第三十二話 訣別
椿姫を立体とし当然のこと遼自身もひっくるめ、今正に悪すぎる意味での後退期、修羅場以上に困惑する渦中に絶望という名のもとに立たされていた。
清水の舞台から飛び降りるという言葉が奮発等の意味合いの基用いられるが、なぜ危機的状況時に使用される慣用句ではなかったのかという疑問は、やはり些細な問題にしかすぎず、レム睡眠とレンノム睡眠の相違はなんだったかと思案に暮れるほどのゆとりを持ち合わせた遼は、敷布団上眠れずにいたのだった。
丑三つ時はとうに超え、完全に遮断したはずの窓から入る隙間風に身を縮み込ませる遼とA5紙ほど間をとった位置に床に就く椿姫から寝息が耳に届かないのは、きっと遼同様に表向きだけは睡眠姿勢をとっているだけなんだろう。
遼に背を向け寝そべる椿姫を眼中に置いていると、
「ねえ遼、起きてる?」
「ああ。起きてるよ」
互いに、遼は椿姫の華奢な背中を見つめたまま、椿は遼に細い背を向けたままの状態での均衡を保つ。
「あたし、これからどうしよう……」
妙に辛気臭い雰囲気と真剣な情が合わさった混沌に、遼は自分で決めるんだと背中を押したりはしない。
いつもなら既に口から突いて出ているだろうが、無理矢理にでも遼は唇を噛み締め絶対に言うまいと抑え込んでいるのだ。
遼の無言を肯定か否かどちらの意味で悟ったのかは知る由もないが、若干震える声色で、椿姫は述べた。
「……やっぱり、ここに居座り続けるのは駄目だよね。だって――けちゃうし」
途中声が小さく早口となって聞き取ることが出来なかった。
一体椿は何を言っていたのだろうか。
だが思考を働かせるゆとりを与えないのが椿姫のようで、次の台詞に遼は両耳を傾ける。
「伯父さんに着いて行くって言っても、文句ないよね……」
遼の心拍数が高揚し、MAXに達しまいとした。
要は耐えたのだ。
しかし相も変わらず言葉が出ない。
二の句が継げない。
いつもなら出なくていい時にも勝手に発言しやがるのに、肝心な時に限ってだ。
スゴロクによって振り出しに戻されまるで泣かぬ赤子にでもにとり憑かれたように……本当に出ないんだよ、くそったれ。
しかし遼が制したところで頑是無く気圧された結果で終わってしまうという確立も高い。
不安だけが募る今、押し殺そうとするのは恐怖である。
「独り言みたいになっちゃったけど、もう晩いし寝るね。おやすみ遼……」
まるで訣別の別れの言葉を吐かれたような気持ちになり、しかし律儀にもおやすみと返す遼の目蓋は急に力を無くし、まだ視界を閉ざすわけにはと祈るもそれだけ、後を追うが如く沈黙した。