第6話 許容されるもの
アムルは風となって聖都アルセリアに戻った。
だが、弾かれた。
結界である。
聖都アルセリア全体を覆うように、半球形の防御壁が築かれていた。
無論目には見えない。
しかしそれは明確に「境界」としてそこに在った。
生きている人間には何の影響もない。
気付くことすらできない者も多いだろう。
だが、アムルにとっては違う。
エレクシア・ヴィアヴォルムが「悪しきモノ」と認定した、呪われし力を宿すアムルにとって、それは厄介な障壁以外の何ものでも無かった。
くるりくるりと上空を舞い、アムルはゆっくりと下に降りた。
結界の端をなぞるように、滑り降りて。
王都エルセリアと聖都アルセリアとを結ぶ街道上に、降り立った。
(けっこう距離がある)
アムルは人の形を取り、結界に手を触れた。
弾かれる、が反発力は先程より弱い。
人の形を取ったことで、アムルは空気の密度の違いに気付いた。
温度とも湿度とも違う、理の密度だ。
手を押したり引いたりしながら、アムルは考える。
(わたし自身を世界ともっと馴染ませればもしかしたら……)
呪われし力は言葉を持たぬ祈りと同源とされる。
本来は拒絶や破壊ではなく、世界に溶ける想いのひとつである。
世界霊魂に溶けて、混じって、染み渡る、力。
(擬態……か)
あれこれ考えてはみたが、他に良い方法も思い付かない。
アムルの中の、生命の大樹に対する「敵意」や「害意」を薄れさせる。
アムルを「無害なもの」と認識させることで、結界の通過を試みるのだ。
(適応――いいえ、許容される状態を、目指すの)
それは、アムル自身の輪郭を世界に溶かすことにも繋がる。
つまりは存在自体が曖昧で、希薄になりかねない。
けれど、それでも構わない。
それがパンドラに至る道ならば、アムルは歩みを止めるつもりは無かった。
自身を世界に馴染ませるため、アムルは敢えて遠回りする道を選んだ。
街道を外れ、ベテフィデスの森を抜けることにしたのだ。
細く頼りない道が続いている。
地元の者でなければ通らないような場所なのだろう。
春が近い。
雪解け水が小さな流れを作り、苔がしっとりと濡れている。
枯れ葉の下からは、小さな名もなき花々が顔を覗かせて。
木々の枝先には小さな芽がほころび、淡い緑が日差しに透けて輝いて見える。
がさがさと茂みが揺れた。
不意に分厚い外套を纏った子供たちが現れて、びっくりしたように固まった。
人が居るとは思わなかったようだ。
アムルは両手を広げてみせた。
「驚かせてごめんね。聖都の方へ、行きたいのだけど、こっちで有ってる?」
子供たちはこくこくと頷いて、警戒を解いたように寄って来た。
「こんにちは。聖都はね、あっちの方」
「よその人、珍しいね」
「あのね、草の芽、探してるの」
口々に言い合い、アムルの様子を窺っている。
「草の芽、いっぱい出てる?」
訊き返せば、子供たちは笑顔を見せた。
「そんなに。でも、いいもの見つけたよ」
「変なりんごなの」
「一番古い木の根元に、一個だけ落ちてたの」
少年が「見せてあげる」と外套から林檎を取り出し、アムルに渡した。
それは普通の林檎ではありえなかった。
今時分に落ちている時点で普通ではない。季節外れも甚だしい。
しかも、それは透けるような銀白色だった。
微かに光ってもいる。
「ね、変でしょ。でもきれいなの」
少年は得意げに笑った。
アムルは暫し無言でその林檎らしき果実を見つめていた。
掌で、くるりと回してみる。
――生命の大樹の、果実。
それは林檎に似た形状で、黄金色に輝き、甘い香りを漂わせるという。
色は違う。光も微弱。香りは無い。
けれどよく似た果実だ。
熟す前に落ちたのだろうか。
「ねえ、これ、貰ってもいい?」
アムルの問い掛けに、子供たちは一斉に不満そうな声を上げる。
取り上げようというわけではなく。
アムルは右手に林檎を、左手に世界霊魂の結晶を乗せ、子供たちに差し出した。
「これと、交換。どうかな?」
世界霊魂の結晶は木漏れ日を反射し、宝石のように輝いている。
少女がぱっと手を伸ばした。
「あたし、これがいい」
少年が慌てて続く。
「おれはこれ!」
「えっ、じゃあこれ」
「ありがとう」
満足げな子供たちに、アムルも満足げな笑みを返して。
ゆっくりと、それぞれ反対方向に歩き出す。
アムルは聖都へ。子供たちは村の方へ。
子供たちの姿が完全に消えてから、アムルは先程の林檎を取り出した。
季節外れの、奇妙な林檎。
これは、生命の大樹の――応答なのだろうか。
終焉の台座は「調整中」と言っていた。
答の兆しとみるのは、早計かもしれない。
けれど――
期待は、膨らむ。




