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鳥と複製臓器と歴史資料館



   * * *  鷹星セイジ




 タカホシという男が、タイヤの無い半重力原付バイクで坂を上る。秋も終わりかけ冬の気配を感じる十一月某日の朝。小出力のエンジンの細い高音を白樺林にまき散らしながら、幾重にも折りたたんだように曲がりくねった道を登ってゆく。



 やがて坂を乗り越えると木々の中から、コンクリート色の巨大な人工物が現れる。その建造物を囲む高い壁とその上に備えられた有刺鉄線は、まるでここが刑務所であるかのような威圧感を発していたが、何の問題もなく正門を通ることができた。門を守るものは誰一人としていない。



 タカホシは原付バイクを駐輪場に置く。目の前にそびえたつ建造物は、例えるならば数世紀まえの20世紀末バブル時代の鉄筋コンクリート建造物を彷彿させる。コンクリート壁にはひび割れがありそれを補修した形跡がある。それを覆い隠すようにツルやツタが発達する植物に呑み込まていたが、季節のためにその色を失って干からびていた。



 そこは名もなき歴史資料館。

 一見廃墟にも見えなくもないが、必要最低限は整えられている。その建物が現役の施設であることを辛うじて物語っていた。ここがこの男の目的地であり、帰るところでもあったのだ。



 入口はの重厚なガラス製の扉を開けて資料館の入ると、高い天窓から朝日が差し込んで明るかった。タカホシは三階建ての吹き抜けを見上げる。古めかしい木製の螺旋階段は、資料館の殺風景な外観とは異なり、古風なおもむきがある作りになっている。



 ——ああ、今日の空気と陽気あの日と似ている。



 あの日とは、タカホシが初めてここを訪れた時の事である。当時のタカホシは学生で古風な黒い金ボタン制服とマフラーを首に巻いて、現在と同じように資料館内のステンドグラス風の天窓を見上げていた。



 町はずれの白樺林の丘の上にある歴史資料館には、今は滅多に見られない紙の情報記録媒介である本や、そのほかにも多くの歴史資料がおさめられているらしい。しかし、不気味な噂話も多かったため、資料館として好んで利用する者は少なかった。



 噂はたくさんある。資料館として使われる前は人体実験場だったとか。そこで何人も命を落としているだとか。実は実験の被験者はバラバラにされて臓器の抜き取られたとか。資料館に一人だけ住み込みで働いている司書がその実験を主導した団体の一人だとか。白樺林のどこかに用済みになった被験者を埋める墓穴があり、それを見つけてしまうと白い服を着た集団に連れ去らせるとか――。ここは、まことしやかに語られる都市伝説のまさに巣窟である。



 タカホシにとって重要だったことは、彼にとって重要な古本が、そこの書庫に存在するかもしれないという可能性だけだった。タカホシは飛行機に興味があり、そのメカニズムと歴史を学びたいという思いがあった。ネットの電子書籍などの資料は見てきたが、別の角度からも学びを得たい。そこで町の資料館の古い資料に新しい発見がないものかと思い、この歴史資料館に足を運んだのだった。もう五年前のことである。



 蔵書の多さは勿論のことだが、階層すべての本棚が重厚なラガス戸で閉ざされており、おまけに戸の隙間から怪しいガスが漏れ出ている。初めてここ来た者は勝手も分からず立ち尽くすであろう。いつものことだが受付に座っているべきはずの職員は不在であった。受付カウンターの上には司書の所在を示す札が置かれている。



「最上階ノ部屋ニ居リマス」


 四角い吹き抜けの階段を登りきる。エレベーターがあることは知っているが、今日はなんだか追憶にとらわれてしまったようで、五年前のように自らの足で登りたくなったのだ。



 歌が上の階から降ってくる。鼻歌であった。上機嫌なそれではなく、どこか寂し気な曲調。それは、途切れ途切れではかなげでもあった。タカホシは不思議そうに上を見上げながら首をかしげて階段の途中で立ち止まるが、すぐに足を上げて階段を登ってゆく。



 最上階似たどり着くと歌は止んでいた。扉はひとつだけ。あまりに大きな部屋だ。その重厚な鉄扉を開く。ソコには赤いセーターの上に白衣を着た女性が窓の近くの椅子に腰かけていた。



「やあ、珍しいね。こんな資料館にお客様とは」



 他人行儀な物言いに、彼は面食らった。彼女は静かに電子タバコをくゆらすと白い煙を吹いている。タカホシはとりあえず彼女の――メグルの出方を窺うことにした。



「ここは広くて蔵書の数も多い。探している本があれば案内しよう」



 彼女はゆったりとした動きで立ち上がる。タカホシはどうしたものかと顎に手を当てて思案を巡らせるが、ああそうか、と合点がいく。原因不明とされているDNA変異の多発による身体の異常は経過観察中ではあるが、彼が思っているよりも変異の進行が早まっているらしい。



