双子の魔法と少女の奇跡
「カル様!! ルカ様!!
悪戯もほどほどになさってくださいませ!!」
廊下に執事の怒声が響きわたる。
とある国に双子の少年がいた。
裕福な貴族の家に生まれ、大切に育てられてきた少年たち。
兄がルカ・ロッパ。
弟がカル・ロッパ。
年齢は16歳。歳のわりに背は低く、声変わりもまだ。
表情や仕草にもあどけなさが残っている。
サラサラの黒髪に、くりっと大きな紫色の瞳。
その瞳はいつも好奇心でキラキラしていた。
二人の容姿は瓜二つで、初対面で見分けるのはほぼ不可能。
しかも二人は大の悪戯好きで、よく入れ替わってはメイドたちを騙し、混乱させている。
正直、ほとんど容姿に差がないため、見分けるのは困難だった。
そんな二人が今ハマっているもの。
それは――魔法である。
最近、魔術の先生から基礎魔法を教わり始めたばかり。
その影響で悪戯のレパートリーにも魔法が加わってしまった。
夜中の廊下に火の玉を浮かべたり、
人形を勝手に動かしてみたり、
庭の花を巨大化させてみたり……。
悪行を挙げればキリがない。
優秀な執事ですら、これには頭を抱えていた。
メイドたちからは日々、苦情が山ほど寄せられている。
◇◇◇
「カル、今日はどうする?」
ルカがぼんやりと窓の外を眺めながら問いかける。
「ん〜、そうだな。
どうしよっか。」
カルも雲を見上げつつ考え込む。
悪戯はやり尽くした。
というか今朝、家宝の絵を勝手に宙に浮かせて遊んでいたら執事に怒鳴られてしまった。
そのせいでメイドたちの視線が痛い。
二人の一挙手一投足に目を光らせている。
絶対に執事が送り込んだ“刺客”だ。
悪戯を未然に防ぐための──。
「あっ! あそこに行こう!」
カルはピンッと閃いたように立ち上がり、ニコッと笑う。
その様子でルカもどこのことか察したらしく、すぐに動き始めた。
「あそこか。
でも、どうやって抜け出す?」
ルカの言う通り、二人は今メイドたちに見張られている。
この状況で屋敷を出ようものなら……十中八九止められるだろう。
だが、二人にそんな常識は通じない。
いや、通じるなら執事が頭を抱える必要などそもそもなかった。
ニィッと悪い笑みを浮かべたカルは、親指を立ててそっと窓を示す。
その動作だけで全てを察したルカも、口角を上げた。
悪巧みの準備は万端だ。
ガチャッと勢いよく窓を開け放つ。
「カル様? ルカ様? 何を――!?」
目を光らせていたメイドがすぐに反応する。
だが――間に合わなかった。
双子は迷いなく窓の外へ飛び出した。
この部屋は三階。
慌てて制止するメイドの声も届かない。
疾走感が全身を駆け抜け、風が容赦なく体を叩く。
地面が迫るその瞬間――
『『ヴェントゥス スルゲ エト ウォルウェ』』
小さな旋風がふわりと二人の体を包み込み、
落下の衝撃を柔らげて地面へと優しく降ろした。
「カル様! ルカ様! お待ちください!!」
窓から身を乗り出したメイドが必死に叫ぶ。
くるりと振り返った双子は、そのメイドに向かって大きく手を振った。
「じゃ、行ってくるね!
夕飯までには戻るから!」
「行ってくる」
一人は無邪気に、もう一人は淡々と。
二人は「行ってきます」を残し、元気よく駆け出していった。
メイドは、小さくなっていく双子の背中をただ見つめることしかできなかった。
◇◇◇
「ナーラ! これ、4番卓に持ってってくれ!」
「はい!」
昼間だというのに賑わいを見せる酒場。
その中でひときわ元気に働く少女がいた。
ナーラ・トルだ。
彼女はこの酒場の看板娘。
とある事情があって働くことになったのだが、客からの人気は高い。
くるくると癖のある茶髪を三つ編みにまとめ、健康的に焼けた小麦色の肌。
若い新芽を思わせる緑の瞳。
誰もが認める絶世の美形というわけではないが、愛嬌があり、誰からも好かれる少女だった。
「お待たせしました!
