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抗うものたち ~彼女が魔王になった理由~  作者: 浮田葉子
第1章 生命の大樹の許で
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第10話 目覚めの前日

 反省室ではひたすらに祈ることを求められる。

 己の至らなかったところを振り返り、反省し、二度と繰り返さぬように、

 女神ペンティニアに告白するのだ。


 反省室などいつ振りだろうか。

 作法を間違えないように、アムルは慎重に靴を脱いだ。


 冷たい石床の感触が、足裏からひやりと這い上がってくる。

 それはここがただの部屋ではないことを否応なく思い出させる。


 反省室には裸足で入るのが鉄則である。

 そして、声を発してはならない。


 円柱型の部屋は暗く、窓は天井近くにひとつだけ。

 そこから差し込む光は弱々しく、室内をほとんど照らさない。

 中にあるのはペンティニアのちいさな像。

 石造りの台座の上に静かに佇むその姿は、

 まるでこの場すべての罪と悔いを、じっと見守っているかのようだ。


 アムルは手燭をそっと像の前に捧げた。


 炎が小さく揺れる。

 まるで彼女の心そのもののように。


 そうして像の前に跪き、手を組むと祈り始めた。


 どれくらいそうしていただろう。

 この部屋の中では、時間の流れがよくわからない。

 長かった気もするし、短かった気もする。


(呼びに来ない、ということはまだそんな時間じゃないのね)


 蝋燭の火が傾いていくたびに、現実と祈りの境界が薄れていく。


(ペンティニアさま)


 アムルは目を開けた。

 白い像が蝋燭の灯を反射して、ほんのりと揺らめいて見える。

 揺らめく像の輪郭は、まるで涙で曇った視界のようだった。


(わたし、やっぱりパンドラが

 選ばれし献身者(セリアン)になることが、悲しい)


 それは、不敬である。

 敬虔とは程遠い感情である。


 この学び舎(ヴィラリア)で育まれるべき信仰を、

 根本から否定する心であり、あってはならない感情である。


(わかってるの。これがいけないことだって)


 パンドラの望みにも、反することだ。

 わかっている。

 それでも。


(罰なら受けます。何でもします)


 だからパンドラを――


 パリ、とまた暴走の予兆がした。

 慌ててアムルは祈りの詩歌を唱える。



 生命の大樹よ 永遠の根源よ

 光も闇も あなたに還る

 あなたの影に 平穏は降り来たる

 天へと高く 伸びる枝葉に

 われらの祈り 届かせん



 本来ならば心を静めてくれる祈りの言葉は、

 けれど、唱えれば唱えるほど苛立ちを募らせる。


 胸の奥で、何かが膨れ上がっていく。

 理不尽と痛みと、どうにもならない矛盾点。


(世界はどうして壊れやすいの。

 どうしてルミエルさまは 世界をそんな風に造ったの)


 もっと頑丈に造っていてくれたら、

 選ばれし献身者(セリアン)は要らなかったかもしれない。


 それは八つ当たりだ。


 神にもできないことがある。

 ならば人ができるはずもなく。


 そして、できることをするために在るのが

 選ばれし献身者(セリアン)なのだ。


 思考は堂々巡り。


 正解が得られるはずも無く。

 ただ迷いが濃くなっていく。


 溜め息が零れた。


 緑率書(ヴェルディカ)の文言を、

 アムルはもう、(そら)んじることができる。



 ──黙示録第七章──


 (すなわ)ち、魔王とは何か。

 ()は抗うものである。


 ──天意に(そむ)き、己の心を押し通す。

 天意とは世界の意思。

 世界とは(すなわ)生命の大樹(ヴィヴァルボル)に他ならぬ。


 生命の大樹(ヴィヴァルボル)に逆らうもの、(すなわ)ち抗うもの

 ──其は魔王なり。



(神さまにできないことも、魔王になら、できるのかしら)


 闇の中で、ふとそんな考えが(よぎ)った。

 それは思考というより、衝動に近い。


 その瞬間、背後から音がした。

 ほんの微かな、風が動いたような気配。


 そして、とてつもない、違和感。


 アムルは反射的に振り返った。

 誰もいないはずの反省室に、白い靄が揺れていた。

 それはまるで、人の形をした影のようで――


「……誰?」


 反省室の中では、声を発してはならない。


 けれど、アムルは無意識に言葉を落としていた。

 自分の声が、石壁に反響して広がっていく。


 木霊のように、(さざなみ)のように。


 靄は答えない。ただ近づいてくる。

 足音もなく、音もなく、ただ、そこに在る。


 心の奥が(ざわ)めく。

 恐怖ではない。

 けれど、冷たい指で胸の中を、心の内側を

 なぞられたような、奇妙な感覚。


 そして靄の中、人の顔に当たる部分、

 ――だと思わしき場所に。

 ほんのわずかに光る何かがあった。

 二つの光。


(目、みたい……)


 アムルは息をのんだ。


 それが何かを語りかけてきたような気がした。

 声ではない、言葉でもない、けれど確かに伝わる意思。


 ──抗うか?


 その問いに、アムルは答えられなかった。

 けれど、胸の奥で、何かが目覚め始めていた。


 それは、否定してきた感情。

 封じ込めてきた、もうひとつの自分。


 祈りでは届かないものが、あるのなら。

 祈りでは救えない人が、いるのなら。


(わたしが、抗う……?)


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