「レオナルドダヴィンチの『鳥の飛翔に関する手稿』をお願いします」



 彼は、薄く笑ってメグルに答える。

 それは、初めてここに来た時に所望した本の名であった。

 





   * * *  熊山メグル





 いたく寒い日の朝であった。

 メグルという名の彼女はベットを立つと、自室に対して違和感を覚える。学校の保健室か、病院の一室のようなこの部屋が妙にがらんして冷たく、そして広く感じられたのだ。



 その違和感はともかく、寒い。メグルは部屋のすみにあるパーティションの向こうに走り、無造作に畳んで並ねられている服のなかから暖かそうなものを選んだ。赤いタートルネックのセーターに身を包み、その上にいつもの白衣をまとう。次には、古風な円柱型のガスヒーターに火を入れるとその上にヤカンを乗せた。早く温かいコーヒーを淹れたいところだが、離れた給湯室に向かう気力は彼女にはないのである。



 窓の近くに座り、カチカチと歯を細かく鳴らせて窓の外を眺める。ここは資料館の最上階で塔の頂上のように見晴らしがよい。遠くの山から朝日が顔を出して冷たい世界を暖かく照らし始めたころであった。彼女は眩しそうに手をかざしなら、白く光る薄い雲をぼんやりと見つめていた。



 何分そうしていただろう。冷たく冴えた空気とは裏腹に、彼女の心は平常に戻らない。意識はどこかおぼろげで、半分眠ているような気がしてならなかった。



 ——なにか大事なことを忘れているような?



 そんなことを考えていると、ヤカンが音を立てて水が湯になったことを告げる。インスタントの粉を多めに入れてかき混ぜ、カップに口を付けた。やっと体温を取り戻した気がして一息つくと、椅子に腰を下ろす。



 なにもすることもなく、また、先ほどまでと同じように外を眺めた。世界は明るみを増して遠くの街は動き出す。しかし、彼女の動きは依然として鈍く、電子端末を開いて新情報の収集する気も起きない。白いものが多く混じった。髪を少し横に流して整える。白髪とは対照的に若々しい顔は、鉄仮面のように微笑むことはなかった。



 今日もなにもない。

 空っぽな一日が始まる。



 そんなことを思うと、むしろ可笑しくなって鼻歌を歌いだす。椅子の上で僅かに体をゆすって外を眺めるメグルは、歌詞も題名も知らない曲をハミングで口ずさむ。美しく荘厳でもあり、それでもどこか寂し気な曲調が、時の流れをゆっくりと感じさせていた。



 そんな、淀んだ空気が一変する。

 部屋の扉が勢いよく開かれる。

 


 見るとひとりの男がそこに立っていた。じっとメグルを見ている。メグルが司書に見えないのだろうか。いずれにしても、滅多に訪れない資料館の利用者である。



「やあ、珍しいね。こんな資料館にお客様とは」



 白衣のポケットから電子タバコを取り出してくわえる。吸い込むとジリジリと液体が蒸発する音がして、吐き出すと濃い水蒸気が口から吐き出された。



「ここは広くて蔵書の数も多い。探している本があれば案内しよう」



 メグルは立ち上がって男を見る。二十代前半ほどの年頃。彼は顎に手を当てて、なにか思慮しているかのような面持ちでメグルを見ていたが、やがて口を開いたのだった。



「レオナルドダヴィンチの『鳥の飛翔に関する手稿』をお願いします」















 『鳥と複製臓器と歴史資料館』の模倣


     ……あるいは『追憶の幻想資料館』

















「君、名前は?」

「鷹星セイジです」

「私は司書の熊山メグルだ、よろしく」



 ずいぶんと古めかしい本を所望するものだ。感心するような、あるいは呆れるような顔で、メグルは、タカホシを見ていた。二人は階段を無言で降りて行く。彼女は、怠惰ではあるが一応この資料館の司書である。本の場所も頭に入っていた。このように訪れる人は絶望的に少ないため、彼女は、ときたまの利用者に対しては手厚い対応を心掛けている。



「レオナルド・ダ・ヴィンチとは何者だと思う?」

「とつぜん難しいことを訊きますね」



 もとい。手厚い対応というべきではなく、訪れた者に対して、退屈しのぎのお喋りの相手をさせているに過ぎなかった。厚かましいことこの上ない。



「発明家、でなはないですか」

「飛行に興味がある君にとってはそうかな」

「勿体ぶった言いかたですね」

「レオナルド・ダ・ヴィンチ。芸術家でもありながら、天文学者でもあり、科学者でもあり、医学者でもあり、時には哲学者でもある。ふむ、やはり一言では言い尽くせないな」

「彼を語るのに肩書はいりません。ダヴィンチはダヴィンチです」

「なるほど、歴史上の存在の中でも彼は、そのように言い表せる人物の内の一人かもしれないな。さあここだ」



 メグルは本棚の前で立ち止まる。棚には番号が割り当てられておりプレートの数字は塗装が剥がれかけていた。彼女を追ってタカホシが本棚に近付こうとするがそれを手で押しとどめた。棚の扉の内側は二酸化炭素など本の腐食を押さえる気体で満たされている。扉を開いた瞬間に棚に近い位置に顔を近づけてしまったら窒息してしまうかもしてないからだ。