肉の丸焼きです!」
「ありがとな、ナーラちゃん!
酒を一杯、追加で頼むわ!」
「はーい!」
今日も元気に駆け回る彼女。
その姿を、常連客は微笑ましく見守っていた。
◇◇◇
「ナーラ! ひさしぶり!!」
「よ!」
「きゃっ!」
不意に背後からかけられた二つの声。
思わず手に持っていた皿を落としかけ、あわあわと必死にバランスを取り、なんとか転倒を防ぐ。
安定を取り戻したナーラは、声の主たちを恨みがましくにらむ。
犯人は、見なくてもわかっていた。
振り返ると、双子の少年が歯を見せてにひっと笑っていた。
「カル……ルカ……。
もう! 急に話しかけないでって言ってるでしょ!」
そう、最近よく店に顔を出す、貴族の双子の少年たちだ。
街でも悪戯好きで有名な二人。
ちゃんとお金を払って食事をしている客なので、店としては特に問題はない。
それどころか、忙しいときには店を手伝ってくれて、むしろ助かっている。
お上さんからの評価も高い。
なのだが——。
なぜか私を揶揄ってくるのよね。
そして、いつものお決まりの言葉。
「どっちがどっちだと思う?」
カルとルカは、なぜか会うたびにこの質問をしてくる。
最初に聞かれたときに私が答えた言葉が、よほど気に入ったのだろうか。
思えばあの日から、彼らはここへ通ってくるようになった。
後にも先にも、あんな表情は見たことがない。
ただでさえ大きな瞳をさらに大きく開き、鳩が豆鉄砲を食らったようにぽかんと口を開けていた。
そのときの顔を思い浮かべると、今でもくすりと笑みがこぼれる。
だから、私はいつものように答える。
「どっちもあなたでしょ?」
◇◇◇
「ふぅ、今日も疲れた。」
一日中働いて、体はバキバキだ。
肉体労働で体力的には大変だが、酒場の仕事は楽しい。
お上さんも優しいし、お客さんたちも優しくしてくれる。
ちょっと悪戯好きな面倒な奴らもいるけど……。
それに、私には働かなければいけない理由がある。
ふうっと息を吐き、疲れた身体を奮い立たせて元気に扉を開ける。
その先にいる人を心配させないために。
ガチャ。
「ただいま〜!」
扉を開けると、スープのいい匂いが漂ってきた。
「おかえり! お姉ちゃん!」
「おかえり! いまローナ姉とスープ作ってたんだよ!」
私の顔を見るなり、ぱぁっと輝いて駆け寄ってくる二人。
私と同じ茶髪を肩でそろえ、頬にはそばかすが浮かぶ茶色の瞳の少女。エプロン姿で優しく微笑むのは、しっかり者の妹・ローナ。
短くくるくるした茶髪、大きくくりっとした茶色の瞳、生え変わり途中でところどころ抜けた歯を見せてニッと笑うのは、天真爛漫な弟・ラル。
そう、私はこの子たちのために働いている。
数年前までは母と四人で暮らしていた。
母は優しく、私たちを包み込む陽だまりのような人だった。
でも身体が強いほうではなく、私たち三人を養うために無理をし、病気で亡くなってしまった。
そんな母に代わって、私は妹と弟を育てている。
生活は大変なことばかりだ。
酒場の稼ぎだけでは足りなくて、二人には貧しい思いばかりさせている。
それでも笑顔を絶やさず育つ二人に、私は救われていた。
三人は貧しいながらも力を合わせ、幸せな日々を送っていた。
二人を抱きしめていると、ふと目に入った。
テーブルの上に並ぶ豪華なおかずやパン。
香ばしく深みのあるハーブの香りをまとう肉料理。
いつも店で買う硬いパンとは似ても似つかない、ふかふかの白パン。
宝石のように色鮮やかに輝く果物たち。
どれも、私の給料では到底買えないものばかり。
いつか二人に、こんな食事を毎日食べさせてあげたい。
そんな生活がしたいと思っている。
だが……。
残念ながら、今の私にはそんな余裕はない。
「あれ、どうしたの?」
テーブルを指さして尋ねる。
「お兄ちゃん達が持ってきてくれたんだよ!」
ラルが無邪気に目を輝かせて言う。
