「あぁ、そうなんだ。ガレスも好きだよね?」
「肉はどんな料理も好きです」
エイドリアンが声を立てて笑う。隣を歩くガレスを見あげると、彼もかすかに笑っていた。
またしても、視線。
エイドリアンは振り返る。
静まった廊下。
影だけが、蹲っている。
エイドリアンは眉を寄せると、ガレスの腕を引いた。ガレスは少しだけエイドリアンに顔を寄せる。
「……最近、やたらと視線を感じるんだ」
その時、
――思わず肩が震えた。
エイドリアンは勢いよくもう一度振り返る。
曲がり角の向こうで、何かが引っ込んだような気がした。
だが、そこにあるのは、
――何も変わらない、いつもの廊下だけ。
「やっぱりなんか変だよ……」
「……お調べしましょう」
ガレスの瞳を見つめたまま、エイドリアンは大きく頷いた。
エイドリアンは、リリアンの腰に手を添えた。
招かれた舞踏会。華やかに鳴る管弦楽の音色に合わせ、ステップを踏む。
腕の中にいるリリアンは、やはり美しかった。かすかに香る甘い香りに、脳が焼き切られてしまいそうになる。少しだけ腕に力を込めて彼女を抱き寄せると、伏せがちだった瞳がエイドリアンへ向く。
――やっと、こっちを向いてくれた。
嬉しくて、甘く笑んだ。
だが、視線はすぐに外されてしまう。
エイドリアンは彼女の長いまつげを見つめた。
淡々とステップを踏む。
胸が締め付けられる。
これほど近くにいるのに、彼女は遠い。
エイドリアンは、視線を逃がして壁を見た。それでも、甘い香りだけは、彼をくすぐり続けた。
ダンスを終えると、あとで迎えに行くと告げ、それぞれの友人のもとへ向かった。エイドリアンも同世代の貴族青年達と輪をなし、会話を弾ませる。
時間になり、彼は約束通りリリアンを迎えに向かった。彼女たちが使用している談話室の場所へ、ガレスを伴って向かう。
扉を叩こうと手をあげ、
だが、彼は動きをとめた。
中から声が漏れ聞こえてくる。
「エイドリアン様はまだ華奢ですもの」
「成長途上といいますか」
「やはり上は胸板が厚い方のほうがよろしいわ。絡ませたときに絵になりますもの」
「エイドリアン様はお顔も甘いですからね」
「えぇ、やはり下ですわ」
「体格差が」
「えぇ、えぇ……本当に」
楽しそうな、リリアンを含めた令嬢たちの声。
――下?
エイドリアンは自分の身体を見下ろした。男にしては華奢な体格。
手を下ろし、自分の身体に触れる。
――やはり、リリアンには僕は幼く見えるから、つまらないということ?
――男として、“下”だということ?
唇を噛む。
隣にいたガレスが気遣わしげに彼の背に手を添えた。
「……ガレス」
「少し、時間を空けましょうか」
エイドリアンは扉を離れ、呼吸を整えた。彼女たちの話が落ち着くまで廊下で静かに待つ。
心が、かき乱される。
エイドリアンは片手で顔を覆い、そっと、息を吐いた。
貴族邸の廊下。
舞踏会場の方からは、華やかな音楽と声が聞こえてくる。
自分だけ、切り離されてしまったみたいだった。
フェアクロフト邸庭園。
ガーデンテーブルの前で、エイドリアンは振り返った。途中までエスコートしていた手は離され、「少しだけ彼女と話したい」と言ってリリアンはクレアのもとへ行ってしまった。
リリアンとクレアはひそひそと楽しげにおしゃべりしている。
エイドリアンは庭園を見渡した。季節の花が自然に咲いたかのように整えられた、ナチュラルガーデン。葉も、花も、揃って風に揺れている。
リリアンたちのおしゃべりは、まだ続くだろう。
「ガレス」
少し離れて控えていたガレスが、エイドリアンに小走りで寄ってくる。
「花でも見てよう」
ガレスはちらとリリアンたちを見た。
「……いいのですか?」
「……いいよ」
二人で並んで歩く。ガーデンテーブルから離れない程度に、花を見て回る。
「ガレスは花は詳しかったっけ?」
「……あまり」
エイドリアンが声を立てて笑う。
――視線。
彼は、振り返る。
リリアンとクレアが、はっきりと顔を背けた。
“やはり上は胸板が厚い方のほうがよろしいわ”
舞踏会の日の令嬢たちの会話が脳裏によぎる。エイドリアンは顔を上げて、ガレスを見つめる。
体格の良い侍従。いつも感じる視線。
――もしかして。
――リリアンは、ガレスを見てるの?
