第二十二話 幸せの価値観
計画性を嫌う遼にしては懸命な判断を下し、一、二、三と壁寄りに諭吉グループを掴んでは置いてを地味ながらも繰り返す。しかしぶつがぶつである故、飽きないどころか目の色が金に変わってもおかしくない立ち位置に足を預けているのは事実。既になりかけているのが発祥の表れだ。
「十六、十七……むふふっ、これであたし達大金持ちってわけね」
テキパキと手を動かし、相も変わらず目が半月と化した椿姫がそんなことを呟いた。
「ああそうさ。なにが起因かはいざ知れず、金持ちになったってことにはかわりないからな」
「そっか、そうよね。あたしなんだか夢みたいでさ。そういえばあんたと出会ってから変わった気がするわね。どうでもいいけど……うわっ、数いくつだっけ」
「おいおい面倒な……まぁ、確かにお前に会ってからだな。正に運命?」
金が手元に増えたところで貧乏くじを引き当てる正直魂が消生したわけではないようだが、確かにこれもどうでもいいことだな。
「なにそれ。さりげなく告白? まー今のあたしなら聞き届けてやってもいいんだけどね。その願い」
「そうか? ……なんでもいいやもう」
勝手に告白と解釈された挙句に願いとまで捏造されたが、今はデッチ上げに突っ込んでいられるほど遼の脳内の要領が空いてるわけもなく、五ギガ入るところ、四,八ギガまでデータが蓄積された状態ではな。
遼は思う。人生をマンネリと、ただただ平凡に送るとして、溢れる程の大金が懐に舞い込む確立はいかほどか。その少年(仮に遼)は難病を患ってた資産家の父がいたとして、ついでになんかの景品で宝くじ百枚を貰い受けていた場合、これはかなりの確立で大金を手に出来そうなものだが、逆にいうとこれっぽっちも得られずに素寒貧で終わってしまうかもしれない。父が他界したとしてもなにごともなく息子である遼にそのまま相続されるのか? はたまた百枚ある宝くじがただの紙切れに変わらないか?
疑問系で問うは否も、そもそも平凡に生きたとしてそんな機会は訪れるはずもない。断言したっていい。現実はそう人間全般に甘くはないんだから。ましてや大不況を引き起こした世界。空想夢想妄想でうつつを抜かすよか、己が生きていく世で必要な金を集めるべく働くという結果が大事、第一ではないだろうか。
引き戻ると、欲を得ようとせずいっぺんに無数の大金を使わない限り、ニートといっても過言ではない状態のまま生涯を送ることが可能なのでは。福の神が落としていった大量の札束をなんのリスクもなしに手にして幸せなのか。生きる上で、これが本当に幸福と称せるものなのか?