第10話 勇者と魔王
ロイクは途方に暮れていた。
祖父を送って辺境まで帰ろうと思ったが、固辞されたのだ。
「俺が居たらお前は甘えが抜けん。これからは一人で立たねばならん」
それもその筈。祖父はロイクの剣の師でもある。
老いたとはいえそこら辺の騎士など片手で捻れる腕前だ。
だがロイクにとって、剣の師である前に祖父であり、家族だ。
帰る場所でもある。
「祖父ちゃん……」
そうしてロイクは一人、王都に放り出されていた。
魔王討伐。それは良いとして、だ。
「魔王ってどこにいるのさ」
誰に訊いても首を傾げるばかり。
魔王の行方を知る者は誰一人として居ない。
手掛かりがあるならば、誰かがとっくに向かっていただろう。
昨年、聖都アルセリアで行われた献身の儀。
その場を急襲し、至聖導師を殺害した魔王は、そのまま何処かへと逃れたらしい。
行方は杳として知れず。
「当てのない旅はキツイな」
見上げた空は青く高い。
海の果ては空へと続いているというが、ロイクは海を見たことが無かった。
辺境には海も港も無かった。
行ったことのない方向へ進むのも手かもしれない。
旅の初めに必要なのは、情報である。
そう思ったロイクは、王都の一角にある酒場へと足を踏み入れた。
その頃の魔王。
つまりアムルは、放棄された古代図書館に身を潜めていた。
聖都アルセリアの旧市街。
石造りの建物のひとつ。その奥の更に地下に、かつて教団が所有していた図書館、というよりは保管庫があった。
崩れ掛けの上、埃まみれの場所ではあるが、アムルはここを拠点としていた。
可能ならば学び舎の図書塔を使いたかった。
あちらの方が文献も設備も遥かに整っている。
だがアムルは至聖導師殺害の罪を着せられた、指名手配犯の身の上である。
顔を知る者が多い聖都アルセリアの中心部に、いつまでも居るわけにはいかない。
ここも無論アルセリアではあるが、アルセリアも広い。
そう簡単には見つからないだろうと高を括った。
そうして半年。
ここに身を潜めている。
(でも、今更逃げた所で……)
呪われし力に身を蝕まれたのか、適応したのか、アムルは普通の人間ではなくなっていた。
食事もしない。水も摂らない。それでもアムルは生きていた。
世界霊魂――世界中に漂い、均衡を保っているといわれる存在――目に見えず、味も匂いも無くそこに在る。だが、錬金術を用い結晶化することもできる謎の多い物質――を糧に、アムルは生命活動を維持していた。
食べる、というよりは吸収するのだろうか。
呼吸する度に、世界霊魂が身体に満ちていくのがわかる。
とにかく、今は生きねばならない。
生きて、パンドラを生命の大樹から取り戻す方法を、見つけなくては。
彼を知り己を知れば百戦殆うからず。
遥か東方の国の言葉らしい。
とにかく、生命の大樹について、アムルは知らなければならなかった。
アルボル典書を最初から最後まで読みこんだが、それでも大樹の内側には辿り着けなかった。
ならばと、手当たり次第に神学・禁術・異端思想の文献を読み漁った。
見つけられた手掛かりは少ない。
だが、端緒となりそうなものがあった。
根よりの囁きという禁書の発見である。
指定等級は最上。まず、表紙を開くのにかなりの労力を費やした。
そして中身がまた厄介だった。
断章――詩や文章の断片、抜き出した一部分のみ――を集めたものだったのだ。
この書は、かつて選ばれし献身者でありながら儀式を拒絶された者たちの声を、ある聖詠者が記録したものであると書かれていた。
そもそもの前提からしておかしい。
献身の儀を拒絶するなど、不可能ではないのか。
生命の大樹に溶けることなく、いや、溶けることを拒絶された者だろうか。
そも――選ばれし献身者とは、何だ?
内容は統一されておらず、章節ごとに話者は異なる。
表現もまた、統一されていない。
語り部風の詩であったり、独白であったり、幻視の記録であったり。
とにかく読み難いものであった、
断章三
光の竜の亡骸に
柔らかな芽吹きは宿り
世界はそこより生まれん
始まりと終わりを見守るものよ
我らはまたあなたの元へ還らん
断章七
吾は捧げられし者なり
されど拒絶されしものなり
吾は世界と分かたれたり
吾いずこへ向かわんや
断章十二
ながれ ながれ て きみ は いづこ へ
てん は うえ に ち は した に
ね は ちに えだ は てん に
みき に ねむり し きみ を よぶ
断章十九
我らは祈りに背を向けたり
神は沈黙す されど 其は拒絶に非ず
大樹は問う 祈らぬ者よ 願いは何か
ひたすらに読み込んで、アムルが辿り着いた仮説。
選ばれし献身者とは、生命の大樹に還元されて終わる存在では無い、かもしれないということ。
「パンドラはまだ、生命の大樹に居るかもしれない」