 メグルも棚から体を離して扉を開く。かすかに霞のようなドライアイスの白い煙が床を這う。中から取り出された本は、厚くはないがカバーに入っている大きめの本であった。それを手渡しながら、メグルは率直な疑問をタカホシに投げかける。



「どうして今更に飛行機なんかをしらべている」

「単純な興味ですよ」


「本が座って読める部屋は一階にあるが、まだ暖房がついたばかりでね。暖気がまわりきっていないんだ。おまけにあそこの床下はもともとコンクリートのたたきだから殊更に寒さが身に応える」


「貸出はしていますか」

「できないよ」


 メグルは即座に切り返した。


「そこで提案があるのだが、上の私の部屋で読まないかね。石油ストーブで温かいし、ホットのコーヒーもサービスしよう。あ、もちろんの飲みながらの読書は禁止なのだがね」



 メグルの提案をタカホシは有難そうに受け入れた。表情が柔らかいなったタカホシを見てメグルは安堵する。また彼を引き連れて部屋に戻ると、ヤカンをストーブの上から持ち上げて運び、すぐにタカホシのコーヒーを淹れた。彼は本を大事そうに離れたテーブルに置くと、ストーブの近くの椅子に座った。



 小さなテーブルをひっぱりだしてそのうえに彼のカップを置くと、なぜだがとても落ち着いた。それは彼女にとってとても不思議な感覚であった。今日の朝、足りないと思ったものがすべて満たされた、そんな感覚である。遠い昔、多くの研究者がこの部屋に詰めていたものだが、彼女がその時代の感覚を憶えているからであろうか。



 そんなはずはない。

 メグルはかすかにかぶりをふる。それらの記憶が、彼女に対して心地よい追憶をあたえてくれたことなど、たったいちどもないのだから。



 タカホシはコーヒーを啜ると、はらのそこから温まった溜息をを吹き出した。少し離れた椅子に座ってメグルは電子タバコを喫していた。甘くて重い煙が彼女の足元にただよう。



 彼がコーヒーを飲み終わるまでのあいだ、なにか気の利いた話でもできればよいのだろうが、彼女はむしろ沈黙を満喫していた。誰かと飲むコーヒー。温かい空間。石油ストーブがら漏れるチリチリとした音。彼女はそこにあるすべてのものを心地よく受け止め堪能していたのだ。



「さっきの話ですが」

「どのさっきだい?」

「僕が飛行機を研究する理由です」



 沈黙を破ったのはタカホシ。

 彼は先ほど自らさえぎってしまった話の続きをはじめようとしていた。メグルは回転椅子を軋ませて彼を正面に捉えた。



「不思議に思ったのだ。飛行機なんて時代遅れの技術を若い君が熱心に研究することは有益ではないからだ。知っての通り、新エネルギーの発見と反重力機関の発明という技術革命が、空を飛ぶ乗り物に翼を取り付ける意味を消し去った。いまとなっては危なっかしいことこの上ない飛行機という工業製品は、今後開発されることはないだろう」



「あなたの言っていることは否定しません。僕は娯楽として飛行機の歴史を追っているにすぎないのですから」



 メグルの話を聞いたうえでタカホシは毅然として静かに返答した。



「子供の時に初めて買ってもらった飛行機のおもちゃには翼がありプロペラがついていたんです。それがすべて決定づけました。僕にとって空を飛ぶモノとは飛行機のことですし、それがすべてです。理屈じゃない」



 なるほど。言う代わりにメグルは頷いてコーヒーを啜った。人間は非論理的な感情論にとらわれるほどにその人間味を増して生き生きとする。これが彼女が人間観察を行ってきたうえでたどり着いた仮説の内のひとつである。それを実証するかのように、タカホシの真っ黒なひとみには小さくも鋭い光があった。



「君の研究対象は、プロペラ機なのかい?」

「そうですね」

「となればレシプロエンジンだね」



 メグルは電子タバコの煙をまた吐き出すと、石油ストーブの火を覗き込みながら少しのあいだ考え込んでいた。タカホシは椅子に座って行儀よく黙ってメグルの言葉を待っているようであった。



「人間は元来、火を用いて文明を発展させてきた。熱機関という原始的な装置に対しての信頼や過信というものは、自分たちが思っている以上に本能からくるものなのかもしれない」



 突然なにを言い出すのかといいたげにタカホシは小首をかしげてメグルをみていた。それでも彼女の言わんとしていることを汲み取ろうとその黒い目をきょろきょろと動かして適切であろう言葉を探しているようである。



「プロメテウスの火ですか」



 メグルは立ち上がって、石油ストーブにヤカンを戻した。すぐには口から湯気は吹かなかったが、底のぬるくなった水が歯ぎしりを立てているかのような音が部屋に響いた。彼女は手をストーブの上にかざして暖をとる構えをした。