ローナは少し気まずそうに補足する。
「カルさんとルカさんがいらっしゃって……。
お返しできるものもないし悪いと思って断ったんだけど、“お返しなんていらない”っておっしゃって……。」
“無償の施しほど怖いものはない”という。
ローナもそれを気にしているのだろう。
確かに、私たちには返せるものがない。
一方的にもらうのはよくない……。
でも、双子の性格はよく知っている。
知っているからこそ、わからなくなるのだけど…。
恩着せがましく迫ったりはしないだろう。
「そっか……。
なら、今回は好意に甘えちゃおうか。
二人には私からお礼を言っておくね。」
にこりと笑って二人を席へ促す。
ローナも安心したのか、微笑みながら座った。
三人は暖かい食卓を囲んだ。
「あ、そうそう。
お姉ちゃん、これもらってたの。」
ローナが差し出したのは、一通の手紙。
そこに書かれていた文字は——
招待状。
◇◇◇
「えっと……ここだよね……。」
悠然と佇む屋敷。
豪華な造りに、広い庭。
その大きな屋敷を前に、ただただ萎縮してしまう。
私はあの双子の少年の屋敷に来ていた。
何を隠そう、屋敷に来たのは初めてだ。
「すー、はー。」
何度目かの深呼吸をして、門に手をかける。
コンコン。
すぐに、大きく重厚な扉が開かれた。
中から現れたのは、白髪の混じった執事だった。
「ようこそいらっしゃいました。」
執事は深々と頭を下げ、私を丁寧に屋敷の中へと案内する。
所々に施された豪華な装飾。
いかにも高級そうな絵画や壺の数々。
私は圧倒されるしかなかった。
執事が何か話してくれていたが、半ば上の空で聞いていた。
「お坊っちゃま方は大層ヤンチャで……。
お嬢さんにも何か迷惑をかけてはいませんか?」
執事が優しく微笑みながら尋ねる。
その瞳には、ほんのり疲れが滲んでいた。
あの双子に苦労しているのだろう。
お気の毒さまだ。
確かに私もよく揶揄われている。
でも、迷惑かと聞かれるとそうでもない。
意外と助かったことのほうが多い。
「いえ、よく助けてもらってます。」
私の言葉に執事の瞳が一瞬揺れ、優しく細められた。
助けてもらっている、という答えが余程意外だったのかもしれない。
「そうですか。それはよかったです。
お坊っちゃま方は悪戯好きでいらっしゃいますが、根は優しいのです。」
執事は窓の外へ視線を移す。
その瞳には、遠い過去の思い出が宿っていた。
「お坊っちゃま方は入れ替わって遊ぶのが大好きでしてね。私もよく騙されました。」
「……そうなんですね。」
ナーラは苦笑いするしかない。
彼女にも心当たりはある。
あの二人は、なぜあんなに入れ替わるのが好きなのか……。
「困った私は、入れ替わるたびにブルーベリーのお菓子を差し出すようになりまして。」
「ブルーベリー?」
ナーラは首を傾げた。
なぜブルーベリーなのだろう。
「はい、ブルーベリーです。
お二人は好き嫌いもほとんど同じでいらっしゃいましたが、唯一ブルーベリーだけは違ったのです。
カル様の大好物でしてね。ルカ様は大の苦手で……その嫌そうな顔は、ふふ。」
執事は嬉しそうに笑う。
なんだかんだで、この人も双子のことが大好きなのだ。
悪戯をして困らせる双子と、
あたふたしながらも優しく顔を綻ばせる執事の姿が容易に想像できた。
「ついつい長話をしてしまいましたね。
さ、着きましたよ。」
にこにこと笑う執事がくるりと振り返る。
案内されたのは、一際派手な装飾が施された扉の前だった。
他の部屋との差から、この部屋の主がどれほど大切にされているか分かる。
コンコンコン。
「カル様、ルカ様。
お客様をお連れしました。」
執事が扉を叩く。
次の瞬間――。
扉が勢いよく開かれ、中から元気な少年たちが飛び出してくる。
「「ようこそ! ボク達の屋敷に!!」」
◇◇◇
「それで、なんで私を呼んだの?」
