【アップ✨】2026年5月17日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります☕️
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
https://blog.ameba.jp/ucs/top.do
【男山教会ホームページ】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【YouTube】(ユメノ記)
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【ノート】
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【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=WR3xfipcVgk&ra=m
【ブログ】
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12967207110.html
こちらから聖書と讃美歌を閲覧できます(^^♪
聖書
『詩篇』(第五六篇二〜一四節)
『ペテロの第一の手紙』(第一章三〜一二節)
讃美歌〜♫
讃美歌19番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=4rtFLd9uqQ0&pp=ygUS6K6D576O5q2M77yR77yZ55Wq&ra=m
2026年5月10日 礼拝説教 聖書箇所
大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」
ヨハネの黙示録7章10節
わたし、わたしが主である。わたしのほかに救い主はない。わたしはあらかじめ告げ、そして救い を与え あなたたちに、ほかに神はないことを知らせた。
イザヤ書43章11,12節
はじめに
日本キリスト改革派教会創立80周年記念信徒大会(主題「神の国を今ここに」)の恵み を覚えつつ、「召天者記念礼拝」をささげる「今日」。信徒大会でも逝去者を含めて引退教師の労 苦が思い起こされた(モーセ120歳(申命記34章7節))。
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信徒大会のもう一つの主題は、「現実と夢」「ほんとうの希望」であったのでは。ヨハネ黙示 録は、パトモス島に流刑にされた使徒ヨハネに示された「神の啓示」。苦難の中で、一人の使徒に 示された、キリストの幻が、告げられる。そこで、告げられる「白い衣を着た大群衆」は、大声で 「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである」と叫んだ。信徒大会の 一つのクライマックスは「告白的賛美」(暁の日)であった。特別賛美グループと一人のゴスペル シンガー(兼:作詞作曲ギタリスト)によって力強く賛美された歌(創作)は、「開けない夜の東 の空」「白み始める暁の日」を歌い出し、希望の日の近いことを告げる。今日という日の現実的告 白は、「我らは贖いの実」「我らは希望の内にある」という確固たる賛美。「小羊」とは、「贖い 主イエス・キリスト」。「我ら」「キリストに贖われた者たちは、贖いの実」として、救いの希望 を受け継ぐ。ここにある歌は、勝利の歌。
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「主に感謝せよ、その慈しみはとこしえに」と、ヨシャファトの勝利の礼拝歌が、今日を記念 する告白の賛美としてささげられた。「翌朝早く、彼らはテコアの荒れ野に向かって出て行った。 出て行くとき、ヨシャファトは立って言った。『ユダとエルサレムの住民と、聞け。あなたたちの 神に信頼せよ。そうすればあなたたちは確かに生かされる。またその預言者に信頼せよ。そうすれ ば勝利を得ることができる。』彼は民と協議をしたうえで、主に向かって歌をうたい、主の聖なる 輝きをたたえる者たちを任命し、彼らに軍隊の先頭を進ませ、こう言わせた。『主に感謝せよ、そ の慈しみはとこしえに』」(歴代誌下20章20,21節)。英訳の歌詞で「Give Thanks to the Lord For his steadfast love endures forever!」と賛美された。この「endure」に込められた思いは、苦難の中 でも、主がご自身の民を持ち堪え続けられる、主の堅忍。
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ヨハネ黙示録7章の「贖われた大群衆」による賛美は「救いは、玉座に座っておられるわたし たちの神と、小羊とのものである」との勝利の歌。それは、苦難の中にある地上の教会における希 望の歌。「だれにも数えきれないほどの大群衆」は、「見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の 違う民の中から集まった」者たちであり、「白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座 の前と小羊の前に立って」、この歌を大声で叫んだ。主イエスが、エルサレムに入られた時、人び とは、手になつめやしの枝を持って迎え出て、「ホサナ、主の名によって来られる方に、祝福があ るように、イスラエルの王に」を叫び続けた。今や、十字架と復活における贖いの御業を成し遂げ られた「神の小羊」でいます「主イエス」は、御自身の贖われた大群衆を代表する「長老の一人」 が「使徒ヨハネ」に問う。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか」。ヨ ハネが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老は、ヨハネに言っ た。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである」と。こ の「大きな苦難を通って来た」とは、主が定められた苦難の時を、信仰の試練として忍耐して来た という事。「新しい契約の仲介者」でいますキリストの血によって贖われた、聖徒たちの堅忍。
おわりに
