第三十四話 裏切り
取り出されたナイフに「ほう」と感嘆する男、そして物騒な物を前にして鳴きを入れる椿姫。
「椿姫ッ!」
いても立ってもいられなくなった遼は叫び、地を蹴って延性の元椿姫を背後に守り、しかし椿姫の伯父は目も暮れずに眉間を寄せて男だけを確り睨み付けていた。
「私自身が手荒な真似を下すのは仕方なかったが、やむを得まい。我が人生の礎となってくれたまえ」
高らかにナイフを突き上げ、一閃を築こうとしたところで、
「まぁ待て」
振り翳されたナイフがピタリと止まる。
この状況下に男はあくまで冷静、汗一つかいていない。
その余裕が気にくわないのか、ピクンとこめかみを引き、辛辣にも男の胸にナイフを突き立てた。
「命乞いか? 私は今胸糞悪いんだ。いまさら止めて下さいと乞うても許しはしないぞ」
「残念だが、命乞いとは異なるな。要するに俺が言いたいのは――ふん。来たか」
余裕をかます男の視線の先、両手を後ろに組んでアスファルトに立つは、がたいのいい男でもましてや厳つく猛々しくほくそえむ野郎でもなんでもなかった。
ある意味で期待を裏切るほどのそれとは全く正反対だったからだ。
そいつを例えるならば、そう、ちょうど背丈も遼の妹くらい小さく、って初めて出す妹を引き合いに出したところで余計にこんがらがるだけか。まぁいわば椿姫よりも一回り小さくそして幼い。
眺めていてロリを彷彿とさせる容姿で遼から見て右寄りに伸びた短髪、端の装飾品は蝶か蛾だろうか。
正直どっちでもいいが、とにかく幼いのだ。見た目も、身体つきも。
女の子はとことこと歩幅短く歩いて男の前に立った。
「こいつを懲らしめてやってくれ」
突き立てられたナイフはもろともせず依然冷めた眼光を見合いに向けつつ、指差し心臓の位置に突き立て返した。
しかしナイフと指では誰がどう考えたとしても銀色仄かに揺れる物体の方が危なく被害を齎すに決まってる。
しかし得ない恐怖を背筋に通したのかは解からないが、金子茂和は体の生気が根こそぎ奪われたみたく青ざめ、半歩ほど後方へと後退った。
「……ふん、何を言い出すかと思えば。そのガキが私を懲らしめるだと? しかも女ときたもんだ。バカも休み休みにいえ」
椿姫の伯父は卑しく苦笑し、しかしナイフは下ろさず構えたままだ。
「だが、これは私を油断させるための茶番やもしれん。ここは大人げないが容赦なくいかせてもら――」
「無駄口が絶えませんね。少し黙っていてもらえませんか」
伯父の言葉を遮り、火に油を注ぐように右手を拳に変える年端もいかぬ女の子は、
「拳一発分。これだけで終わらせてあげますから、そのままでいいので本気でかかってきてください」
ぷちん。
肉眼で捉えきれずとも、堪忍袋の緒が切れたような音が耳に届いた気がした。
見た目とベリーマッチした、透る可愛げなボイスを発声したかと思うと、金子茂和はその子にナイフを掲げて飛び掛り、遼が目を見張り、椿姫が目を背け、男が手を出さないまま黙って目の前の光景をじっと見つめ、か弱くも拳を握った状態で女の子は薄ら笑いを浮かべていた。
防衛的立場から一変した男が呼んだ女の子の拳がボワっと光を灯したところで異変は起きた。
怒りに身を任せ鬼のような形相を浮かべた伯父は女の子に届く手前でかくんと膝をつき、手にしていたナイフを落としたとおもったらわなわなと震えだした。
そして機を見計らっていたとしか思えないタイミングのいいジャンプで伯父の懐に入ったかとおもえば、溜めていた右拳で腹部にストレートをかましていた。
それが瞬きをする間も無く、一瞬の出来事として起こっていたのだ。
「ぐっ、ごはっ!」
まともに腹部への直撃を喰らった金子茂和は、血清入り混じった口に含めるぐらいの血を吐き、その場に蹲った。
否、視界がブラックアウトし気絶をした。
「所詮口だけの男、口ほどにもないですね」
清掃終了といった様子で手を叩き、皆目興味ない面持ちで倒れた椿姫の伯父を指差す。
「この人どうしましょう」
「俺が担いでいく。下衆なこいつをな」
しゃがみ込み重そうな体を軽々と持ち上げ小脇抱える最中、遼は今最善の、別の思考を働かせていた。
小学生にも見える柔な女の子が大人の男をたった一発のパンチだけでのしたってのか。
いくらピンポイントでみぞに入ったとしてもまず有り得ない。起こるはずがない。
……とするとだ。
遼は伯父を見据えた後、淡く笑む女の子を斜視する。
この子もまた、椿姫同様に秘めた力を持っているのではないかと。
「おい、お前」
唐突に声を掛けられ、過敏にも体が反応する。
「俺はお前と背後にいる女に用がある。ついて来な」
有無を言わせぬ態度で、男は閑散とした空き地に指を向けると歩を進め出した。
ここで拒否権を行使しようものなら後の対応が先読み出来てしまう程悲惨な結果を招きそうで身が竦む。
椿姫の伯父を見れば一目瞭然、それを物語っている。
「……遼」
椿姫は怯えたように粛然としているが、遼は根拠もなく大丈夫だと言葉を発し、
「なにがあっても俺がお前を守ってやる。だからここは行こう」
…………そう、もう後戻りなんてできやしねえんだ。
ベタなほど臭い台詞を吐き捨て、光が見えない白み掛かった虚空に遼と椿姫は前進した。
今気付いたら三十四話までいっていたんですね。
大半が文字数少ないでしょうが。