顔を見るなり、ぐいぐいと部屋に引きずり込まれた。
「え? 特に理由はないよ?」
カルとルカは顔を見合わせ、きょとんと首を傾げる。
そんな二人の姿に呆れてしまう。
私があんなにビクビクしながら来たのに、理由がないだなんて……。
「はぁ……。」
この双子に常識を求めるだけ無駄だ。
気を取り直して部屋を見渡す。
……豪華すぎる。
扉も美しかったが、中はさらにすごかった。
少年の部屋とは思えないほどの調度品の数々。
「ねぇ、それなに?」
部屋を唖然と眺めていると、カルが首を傾げながら、私の手に持ったカゴを指さす。
「甘い匂い……。」
ルカも顔を近づけ、すんっと香りを嗅ぐ。
「あ、お返しにブルーベリーのパイを焼いてきたんだけど……食べる?」
双子の表情が一気に弾けた。
私の手からカゴをさっと奪い、中身をキラキラした瞳で見つめる。
「「食べていい?」」
ぴったり重なる声。
その無邪気で幼い姿に、つい弟たちを思い出し、くすりと笑みがこぼれる。
「ふふ、もちろん!」
「「やった!」」
二人は丁寧にパイを取り出し、大きく口を開けて頬張った。
その一連の動作が見事にシンクロしている。
さすがは双子だ。
「「うま〜!!」」
頬にジャムをつけながら幸せそうに目を細める二人。
その姿につられて、私の表情も緩む。
だが、ふと疑問が浮かんだ。
「あれ…ルカってブルーベリー苦手なんじゃ…?」
先ほど、執事が言っていた。
カルとルカが唯一違うところ。
ルカはぱちぱちと瞬きをして、口いっぱいにパイを詰め込んだまま首を傾げる。
「そうだっけ?」
カルもきょとんとしている。
双子の反応に戸惑う。
違ったのだろうか。
「ちっちゃい頃は確かに苦手だった気が……する?」
なぜ疑問形なのか。
ルカは必死に思い出すように「ん〜」と考え込む。
自分のことだろうに……。
まぁ、幼少期の記憶は他人のほうがよく覚えていることもある。
美味しそうに食べているのを見ると、成長とともに克服したのだろう。
その後、三人は仲良く遊んだ。
双子に屋敷を案内してもらい、庭でかくれんぼをしたり。
すっかり時間を忘れてしまい、気づけば日も傾いていた。
帰り道。
来た時と違って足取りは軽い。
胸には、いい匂いを漂わせるカゴ。
ブルーベリーパイのお礼として、お土産までたんまり持たされたのだ。
まったく……あの双子は何を考えているのか分からない。
「ふふふ。」
よく分からない。
でも自然と笑みがこぼれた。
◇◇◇
家に帰ると、鼻をつくアルコール臭がした。
それだけで嫌な予感がする。
ぞわりと全身に鳥肌が立つ。
部屋を見渡すと、隅で弟と妹が震えている。
「よぉ、帰ってきたか。
いいもん持ってんな。」
奥から低い声が響く。
がたいのいい体、ボサボサの髪と伸びた髭、頬を紅潮させ、おぼつかない足取りで、酒の匂いを纏った男があらわれた。
こいつは私たちの父親だ——。
酒に溺れ、母を捨て、私たちを捨てた男。
母はそれでもこいつを責めなかった。
でも、私は母ほど優しくはなれない。
——こいつは最低最悪のクズだ。
でも、こいつは母が亡くなるずっと前に家を出たはず…。
嫌な予感に、ドクリと心臓が脈打つ。
「なんで……ここに……?」
私は恐る恐る聞いた。
「いや〜借金が嵩んでな。
お前、いくつになった?」
男はあっけらかんと訳のわからない質問を投げかけてくる。
だがその視線は、舐め回すように私の身体をつま先から頭までなぞった。
「……17」
背筋に嫌な汗が伝う。
ドクン、ドクンと心臓の音が大きくなる。
「ふーん。いい年齢だな。」
男の口角が怪しく上がる。
次の瞬間——
私はなすすべなく、腕を掴まれ引き寄せられた。
「きゃっ!!」
掴まれた手首がジンジンと痛む。
「お姉ちゃん!!」
「ナーラ姉!!」
ローナとラルが泣きそうな顔で駆け寄ってくる。
その時、男の怒号が部屋に響いた。
「うるせぇ!
