第4話 祈りの言葉
選ばれし献身者。
それは「世界の維持のため、最も純粋なる魂を捧げる者」であるとされている。
エクレシア・ヴィヴァルボルムとこの国が、共に認定する称号だ。
祝福された存在とされ、選ばれることはこの世界において、
厳密に言えばヴィヴァ教を信じる者たちにとって、最上位の栄誉とされている。
選ばれるのはただ、神託によってのみ。
選ぶのは生命の大樹、つまりは世界の意思である。
さて。
この国の名を示していなかった。
生命の大樹の麓に栄える神聖王国ユグド=ミレニオ。
千年王国と呼ばれることもある。
王国はヴィヴァ教団と密接に結び付き、
信仰と政治が融合した神政的構造を持つ。
ヴィヴァ教団の最高位は至聖導師であり、王国の最高位は王。
そして、両者の立場は対等である。
そしてその両者に匹敵するとされる位が、選ばれし献身者である。
世界には数多国があるが、最も栄えたる国は、
この神聖王国ユグド=ミレニオであろう。
王都エラリオンは、聖都アルセリアと、つまりは生命の大樹と、
街道で真っ直ぐに繋がっている。
位置関係でも他国を凌駕していると言える。
世界に数多国があるように、宗教もヴィヴァ教のみには非ず。
けれどやはり、ヴィヴァ教は世界一権勢を誇り、
最も普及している宗教であると言えるだろう。
「つまりパンドラは、いえ、選ばれし献身者パンドラは、
聖詠者や巫聖よりもずっと尊い御位に昇られたということです」
巫聖エドウィージュは興奮した面持ちで語る。
生徒たちは真剣な面持ちで授業を聞いていた。
パンドラはここには居ない。
選ばれし献身者になるための準備に忙しいそうだ。
導師ブノワが迎えに来て、清めの間に入ったという。
「正式なセリアンとなるためには、準備の期間があります。
精進潔斎し、ひとつひとつの儀式を経て。
そうしてやっと、生命の大樹の御許へ至ります」
ぴくりとアムルの指が引き攣った。
大樹の御許。
選ばれし献身者は皆、そこへ行き、
大樹と、世界と、ひとつになるのだという。
それはつまり、
どういうことなのだろう。
(ひとつになる……溶ける)
(混ざり合って、溶けて……)
アムルは、興奮した様子で語り続けるエドウィージュを、見た。
(分かたれることがなくなる)
エドウィージュは高らかに謳った。
「おお 汝 選ばれし献身者よ 祝福されし存在よ
世界を支えし 生命の大樹の御許へ
すべての者らの祝福を いと尊きその身に宿し
今 永久なる調和の環へと 静かに還らん
その血は 地に染まることなく 天へと導かれ
その身は消えども その魂は 祈りの中に永遠である
選ばれし献身者よ 汝は 世界の礎なり」
(その身は、消えてしまうけれど)
消えてしまうけれど。
消えてしまう、けれど。
消えてしまう。
消えて。
消えて。
消え……。
頭の中で何度も繰り返し響く。
止めたいのに、止まらない。
何を?
この響きを?
それとも儀式を?
パンドラが、選ばれし献身者になるのを?
アムルはそっと首を振った。
あれ以来、あの講堂での宣言以来、パンドラとは話せていない。
(パンドラは望んでいるのかもしれない)
(わたしがおかしいだけで)
(わたしが、不敬なだけで)
パンドラは晴れがましく感じているのかもしれない。
(パンドラ……話したい。あなたの言葉が聞きたい)
聖都アルセリアの大聖堂には、歴代の
選ばれし献身者の胸像が置かれた部屋がある。
幼い子供から年老いた者まで、数多。
選ばれる基準など無い。
それは生命の大樹の意思なのだから。
胸像のどの顔も、穏やかに微笑みを浮かべ幸せそうだ。
今日は選ばれし献身者の胸像の見学の日だ。
パンドラが神託を受けたことで、学び舎はその話題で持ち切りである。
生徒の一人が呟いた。
「いつか、わたしもこうして名前が刻まれたら……それって、すごいことだよね」
もう一人が頷く。
「世界に選ばれるって、本当に、本物の光なんだ、って思う」
遠からず。
パンドラの胸像もここに加わるのだろう。
(その身が消えても、魂は……永遠。でも、それって)
パンドラが笑い掛けてくれることは無くなる。
明るい声も聞けなくなる。
意思の疎通だって、できやしない。
ねえ、それって。
(死んでしまうのと何が違うの?)