「レシプロ、ジェットなどは燃料を燃焼させて熱エネルギーで動力を得ている。その点、反重力機関などは原始的なエネルギーから解き放たれた新しい動力原ではあるが、新しい技術であるが故に信頼度が低い。これは、文明的な人類史の半分以上を支えてきた熱機関が、技術な熟成な進んでいて信頼性が高まっているからだと言われているが、それはどうだろうか」



 懐疑的な顔をわざと作ってメグルはタカホシを見る。

 彼は手のひらを上に向けて肩をすくめた。



「正しい認識ではありませんか。古い技術には経験と実績からくる安心があり、新しい技術は便利ではあるけど経験値が希薄なぶん危うい側面があります」


「それは事実ではある。だが私には、もっと原始的な感情をひた隠しにしているようにしか思えてならない。人類は単純に、原始的な“火”を用いたエネルギーに強い執着がある。熱機関に、狩猟時代から世話になっている火にたいして郷愁めいたものを見ているに過ぎないのではないか」


「勿体ぶった言いかたですね」



 タカホシは両の手のひらを今度は丹田の前に組んで、眉をひそめた。けんか腰に討論をするというよりは、同じ研究チームで議論をかわすかのように語気は強いが淡々と言葉を連ねた。



「興味深い仮説ですが、少々皮肉りすぎやしません? 人類の知性を嘲笑っているように聞こえます」

「そうかな。でも君は、古い技術である飛行機に魅かれてやってきた。そうだろう?」

「僕の研究対象は飛行機です。エンジンではありません」

「確かに。それもそうか」



 あまりにも彼女が引き下がるのが早すぎて、タカホシは前につんのめるような気持ちになる。彼女もストーブから離れるとまた自らの椅子に腰かけて電子タバコをくゆらせる。満足げに水蒸気を吐き出していた。



「そうだ。君はその本を求めて来たのだったな。時間を取らせてしまってすまない。どうか存分に研究を楽しみたまえよ。私はまた少しのあいだ、黙っていることとしよう」



 思いのほかにあっさりと引き下がったメグルにタカホシは成すすべなく閉口するしかなかった。タカホシは立ち上がってダヴィンチの本のもとに向かいそのページをめくり始めた。




 座りながら居眠りをしていたメグルは、目を覚ましたときタカホシの姿がないことに気が付いた。本は彼が座っていた所に置いてある。時間はすでに午後になっており、秋の日差しは早くも傾き始めている。



 昼食でもとりに出たのであろうか。ここから町までは近くはないが、正午に出たとしても返ってこれる時間ではある。本を放置して帰るほど不作法な男にもみえなかった。



 本を見下ろして思案していると、部屋の外からもの音が聞こえる。まだいたのかと安心したのも束の間、彼女は眉をひそめた。



 ——よくない方角だ。



 メグルは、速足で部屋の扉を開けて音の方へ急ぐ。同じ階層のあまり日当たりのよくない廊下の行き止まり。そこにタカホシはいた。



「なにをしている」



 分厚い鉄製の扉が少しだけ開いている。壁と同化するように隠された作りをしてる扉は、そう簡単に見つけられるはずはなかった。丹念に調べ上げなければ見つけられる構造ではない。タカホシもバツが悪そうに目を逸らしてメグルに向き直る。



「ここの扉が開いていました。気になって」



 鍵を閉めなかったか。メグルは一瞬だけ不安に駆られる。自分に非があることも内心認めざるを得ないが、それ以上にタカホシの行動は不自然である。



「君は、飛行機の研究に来たのではないのか。そこには君が知りたいものは何も置いていない」

「関係者以外立ち入り禁止というやつですか」



 メグルの豹変ぶりにむしろ興味が湧いたのか、タカホシはむしろ煽るように言葉を返す。それをみたメグルは少々腹を立てたようで、彼に数歩迫って声色を低く言う。



「見たければそうするがいい。だが人類の知性は想像以上に惨忍だ。このなかにあるものはそれを証明する。君の本能は拒絶するだろう。それでも、この中が、知りたいか」



 タカホシは否定しない。扉の前に立ってメグルを見返している。強がって見返しているのではない。怖気づいているようでもない。ただ静かにメグルの様子を見ているという表現が正しかった。メグルはタカホシにさらに迫ると強かに扉を叩いて開き、その部屋の闇の中へ彼を押し込んだ。



 壁に手を伸ばして灯りを付ける。



 固いスイッチの音が室内に響いた後、青白い光が部屋の中を満たした。メグルは今は言ってきた扉を閉じる。おもい扉は重厚な音を響かせて二人を閉じ込めた。



「率直な感想を訊こう」

「……趣味の悪い研究室」

「最適な表現だ」



 タカホシは周囲を見回した。ガラス容器の中の液体につけられているのは、はらわたが切開されたカエルでもなく、牛の内臓でもない。ひとの、人間の部位である。手や足とそれらの指、眼球、そして内臓、消化器官にいたっては食道から直腸までワンセットある。そして、それらの人間のパーツは時が止まったホルマリン漬けのサンプルなどではない。脈動している。代用血液が丹念に配管されており、確かに生物細胞の一部として“生きて”いた。



 正体不明のサンプルも存在している。不完全。切れはし。成り損ない。最も奇妙だったのが部位が増加しているものだった。それらの並べられている巨大な試験管たちの前にメグルは立っている。そのうちのひとつに触れてタカホシをみつめた。



「君がさっきまで読んでいた本で、ダヴィンチは述べている。“鳥の構造を理解し、命以外のものは造り出すことができる。命は人間が代用することで初めて空を飛翔することができる”と。そしてこうも続けた“命はつくれない”と」



「人間が空を飛ぶには、鳥が空を飛ぶ理屈を理解する必要がありました。羽ばたきで得る推力と揚力はエンジンと主翼に役割を分配し、気流を整えるためや空中でパイロットが飛行を操るためにあえて飛行を妨げる抗力も必要です。鳥を地面に縛ろうとするはたらきの重力もまた重要な飛行要素のひとつでもあるんです。そして命とは、飛翔を意のままに操る“鳥の心”。これは造るれないし造る必要もありません。人間がこれを代用すればいいのですから。でも、でもこの実験室となんの関りがあるのですか」



 タカホシがメグルに尋ねる。

 そのとき彼女の両端の唇は耳まで裂けたそうに歪に笑った。



「“鳥”を“人間”に置き換えただけさ」



 このとき初めてタカホシの表情がこわばった。

 それをみたメグルは愉快そうに目を細めた。



「疾患、事故、戦争、先天性のものまで原因は多岐に及ぶが、自分の不足する部位を補おうと苦心する人々は昔からたくさんいた。だが失った手足を補うのは所詮は機械義肢。臓器だって需要に対して供給が全く間に合っていなかった。だから、近代的な義肢技術と代用臓器の研究が急務として研究を行っているものたちがいたわけだ」



 タカホシはあらためて研究室を見回していた。



「代用臓器……。その研究をここで」

「そう。最初はもっと原始的なものだった。シリコンで作られて機械的に駆動する代用臓器を体内に埋め込むところから始まったが、決してそれは最適なアイデアではない。定期的な部品交換とメンテナンスが必要だったからな。はやり人間の部位の代用とは、生体と抜群に相性が良いものでなくてはならない」

「つまり」

「そう、なまみのパーツだ」



 わが意を得たりとメグルはうなずく。



「なまみのパーツの何がいいかと言えば、それはもういい所ずくめだった。術後のリハビリは依然と比べると短時間ですむ。昔のように機械的な自分を一部と向き合う必要はない。以前と同じように直感で手足を動かし、その肌身で感じ、その目で耳で見聞きすることができる。臓器だってそうさ。治療の選択肢が増えたんだ。内臓が悪くなったときは交換してしまえばいい。大量生産が可能になったことで一般市民でもそんなことが可能になった。今となっては当然なことだがね」



 メグルは大げさに手を広げる。

 まるで自分の研究結果を見せつけるように声を張るのだった。



「ここで開発されたのは完璧な代用臓器、人体部位だよ。ここはまさに人間のスペアパーツ開発の現場だ。多くの有能な開発者がここに集って日夜研究を繰り返していたのさ」

「メグルさんもそのうちの一人なんですね」



 タカホシは思いついたように言った。そんな研究をしていた建物にひとり残っているのだからそのように思ってもしかたないだろう。しかし、メグルは閉口している。先ほどまでに振り回していた両の手を白衣のポケットに突っこんだまましばらく喋らなくなった。天井から射す照明の青白い光が、彼女の表情を陰で隠している。辛うじて見えている唇が開くまでタカホシは待っているようだ。



「ダヴィンチは言った。命はつくれないと」



 陰になって見えないメグルの双眼が怪しく光っていた。



「しかしここでは“鳥の心”まで作ってしまったのだよ」

「心を作った。脳ミソでも造ったんですか」

「そんなとことだね」



 タカホシの気の抜けそうな語気で問う。

 メグルは少々肩をすくめて答えた。

 しかし、なぜか救われたようにかすかに笑ってもいた。



「なあ、私は今ここにある資料と、かつてここにいたクソ野郎たちの話はいくらでもできる。でもね、自分の話となるとどうもダメなんだ」



 困ったように首に手をやって頭をかしげて骨を鳴らす。そのときに白髪交じりの髪の隙間から首の付け根に縫合の跡のようなものが覗いて見えた。



「“フランケンシュタインによる怪物”である私は、もちろん創造主の事は恨んではいるが、別に人間を滅ぼしてやろうなんてかんがえてはいない。私のことは、どうかほっておいてくれ」



 メグルはそう言うと、扉を開いて一足早くこの部屋を出る。タカホシはもう一度この狂おしい研究室を見渡した。そして照明のスイッチを切ると外に出て扉を固く閉じるのだった。