黙ってろクソガキども!!」
その声に二人は萎縮し、肩を寄せ合ってその場にへたり込む。
嗚咽を必死に堪えて泣いている。
その姿に胸が締め付けられる。
私は必死に優しく笑みを作って二人に言った。
「大丈夫よ。」
正直、泣き出しそうなほど怖かった。
助けてと叫びたかった。
でも、自分より幼い二人の前で、それはできなかった。
ドカッ
「……うっ」
不意に腹部に強烈な痛みが走る。
咄嗟のことで何が起きたのか理解できなかった。
ただ、弟と妹の悲鳴だけが遠くで聞こえる。
大丈夫、と声をかけたいのに声が出ない。
そのまま私は、意識を闇へと沈めた。
◇◇◇
「…っ、う…んん。」
冷たく固い地面。
まだずきりと痛む腹部。
私は目を覚ました。
だがここは見覚えがない。
見たところ物置のようだが——。
身体を起こそうとして、失敗する。
ロープで拘束されていた。
「よぉ、嬢ちゃん。起きたか?」
怪しい男の声。
あの男の声じゃない。
聞いたことのない声だった。
「…だ、だれ?」
細身の男。長い髪を後ろに一つにまとめ、顔には大きな傷がある。
その男はニヤリと目を細めた。
「それは別に知らなくてもいいことだぜ。
嬢ちゃんはこれから奴隷として売られるんだから…。」
ねばつく視線で笑う男に、全身に鳥肌が立つ。
「ど…奴隷?」
震える声でなんとか聞き返す。
「ああ、あのクズ。
嬢ちゃんの父親か?
あいつの借金を返すために、嬢ちゃんは売られたんだよ。」
「……」
私は言葉が出なかった。
何が起きているのか、これから何が起きようとしているのか理解できなかった。
ただ震えることしかできなかった。
男はゆっくり近づき、私の顎をくいっと上げる。
品定めするような視線を向ける。
「あいつの娘にしては上玉だな。
ま、せいぜい良いご主人様に恵まれるといいな。」
そう言い残し、男は部屋を後にした。
部屋に静寂が訪れる。
静寂が頭を冷やし、現実味のなかった状況がだんだんと輪郭を帯びていく。
私は——
あの男の借金のせいで売られた。
絶望しかなかった。
一粒の雫が頬を伝った。
◇◇◇
ガチャ。
再び扉が開かれる。
だが、どうせあの男だろう。
そちらに視線を向けるほどの気力も残されていない。
コツ、コツ。
あの男にしてはやけに小さく軽い足音が部屋に響く。
何者かは静かに私に近づき、縄を解いた。
「よかった。無事?」
少年の声。
どこか無機質で感情が読み取れない。
でも、この声には聞き覚えがある。
パッと顔を上げると、そこには——。
月明かりに照らされ輝く黒髪の少年。
いつも通りの姿。
何を考えているのか読めない表情。
ルカだ——。
「……ルカ? なんでここに?」
ルカはにこっと微笑んだ。
あどけなさの残る表情だが、いつもの悪巧みをするときの笑顔ではない。
どこか優しさに満ちた表情。
「そろそろカルも来る」
そういえば双子の相方、カルがいない。
2人はいつも一緒。
1人でいるところは初めて見たかもしれない。
そんなことをぼんやり考えていると、ルカの真剣な視線に気づく。
その緊張感に、ゴクリと唾を飲み込む。
「頼みがあるんだ——」
◇◇◇
扉が壊れんばかりの勢いで開かれた。
「ナーラ!!」
カルが肩で息をしながら入ってきた。
その頬は土埃で汚れている。
必死に探してくれたのだろう。
ふと、少年の瞳が私の横へ向かう。
そう、先についていた双子の兄の方へ。
「ああ!! ルカ! いないと思ったら!!」
カルが叫ぶ。
「遅い」
ルカは短く返す。
双子は場違いにも口喧嘩を始めた。
いつも通りのその光景に安堵したのか、涙が溢れる。
その様子を見て、慌てて双子は心配の眼差しを向けてくる。
「ど、どっか痛いのか!?」
「どうした?」
あたふたと焦り始める2人に、クスッと笑みがこぼれる。
不思議だ。
さっきまであんなに怖くて、絶望していたのに。
「2人とも…助けに来てくれて、ありがとう。」
◇◇◇
「騒がしいと思ったら……なんだ、お前ら?」
低く唸るような声が部屋に響く。
私を捉えていた、あの男が部屋に入ってきた。
その瞳は獲物を狙う肉食獣のように細められている。
カルとルカが、同時に私の前に立つ。
「ふはっ、白馬の王子様気取りか?
