第三十五話 パステリアス
なぜこうなってしまったのかは解からない。
運命など信じない遼にとっては尚のこと、まるで蜃気楼に惑わされて右往左往はじめる、道標からの逆転に身を委ねた結果死の瀬戸際に立ち竦むギャンブラーのような感性に浸る結果になってしまった。
結論からいうとどうすればいいのか遼自身にも解からないのだ。
今の状況に固唾を呑んで身を潜めることくらいしかできないくらいに。
「自己紹介しよう」
朝方人通りからの死角になる空き地で、男は言った。
「俺は御堂という。これだけで十分だろ」
「私は梢。よろしくです」
裏表のない幼気な笑みを遼たちに向ける梢とニヒルな笑みを浮かべる御堂の身長差はやはり凹凸で、どうでもいいことばかりと連想させてくれる。
「あー俺は、」
いちおう遼も名乗るくらいはした方がいいだろうと思い、髪を掻きつつ口を突いたところで、梢に遮られた。
「知ってますよ。出雲遼さんと金子椿姫さんですよね」
「……どうして知ってるんだ」
想像くらいはつくがいちおう訊くことにした。
「言い方が悪いかもですけどターゲットとして認知してますから。予め計らい調べさせてもらいました」
豊かで高尚な感情を作り、腕をぐるぐる回す梢を背に、御堂が前へ出る。
「もっとも用があるのは金子椿姫だが、お前はおまけみたいなものだな」
お前とは遼のことを指すのだろう。遼はあからさまな扱いにムッとし、眉を吊り上げる。
ただの付き添いと思われているのはとても心外だ。
確かに犀利に長けているわけでも、俊敏に脳髄を固めてるわけでもないが、目にものを見せつけるくらいならできなくもないぞ。
それと椿姫に用があると言ったな。
聞き捨てならない台詞に考えるより先に口に出る。
「まさかとは思うが、お前らもその男と同じで椿姫の力について知っていて、悪用を企てているんじゃないな」
その男とは椿姫の伯父のことで、今は端の方に無造作に捨てられたテレビや自転車に雑じってもたれ視界を閉ざしている。
御堂は眉唾物で当たらずも遠からずと言いたげな表情で顎に手を当てほくそえむ。
「人聞きの悪いことを率直に訊いてくれるな。だが返答としてここは一つ、俺の筋道を聞いて貰おうか」
そう言って御堂は続ける。
「まず注意しておくが俺は金なんてどうでもいいと思っている。嘘だと思うな。金子茂和に示した金額は威嚇の用途にすぎん。俺、いや俺たちが求めるは金ではなく秘められし力を所持した人物だからな」
御堂の視線の先、椿姫に焦点を合わせるがどこか複雑そうな表情を浮かべて、何かを言いたげだ。なんだ?
悲愴めいた面持ちには目も暮れず、御堂は概説に突っ走る。
「俺たちはこの力のことを謎力と称しており、同時に重宝している。謎力とは現実の世界では決して起こりえない非科学的な謎の力。その力を募りし集団『未来革命』に俺は所属している」
「あ、もちろん私もですけど」
付け加えるように挙手をする梢。
そして聞き慣れない単語に困惑する遼。
なにせ椿姫の片鱗を既に目の当たりにしてしまったのだから。
突拍子もない話だが、信じざるを得ない。
次の日くらいになったら内心消磨にかけたみたくボケーっと一点だけを見据えてそうだぜ。
はは、笑えねえ。
「てことはなんだ。椿姫が謎力保持者って理由なだけで本人の意思も尊重せず仲間に引き入れようとしてるのか? ふざけるなっ! んなもん、椿姫の伯父となんら変わりねえ。己のことしか考えないエゴの塊じゃねえか!」
身振り手振りをして一喝。
拭えない厳在に終始一貫の想いをいずくんぞ吐き出してやった。
しかし遠めから滑稽な遼の意思をのらりくらり受け流そうと、梢は口を噤み微笑を湛え、御堂はもっけ巡り合った東宮と対面を果たしたみたくまたも懐からタバコを取り出すと、先端に火を点けいっぷくし始めた。
「勘違いも甚だしいとは正にこのことだな。あいつはお前を踏み台にしつけこもうとした。正しく真性の悪党だろう。だが俺らは最低限理不尽を振り払った必要悪といえる。それに、椿姫という奴は満更でも無さそうだが?」
「なにっ?」
間髪いれずに振り返ると、ライオンに目を付けられ竦む小鹿のように震える椿姫は重く閉ざしていた口を開け、
「あたしついて行くよ……御堂たちと一緒に」
遼の意に反する想いをぶつけられ、済し崩しに築き上げた擁壁が崩壊の音をあげていく。
ま、待てよ椿姫。
いくら自棄になったっつっても、冗談だろ?
走馬灯のように次から次へと沸いて出る記憶の渦に巻き込まれながらも、必死に本心だけを探ろうと空気ばかりを掴んで儚くも無に終わる。
腑に落ちず、気を揉みつつ、悲報を払うべく必死になって遼は手を伸ばした。
「どうしたってんだよ、さっきから変だぞ椿姫。お前らしくないっていうか。ちょっと悲愴すぎやしないか? なぁ」
「そんなことないわよ。でも……」
上辺だけ着飾った椿姫の面映い一面を目の当たりにして、思わず地団駄を踏みそうになるも、駆り立てる自制心を抑え、血相はそのままでキッと御堂を睨み付けてやった。
「どうだ、大人しく金子椿姫を渡す気になったか?」
「何をどう判断したらその結論に至るものか。どうやら平和的解決は無理そうだな」
遼からしてみれば完全に敵愾心に触れた。
もう一言ぐらい言える間があるのなら、
「ぶっ飛ばす」
「完全に口に出てますね……」
梢が横目で流す。
御堂はめんどくさそうにふぅと一息漏らし、そして、
「梢。相手をしてやれ」
一度全部打ち込んだんですけどね、ですけど、なぜか知らないんですけど全部消えてしまったんです。アーッ! ってリアルに叫びました。悲しい現実ですよ。ふぅ。
むしろ自分が悲愴めいています('