   * * *  鷹星セイジ






 夕方。タカホシは本を読むふりをしながら、メグルの様子を観察していた。秋の日暮れは早い。色づいた葉が太陽に照らされて、高い山の木々が温かく光って見える。メグルは椅子に座ったまま、また鼻歌を口ずさみながら、外の光景をぼんやりと眺めていた。


 その朧気な鼻歌が、徐々に輪郭をはっきりさせていく。歌詞がこぼれ出したのだ。その瞬間にメグルの双眸が僅かに見開かれる。彼女自身それに驚いていた様子でその歌をピタリと止める。つぎの瞬間、接触が悪い電線が突然に通電したように彼女は跳ね上るように立ち上がった。



「あぁぁ!」



 声を上げたかと思うと、タカホシに飛びついて彼の胸ぐらを両手で掴み上る。ギリギリと信じられないほど強い握力でタカホシを締め上げる。



「お帰りなさい。思い出しましたか」

「おまえは悪人だ。なんですぐに教えてくれなかったんだ」



 それをみて安心したタカホシは能天気な声色で語る。

 だが彼女は怒りを収める様子はないらしい。


「このまま私がなにも思い出せないかったらどうするつもりだったのだ。また君との関係をゼロから始めなければなかったのかと思うとぞっとする」


「それでも良いのではないですか。記憶が戻らないメグルに元の関係を強いるのは好ましくありません。でも今日の馴れ初めの再現は素晴らしかったです。よくあそこまで忠実に受け答えできたものですね」


 おどけたタカホシにメグルはいよいよ腹を立てる。


「セイジッ!」

「あ、メグル! ダメですそれ!」


 メグルの首元の左右に埋め込まれた金属製の端子が火花を散らして光る。それを見たタカホシは流石にまずいと思ったのか態度を一変させたが、すでに遅かった。電子回路ショートするかのような音が部屋を満たし、周囲のすべての電化製品が活動を停止したのだ。



「……あ」

「やっちゃっいましたね」



 それから、しばらくして。



 予備の電池式石油ストーブで暖を取り、お湯を沸かす。時間は既に夜で部屋の灯りはこのストーブだけである。タカホシは毛布と温かいコーヒーを二人分持ってくる。メグルはそれらを受け取るとコーヒーをひとくちすすって震えた溜息をついた。それからメグルはぐったりと首を曲げて抱える。タカホシも隣に座ってコーヒーに口を付けた。



「ごめん」

「謝るのはこっちです。不要にメグルを煽ってしまったんですから」

「電力は復旧できるか?」

「基本的にこの建物は核ミサイルの高高度爆発でもダウンしない設計です。でも、地下発電機の電力は歴史資料の保存設備や今も生きている研究室のためのものですから、居住区の電子機器はフツーに落ちちゃうんですよね」

「ごめぇん」

「だから謝らないで」



 メグルは縮こまって何も喋らなくなった。タカホシもバツが悪くなり、黙ってコーヒーを減らすしかないのだった。



 メグルはこの施設で生み出された人造人間である。



 代用臓器を研究する過程で実験として発明された世界初の生体といえば聞こえはいいかもしれないが、簡単に言ってしまえは人間のパーツをつなぎ合わせて作られた体なのである。人工の脳はこの研究の大きな成果とも言える。そうそれこそまさに作られた“鳥の心”である。


 彼女はその後、様々な実験の被験体となり多くの手が加えられている。とりわけえげつない実験は生物兵器として適性実験でさきほどの電磁パルス《EMP》もその産物である。そのちからを手に入れた彼女は自分の自由のために反旗を翻す。多くの人はこれを暴走と呼んだが、彼女からしてみれば自らの自由と人権を主張したに過ぎない。


 この建設は生体兵器〈人造人間メグル〉を収容するシェルターのようなものだ。彼女がここを一歩でも出ようものなら即座に軍が動員されてメグルを無力化するであろう。ここのなかでなら、メグルは人造人間でも兵器でもなく、一人の人間でいることを許されているのだ。


 彼女を監視と観察する任についたのがタカホシである。

 彼女もタカホシならばよしと監視役を置くことを認めた。


 しかし、現状のメグルの身体は極めて不安定である。実験の成果として生み出されてしまった彼女の体は、歪で急速な老化が進行している。外見的には年相応の容姿を保っているように見えるが、髪は白いものが多くなり縫合された皮膚細胞は所によってちぐはぐに老化している。


 殊更に脳の退化は甚だしく、認知障害に似た症状が見られている。彼女の作られた体は悲鳴を上げていたのだ。



 タカホシは二杯目のコーヒーを淹れてカップをメグルに渡した。



「今日の話でうれしかったズレは、コーヒーですね。僕と会うまではメグルはコーヒーを飲まなかった」

「そうだったか。私はずっと前から好きで飲んでいた気がする」

「つまり僕がそういうふうにメグルの潜在意識に対しての刷り込みに成功したということですね」


「ふん。ところで君は、あの研究室ではもっと驚いていたぞ。腰を抜かして失禁していたはずだ」

「そんなことまで思い出さないでくださいよ」

「私だけ恥ずかしい思いをしてたまるか」



 メグルは少しだけ声を明るくしてタカホシを小突いた。そして、すっかり油断していたタカホシの手にメグルは自分の手を重ねてツギハギ模様の細い指をからめた。彼は、しばらくなにも話せなくなってしまったが、彼の耳が赤くなっていることをメグルは見逃さなかった。毛布に包まったメグルはタカホシに身を寄せて、彼女は彼だけに聞こえる声で低く語り掛ける。



「君はあのクソ野郎たちの一員となることで私の傍にいてくれることを選んだ。卒業前の年、今日のような秋の夕暮れの時間、まさにここでそれを宣言した」

「……なつかしいですね」

「私の命を弄んだ集団に君が属することは耐え難いはずだった。しかし、これは矛盾して聞こえるかもしれないが、それが私にはどうしようもなくうれしかったのだ」

「メグルの経過観察係という肩書がなければ、あなたと一緒に居られませんから」


 心地の良い沈黙。外の空には星が見えている。町の方角はぼんやりとした明るさだが、不思議とその光は空まで照らしているようであった。タカホシは思い立ったようにメグルの顔を覗き込んだ。妙に明るい声は少しだけ照れ隠しの意味の含んでいるようであった。


「じゃあちょっと検査してみましょうか」

「今からか? 意地悪はなしにしてくれ」


 口をとがらせてそっぽを向くメグル。


「歌を聞かせてください。僕が教えた歌詞を思い出せるか」

「おまえっ! よくもそんな恥ずかしいことを!」

「簡単な記憶検査です。いつも鼻歌で歌っているあれですよ」

「わかっている!」



 そう言うとメグルはヤケクソ気味に立ち上がる。ストーブの火を落として灯りを弱める。星空と町の風景を背景にメグルの輪郭だけがぼんやりと浮かび上がっていた。ひとつ咳払いをして、静かに、それは静かに歌い出す。



 『星巡りの唄』



 いつも聞いているメグルの声とは異質の透き通った声。

 夜空の星々をゆっくりとなぞり、つなげ、言葉で形を成す。

 そんな透明感のある歌が彼女にはよく似合っていた。



 タカホシはあくまでメグルの監視である。

 彼女の行動や状態は記録して定期的に報告する義務がある。

 だが彼女の“心”はその範疇の内ではない。



 彼は決めたのだ。

 ここで作られた“鳥の心”を守ってゆくと。

 ただ人でありたいと望み、ここで人として生きている今にも壊れそうな命の記録はタカホシの中で永遠に生きながらえる。その思いを胸に、歌が終わって俯いていたメグルのもとに走り、タカホシはメグルを優しくも力強く抱きしめた。



























 蛇足


  『鳥と複製臓器と歴史資料館』


      ……数年前の今日とよく似た日





   * * *  熊山メグル




 いたく寒い日の朝であった。

 メグルという名の彼女はベットを立つ。学校の保健室か、病院の一室のようなこの部屋は冷たくて寒い。



 メグルは部屋のすみにあるパーティションの向こうに走り、無造作に畳んで並ねられている服のなかから暖かそうなものを選んだ。赤いタートルネックのセーターに身を包み、その上にいつもの白衣をまとう。次には、古風な円柱型のガスヒーターに火を入れた。



 窓の近くに座り、カチカチと歯を細かく鳴らせて窓の外を眺める。ここは資料館の最上階で塔の頂上のように見晴らしがよい。遠くの山から朝日が顔を出して冷たい世界を暖かく照らし始めたころであった。彼女は眩しそうに手をかざしなら、白く光る薄い雲をぼんやりと見つめていた。



 何分そうしていただろう。冷たく冴えた空気とは裏腹に、彼女の心はどこかおぼろげで、半分眠ているような気がしてならなかった。



 ——これが私の望んでいた普通の人らしい生活?



 なにもすることもなく、また、先ほどまでと同じように外を眺めた。世界は明るみを増して遠くの街は動き出す。しかし、彼女の動きは依然として鈍く、電子端末を開いて新情報の収集する気も起きない。人との普通の交流を知らない彼女の顔は、鉄仮面のように微笑むことはなかった。



 今日もなにもない。

 空っぽな一日が始まる。



 そんなことを思うと、むしろ可笑しくなって鼻歌を歌いだす。椅子の上で僅かに体をゆすって外を眺めるメグルは、歌詞も題名も知らない曲をハミングで口ずさむ。美しく荘厳でもあり、それでもどこか寂し気な曲調が、時の流れをゆっくりと感じさせていた。





 そんな、淀んだ空気が一変する。

 部屋の扉が勢いよく開かれる。

 


 見るとひとりの青年がそこに立っていた。じっとメグルを見ている。メグルが司書に見えないのだろうか。いずれにしても、滅多に訪れない資料館の利用者である。



「やあ、珍しいね。こんな資料館にお客様とは」



 白衣のポケットから電子タバコを取り出してくわえる。吸い込むとジリジリと液体が蒸発する音がして、吐き出すと濃い水蒸気が口から吐き出された。



「ここは広くて蔵書の数も多い。探している本があれば案内しよう」



 メグルは立ち上がって男を見る。古風な金ボタンに黒い制服。高校生ほどの年頃。緊張した面持ちでメグルを見ていたが、やがて意を決したように口を開いたのだった。



「あの、れ、レオナルドダヴィンチの『鳥の飛翔に関する手稿』をお願いします!」






   * * *  鷹星セイジ






 タカホシという学生が、タイヤの無い半重力原付バイクで坂を上る。彼は学生服にマフラー姿。秋も終わりかけ冬の気配を感じる十一月某日の朝。小出力のエンジンの細い高音を白樺林にまき散らしながら、幾重にも折りたたんだように曲がりくねった道を登ってゆく。



 やがて坂を乗り越えると木々の中から、コンクリート色の巨大な人工物が現れる。その建造物を囲む高い壁とその上に備えられた有刺鉄線は、まるでここが刑務所であるかのような威圧感を発していたが、何の問題もなく正門を通ることができた。門を守るものは誰一人としていない。



 タカホシは原付バイクを駐輪場に置く。目の前にそびえたつ建造物は、例えるならば数世紀まえの20世紀末バブル時代の鉄筋コンクリート建造物を彷彿させる。コンクリート壁にはひび割れがありそれを補修した形跡がある。それを覆い隠すようにツルやツタが発達する植物に呑み込まていたが、季節のためにその色を失って干からびていた。



 そこは名もなき歴史資料館。

 一見廃墟にも見えなくもないが、必要最低限は整えられている。その建物が現役の施設であることを辛うじて物語っていた。ここがこの男の目的地である。



 入口はの重厚なガラス製の扉を開けて資料館の入ると、高い天窓から朝日が差し込んで明るかった。タカホシは三階建ての吹き抜けを見上げる。古めかしい木製の螺旋階段は、資料館の殺風景な外観とは異なり、古風なおもむきがある作りになっている。



 ——ここが噂の歴史資料館。



 タカホシは感慨深げにステンドグラス風の天窓を見上げていた。



 町はずれの白樺林の丘の上にある歴史資料館には、今は滅多に見られない紙の情報記録媒介である本や、そのほかにも多くの歴史資料がおさめられているらしい。しかし、不気味な噂話も多かったため、資料館として好んで利用する者は少なかった。



 噂はたくさんある。資料館として使われる前は人体実験場だったとか。そこで何人も命を落としているだとか。実は実験の被験者はバラバラにされて臓器の抜き取られたとか。資料館に一人だけ住み込みで働いている司書がその実験を主導した団体の一人だとか。白樺林のどこかに用済みになった被験者を埋める墓穴があり、それを見つけてしまうと白い服を着た集団に連れ去らせるとか――。ここは、まことしやかに語られる都市伝説のまさに巣窟である。



 タカホシにとって重要なことは、彼にとって重要な古本が、そこの書庫に存在するかもしれないという可能性だけだ。タカホシは飛行機に興味があり、そのメカニズムと歴史を学びたいという思いがある。ネットの電子書籍などの資料は見てきたが、別の角度からも学びを得たい。そこで町の資料館の古い資料に新しい発見がないものかと思い、この歴史資料館に足を運んだのだ。



 蔵書の多さは勿論のことだが、階層すべての本棚が重厚なラガス戸で閉ざされており、おまけに戸の隙間から怪しいガスが漏れ出ている。不気味な光景に彼は立ち尽くす。受付に座っているべきはずの職員は不在であった。受付カウンターの上には司書の所在を示す札が置かれている。



「最上階ノ部屋ニ居リマス」



 四角い吹き抜けの階段を登る。歌が上の階から降ってくる。鼻歌であった。上機嫌なそれではなく、どこか寂し気な曲調。それは、途切れ途切れではかなげでもあった。



 ——これは「星巡りの唄」かな?



 タカホシは不思議そうに上を見上げながら首をかしげて階段の途中で立ち止まる。不気味ではあったがすぐに足を上げて階段を登ってゆく。



 最上階似たどり着くと歌は止んでいた。扉はひとつだけ。あまりに大きな部屋だ。その重厚な鉄扉を開く。ソコには赤いセーターの上に白衣を着た女性が窓の近くの椅子に腰かけていた。



「やあ、珍しいね。こんな資料館にお客様とは」



 彼女は静かに電子タバコをくゆらすと白い煙を吹いている。



「ここは広くて蔵書の数も多い。探している本があれば案内しよう」



 彼女はゆったりとした動きで立ち上がる。タカホシは緊張で背筋が冷たいものが背筋をと伝ったが、息を整え、意を決して声を出したのだった。



「あの、れ、レオナルドダヴィンチの『鳥の飛翔に関する手稿』をお願いします!」


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