ガキが何ができる」
不意に男の右手がキラリと光った。
そこには先ほどは気づかなかった鋭いナイフが握られていた。
「…カル…ルカ…」
私は恐怖に震え、双子の名を呼ぶことしかできなかった。
そんな私に、カルが不敵に笑う。
「おじさん。
僕らはただのガキじゃないんだ」
その言葉と同時に、双子は男へ向かって駆け出す。
「なっ……!」
思わぬ行動に、一瞬怯む男。
『ヴェントゥス スルゲ エト トラヘ!!』
カルの凛とした声が部屋に響く。
風が意志を持ったように巻き上がり、男の腕を直撃させ、その手からナイフを落とす。
『ヴェントゥス スルゲ エト トラヘ!!』
間髪入れず、ルカが魔法を唱える。
風は真っ直ぐに空を切り、男の腹部へと叩き込まれた。
「グハッ!!」
男は短く悲鳴を上げ、壁に激突し、そのままがくりと力が抜け、倒れ込む。
「…やったの?」
私は恐る恐る2人に尋ねる。
「多分、気絶しただけ」
「今のうちに縛っちゃおう!」
ルカからは冷静な声が、カルからはいつも通り悪戯を企むような声が返ってきた。
◇◇◇
男の仲間は物置にいなかったようで、あっさり抜け出すことに成功した。
ただ、いつあの男の仲間がやってくるか、そもそも仲間がいるのかすら分からなかったので、私たちは足早にその場を去った。
三人は無事に脱出を成功させ、帰路に着く。
私はふとルカに視線を移す。
ルカも気づいたのか、こちらを向く。
こくりと、何かを促すように頷いた。
私には心当たりがある。
あの時のお願い——
『頼みがあるんだ』
私は意を決した。
「ねぇ、カル。
ルカはもうこの世にいないんだよ」
突然の言葉に、戸惑い目を大きく見開くカル。
「は? 何言ってるの?」
理解できない、と言った表情だ。
「ルカからは聞いたの。
八年前、馬車の事故でルカは亡くなった。」
カルの表情が歪む。
身体は小さく震えていた。
「馬鹿なこと言うなよ!
そこにいるじゃないか!」
駄々をこねるように現実から目を背けるカルに、私は最後の止めを言い放つ。
「ここにいるのは、あなたが作り出した幻影。
もう、現実を受け入れる時が来たんだよ。」
決壊したように、カルの瞳から大粒の涙が溢れ落ちる。
魔力が不安定になったからか、カルが自覚したからか、ルカの身体は助けていた。
その姿がさらに、カルの絶望を煽る。
カルの魔力が渦巻き、肌にピリピリと痛みが走る。
八年前、事故で片割れのルカを失ったカルは、その現実を受け入れられなかった。
だから、無意識に双子の片割れを幻影で作り出してしまった。
ルカは死んでいない——そう思う一心で。
でも、そんな歪なことを一生続けていくわけにはいかない。
いずれ現実を受け入れなければいけない日が来る。
それがルカの頼み。
あいつに現実を受け入れさせてやってくれ。
オレという過去に囚われず、前に進ませてやってくれ。
私は震えて泣きじゃくる少年を優しく抱きしめた。
「死を受け入れるのは辛いよ。
でも、いつまでも死んだ人間に囚われてはいけないの」
カルは震える声で嗚咽を漏らす。
「いや…いやだ…ルカは…ルカは生きてるんだ!」
そんなカルを抱きしめながら、私はとある魔法を唱える。
少女が使えるたった一つの魔法。
少女の母は魔女だった。
そんな母から受け継いだ、たった一つの魔法。
優しい光が、幻影で作り出されたルカの身体を包み込む。
——死者の魂を呼び起こす魔法。
「カル」
ルカは優しく弟の名を呼んだ。
その声は無機質なものではなく、深い愛と温かさを含んでいる。
「ルカ……?」
カルの声が震えた。
幻影なんかじゃない。
本物のルカ。
「…なんで……?」
ルカの瞳が困惑に揺れる。
「私の魔法。
死者の魂を一度だけ呼び寄せることができるの。
私の魔力じゃ、数分が限界だけど……。
ほら、行って!」
私はカルの背中を押して、ルカと向き合わせる。
彼が現実と向き合えるように。
本当の兄に別れを告げられるように。
カルは戸惑うように視線を逸らす。
うまく言葉にならないようで、口をもごもごさせている。
そんな弟に、優しい兄は笑みを向ける。
「カル!
