三十一、薔薇祭 ~襲撃~
「・・・・・ディア。様子がおかしい。僕から絶対に離れないで」
セレスティノは右に、ヘラルドは左へと回り込んだ後、エルミニオと共に正面から鹿を目指し進んでいたレオカディアに、エルミニオが馬を寄せてそう囁いた。
「エルミニオ様?どういうことですか?」
目標とする鹿は、のんびりと草を食んでいて、こちらに気付いた様子もなければ狂暴化しているようにも見えないと、レオカディアが率直な意見を述べれば、エルミニオは、顔を動かすことなく鋭い視線を辺りへと向ける。
「おかしいのは鹿じゃない。僕たちは今、誰かに狙われている。ああ、でも止まらないで。気づかないふりで馬を歩かせ続けて」
「っ」
エルミニオの言葉に、レオカディアは一瞬息を呑むも、エルミニオを守るべく冷静さを取り戻せたのは、日頃の王太子妃教育の賜物か。
それって。
もしかして、鹿は囮だったということ?
セレスティノとヘラルドを、エルミニオ様から引き離すために。
「ディア。鹿に集中しているふりをして」
「はい。エルミニオ様」
こういった森の中では、いきなり抜剣して襲うよりも、弓矢で威嚇攻撃をしてからの方が乱しやすい。
そんな話を思い出しつつ、レオカディアは何気ない風を装って手綱を握り、矢での攻撃に備える。
でも。
かといって盾を持っているわけじゃないし、第一、どちらから射かけてくるかも分からない。
ああ、どうしたら一番いいの?
訓練は受けていても実戦の経験が無いレオカディアは、緊張のあまり手が汗で滑り、心臓がばくばくと嫌な音を立て、息も苦しく感じるほど。
落ち着いて、落ち着いて。
とにかく、矢に警戒・・・・・っ。
「きゃあああ!」
「ぐっ・・・どう、どう!」
矢が飛んで来るなら、狙うのはエルミニオの心臓か首。
そんな思いでいたレオカディアは、何かが弧を描きながら飛んで来て、乗っている馬の顔の前で炸裂した、と思った時には、馬は全速力で走り出していた。
「ディア!ディア!ディア!!!」
後方でエルミニオが叫ぶ声が聞こえるも、振り返ることはおろか、顔をあげることも出来ず、レオカディアは、振り落とされないよう、ただそれだけを考えて必死で馬に縋り付く。
「レオカディア!今、そっちに行く!」
耳元で風が唸るのを聞きながら、レオカディアが懸命に手綱を握り締めていると、不意にヘラルドの叫びが聞こえた、と思った時には、レオカディアは、後ろからヘラルドに抱きかかえられていた。
「ううっ」
「よく、頑張ったな。もう大丈夫だ」
力強いその声に、握り締めていた手綱をヘラルドに委ね、ヘラルドが馬に話しかけるのを聞いているうち、レオカディアの耳元で唸っていた風の音が穏やかになり、やがて馬はその暴走を止めた。
「レオカディア。大丈夫か?」
「うん・・ごめんなさい。腰抜けで」
何とか馬の暴走を抑えたヘラルドが、川辺へとレオカディアを連れて行き、馬に水を飲ませる。
そうして、後を付いて来た自身の馬にも水を飲ませると、ヘラルドは座り込むレオカディアの隣に座った。
「気負わなくていい。怖かったろう」
「あれ、何だったの?エルミニオ様も、馬を制御しようとしていたし、何か、くるくるって飛んできて・・・そうよ。エルミニオ様、エルミニオ様の所に行かないと」
未だ気持ちが落ち着かないからか、うまく言葉に出来なくて、レオカディアはとにかくと立ち上がろうとするも足に力が入らず、そのまま頽れてしまう。
「っと。無理すんな。腰が抜けてんだから、立てねえだろ」
「でも」
「でもじゃねえ。レオカディアに何かあってみろ。それこそ、殿下は狂うぞ」
