第2話 凄烈なる聖導師議会
その日、聖都アルセリアの空もまた、どこか揺れていた。
最初に光の揺らぎを捉えたのは、「神の眼」と「夜の眼」の観測官たちだった。
観測機器が異常な数値を叩き出し、空間の揺らぎに反応して光が明滅する。
教団観測局にて——第一詩篇顕現の瞬間。
「観測値が閾値を超過……段階七を、突破しました!」
技術官が蒼ざめた顔で叫ぶ。
水晶盤の表示が、赤、青、銀、金緑の四色に点滅し、やがてひとつの光……白に収束していく。
凄まじい光量に、窓枠が軋むように揺らいだ。
「これは、断章ではない。神詩の統合反応……第一詩篇だ…!」
主任が震える声で呟いたが、けたたましい警報音に掻き消される。
「四つの断章が――“一節”としてまとまっている! これは……詩篇の“再構築現象”です!」
「ですが……ですが、明確な文章の検出、できません!」
「意味の波動と、感情の音律? ……これは――何だ?!」
主任はごくりと喉を鳴らした。
「これは、通常の断章ではない……! “神と人の問いの応え”の証として、作用しているものだ!」
彼らは即座に報告を書き上げ、上申。
その報告は間髪入れず、至聖導師ピエリックの手元に届いた。
彼は書類を静かに読み終えると、折り畳むように閉じ、ただひと言、囁いた。
「…第一詩篇が、目を覚ましましたか」
その言葉に、従者が慌てて問い掛けた。
「詩篇…ですか? 本当に? それは…かつて“神の記録”とされた――」
「そうです。ただし、かつて我々教団はそれを封じました。理由はただ一つ——制御できないからです」
ピエリックの声は揺ぎ無い。
だが、眸の奥には明確な「覚悟」の色が宿っていた。
「…この件を、すべての導師に報せなさい。ですが、文面は限定します。“神詩の振動を確認”とだけに留めるように」
「はっ。では導師イアサントには──」
「――伝えなさい。隠した所ですぐに伝わります。小細工はしない方が良い」
ピエリックは立ち上がり、書庫へと向かって歩き出す。
従者はその背中を見送りながら、声を震わせた。
それは恐怖ではない。
ただ、この静謐な始まりが、何かを本当に動かしてしまったのだと、彼は悟ったのだった。
聖導師議会緊急招集。
大聖堂が――教団そのものが、揺れている。
イアサントは断章の顕現を異端の兆候と断じた。
「神詩の再構築は“教義の制御外”である。私は、勇者ら三名の祠への接触制限と黒き御使いの出動を要求するものである」
その声に対し、ブノワは、精一杯声を張る。
「断章は記録であり観察対象であるべきです。人の祈りの記憶を記すものとして、見守るべきと主張します。三名の強制帰還には、反対申し上げる」
ブノワの言葉に続くシプリアンは、力強く断言した。
「私は、断章は変化の兆しであるとし、だからこそ、決して拒絶してはならないと主張します。教義の再解釈の機会と受け取るべきです!」
侃々諤々。
だが、ともすれば収集がつかない事態にもなりそうだった。
司会進行を務める導師デジレが、必死に声を張る。
混乱を収めようと懸命に。
だが、場はどんどんと高揚し、喧々囂々の有り様になりつつある。
至聖導師ピエリックは、意見を聞き、それぞれの主張に耳を傾けていた。
「至聖導師! ご決断を!」
「ご意見を伺いたい!」
「どうぞ、ご指示を!」
デジレがピエリックを振り返る。
「で、では、至聖導師の、発言を求めます……! ご意見をお聞かせください!」
寄せられる言葉の波に、ピエリックは静かに頷き、立ち上がった。
場が静まり返り、ピエリックの一挙手一投足に注目した。
ピエリックが、口を開く。
誰もが息を詰めて、ピエリックを見詰める。
「至聖導師として、判断を保留します」
その応えに、数秒間、議場が凍り付く。
そして、誰かの嘆息により場が、また一気に驚動めいた。
ピエリックは静かに言葉を続ける。
「神は問いに答えたのです。ならば我々は、それを裁くのではなく、聞くべきです」
その場の全員が、ピエリックに注目している。
その言葉の一言一句を聞き逃さぬよう、固唾をのんで。
「変化を“異端”と呼ぶことで、我々が守っているものが、果たして本当に“祈り”なのかどうか……今こそ、問われているのです」
ピエリックは、断章とは、神と人の対話の再開であると解釈したのだ。
決して恐れ拒むものでは無く、神が応答した証であると主張した。
「教義とは器に過ぎず、祈りとは流体です。器に合わぬからといって水を拒めば、器は乾いてしまう」
イアサントが言い募る。
「では、三名の扱いはどう致すおつもりですか」
ピエリックは頷いた。
「帰還要請を決定とします。勇者ロイクら三名を、大聖堂に召喚しましょう。ですがこれは対話の機会として設けるものです。よって、強制措置は保留。黒き御使いの出動は見送ります」
イアサントは苦々しく顔を歪めた。
デジレが咳払いをする。
「導師イアサント、着席を。発言の際は挙手願います」
イアサントは、デジレを鋭く一瞥する。
だが、反論はせず、一礼し、席に着いた。