お前、いつまで俺に甘えるつもりだ?」
にいっと揶揄うような笑みを浮かべるルカ。
「…でも…!!」
「でもじゃない!!
全く、俺の偽物まで作り出すなんて思ってもみなかったよ」
「え…なんで…知って?」
「ずっと見守っていたからだよ」
優しく、カルの頭を撫でるルカ。
その手には深い愛と弟への心配が宿る。
「…え?」
カルの瞳から再び、ぽろぽろと涙が溢れる。
「俺のことが大好きなのは嬉しかったさ。
でも、俺はカルに前を向いて生きてほしいんだ。俺の分も」
カルは思わずルカに抱きつく。
少年の泣く声があたりに響いた。
「泣くなよ……」
ルカの瞳にも小さな雫が浮かんでいた。
◇◇◇
数日が経って平穏が戻ってきた。
あの後、カルの親御さんたちが動いてくれたらしく、父も、私を捕らえていたあの男も捕まったらしい。
私は日常に戻り、今日も元気に酒場で働いていた。
「「ナーラ!」」
ひょこっと現れる無邪気な顔をした双子。
カルとルカだ。
結局、また二人に戻っている。
「あなたまだ……」
現実を……と言いかけた時、ぴしゃりとカルの声がそれを否定した。
「違うよ。
僕だって現実を受け入れたんだ。
もうルカに縋ったりしない」
まだ、悲しみを帯びた瞳。
でも、その横顔はどこか清々しかった。
「それにこいつはルカだけど、ルカじゃない。
ルカを模した僕だ」
そう言われてみて、私はルカの幻影を見つめる。
前と変わらず無機質な表情。
確かに、私が呼んだルカの魂はもっと感情豊かで優しげな人だった。
「それにこっちのが面白いだろ?」
ニコッと笑うカル。
これは悪巧みを考えている時の顔だ。
「面白いって、何が?」
「二人の魔法使いだと思ったら実は一人だった!?とか、合体したら強くなった!?とか?
ロマンがあるだろ!!」
神妙な顔で言うカル。
残念ながら、私にはそのロマンとやらは全く分からない。
だが——
「あははっ、何それ?
合体も何も、幻影なんだから強くなるわけないじゃない」
妙なことを言う少年に思わず吹き出してしまう。
「そういう設定だよ!!
二人でいる時は、あえて力をセーブするんだ」
ぷくっと頬を膨らませていじけるカル。
「ばっかじゃないの?」
二人は笑い合った。
これが双子魔法使いの物語——。
双子の魔法使いが《双影の魔法使い》と呼ばれる前の物語。
読んでいただきありがとうございました!
気に入っていただけたら、
ブクマやコメントで応援してもらえると嬉しいです!
本編も読んでいただけると嬉しいです!
「わし、最強老魔法使い。孫ができたの寿命延長します!!」
他スピンオフも続々公開していきます!!
こちらもぜひチェックしてくださると嬉しいです!
本編↓
https://ncode.syosetu.com/n8199lf
「わし、最強老魔法使い。孫ができたの寿命延長します!! 」
スピンオフ↓
「退学寸前の天才コンビ、事件を解決します!」
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