血の気の引く音が、自分でも聞こえた。
「……エイドリアン様?」
「……なんでも……ないんだ」
――まさか
――そんな……
風が、花を揺らし、花びらを散らせた。
エイドリアンは、今日何度目か分からないため息をついた。ペン先にインクを吸わせ、淡々と手を動かすも、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
その時、廊下の向こうから悲鳴が聞こえてくる。
眉を寄せて、顔を上げた。
続いて、ノックの音。
「……どうぞ」
扉を開けて現れたのは、クレアの首根っこをつかむようにして引きずってきたガレス。クレアは今にも泣き出さんばかりに顔を青ざめさせていた。
「ガレス!?」
「……エイドリアン様。不審な視線の正体が分かりました」
「後生ですから! どうか! それだけはおやめになって!! 本当に!! ガレス様!! ガレス様ぁ!!!」
クレアが悲鳴を上げている。
「ガレス……。女性にそんなことをしては――」
ガレスはエイドリアンの執務室内にクレアを転がすと、エイドリアンの目の前に紙束を置いた。
「こちらを」
エイドリアンはガレスと紙束を見比べ、やがて素早く目を通す。
「あぁ〜!! いけません!! エイドリアン様!! お目が汚れてしまいます!!
本当に!! やめて!!!」
暴れるクレアをガレスが抑え込んだ。
◇◇◇
ガレスはその細い手首を掴み、白いシーツに縫い付けた。
「だめ! やめてガレス!」
エイドリアンが声を上げるが、その声にさえガレスは歓びを覚えてしまう。
「エイドリアン様……。どうか私の長年の想いを受け取ってくださいませんか」
切なげに目を細め、主である青年を見つめた。その細い首筋に、ゴクリと、思わずつばを飲み込む。
彼のシャツのボタンを散らせば、白い透き通るような肌が顕になった。鎖骨の下にある小さなホクロ。たまらず、舌を這わせる。
エイドリアンから、甘い吐息が漏れた。
「ガレス……。僕には婚約者がいるんだ……。こんなこと」
口ばかり嫌がるその花の蕾のような唇を、ガレスは己の唇で塞いだ――
◇◇◇
「僕、ガレスに押し倒されてキスされてるんだけど!」
クレアの情けない悲鳴があがる。
エイドリアンは顔を青ざめさせて、視線を上げた。ほとんど真顔のガレスは、エイドリアンの手元の紙束を見下ろす。
「最後の項に、作者の名が記されております」
ページを急いでめくり、視線を這わせる。
エイドリアンは愕然とした。
異様なほどに美しい文字で刻まれたその名。
見覚えがあった。
何度も見たことがある。
婚約者が送ってくる手紙と、同じ筆跡だった。
エイドリアンが顔を上げると、ガレスは大きく頷く。
クレアはずっと悲鳴をあげていた。
フェアクロフト邸サロン。
大きな窓が並ぶその部屋は、自然光が柔らかく差し込んでいた。品の良い花瓶には季節の花が飾られ、彩りを添えている。
リリアン・ウェストウッドはサロンに入るなり、息を呑んだ。
視線で同志を探すも、壁に控えているクレアは死刑宣告を受けた囚人のように顔を青ざめさせて俯いている。
彼女の婚約者、エイドリアン・フェアクロフトはその美しい中性的な顔に淡い笑みを浮かべていた。
部屋の中央に立ち、腕を組んで彼女を迎える。
逆光が、彼の表情をより冷酷に見せていた。
「やぁ。リリアン」
「ご……ごきげんよう、エイドリアン様」
リリアンの声は震えている。