主の言葉を告げたアモスは「馬が岩の上を駆けるだろうか 牛が海を耕すだろうか。お 前たちは裁きを毒草に 恵みの業の実を苦よもぎに変えた」(アモス6章12節)と警告した。今 日、「贖いの実」を変質させず、忠実に、誠実に、「白い衣を来た」まことの教会を建てる事が、 わたしたちに主から与えられた召命。キリストの賜物のはかりに従って、主の栄光をたたえたい。
(Mynote)
二〇二六年五月一七日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「第四の戒めでは、何が禁じられて居ますか。」
「安息日を覚えないままに、それ自体が罪である事を犯す事はもとより、不必要な全ての労働や裁判、娯楽や運動を余暇とする事が禁じられて居ます。」
(公同礼拝)
『詩篇』(第五六篇二〜一四節)
『ペテロの第一の手紙』(第一章三〜一二節)
信仰とは心の問題である。安息日には何もしてはならない、とユダヤの法律に見て知っては居るが、イエス様はその安息日ち人を助け、癒し、弟子達を始め、沢山の人と行動を共にした。これを見てユダヤの人達はお偉方から下々に至る迄、「なぜ安息日にこれ等の事をするのか?」とイエス様と弟子とを責め、その在り方を不思議に思いつつ非難した。信仰とは人の法律に留まらず、神様とイエス様を知る程に信じようとする心の問題に在り、人から見える規律・言動に定まらない。詰りこのユダヤの決まり事は「人が人の範囲で決めた物事」に在り、神様から教えられた御言葉を曲解した儘、人が人を裁く為の規律に変わって居た。モーセの十戒をこの時引き合いに出し勝ちだが、その十戒に記された言葉は御言葉であり、御言葉は書物・石板に収められたものに無く、人の間に生きたものである。この事をイエス様は何度も人に教え、その御言葉、信仰に生きるその生き方を教えた。しかしユダヤの多くの人はそれを理解しなかった。そしてイエス様の存在を否定し、救い主は未だ来て居ないとし、未だも盲目的に、自分達を救う救世主が降り立つのを待ち続けて居る。これは人智の限界・偏見、頑なが為す業に在る。そしてこの救世主が再び訪れるのは再臨の時である。
暫くの間、全ての人はこの地上で試練に遭う。この試練は(全ての人にとって)その信仰が精錬される時に在り、その試練に耐え信仰に生かされる成果は、火で精錬されても朽ちる外ない金よりも遥かに尊い。
その事が「…明らかにされ、イエス・キリストの現れる時、賛美と栄光と誉れとに変わるであろう。あなた方は、イエス・キリストを見た事は無いが、彼を愛して居る。現在、見ては居ないけれども、信じて、言葉に尽せない、輝きに満ちた喜びに溢れて居る。それは、信仰の結果なる魂の救いを得て居るからである。この救いについては、あなた方に対する恵みの事を預言した預言者達も、尋ね求め、且つ、具に調べた。彼らは、自分達の内に居ますキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光とを、予め証した時、それは、いつの時、どんな場合を指したのかを、調べたのである。そして、それ等について調べたのは、自分達の為ではなくて、あなた方の為の奉仕である事を示された。それ等の事は、天から遣わされた聖霊に感じて福音をあなた方に宣べ伝えた人々によって、今や、あなた方に告げ知らされたのであるが、これは、御使達も、窺い見たいと願って居る事である。」(『ペテロの第一の手紙』第一章七〜一二節)
信仰とは愛である。神様を愛するその心であり、その姿勢である。キリストを見ないで信じる者は幸いである。これはイエス様がトマスに教えた御言葉。トマスは疑い深く、イエス様が甦った時でも、「私はその手と脇腹に指を入れてみる迄は決して信じない」と頑なになった。そこでイエス様が弟子達の真中に現れ、その時トマスもそこに居たので、イエス様はそのトマスに、
「あなたの指をここに付けて、私の手を見なさい。手を伸ばして私の脇に差し入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」
と教えた。そこでトマスはイエス様に答えて言った、
「我が主よ、我が神よ」
イエス様はトマスに言った、
「あなたは私を見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、幸いである」。(『ヨハネによる福音書』第二〇章二六〜二九節を参照の事)
人生は限りがある。そのあいだ全ての人にとって重要なのは「信仰に於いてどう生きるか」である。
賛美とは喜びである。『いつくしみふかき』(讃美歌)をベートーヴェンの『第九』に合わせて歌ったクリスチャンも在る。
日常では、心身の調子が悪い時、必ず医療・心療内科等に頼る。確かに体を治す為に医療に頼る事も大事だが、人にとって真の大事は、信仰に対する心・姿勢を守り、育て、治す事に在る。寿命のある程度決まった人間が、「僅かながら寿命を延ばしたからとて、それが何になろうか」。この御言葉も思い出す。
人は神様から息吹を吹き込まれ、命を与えられた。即ち人の全ての人格(存在)は、神様に司られて居る。人は「信仰も治療の一部ですよね」等と言う事もあるが、一部ではなく、信仰に依る癒しの大事が全てに成る。御言葉に生かされる事は、その人の全て(存在)を救うからである。肉体は滅びる。魂は永遠に生きる。神様がイエス様の復活を通して全ての人に教え、確約した御国(天国)での永遠の命を信じ、滅びるしか無い体に全てを見るのではなく、永遠に生かされる魂に目と心を向けねばならない。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Café~
榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MCyjy8BuIIw&t=19s
「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=c1J4I7giVuM
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop
ユメノ記
https://www.youtube.com/@%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%A6%E3%83%A1-v5x
(お暇な時にぜひどうぞ)
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬




