第5話 不定芽の夢
今となっては遥か昔のこと。
生命の大樹に語り掛ける術が存在していた。
問い掛ける人と呼ばれる者たちは魂を媒介として、生命の大樹――世界――と対話し、理と均衡を編み直す存在だった。
彼らは「願いを叶える存在」として人々に敬われ、深い畏敬と共に祈りを託されていた。
しかし人の営みが増すごとに、世界は少しずつ軋みを見せ始める。
その歪みに抗うため、人々は歪みを正すことを願いとし、魂を以て世界へと呼び掛けた。
それこそが、献身の儀の原初の姿であった。
だがエレクシア・ヴィアヴォルム――ヴィヴァ教団はいつからか、その真実を意図的に捻じ曲げ、儀式を支配の道具へと変えてしまった。
願いは叶えるものから消費されるものへと形を変え、人の想いは祈りから犠牲へと堕ちていった。
問い掛ける人はやがて、選ばれし献身者と名を変えた。
世界の意思に耳を傾ける――対話する者ではなく、一方的に奉仕し、捧げるだけの存在となった。
そして予言を語り、選別する役目は教団に奪われた。
理と調和の対話は、いつしかただの神託の形式へと成り果てた。
人の欲望と教団の支配によって……。
世界は形を変えた。
アムルは目を瞬いた。
濃密な情報が、頭の中で渦巻いている。
少し整理する時間が必要だった。
ふつふつと怒りが湧いて来る。
エレクシア・ヴィアヴォルムに対して、というよりは、支配と欲望に満ちたその時の誰かへの、灼熱の怒り。
どくん、と。
大樹の根がひとつ脈動した。
「願いを叶えて。生命の大樹。世界なんてどうでもいい。パンドラを返して」
すべての力を、存在を懸けて、アムルは願う。
けれど生命の大樹は応えなかった。
「……手順が必要か」
世界は作り替えられてしまった。
ヴィヴァ教に都合の良い教えが、世界に根付いている。蔓延っている。
導師イアサント。
憎いあの顔が目裏に蘇る。
ヴィヴァ教にも、今は亡き至聖導師のように、善い人も居るのだろう。
悪い人ばかりではない。それは知っている。理解している。
けれど善い人ばかりではないもの確かだ。
ヴィヴァ教の願いは世界を裏側から支配すること。
この現界の秩序をその手に握り、意のままに操ること。
(やっぱり壊した方が良いんじゃないかしら、この世界)
そんな存在のために、パンドラが奪われただなんて、許せない。
信じたくも無い。
けれど、現にパンドラは生命の大樹に呑まれてしまった。
取り戻すには正式な手順を踏むべきだろう。
世界には、というよりは主にユグド=ミレニオ国内には、八つの祭壇が存在する。
調和と再生を意味する八芒星の形。
その頂点のひとつにあるのが聖なる台座だ。
何故主にかというと、台座は他国にも跨って存在しているからである。
生命の循環と献身を司る聖なる台座。
光と黎明を司る始まりの台座。
知と探求を司る選択の台座。
交魂と契約を司る贈与の台座。
破壊と抵抗を司る炎の台座。
影と沈黙を司る忘却の台座。
記憶と根源を司る根の台座。
旅立ちと帰還を司る終焉の台座。
以上の八つ。
この不定芽から得られた情報は、概ねそのようなものだった。
生命の大樹の御許に存在する聖なる台座以外は、封印された、または既に忘れられて久しい。
ヴィヴァ教団の中枢には記録は残っているのだろうけれど、一般信者にまでは伝えられていない情報だ。
アムルは少し考える。
封印された台座を暴き出す。
それにより、ヴィヴァ教団が握る秩序に揺らぎを起こせないだろうか。
(それとも、破壊した方が効果的だろうか)
どちらにせよ、ひとまずはこの目で見て、触れて。
確かめてからでなければ。
不定芽を優しく撫で、アムルは囁く。
「あなたのことをもっと、教えて」
けれど不定芽は、もう何も、語り掛けては来なかった。
伝えるべきことは伝えたということだろうか。
溜め息を吐いて、アムルは根の断面に凭れ掛かった。
さて、次はどう動こうか。
「――でも、まずは上々。教えてくれてありがとう」
不定芽は微かに揺れたように見えた。