頽れ、べちゃりと倒れ込みそうになったレオカディアを、難なく支えたヘラルドは、冗談の要素のまるでない、真剣な瞳で言い切ると、レオカディアの頭をぽんぽんと優しく叩いた。
「お前が無事で、良かったよ」
「それは、ヘラルドのお蔭よ。ありがとう」
助けてもらったのに、お礼も未だだったと、レオカディアは自分の混乱ぶりを恥じる。
「・・・え?なに?どうしたの?」
その時、レオカディアを乗せていた馬が、レオカディアへと歩いて来て、しきりに顔を擦り寄せた。
「謝ってんだろ。いきなり暴走しちまったから」
「そんな。何か、粉みたいなの撒かれていたわよね?大丈夫?どこか、苦しくない?」
「それで、驚いて走り出しちまったんだな。よしよし、お前のせいじゃないぞ」
レオカディアとヘラルドが、優しく声をかけながら撫でれば、馬は嬉しそうに見つめて来る。
その黒いつぶらな瞳が可愛いと、ひとしきり撫でれば、馬は、満足したようにもう一頭の馬の方へと歩いて行った。
「ねえ、ヘラルド。今回のこれって、私を落馬させるのが目的だったのかな?だったら、エルミニオ様は大丈夫よね?怪我なんて、していないわよね?」
『エルミニオ様の馬は暴走もしていなかったし』と、レオカディアは、あの時の状況を思い出す。
「レオカディア。『だったらよかった』なんて、やめろよな?殿下が襲われていないか心配なのは分かるけど、お前だって大切な存在だって認識しろ」
「ごめんなさい」
ばちんっ、と額を叩く真似をして、ヘラルドが冗談にみせつつ真顔で怒っているのに気づいて、レオカディアは素直に謝罪した。
「よし、いい子だ」
「もう。同じ年のくせに」
子ども扱いは不服だと、レオカディアが膨れてみせれば、ヘラルドが楽しそうに破顔する。
「ははっ。そのくらいの元気があれば、もう大丈夫か?」
「うん、平気。歩けるし、馬にも乗れるわよ」
そう言ってレオカディアがしっかりと立ち上がり、スカートを払えば、ヘラルドが慣れた手つきで馬を連れて来た。
「んじゃ、他の狩猟大会の参加者を探しに行くか」
「え?エルミニオ様やセレスティノと合流するんじゃないの?」
当然、エルミニオ達を探すものだと思っていたレオカディアは、渡された手綱を握りながら首を傾げる。
「状況が、いまいち把握できないからな。人の目は多い方がいいだろ」
「ああ、なるほど。目撃者多数を狙うのね」
にかっと笑って言ったヘラルドに頷きを返し、レオカディアはひらりと馬に跨った。
「ところで、どのあたりを探すの?今いたあたりなんて、水場なのに全然誰もいなかったけど。声も聞こえないし」
「あ」
この森全体が狩猟場になっているとはいえ、人の気配がしなさすぎるのでは、と言ったレオカディアに、ヘラルドが固まった。
「ヘラルド?どうかしたの?」
「ああ、いや、その。殿下一筋のレオカディアには、興味も無いだろうけど」
「けど?」
何となく歯切れ悪く言うヘラルドに馬を寄せ、レオカディアが問い詰める。
「今日のこの時間。騎士団でも一番人気の騎士が、出場するんだ。それできっと、みんな競技場に行ってる」
「そうなの?でも、みんながみんな、その騎士の崇拝者ってわけじゃないでしょう?誰かいるわよ」
「・・・・・<その騎士は、国一番と言われる美貌と剣技をもって、老若男女を魅了する>って号外の謳い文句になるくらい人気なんだが・・・レオカディアは、殿下以外興味ないか。こりゃ、殿下の杞憂だったな」
『いやはや、この国は安泰だ』とひとり呟き、ヘラルドは、さっさと馬を歩かせ始めたレオカディアの後を追った。
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