表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
抗うものたち ~彼女が魔王になった理由~  作者: 浮田葉子
第1章 生命の大樹の許で
3/102

第3話 選ばれし魂

 第三話 選ばれし魂


 学び舎(ヴィラリア)に来て三年が経った。


 初等養成院は、通常六年で卒業となる。

 ようやく、その半分。


 エクレシア・ヴィヴァルボルムの教えを覚え、守り、その通りに行動する。

 子供たちは若木が枝葉を伸ばすように健やかに、

 ヴィヴァ教団の者として成長していく。


 いずれ、男子は聖詠者(オラシエル)、女子は巫聖(ヴィララ)に。

 あるいは神徒(レオナール)、や白衣者(カンドレル)に。

 もしかしたら導師(アルコン)にさえ、なる者も出るかもしれない。


 聖詠者と巫聖は神の言葉を伝える者。

 歌や詩を通して神託を告げる役目である。


 神徒は特に武勇を以て奉仕する者をいう。

 ヴィヴァ教団の守護者と呼ばれることもある。


 白衣者は医療・儀式・献身の担当者。

 孤児や生贄の管理にも携わる。

 それぞれ分担が違うが、皆、白衣者と呼ばれるのが常だ。


 導師は教え導く者。

 各地の神殿や都市に一人ずつ配される。

 皆の尊敬を集め、頼られる者。憧憬の対象である。


 そして世界に一人だけ。

 最も清浄で、最も高潔な導師である至聖導師(グランダルコン)

 いつか、もしかしたらこの中から現れるかもしれない至高の存在。


 学び舎に招かれた子供たちには、その資質があるのだから。




 晴れ渡る秋の空。

 心地良い風が夏の残り香を運び去っていく。

 そんな穏やかな日だった。


 それは、突然の告知。


 朝の祈りの後、聖詠者(オラシエル)アリスティドが告げたのだ。


「神託が下りました。新たな選ばれし献身者(セリアン)が示されたのです」


 その言葉に、広い講堂の空気が一瞬で凍りついた。

 誰もが息を呑み、静寂が学び舎(ヴィラリア)の天蓋を満たした。


 アリスティドは、ゆっくりと一人の名を口にする。


「パンドラ。貴女(あなた)に祝福を」


 その瞬間、パンドラの全身がびくりと震えた。

 黄金の髪が揺れ、エメラルド色の眸の奥に、

 一瞬だけ迷いの色が(よぎ)ったように見えた。

 だがすぐに、彼女は静かに立ち上がり、深く(こうべ)を垂れる。


「ありがとうございます」


 その声は微かに震えていたが、不思議と澄み切っていた。


 ざわめきが広がる。

 けれど、アムルは動けなかった。


 隣にあったはずの温もりが、急に遠くなったように感じられた。


(パンドラが、選ばれし献身者(セリアン)に……)


 笑顔で語り合った日々。

 手を取り歌った讃美の旋律。

 木漏れ日の中、交わした夢の数々。


 それらが、一気に色褪せていくような錯覚に襲われる。


「おめでとう、パンドラ」


 誰かが立ち上がり、そう言った。

 遠くでそう聞こえた気がした。

 耳の奥がぼんやりと痺れ、世界が分厚い幕の向こう側へと引き離されていく。


 アムルも、言わなければならなかった。

 おめでとう、と。


 だが、喉はひりついたように強張(こわば)り、唇はただ震えるばかりだった。


(神意……神さまが本当に、選んだの?)


 おめでとう。

 おめでとう。

 おめでとう。


 パンドラの周囲で拍手が起こる。

 それは瞬く間に広がり、講堂を満たす万雷となる。


 アムルは、ただ立ちすくむ。


 おめでとう。


 そんなの、嘘。

 全然、喜ばしくも、祝いたくも、ない。


 拍手の音を遠くに聞きながら、アムルはただ呆然とパンドラを見つめていた。

  パンドラが一瞬だけ振り返り、困ったように緑の眸を揺らしたのが見えた。


「……パンドラ」


 無理矢理に出した声は掠れ、あっという間に拍手に押しつぶされた。

 隣に立つジュリアンが、怪訝そうな視線を寄越す。


嫉妬(しっと)してるの?」


 的外れな台詞。

 アムルは感情のない表情でジュリアンを見返す。

 その人形のような無表情に、ジュリアンはびくりと肩を震わせた。


 嫉妬?

 どうして?


 声にならない問いが、胸の奥に渦巻いた。

 ジュリアンは、少しだけ憐れむような目で言った。


「パンドラは選ばれたんだ。特別なんだよ。君とは違う」


 アムルはゆっくりと瞬きをした。

 紫水晶のような双眸に、陰が差す。


「それは、あなたじゃないの?」


 あなたこそ、パンドラに嫉妬しているのでしょう?

 ジュリアンの頬に、サッと血が昇った。

 図星だ。


 アムルはもう彼を見なかった。


 選ばれたことを羨ましいとは思わなかった。

 選ばれなかったことを、悲しいとも思わなかった。


 ただ、気付いてしまったのだ。


(わたし、パンドラを生命の大樹(ヴィヴァルボル)にも、神さまにも、取られたくない)


 それは、不敬だった。

 敬虔とは程遠い感情。


 この学び舎(ヴィラリア)で育まれるべき信仰を、根元から否定する心。


 神に望まれたのならば、喜んで差し出さなければならない。

 生命の大樹(ヴィヴァルボル)が望んだのであれば、従うのが当然だ。


 それが、この場所の常識。

 空気のように染みついた掟。


 なのに。


(大樹さま、神さま……)


 アムルは(ひざまず)き、深く首を垂れた。

 祈りの言葉が、胸の奥から自然に溢れた。


(わたしは悪い子です。不敬です)


 けれどなぜか、許しを乞う気持ちはなかった。

 悪い子でいい。

 不敬でいい。


 罰なら受ける。

 だから。


(パンドラを、奪わないで)


 その願いだけが、胸に残った。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