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抗うものたち ~彼女が魔王になった理由~  作者: 浮田葉子
第8章 問い掛けの芽生え
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第1話 風は問いを運ぶ

 ロイクは学び舎(ヴィラリア)の図書塔に居た。

 春の陽が差し込むはずの午後でさえ、この塔の内部には冷気が満ちている。

 石壁が吐き出す冷たさと、本に染みついた古い香りが混ざり合い、まるで時間が止まったかのような気さえする。


 今、何が起ころうとしているのか、彼にはわからない。

 けれど、確かなことが一つだけあった。

 ――アムルとパンドラの側に、今は居なければならない。


(何があっても、手を伸ばせる距離に)


 それが、今の自分にできる唯一のことのように思えた。

 そう思うほどに、恐れの裏側に焦燥が(つの)っている。

 世界は確かに(きし)んでいる。その歪みの音が、耳に届く気さえした。


 けれど、それだけでは足りない。

 このまま時の流れに身を委ねていても、また、何もできずに見送ることになるかもしれない。


(……だが、何をすればいい? 問い掛ける人(デマンダー)としての強い資質を示すには、何をどこから始めたらいい?)


 彼が探していたのは、「祈りの記録」だった。

 正典に記されぬ古き祈り、プレケリア。

 かつて世界と対話するために、魂が放った歌の残響。


 それが本当に存在するのかどうかさえ、定かではない。


 ヴィヴァ教団にとって不都合なものであるが故に、隠された存在だ。

 僅かな記録さえ、既に焼かれてしまったかもしれない。

 しかもここは教団のお膝元。

 殊更(ことさら)念入りに、取り除かれたかもしれない。


 だが、それでも探し続けねばならなかった。


 ふと、空気が(かす)かに揺れた。

 風だ。

 塔の中にあるはずのない風だった。


 呼ばれたのだと、思った。

 ロイクは自然と足を進めていた。

 誰も立ち入ることのないであろう、奥の棚。

 そこに、微かな気配――プレケリアの痕跡が感じられた。


 それは歌ではない。言葉でもない。

 ただ、心の奥深くに触れ、「問い掛けるような」感覚。


(……何だ、これは?)

 ――呼びかけです。


 聖剣の声が耳元に囁いた。

 静かに、しかし確信を伴って。


 一冊の古びた書物に、視線が吸い寄せられる。

 ロイクがそれに触れた瞬間――胸の奥を、ひとすじの風が貫いた。


「……ゼフェリオス」


 その名が、自然と口から漏れる。

 風と旅の神。忘れられた古き神。

 ロイクは幼いころにその名前を、祖父に聞かされたことを思い出した。


「風が語るとき、ゼフェリオスは近くにいる。

 旅人が道を見失ったとき、ゼフェリオスの囁きが導きを与えるんだ。

 お前も迷ったら、名を呼ぶんだぞ。ゼフェリオスって」


 ザルグリムの森で嵐に怯えていたあの夜、祖父の膝に抱かれながら聞いた話だった。


 ページがぱらぱらとひとりでに(めく)れ、そこに記された言葉が目に飛び込んできた。


「問い掛けよ 風に乗せよ

 応えは巡り 世界を翔ける

 名もなき祈りよ

 封じられし願いよ

 いま 再び 芽吹け」


 ゼフェリオスよりの、言葉。

 神詩。


 心が震えた。

 これはただの古詩ではなく、「誰かの祈り」で。

 そして、今この瞬間の、自分に向けられている気がした。


問い掛ける人(デマンダー)……)


 その役割の重みを、ロイクは本当の意味ではまだ理解していなかった。


 ただ、誰かの祈りに耳を傾けること。

 ただ、答えを探すこと。


 けれど今、胸の内に(とも)った風の(ざわ)めきが、そうではないと告げていた。


 問い掛けとは、願いを受け入れること。

 それは時に、絶望すら引き受ける覚悟を伴う。


 かつての、二人の少女たちのように。


 胸元のブローチが、微かに温もりを帯びていた。

 それは、アムルとパンドラの記憶が息づいている証。


(……俺は、まだ何も終えていない)


 かつて、見送ることしかできなかった。

 光に包まれて消えていったアムルの背。

 涙を堪え、記憶を失い、それでも何かを待ち続けるパンドラの眸。


 今度は、自分が応える番だ。


(運命は、決まってなんかいない)


 ロイクは静かに本を閉じ、ブローチに触れた。

 風の神が告げる、声なき導きを胸に――。



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