「彼のシャツのボタンを散らせば、白い透き通るような肌が顕になった」
エイドリアンが彼女に向かってゆったりと歩き出し、リリアンはそれから逃げるように後ろに足を引いた。
「鎖骨の下にある小さなホクロ。たまらず、舌を這わせる」
彼が一歩進み、彼女は一歩下がる。
「“ガレス……。僕には婚約者がいるんだ……。こんなこと”」
リリアンの背に、壁が触れた。エイドリアンは彼女の肩横に手をついて、逃げられないように閉じ込める。
「この小説の作者は、僕の鎖骨の下にホクロがあるって、どうして知っているんだろうね」
「そ……それは…」
「さらに不思議なことに……この作者の文字はとても美しかったんだ。まるで僕の愛する婚約者の文字にそっくり……」
「そ……そうでしたか?」
リリアンの目が泳いだ。
「君、僕とまともに目も合わせないくせに、僕のことを小説の登場人物にして遊んでいたってわけ?」
エイドリアンが顔を寄せ、片手で彼女の顎をそっと掴む。
「他の作品も読ませてもらったけど……。
君、執着の強い男からの溺愛ものが好きみたいだね。
僕が味わわせてあげる。執着男の溺愛ってやつ。
――覚悟して」
呼吸が触れるほどに顔を寄せられ、正面を向けさせられたリリアンは、両手で顔を覆った。
「……耐えられない! お顔が良すぎます!
至近距離でなんて……私の心臓が止まってしまいます!!」
「は!?」
壁に控えていたクレアがなぜか泣き出す。
「リリアン様はエイドリアン様がお好きすぎなのです!
勘弁して差し上げてくださいませ!
気絶してしまいます!!」
「え!?」
驚いてエイドリアンが振り返った。
クレアは顔を覆って座り込む。
「ホクロの位置を密告したのも私です!
どうかお許しください!!」
「はぁ!?」
リリアンも顔を覆ったまましゃがみ込んだ。
「……こんなに間近で摂取してしまった……。もうお腹がいっぱい……」
「なんなんだ! 君たちは!!」
エイドリアンはガレスを見たが、彼は無表情で壁に控えていた。心を無にしているに違いない。
エイドリアンは天井を仰ぎ、ゆっくりと息を吐き出した。
そうして、しゃがみ込んでしまったリリアンの前に膝をつく。
「ねぇ……リリアン。僕のこと、好ましいって思ってくれてるの?」
リリアンはゆっくりと顔を上げると、頬を染めて頷いた。
「僕も、君のことが好きだよ。
互いに目を合わせてお話したり、ダンスの時もちゃんと君と見つめ合いたいんだ。
こっそり僕を見るんじゃなくてさ。
僕にも君のことを見せてよ」
エイドリアンが手を差し出すと、リリアンはおそるおそるその手に指先を添えた。それをそっと引き寄せ、彼は指先に口づける。
「エイドリアン様……」
「君が、大好きだよ」
彼女の瞳をまっすぐに見つめ、エイドリアンは微笑んだ。
リリアンの黒曜石の瞳はずっと潤みっぱなし。彼女は口を開けたまま、言葉を失った。
「エイドリアン様……刺激が強すぎます……!
もう少し手加減して差し上げて!」
クレアが小声でそう言う。
エイドリアンは、思わず声を上げて笑ってしまった。
――それから、この二人がどうなったか?
おそらく、少しだけ小悪魔要素を付加したエイドリアンにリリアンは翻弄されながらも、きっと仲良くやっているのではないだろうか。
――だって二人はもともと、相思相愛なのだから。
だが、今でも、エイドリアンはガレスといる時に妙な視線は感じているようだ。




