第4話 白絹の鎖
「さ、手を通して」
巫聖たちが侍女のようにパンドラの世話を焼いている。
法衣を羽織ることくらい、自分でできるのに。
(お姫様みたいね)
そんなことを思いながら、パンドラはほんの少しだけ苦笑する。
羽衣のように軽いはずの法衣が、やけに重たく感じられた。
パンドラは、ただ静かに袖を通す。
手の震えを巫聖たちに悟られぬように。
「まだ少し大きいかしら」
「袖丈を詰めましょうか」
巫聖たちは小鳥が囀るように会話する。
「いえ、大丈夫です」
パンドラは静かに首を振る。
本当は肩に乗る布の重さに押し潰されそうだ。
「では次は髪を整えるわね。座って」
パンドラが椅子に座ると、巫聖は纏めていた髪をふわりと解いた。
金色が柔らかく背に落ちた。
優しく梳かしてくれているのに、とても痛く感じてしまう。
(痛いのは、頭じゃない)
心の奥が軋んでいる。
迷いも、恐怖も、まだ依然としてそこに在る。
髪が結い上げられ、きれいな編み込みにされて。
白い花を模った、繊細な髪飾りが差し込まれる。
「こんな感じでいいかしら」
「もっと華やかにした方がいいんじゃない?」
「あら、もう少し上品な方が良いと思うわ」
巫聖たちの会話をどこか上の空で聞きながら、パンドラは鏡を見つめる。
映っているのは自分のはず。
なのに、どうしてだろう、現実味が感じられない。
淡く輝くような白い衣装は選ばれし献身者の証し。
(なんだかとっても、それらしい感じに見えるわ)
セリアンらしいセリアン。
神に、大樹に、選ばれし存在。
(わたしは――選ばれし献身者)
自分自身に言い聞かせるように、反芻する。
でも、と浮かび上がる気持ちを抑えきれなかった。
(まるで、よくできたお人形さんね)
「では儀式の手順をもう一度、おさらいしましょうか」
白衣者たちが、式次第と、儀式のあれこれを書き入れた紙の束とをぱらぱらと捲った。
白衣者は医療・儀式・献身の担当者。
遅滞なく儀式を進めるのが役目だ。
「一歩前へ。そして頭を垂れ一礼。次は右手を、違います、左手ではなく右手です」
「そこで祈りの言葉の詠唱を」
繰り返される所作の確認。細かく修正される姿勢。
言葉のひとつひとつまで正確であることが求められる。
あまねく黎明の刻に至りて
我が心 焔の如く空へ昇らん
星々もまた 沈黙を以て頭を垂れ
天界よ まことの願い聞き給え
囁き以て成さるる祈りも
深き嘆きも虚ろなる叫びも
風に委ねられしものは すべて
いと静けき水面の如く 受け入れられん
雫となりて落つる祈りを
聖き流れに乗せ給え
流転の内に光は宿り
生命の大樹へと還りなん
さすれば今 我は祈る
願わくば この声 風と共に在れ
空と大地とを結ぶ大樹に溢るる
一滴の光とならんことを
(余計なことを考える暇なんて、ない)
祈りの言葉を間違えないように。
一言一句、違えぬように。
パンドラは淡々と繰り返す。
心なんて籠っていない言葉だけを、ただ並べて。
「宜しい。流石は選ばれし者ですね」
白衣者のそれは称賛なのか、憐憫なのか。
パンドラは曖昧に微笑を返した。
(――誰の顔も同じに見える)
聖詠者も巫聖も、みんな。
同じ顔で同じことを言う。
選ばれし献身者に相応しい振る舞いを、と。
相応しいもなにも無い。
だって、相応しかろうとそうでなかろうと。
(わたしが選ばれし献身者なのは変わらない)
変わらない。
変えられない。
法衣の袖に隠した指先は、まだ、微かに震えている。