第6話 光の祠
かつて「光の祠」と呼ばれたその場所は、今は祈光殿という名で知られている。
至聖神ルミエルを祀る神殿として、今では聖都アルセリアでも屈指の規模と格式を誇る。
とはいえ、その本質は失われていない。
旧来の光の祠は、その場を移すことなく、祈光殿の奥深くに、今なお沈黙のままに、祈りを湛えている。
言うなれば、大聖堂がその祠を囲むように築かれたのだ。
荘厳で華やかな祈りの空間のさらに奥に、静かで原初的な祈りの場である光の祠は、いまもなお静かに在り続けている。
祈光殿の正門は、純白の大理石で組まれた八角の回廊へと繋がっている。
その壁面には、至聖神ルミエルの慈愛と栄光を描いた、巨大なステンドグラスが並ぶ。
光が差し込むたび、床の上には七色の光が散り、まるで祝福のように巡礼者たちを包み込む。
大広間では毎日祈祷が行われ、聖句の朗誦と清らかな歌声が絶えることはない。
そこには熱心な信徒も、ただ静かに祈る旅人もいる。
けれど――その奥、重厚な扉の向こうにある空間を知る者は、ごく僅かだった。
その扉の奥にこそ、本来の光の祠――
すなわち、かつて「問いを映す鏡」とされた原初の祠が、変わらぬ形で今もなお存在している。
床には古い聖文字が刻まれ、壁面には光を象る神紋が今も微かに揺れていた。
祈光殿が築かれる前、この場所は「選ばれし者のみが入ることを許された聖域」であったという。
そして今、ロイクたち三人は、至聖導師ピエリックの助言に従い、その最奥へと向かおうとしていた。
聖剣が静かに脈動する。
それは、祈光殿の荘厳な祈りではなく、その奥に眠る“原初の問い”への共鳴だった。
――問いを越えて、祈りの本質に至るために。
光の祠へと至る扉は、黄金の縁取りに囲まれ、中央には至聖神の光輪が刻まれている。
その前には、導師エウフェミオと巫聖アンジェリク、そして白衣者二名が整然と待機していた。
導師エウフェミオは、祈光殿全体の儀礼を統括する管理者だ。
巫聖アンジェリクは儀式の中核を担う。
そして白衣者の二人が控え、静かに祈りと祝福を捧げている。
アンジェリクが聖水を手に取り、まず三人の額と胸元に「光の印」を撫でかける。
白衣者二名は清めの詩句を囁きながら、ゆっくりと三人の周囲を回った。
導師エウフェミオが淡く光る宝珠を取り出し、ロイクの捧げ持つ聖剣に掲げる。
ロイクは剣の柄をそっと握り、無言で祈るように目を閉じた。
宝珠が唸るような微かな響きを発すると、聖剣の柄に光が流れ、聖紋が浮かび上がっていく。
その光は、まるで鍵のように扉に反応した。
儀式の荘厳な旋律が祈光殿に響く。
祈りの声が静かに重なり、光が床に踊った。
扉の複雑な光紋が輝きを増し、重厚な音を立ててゆっくりと開かれた。
祈光殿を統べる導師と巫聖が扉の左と右に立ち、その解放の儀を守護する。
導師エウフェミオは柔らかい笑みを浮かべながら、三人に声をかける。
「さあ、ロイク、アムル、パンドラ……。貴方たちはそれぞれの問いを携えて、ここに立っています。光は、問いをその鏡に映し、真実を写し出します。しかし、この先で求められるのは、ただ答えを得ることではありません。自らの心を、光の中で見つめ、揺るがぬ意思を貫く強さと、同時に潔さを求められるでしょう」
巫聖アンジェリクは清らかな声で続ける。
「貴方たちが携える“光の印”は、神と貴方の繋がりを象徴するもの。どうか、その光を胸にお進みください。導師エウフェミオ、どうぞ光の祠へお導きください」
導師エウフェミオは短く頷く。
「では、行きましょう。神殿の最奥に在る光の祠――ルミエルの御許へ」
一歩中へ踏み込むと、聖なる静寂が一気に空間を満たした。
足音は吸い込まれ、静かな呼吸の音さえも、籠る。
その内部は、ただ「祈りの場」であることを強く主張していた──
古びたアーチ型の天井は、石灰岩でできた白く朽ちたドーム。
中心には小さな八角の天窓があり、天から差し込む淡い光が、祠全体を静かに照らしている。
刻まれた聖文字と、うっすらと揺れる神紋。
長い間祈りを受け続けたその場所は、ところどころに緑青や苔が伝い、古き時代を思わせる。
踏みしめられた砂岩の石床には、人々の跡が残る。
中央へ向かって伸びる円環状の石紋が、まるで聖なる泉へ導く道標のようで。
そして、その中央に祭壇が在った。
何も飾られていない、ただの丸い石盤。
その質感は平滑で、長年祈りに触れたためか、顔を映すほど滑らかに磨り減っている。
盤の中央には、淡く光る紋章が陰影の中でぼんやりと浮かぶ。
祭壇の下に小さな石の溝が巡り、そこにはかすかに水音が響いている。
湧き水なのか、湧く力の余韻なのか。
飲むには慎まし過ぎる冷たさと静けさとがあった。
祈りの回廊や神殿の賛美歌はここには届かず、代わりに水音だけが響く。
あとは、自分の心拍と、かすかな祈りの粒子の騒めきか。
中心の石紋に当たる光は、ゆっくりと動き、祠全体を生き物のように照らしている。
光が少し揺れるたび、祭壇も床も微かに波打つような錯覚を覚える。
冷たく、気泡一つない静寂と、湿った苔の香りが混ざる。
肌をそっと撫でるような湿り気が、まるで肉体ではなく、魂に触れているような気さえする。
エウフェミオは三人を案内すると、静かに一礼し、下がった。
三人は揃って会釈し、祭壇へと真向かった。
ロイクは聖剣を床に軽く触れさせ、石紋へ向けて捧げる。
光がその刃に反射し、小さく震える。
剣の沈黙は、祠そのものへの敬意と緊張を映している。
アムルはそっと手を伸ばし、祭壇を撫でた。
石の冷たさが胸の奥まで染み渡った。
それは祈りの声に、この手で触れるような感覚だった。
パンドラは祭壇の周囲を一周しながら、低く祈る。
白衣者のように静かに、しかし確かな声で。
彼女の詠唱は低く響き、空間のすべてを包み込んだ。
そして、ルミエルの神性が顕現した。