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抗うものたち ~彼女が魔王になった理由~  作者: 浮田葉子
第4章 呪う言葉と祈る歌
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第10話 風は応える

 風が強い。

 アムルは枯草色に染まった丘を、ゆっくりと登っていた。

 足許には夏の名残を抱いた、乾いた草が騒めき、風に身を任せて舞い上がっては地に還る。


 今は次の台座への旅の途中。

 次の台座からの応えは、まだない。

 おそらくは、まだ、アムルは、そこに至る準備が整っていない――

 という台座の意志表示なのだろう。


 幾度、風となって世界を廻ろうと、台座の在ると(おぼ)しき場所を探っても――

 何の反応も無い。

 台座たちは、まるで深い眠りに落ちたかのように、完全なる沈黙を貫いていた。


 不意に冷たい風が音を立ててアムルの横を強く、吹き抜けた。

 アムルは抵抗せず、そのまま風に身を委ねる。

 外套が風をはらみ、ふわりと浮かび上がるように揺れた。


 束の間の浮遊感。

 風になったときの感覚とは、また一味違う。


 風は、様々な香りを運んで来る。


 乾いた麦藁の香りが、収穫の終わった畑から漂い、落ち葉は湿った土に混じり、微かに甘く優しい匂いを放っている。

 収穫祭の準備だろう。村のあちこちに干された香草類が爽やかに、甘く。

 葡萄や林檎の搾りかすが干され、酒や酢の刺激が柔らかく、空に広がっていく。


 風は景色を、記憶を、暮らしを運ぶもの。


 アムルは目を開けた。


 丘の上には、風雨に晒され、くたびれた感じの小さな石造りの祠。

 彫像の顔はもはや、判別のつかないほどに風化していた。

 誰を象っていたのか。あるいは誰でもなかったのだろうか。


 祠はただそこに在り続けていた。

 静かに。

 けれど、確かに。


 祠には、老婆がひとり。

 年季の入った外套に身を包み、小さな湯気の立つ茶壷を手にして。

 石段に腰を下ろしていた。


「おや、珍しい。旅人さんかね」

「こんにちは、おばあさん」


「はい、こんにちは。ここにお参りに来るひとが、あたし以外に居るとはね。ふふ、珍しいことだよ」

「ここは、誰の祠なんですか?」


「さあ? 昔の聖人さまの誰かだって話だけど、名前まではもう誰も知らんよ。でもね、誰でもいいのさ。こうして村を見守ってくださってるんだから」

「……そうですね」


 アムルは祠の前に静かに跪いた。

 手を組み、目を閉じる。

 それはアムルに深く染み付いた祈りの仕草だ。

 老婆は頷いて、笑う。


「信心深いのはいいことだよ。若いのに、感心だねえ」

「……いいえ」


 短く返したアムルの声には、謙遜とも諦めともつかない、どこか寂しい響きがあった。

 その声に誘われるように、老婆はふと、空を見上げた。


「そういえば、最近ね、子供たちが、なんか妙な歌を口遊んでいてねえ」

「歌、ですか」


 アムルが少し、小首を傾げた。

 風が止む。落ち葉がひとひら、石段を滑り降りていく。


「そう。聴いたこともない歌なんだけど、知っているような気もして……。なんか変でねえ」

「聞かせて貰えますか?」


 老婆は微笑んで頷くと、それを口遊(くちずさ)む。



「いちどだけ こたえたこえ

 ふたつめは こたえずきえた

 みっつめは ねむったまま

 よっつめは いのったけれど

 いつつめは わすれたまま

 ひとつ こたえを おぼえてる?」



 アムルは目を瞬いた。

 一言一句が、胸の中に落ちて来るようだった。


「奇妙な唄だろう? どこで覚えたのか、誰に教わったのか……。あたしも何度か訊いてみたんだけど、子供たち、みんな揃ってこう言うんだよ」


 老婆は祠の奥を見つめながら、ぽつりと言った。


「風が歌ってくれた、ってね」

「風が……」


 アムルは歌を口遊む。


「一度だけ、応えた声。

 二つ目は応えず消えた。

 三つ目は眠ったまま。

 四つ目は祈ったけれど……。

 五つ目は忘れたまま」


 最初の台座、炎の台座(モルカリーノ)はアムルに応えた。

 答えて、自ら壊れてみせた。

 二つ目の台座は選択の台座(アラフィオーロ)

 答は「此処に在らず」と拒絶された。

 三つめはこれから向かう台座だろうか。

 まだ、眠ったままの、見知らぬ台座。

 四つ目は祈っても届かない。つまりは沈黙。

 沈黙と影を司る、忘却の台座(リメンターロ)

 五つ目、忘れたまま。つまりは――忘却そのもの。


「ひとつ こたえを おぼえてる?」


 その一節が、アムルの耳の奥で木霊(こだま)のように響いた瞬間――

 ずきり、と頭の芯に鋭い痛みが走った。

 小さな、だが針のように鋭く刺し込まれる痛み。

 記憶を抉るような、名もなき問いの残響。


 アムルは歯を食い縛るようにして、その痛みに耐えた。

 何故だか一瞬、反省室のペンティニア像が脳裏をよぎった。


 ペンティニア。

 人の罪や迷いを受け止め、沈黙の中に己の内なる真実を聴かせる神。

 忘却の台座(リメンターロ)は、沈黙と影を司る。

 ならばやはり、ペンティニアに属しているのだろうか。


「おばあさん、ありがとうございます」


 アムルが深く一礼すると、老婆は穏やかに笑った。


「うん? 役に立ったのかい? なら、よかった」


 ペンティニアにゆかりの地。

 それは「ヴェルナリオ修道院跡」に他ならない。

 かつて罪人の更生と祈りの場として機能したが、今は廃墟となり、長い沈黙に包まれているという。


 アムルは、ゆっくりと顔を上げる。

 次に向かうべき場所が、決まった。


 そこで、きっと。

 忘却の台座(リメンターロ)が待っている。


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