第5話 終焉の台座
ユグド=ミレニオの都市、ミレサンテ。
千の祈りを意味し、巡礼の終着点となる街だ。
聖都アルセリアに次ぐ神聖都市でもある。
中央に荘厳な大聖堂を構え、そこからは石畳の通りが放射線状に伸びている。
白い尖塔が空を衝くように立ち並び、鐘楼からは鐘の音が重なり合って響いていて。
信徒たちは朝から列をなし、祈りを捧げる。
祭壇に焚かれた薫香の煙は、祈りと共に空へ昇って行く。
聖詠者たちの奉唱が風に乗り、巫聖たちの吟唱が広がる。
巡礼者たちは深く頭巾を被り、道端の小堂を廻り、跪き、祈りを捧げる。
ここはどこも人で溢れかえっている。
だが、どこか聖なる静けさをも帯びている街でもある。
ミレサンテ。
旅立ちと帰還を司る終焉の台座は、ここにある。
(始まりの次に訪れるのが、終焉とはね)
無論、アムルの旅はこれで終わりではなく、残された台座もまだ、ある。
そう、最後のひとつ。聖なる台座。
パンドラが身を捧げた台座。
アムルにとって、すべてが「始まった」場所でもある。
だが。
ここは終焉の台座。
ここで「終わり」を宣告される可能性も、無いわけではない。
断じられて、終わり。
呆気ない結末が脳裏をかすめる。
アムルは深く深く、呼吸を繰り返した。
いつになく緊張しているのが、自分でもわかった。
だが、終焉の台座が司るものは、旅立ちと帰還でもある。
(パンドラが……)
還ってくるかもしれない。
そんな一縷の望みがある。
有り得ないこととわかっていても、アムルの胸は早鐘のように鳴り響いていた。
始まりの台座のくれた祝福は、小さく、けれど強く灯っている。
アムルは、だれも足を止めることなど無いような、古ぼけて黒ずんだ石壁の前に立った。
小さな聖堂、その裏手。
今にも崩れ落ちそうな、ただ無造作に積み上げられただけの煉瓦。
そんな風に見えたものが、終焉の台座だった。
アムルは頭巾を脱ぎ、台座の前に跪くと、手を伸ばし、そっと触れた。
微かに震えて、掠れた声で、アムルは言う。
「帰還を司る台座ならば、お願い。――パンドラを返して」
――返答を保留する。
終焉の台座は無機質に告げた。
何の躊躇いもない即答だった。
アムルは思わず首を傾げる。
否定ではない。肯定でもない。
だが、保留とは。
(どういうことだろう)
――返答を保留する。
再び、全く同じ調子の声が響く。
台座からは何の感情も感じられない。淡々として、単調だ。
「否定ではないわね」
――返答を保留する。
「肯定でもないわね」
――返答を保留する。
アムルは苦く、吐息を零した。
思い出すのは。選択の台座の答だ。
「汝の求めるもの、此処に在らざりし」
あの時も、同じ言葉を繰り返すだけだった。
だが、それは「拒絶」だった。
無視されているわけではないのだから、良しとすべきだろうか。
だがしかし。
「保留ってどういうことなのよ」
――調整中である。
苛立ちと戸惑いの混じったひとりごとに、返答があったことにも驚いたが。
想定外の答にアムルは脱力し、肩を落として項垂れた。
一体誰が、何を、調整中だというのだろう。
生命の大樹が、パンドラを返すために色々と準備を整えている図を思わず想像して、アムルは顔を歪めて苦笑してしまった。
人知を超えた存在の考えなど、人間如きにわかるわけがないのだと、一蹴してしまえれば気は楽なのかもしれないけれど。
僅かとは言え期待があっただけに、落胆も大きい。
アムルは溜め息を吐いて空を見上げた。
(ここで大団円のわけが無い。そんなことわかってる――わかってるはず、だった)
なのに、やはり心が沈むのは、弱さゆえだろうか。
(もっと、心を強く持たなきゃ)
(もっと、揺るがない強さを、もっと……)
次に相対すべきは聖なる台座。
生命の大樹に最も近く、今もエレクシア・ヴィアヴォルムから正式に認定されている、唯一の台座。
果たして何が、待ち受けているのだろう。
今度こそ、簡単に近付けるはずもない。
きっと神徒たちは鉄壁の防御を敷いて来るだろう。
そして、今や至聖導師となったイアサント。
彼がどのように待ち受けているのか、想像もつかない。
「異端は排除せねばならぬ。
呪われた力を拒絶せよ。
それは生命の大樹の、乃ち世界の意思である」
そう、高らかに宣言したイアサント。
今度こそ、逃げ出しはしない。
今度こそ。
パンドラを取り戻すのだ。




