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抗うものたち ~彼女が魔王になった理由~  作者: 浮田葉子
第1章 生命の大樹の許で
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第6話 封じられし書

 学び舎(ヴィラリア)の図書館は広大である。


 アーチ型の高い天井は、まるで天そのものを写したかのように闇に溶け込み、

 無限に続いているように見えた。

 重厚な石造りの柱が静かに並び、空気は凛と張り詰めている。

 古びた木の床はよく磨かれていて、歩くたびに柔らかく軋む音を立てる。


 図書館は三層構造で、螺旋階段がゆるやかにそれぞれの階を繋いでいた。

 書架は天井に届かんばかりに高く、重厚な木で組まれている。

 ところどころに置かれた踏み台や移動式の梯子が、その高さを物語っていた。


 書物は、時代も内容も多岐にわたる。

 古の神話書、哲学書、祈祷書、詩集、そして錬金術関連の書に

 至るまで、整然と並べられていた。


 だが、すべてが自由に閲覧できるわけではない。

 禁書とされたものは、書架ごと封印され、結界で守られていた。

 その結界は淡い光を放ち、迂闊に近づくことすら憚られる雰囲気を放っている。

 新入生が触れることは許されず、三年生になってようやく、

 目録だけは閲覧する許可が下りる。


 禁書でなくとも、特定のページには封印が施され、

 読者が"読むに相応しい"と判断されたときにのみ、

 そのページは自ら開かれるという。


 アムルが今、目の前にしているのは、まさにそのような書物だった。


 『緑率書(ヴェルディカ)』。

 女神ヴェルダントの教えをまとめたとされるもの。

 創世譚、神託詩編、祈祷文、そして終末の黙示録が収められている。

 これまで幾度となくページを開いてみたが、

 ある章だけは決して触れることができなかった。

 それが今日、突如として、まるでアムルを受け入れたかのように、

 自ら開かれたのだ。

 その頁には、こう記されていた。


 ──黙示録第七章──

 (すなわ)ち、魔王とは何か。

 ()は抗うものである。



 アムルの目に、その一文が鋭く突き刺さる。

 まるで、それを読むために自分がここへ導かれたかのような気さえした。



 ──天意に(そむ)き、己の心を押し通す。

 天意とは世界の意思。

 世界とは(すなわ)生命の大樹(ヴィヴァルボル)に他ならぬ。

 生命の大樹(ヴィヴァルボル)に逆らうもの、(すなわ)ち抗うもの

 ──其は魔王なり。



 アムルは反射的に本を閉じた。

 内臓が冷え、体の芯が凍りついたような感覚。

 耳の奥で鼓動が波打つ。

 まるで暴風のような呼吸(いき)の音。


「抗うもの」

 ──その言葉が、頭から離れなかった。


 震える手で顔を覆い、深く息を吸い込む。


(私は……)


 胸の奥で、形にならない叫びが、押し殺されていた。

 その書が開かれた意味を、理解してはいけない気がした。

 けれど、知らずにはいられなかった。


 書架の合間から差し込む薄明かりの中、アムルは静かに座り込んだ。


(魔王とは、ただの"悪"ではない……?)


 それは、抗う者。

 定めに。

 天意に。

 生命の大樹(ヴィヴァルボル)に。


 それは果たして、"咎"なのか。

 人々に責められ、非難を受けるものなのか。


(パンドラは……)


 ふと、思考は彼女へ向かう。


 あれから七日が経っていた。

 パンドラとは、まだ顔を合わせていない。

 その姿を見かけることすらなかった。


 選ばれし献身者(セリアン)に選ばれてからというもの、

 彼女は神殿の奥にある清めの間(クラルハーロ)に入っているという。

 そこでは一切の俗世と隔絶され、清らかな存在として心身を整えるのだそうだ。


(パンドラは……何を思っているの?)

(選ばれることを、本当に喜んでいたの?)


 あのとき、震えていた声。

 迷いを隠しきれなかった、あの一瞬の揺らぎ。


 それらは、アムルの胸に今もくっきりと残っていた。


(聞かなくちゃ。確かめなくちゃ)

(彼女がそれを望んでいるのか、そうでないのか)


 もしも彼女が、自ら進んで選ばれし献身者(セリアン)として生きると願っているのならば。

 アムルは祝福しなければならない。

 それが神意である限り。


 けれど──


 もしも彼女が、そうではないのなら。


(私は……)


 アムルは胸元をぎゅっと握りしめた。

 まだ形にならない思い。

 けれど確かに、そこに在る何かが、確実に芽吹き始めていた。


 それが罪だと知っていても。

 それが、世界に背くことだとしても。


「……パンドラ」


 小さく、本当に小さく。

 名を呼んだ声は、図書館の静寂に吸い込まれた。


 遠く、天井の梁のあたりで、古い鐘の音が鳴ったような気がした。

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